『最終審査は一般の方でも見学できます。スターが誕生する瞬間をぜひ見届けてください』
大々的に打たれた広告。写真の中心には、数々の厳しい審査を乗り越えてきた候補メンバーたちが凛とした顔で映っている。アイドルの卵らしく整った顔立ちが並ぶ中、白洲はひときわ輝いて見えた。
「颯、控室が広くて緊張するって」
スマホを弄りながら灰島が呟いた。
「あああ、俺もやばい……」
相槌を打ち、水を喉に流し込む。ペットボトルを持つ手が意味もなく震えた。
「なんで寺本が緊張してんの」
隣から呆れるような声が飛んできた。
「だって、こんなの初めてだし」
「お前はただ見るだけだろ」
「そうだけど」
唇を尖らせた寺本はメッセージアプリを開き、白洲に激励の言葉を打ち込んだ。
頑張れ。絶対受かるから。
そんなありきたりなことしか言えなかった。それでもすぐに既読がつき、『ありがとう』と返信が来た。絵文字のない無機質なテキスト。画面の向こうで固くなっている白洲の顔が容易に想像できた。
最終審査の開演を待つ客席はざわめきで満ちていた。何百もの椅子が緩やかな段差に沿って並び、そのほとんどが人で埋まっている。吸い込まれそうな高い天井。自分たちの席より前に審査員の特別席、そのさらに前には大きなカメラの機材席が設けられていた。映像として記録されることは分かっていても、プロ仕様のカメラを見ると、どうにも落ち着かない。
「みんな受かったらいいのに」
「ねえ〜っ、落ちるの見たくないんだけど」
客席のあちこちで飛び交う会話がやけに耳についた。
──この日を境に、誰かの人生が変わる。受かっても落ちても。それが分かっているからこそ緊張するのだろう。
やがて場内にゆっくりと暗闇がもたらされた。話し声が、一つ、また一つと消えていく。最後まで残っていた小さなざわめきもやがて途切れた。
パッとステージに強い照明が当てられた。袖から現れた司会者の掛け声によって、険しい表情の審査員がぞろぞろと出てくる。全員が静かに席に着くと、場の緊張感が最高潮に達したのを肌で感じた。
「──今日、この場所で、五人のアイドルが誕生します。審査の基準は課題曲のダンス、歌、パフォーマンスの三つ。前回の放送で審査員から受けたアドバイスを活かすことができるのか。それでは、最終候補に残った十三人に出てきていただきましょう」
重々しい音楽がスピーカーから流れ始めた。候補メンバーがぎこちなくステージに入ってくる。誰もいないステージは広く見えていたが、全員が横並びになると窮屈そうだ。センターに立った白洲は、カメラを見た途端に顔を強張らせた。
──ああっ、あんな顔してたらもったいない!
白洲の出番までに、いつもの華やかな笑顔は戻るだろうか。
「お一人ずつ意気込みを聞かせてもらいましょう。まず、前回の審査でダンスの得点が高かった白洲颯さん」
目の前のカメラが一斉に白洲に向けられた。マイクを握る白洲の手に力が入る。
「歌に関しては声量と安定感が足りないと指摘されていましたが、ご自身の中で成長を感じた部分はありますか?」
「はい。こ、この一ヶ月、ダンスをしながら安定して歌う練習を重ねてきたので、以前よりも声が出しやすくなりました。ええと……僕は、ずっと憧れだったアイドルの夢を叶えるために、全力でがんばります」
声が震えるのを必死に抑えるような喋り方だった。何度か言葉が詰まったが、聞き取れないほどではなかった。
──頼む。いつもの愛らしい笑顔を見せてくれ。せっかく映像を撮られているのに。せっかく大勢の人に白洲の魅力を知ってもらえる機会なのに。
──今、自分に何ができる?
必死に頭を回転させていたその時、ふと白洲がこちらを見た。灰島と自分、どちらと目が合っているのか分からない。仲が良い灰島のほうかもしれない。それでも、いい。
『が、ん、ば、れ〜!』
白洲に向かって、寺本は大きく開いた口をパクパクと動かした。両手の拳を握り、自身の顔の近くで小刻みに振る。わざと目も見開いた。なるべくアホっぽい面になるように。
「……ふっ」
白洲の顔から力が抜け、マイクが小さな吐息を拾った。柔らかな笑みが口元に浮かぶ。
「わあ……」
誰かが感嘆の声を漏らした。特大のファンサービスを受けた時のように、客席がざわめく。
「なんでしょう。急に表情が和らぎましたね。その笑顔を保ったままパフォーマンス頑張ってください!」
司会者に褒められた白洲は顔を赤らめ、
「あ、ありがとうございます」
と微笑みながらお辞儀をした。
全員の質疑応答が終わり、メンバーが足早に袖へと捌けていく。広いステージにたったひとり、白洲だけが残された。よりによって一番最初のパフォーマンスだ。初手の白洲が基準となり、他の候補者と比較されるため、審査の上で不利となる。
会場が再び暗闇に包まれた。灰島の言う通りだ。自分が出るわけでもないのに心臓が暴れている。灰島に聞かれたら、笑われるだろうか。
──ドンッ。
腹の底を揺らすような重低音とともに真っ白なピンスポットが白洲を撃ち抜く。すうっと彼の目に光が宿った。
アップテンポなメロディーが流れた瞬間、白洲の体が跳ねた。指の一本一本まで神経を研ぎ澄ませたキレのある動き。目にも止まらぬ速さで足のステップを踏み、胸から腰にかけて滑らかにしならせる。
マイクに吹き込まれる声は、さっきまで震えていたのが嘘だったみたいに驚くほど安定していた。高すぎず低すぎず伸びやかで心地良い。動きが激しいサビに突入しても、多少の吐息が増えただけで大きな変動はなかった。
この一ヶ月。どれほどの努力を重ねてきたのかが、パフォーマンスにそのまま現れている。白洲はつらさも不満も周囲に漏らさず、ただひたむきに練習してきたのだろう。そう考えたら目の奥がじんわり熱くなった。
ミステリアスなダウナー系男子になるだの何だの、自分がくだらないことを気にしていた間に、白洲は人として大きく成長していたのだ。自分が隣に並ぶのを想像するのさえおこがましいほど、アイドルになる前からとっくに手の届かない存在だった。
──綺麗だな……。
曲が終わりに近づくにつれて会場の空気が目に見えて変わった。険しい顔で腕を組んでいた審査員がどこか納得するように頷きを繰り返し、ペンを置いて白洲を見つめている。
曲が終わったのと同時に、白洲はぴたりと動きを止めた。完璧で欠点ひとつない笑顔。震える肩をゆっくりと上下させ、汗に濡れて輝く前髪の隙間からまっすぐに客席を見つめる。
一瞬の静寂を、割れんばかりの歓声と拍手がきり裂いた。
「ありがとうございました!」
腰を深く折った白洲の頭から舞った汗が照明に当たり、きらきらと雪みたいに光り輝く。白洲が立ち去ったあともしばらく声援は続いた。
「凄かったな……」
灰島が漏らした呟きに、なぜか胸が熱くなった。
間違いなく白洲はアイドルになれる。それも、世界的に活躍する有名なアイドルに。そう確信した。
全員のパフォーマンスが終わり、審査のために会場の照明が落とされた。他の候補者も凄まじい熱量を見せていたはずだが、記憶に残ったのは白洲の姿だけだ。
延々と続くような息の詰まる沈黙のあと、司会者が喋り始めた。ステージが照らされる。袖から戻ってきた十三人が並び、今度は白洲が端に立つ。彼はどこか吹っ切れた顔をしていた。
「大変お待たせいたしました。新たなスターとして羽ばたく五名の合格者を発表します」
司会者はゆっくりと名前を呼んでいった。一人、また一人。白洲じゃない人が呼ばれ、前に足を踏み出す。
こくん、と渇いた喉が鳴った。
残りあと一人。白洲が拳を握り締める。
「──白洲颯さん」
「あ……」
彼の名前が呼ばれた途端、思わず声が出てしまった。すぐさま周囲の拍手にかき消される。
白洲は目を見開いてしばらく固まった後、じわじわと頬を染めていった。目に浮かんだ涙を拭い、安堵したように肩から力を抜いた。
会場の外はすっかり日が落ちていた。ある人は泣きながら、ある人は興奮しながら街の中へ流れて行く。熱気を帯びた人の波に自分たちも加わる。
「白洲に会えないかな?」
「さあ。これから記者会見とかあるとしたら、一緒に帰るのは無理だと思うけど」
白洲が受かったというのに灰島は普段通りだ。
──もっとこう、なんかないのか。感情に任せて電話しちゃうとか。顔の表情が動かなすぎるんだよ。こんな時でも仏頂面なのおかしいだろ。
寺本は込み上げてくる文句をぐっと飲み込んだ。今日ばかりは喧嘩するのはやめよう。
「宵! 寺本!」
ふと聞き覚えのある声がした。振り返ると、白洲が「すみません、すみません」と言いながら人波をかき分けてこちらに走り寄ってきた。満開の笑顔だ。釣られて笑う前に、灰島と二人まとめて正面から抱きつかれる。
「うっ」
バシッと音がしそうなほど力強いハグだった。慌てて顔を離し、白洲の背中を労って叩く。
「おつかれ。まじで最高だった」
「颯、おめでとう」
隣から灰島も言葉を重ねた。
「ありがとう〜っ。本当に、俺、アイドルになれちゃった」
「努力してきた成果だよ」
「寺本……。あのさ、お礼言いたかったんだ」
「……俺に?」
どきりとした。だが白洲に感謝されることをした覚えはない。
「寺本が笑わせてくれたじゃん。あれのおかげで、緊張が一気に消えたんだ。それまで喋るのもやっとだったのに」
「ああ……、俺はただ応援しただけだから」
「でもありがとう。本当に」
「じゃあ、俺がファン一号ってことでいい?」
寺本が冗談っぽく首をかしげる。一瞬きょとんとした白洲は、ふははっと吹き出して笑った。
「もちろん。サインも最初に寺本に書くから」
「やった」
「ああっ、こんなところにいた! 白洲さん準備もしないで何やってるんですか。これから車で移動しますよ」
何処からか黒いシャツを着たスタッフがやって来て、白洲を捕まえた。
「二人ともごめん、また今度話そ」
白洲はそう言い残し、スタッフに連れられて裏の方へ消えて行った。途端に嵐が去ったような静けさが戻ってくる。さっきまであれほど人で溢れていたのに、気づけば周りには誰もいなかった。
「……抜け出して来てくれたんだな」
灰島が呟きながら歩き始めた。相槌を打ち、隣に並ぶ。合格した喜びを分かち合えればいいのに、なぜか言葉が出てこない。大通りをひっきりなしに行き交う車の雑音が今ばかりはありがたいと思った。無音の中で歩いたらさぞ気まずかっただろう。
灰島の気怠げな顔からは全く感情を読み取れない。喜んでいるようにも、白洲が離れていくのを寂しがっているようにも見える。凝視していると、ふと灰島が口を静かに開いた。
「もうダウナーキャラやめたの」
「え?」
「今日ずっと……、いつもの下手な演技してないだろ」
夜に溶け込んでしまいそうな黒い瞳に見つめられ、そわそわと落ち着かない気分になった。距離が近いわけじゃない。ただ横並びで歩いているだけなのに、自分たちだけ別の世界にいるようだ。
──やっぱり気づかれていたのか。
灰島は人に興味ないようなふりをして、実は意外とよく見ている。相手が好きなことも嫌いなことも。体調が悪ければすぐに気が付くし、こちらが本当に苛立っている時は空気を読んで黙り込む。だから今さら、この場を取り繕ったところで意味はなかった。
「……もう多分、そんなことをしても無駄だから。俺はどんだけ頑張っても白洲とは付き合えないし」
「諦めるんだな」
「そうじゃない。ただ、今日の白洲を見て感じた。白洲には憧れとか尊敬とか、そういう気持ちのほうが強いのかもなって。恋愛感情じゃない気がする」
「……へえ」
「キャラ維持すんの結構きついし」
灰島はもう一度深く頷いた。澄んだ夜の空気から重い沈黙が戻ってくる。
何か思うことがあるような表情が引っかかる。言いたいことがあるなら言葉に表して欲しいのに──と思った瞬間、不意に灰島が足を止めた。
「ん? どうした」
一歩、灰島がこちらに向かって足を踏み出した。手を伸ばせば触れる距離まで体が近づく。
「……な、なんだよ」
無言の圧に、寺本の踵がじりっと後ろへ下がる。
また一歩。灰島が近づいてくる。足のつま先が触れるところまで来ると、灰島の手が持ち上がった。手のひらで頭を掴まれる。
「あ、え?」
ぐっと上半身を屈めた灰島の顔が至近距離にある。これはちょっと近すぎる。しかも道の真ん中だ。せめて端に寄ろうと足を下げた瞬間、灰島が口を開いた。
「俺は素の方が好きだけど」
──何が好きだって?
はっ、と寺本の唇から吐息がこぼれた。
言われた言葉を頭の中で反芻しているうちに灰島が離れていく。引き上がった唇が視界に入り、急速に頬が熱くなる。
「いやいや……、意味わかんねえって! なにいまの……」
「そのままの意味」
ドッと心臓が跳ねた。きっと誂われているはずなのに、いつものゆるい雰囲気はどこにもない。
「おっ、お前に関係ないじゃん。俺がどんなキャラだろうと」
動揺したことを悟られるのは恥ずかしいと、口が思ってもない言葉を繰り出した。
灰島の顔からすっと笑みが消える。
「……そうだな。俺には関係ないか」
吐き捨てるように言った灰島は、ふいっと歩き始めた。いつもの無気力さはない。明確な怒りが滲んだ顔に、どうしたらいいのか分からなくなった。



