カチッと、硬い音がし、安物のライターにオレンジ色の火が灯った。
紫煙が、夜空に立ち昇っていく。
俺はぼんやりとしたまま、煙を追うようにして空を見上げた。雲が多く、星はあまり見えない。
「ほらよ、これ」
煙草を咥えたまま、圭一は小さな紙袋を俺に放って寄越した。
「なんだよ」
「みりゃ分かる」
「…………」
紙袋を開け、中身を確かめる。
そこには、束になった線香花火が入っていた。
「なんだよ」と、もう一度繰り返した。
「だから、線香花火」
「…………」
俺はむっつりと口を噤んだ。
圭一はベンチに腰かけ、ため息をついてから改めて俺を見るともなしに見、言葉を放った。
「線香だよ、線香。あげにこなかったろ、おまえ」
「…………」
俺は圭一から視線をはずした。返す言葉は、思い浮かばない。圭一が座ったのとは違う、石のベンチに腰を下ろし、深く息を吐いた。気怠さは、抜けない。
真夏の夜の公園に、人気はなかった。住宅地の中の小さな公園だ。滑り台とブランコと、シーソーくらいしかない。電灯はあるが、ほのかにオレンジかかって、妙な不気味さを醸し出している。ジージーと鳴く虫、時折通り過ぎる車の走行音。無音ではないのに、ひどく静かだ。
圭一は首から提げていた携帯灰皿に煙草をこすりつけた。
おおざっぱなようで、存外几帳面なところもある。昔からそういうやつだった。
よくよく見れば、圭一の足元には防火用の水入りバケツまで用意してある。
「それさ、ネットで探しまくって買ったんだぜ? 純国産の線香花火」
「わざわざネットで購入かよ?」
「あたりまえだ。そこらで売ってる線香花火じゃお粗末すぎるんだよ。すぐ終わっちまう」
「……ご苦労なこったな」
「だから、あたりまえなんだよ、これくらい」
「…………」
そうだろう。当たり前だ。それくらいはしてやりたいと思うのは。
俺はまた黙り込んだ。
言うべきことが見つからない。
言うべきことはあるはずなのに。
こうして今、真夏の夜の公園に圭一と二人でいるのには、経緯がある。
――一葉の絵葉書。
それが三日前に俺の元に届いた。
実家経由で俺の元に届けられた葉書の差出人名は、「山岡逸美」。
葉書は、絵手紙というヤツだった。水彩で描かれた、二つの線香花火。描いたのはむろん、「山岡逸美」なのだろう。描いた当人の署名はなかった。「暑中お見舞い申し上げます」とだけ書かれ、他にはなんの文章も添えられていなかった。
ただ、差出人名の下に、走り書きがあった。
「八月十二日、二丁目の若葉公園、このハガキをもって来い」
「絶対にだ」とさらに書き添えられて、それには赤いペンで丸く囲われていた。
それは、「山岡逸美」の筆跡ではなかった。見覚えのある筆跡だった。見た目に合わない、ちょっとカクカクとした硬そうな字だ。
たびたび宿題を丸写しさせてもらっていたからこそ憶えていた筆跡だった。
走り書きは「山岡圭一」が書いたのだろうとすぐにわかった。「山岡逸美」の、兄。
山岡圭一に会うのは、高校卒業以来だ。
「痩せたな、おまえ」
懐かしの再会の、俺の第一声はそれだった。
「そりゃまぁ、なぁ……」
ハハハと、圭一は乾いた笑いを返す。
太りすぎでこそなかったが、どちらかといえば丸っこい体型だった圭一だが、今では頬もこけ、痩せすぎていっていいほどに、細い。
話題を転じた。
「煙草、いつからだよ、圭一?」
「んー……?」
圭一は、別段美味そうな顔もせず、煙草を吸っている。煙を吐き出すときの顔は、どこか苦しげにすら見えた。
「あー……、いつからかなぁ」
圭一は返事をぼかそうと語尾を曖昧にのばしたが、ややあってから、ぽつりとこぼした。
「一年前かな、やっぱ」
「……そうか」
相槌をうって、俺はまた俯いた。
バカなことしか、俺の口からは出てこない。
沈黙が、俺と圭一の間に落ちかけた。
「なぁ、涼」
沈黙が俺を押し込める直前に、圭一は俺の前にしゃがんだ。俺の手から線香花火を取り上げ、結んであった糸をほどいていく。線香花火は全部で何本あるのか、ぼんやりそんなことを考えながら圭一の手元を見つめていた。
「そういやおまえ、今、何やってんの? ちょっと前は印刷会社にいるとか聞いたけど」
「ああ。……今は、トラックの運転手ってやつだ。運送会社勤務」
「涼のイメージじゃないな。そんな優男顔でトラックの運転手なんてよ」
「優男顔ってなんだよ。なにげにバカにしてんのか?」
圭一は、線香花火を一本、俺に握らせた。
カチッと、ライターに火が灯る。
「バカになんかしてねーよ。褒めてるだろ、むしろ」
「けなされてるとしか聞こえねーな」
シュッと、線香花火が火花を散らし始めた。圭一も、一本、線香花火を抓み、火を点ける。
パチパチと、せわしなく火花が散り、手元が明るくなる。
ほんの数秒間、線香花火は単色の花を咲かせた。地味といえば地味だが、細い糸菊のような火花は、きれいだった。
やがて線香花火はその先端に火の玉を作り、あっけなく、ぽたりと落ちた。朱色の火が、土に落ちてはかなく消える。
「ほれ、次」
圭一に、また線香花火を持たされる。圭一もまた火をつけ、花火をじっと見つめている。
「なぁ、涼」
ためらいがちに、圭一が言った。俺は圭一ではなく、ただひたすらに線香花火を見ていた。
線香花火が散らす光の粒より、煙のほうが目に痛い。それで、少し目を細めた。
「涼、おまえ、来なかったな、一年前。来るかと思ってた」
「…………」
額に、圭一の視線を感じつつ、俺は黙り込んで線香花火の火を、見つめていた。
「ニュースは、見たろ?」
「……ああ」
短く答えた。
ニュースで見た。それほどに、大事故だった。
酒気帯び、さらに暴走運転。巻き込まれたのは逸美ひとりじゃない。多数の重軽傷者が出た。助からなかったのは逸美だけだった。
愕然とした。
圭一に確認をとろうと、何度も思った。
だが、できなかった。
俺と圭一との間に、火薬の匂いのする煙があがり、視界を曇らせている。
「逸美な」
圭一は、息をつく。
ぽたりと、朱色の火の玉が地に落ちた。
「逸美、あの日、ハガキを投函しようとしてたらしい。買い物に出かけたついでに郵便局にでも寄ろうとしたのか。……鞄に、ハガキが入ってた」
「…………」
「切手は、その時はまだ貼ってなかった」
三日前に俺の元に届いたあの手描きのハガキは、逸美が投函したのではないことは、分かっていた。圭一が逸美の代わりに投函したのだと。
あんな大事故に巻き込まれたのに、葉書は綺麗すぎるほどに、綺麗だった。丁寧に包み込んでいたようだ。
圭一は大きくため息をついた。ちょっと苦っぽい笑みが浮かんでいる。
「涼、おまえにさぁ、勇気出して連絡とろうとしたってわけだ。絵葉書なんてまだるっこしいもんで。アナログなとこが逸美らしいけどよ。しかも、文章も定型文だけっていう。何か一言でも付け足しときゃいいものをさ。結局、何も伝えずじまいで」
「…………」
圭一からライターを借り、今度は自分から線香花火に火をつけた。
パチッと、光と音が弾ける。
「けど、まさかあんな目に遭うなんて思わなかったろうからなぁ。あんな目にさ……」
圭一の声は、少し上擦っていた。
「あれから、一年だ」
「……ああ」
喉に煙が入ったせいだけではない。俺の声もまた、かすれている。手が、少し震えた。
紫煙が、夜空に立ち昇っていく。
俺はぼんやりとしたまま、煙を追うようにして空を見上げた。雲が多く、星はあまり見えない。
「ほらよ、これ」
煙草を咥えたまま、圭一は小さな紙袋を俺に放って寄越した。
「なんだよ」
「みりゃ分かる」
「…………」
紙袋を開け、中身を確かめる。
そこには、束になった線香花火が入っていた。
「なんだよ」と、もう一度繰り返した。
「だから、線香花火」
「…………」
俺はむっつりと口を噤んだ。
圭一はベンチに腰かけ、ため息をついてから改めて俺を見るともなしに見、言葉を放った。
「線香だよ、線香。あげにこなかったろ、おまえ」
「…………」
俺は圭一から視線をはずした。返す言葉は、思い浮かばない。圭一が座ったのとは違う、石のベンチに腰を下ろし、深く息を吐いた。気怠さは、抜けない。
真夏の夜の公園に、人気はなかった。住宅地の中の小さな公園だ。滑り台とブランコと、シーソーくらいしかない。電灯はあるが、ほのかにオレンジかかって、妙な不気味さを醸し出している。ジージーと鳴く虫、時折通り過ぎる車の走行音。無音ではないのに、ひどく静かだ。
圭一は首から提げていた携帯灰皿に煙草をこすりつけた。
おおざっぱなようで、存外几帳面なところもある。昔からそういうやつだった。
よくよく見れば、圭一の足元には防火用の水入りバケツまで用意してある。
「それさ、ネットで探しまくって買ったんだぜ? 純国産の線香花火」
「わざわざネットで購入かよ?」
「あたりまえだ。そこらで売ってる線香花火じゃお粗末すぎるんだよ。すぐ終わっちまう」
「……ご苦労なこったな」
「だから、あたりまえなんだよ、これくらい」
「…………」
そうだろう。当たり前だ。それくらいはしてやりたいと思うのは。
俺はまた黙り込んだ。
言うべきことが見つからない。
言うべきことはあるはずなのに。
こうして今、真夏の夜の公園に圭一と二人でいるのには、経緯がある。
――一葉の絵葉書。
それが三日前に俺の元に届いた。
実家経由で俺の元に届けられた葉書の差出人名は、「山岡逸美」。
葉書は、絵手紙というヤツだった。水彩で描かれた、二つの線香花火。描いたのはむろん、「山岡逸美」なのだろう。描いた当人の署名はなかった。「暑中お見舞い申し上げます」とだけ書かれ、他にはなんの文章も添えられていなかった。
ただ、差出人名の下に、走り書きがあった。
「八月十二日、二丁目の若葉公園、このハガキをもって来い」
「絶対にだ」とさらに書き添えられて、それには赤いペンで丸く囲われていた。
それは、「山岡逸美」の筆跡ではなかった。見覚えのある筆跡だった。見た目に合わない、ちょっとカクカクとした硬そうな字だ。
たびたび宿題を丸写しさせてもらっていたからこそ憶えていた筆跡だった。
走り書きは「山岡圭一」が書いたのだろうとすぐにわかった。「山岡逸美」の、兄。
山岡圭一に会うのは、高校卒業以来だ。
「痩せたな、おまえ」
懐かしの再会の、俺の第一声はそれだった。
「そりゃまぁ、なぁ……」
ハハハと、圭一は乾いた笑いを返す。
太りすぎでこそなかったが、どちらかといえば丸っこい体型だった圭一だが、今では頬もこけ、痩せすぎていっていいほどに、細い。
話題を転じた。
「煙草、いつからだよ、圭一?」
「んー……?」
圭一は、別段美味そうな顔もせず、煙草を吸っている。煙を吐き出すときの顔は、どこか苦しげにすら見えた。
「あー……、いつからかなぁ」
圭一は返事をぼかそうと語尾を曖昧にのばしたが、ややあってから、ぽつりとこぼした。
「一年前かな、やっぱ」
「……そうか」
相槌をうって、俺はまた俯いた。
バカなことしか、俺の口からは出てこない。
沈黙が、俺と圭一の間に落ちかけた。
「なぁ、涼」
沈黙が俺を押し込める直前に、圭一は俺の前にしゃがんだ。俺の手から線香花火を取り上げ、結んであった糸をほどいていく。線香花火は全部で何本あるのか、ぼんやりそんなことを考えながら圭一の手元を見つめていた。
「そういやおまえ、今、何やってんの? ちょっと前は印刷会社にいるとか聞いたけど」
「ああ。……今は、トラックの運転手ってやつだ。運送会社勤務」
「涼のイメージじゃないな。そんな優男顔でトラックの運転手なんてよ」
「優男顔ってなんだよ。なにげにバカにしてんのか?」
圭一は、線香花火を一本、俺に握らせた。
カチッと、ライターに火が灯る。
「バカになんかしてねーよ。褒めてるだろ、むしろ」
「けなされてるとしか聞こえねーな」
シュッと、線香花火が火花を散らし始めた。圭一も、一本、線香花火を抓み、火を点ける。
パチパチと、せわしなく火花が散り、手元が明るくなる。
ほんの数秒間、線香花火は単色の花を咲かせた。地味といえば地味だが、細い糸菊のような火花は、きれいだった。
やがて線香花火はその先端に火の玉を作り、あっけなく、ぽたりと落ちた。朱色の火が、土に落ちてはかなく消える。
「ほれ、次」
圭一に、また線香花火を持たされる。圭一もまた火をつけ、花火をじっと見つめている。
「なぁ、涼」
ためらいがちに、圭一が言った。俺は圭一ではなく、ただひたすらに線香花火を見ていた。
線香花火が散らす光の粒より、煙のほうが目に痛い。それで、少し目を細めた。
「涼、おまえ、来なかったな、一年前。来るかと思ってた」
「…………」
額に、圭一の視線を感じつつ、俺は黙り込んで線香花火の火を、見つめていた。
「ニュースは、見たろ?」
「……ああ」
短く答えた。
ニュースで見た。それほどに、大事故だった。
酒気帯び、さらに暴走運転。巻き込まれたのは逸美ひとりじゃない。多数の重軽傷者が出た。助からなかったのは逸美だけだった。
愕然とした。
圭一に確認をとろうと、何度も思った。
だが、できなかった。
俺と圭一との間に、火薬の匂いのする煙があがり、視界を曇らせている。
「逸美な」
圭一は、息をつく。
ぽたりと、朱色の火の玉が地に落ちた。
「逸美、あの日、ハガキを投函しようとしてたらしい。買い物に出かけたついでに郵便局にでも寄ろうとしたのか。……鞄に、ハガキが入ってた」
「…………」
「切手は、その時はまだ貼ってなかった」
三日前に俺の元に届いたあの手描きのハガキは、逸美が投函したのではないことは、分かっていた。圭一が逸美の代わりに投函したのだと。
あんな大事故に巻き込まれたのに、葉書は綺麗すぎるほどに、綺麗だった。丁寧に包み込んでいたようだ。
圭一は大きくため息をついた。ちょっと苦っぽい笑みが浮かんでいる。
「涼、おまえにさぁ、勇気出して連絡とろうとしたってわけだ。絵葉書なんてまだるっこしいもんで。アナログなとこが逸美らしいけどよ。しかも、文章も定型文だけっていう。何か一言でも付け足しときゃいいものをさ。結局、何も伝えずじまいで」
「…………」
圭一からライターを借り、今度は自分から線香花火に火をつけた。
パチッと、光と音が弾ける。
「けど、まさかあんな目に遭うなんて思わなかったろうからなぁ。あんな目にさ……」
圭一の声は、少し上擦っていた。
「あれから、一年だ」
「……ああ」
喉に煙が入ったせいだけではない。俺の声もまた、かすれている。手が、少し震えた。
