好きな人のためにダウナー系になったら、ライバルが「本物」でした。


 駅に着いた途端、人の大群に飲まれそうになった。慎重に間を抜けて階段を降りる。隅田川沿いにずらりと並ぶ木々の下には、昨日の強風で無惨にも落とされたピンク色の花びらが広がっていた。着物で着飾った外国人がカメラを片手にうろうろしている。スカイツリーと桜を一緒に撮れるフォトスポットというだけあって、この時期は特に混み合うのだろう。
 寺本は目的地に急いだ。乱れた息を整える間もなく、『着物レンタル』と書かれた看板の横から建物の中に入ると、先に着替えを始めていたクラスメイトの一人が自分の存在に気が付いた。

「せんせー! 寺本来たよ」

「遅れてすみません」

「おう寺本。遅刻なんて珍しいな」

「今日、校外学習って忘れてて……」

「なにやってんだか。昨日三回くらい言ったぞ」

 早く着替えろと背中を押され、すみませんと謝りつつ、奥の畳が敷いてある和室へ進む。壁のハンガーラックに夥しい数の着物がかけられていた。男性物でもこれほど種類があるなら、女性のほうは選びきれないほど用意されているのだろう。
 着替えている真っ最中の男たちの奥に、鏡の前に座っている白洲が見えた。目が合った途端、彼がぱっと立ち上がった。

「あ、寺本」

「はよ」

「遅かったじゃん。着物どれにすんの?」

 白洲の全身が見えると、寺本は返事もできずに見惚れた。
 淡い灰褐の着物。その上に重ねられた、みずみずしい若葉を思わせる鮮やかな萌黄色の羽織。ゆったりとした袖口から白洲の細い手首がちらりと覗く。襟元に見える長襦袢の薄い水色は、白洲の浮世離れした綺麗な顔をよく引き立てている。見事な着こなしだ。

「きれいだな……」

 思わず口から飛び出した自分の声にびっくりする。格好つけていい感じに褒めることもできたはずなのに、気の利いた一言が出てこない。

「いけてるっしょ〜」

 白洲が冗談混じりに笑いながら近づいてくる。寺本は頬を染めて目を揺らした。

「あ、おう。すげえ、いい」

「そんなに? てか早く着替えろよ」

 肩を叩かれてようやく、目の前の着物が視界に入った。どれにしようかと迷う前に白洲の手が伸びる。

「寺本は暗いやつより明るい色が似合うと思うんだよなあ」

 何枚か着物を弾いた彼が目を留めた生地は、派手な白や水色ばかりだ。目立つのは嬉しいけど、さすがに顔が負けてしまう気がする。

「あ、あの、白洲」

「これとか……あ、羽織はこれ!」

 白洲が持っていたものを押し付けられ、咄嗟に受け取った。鏡の前で体に当てて見る。
 雪白の珍しい着物だった。かすかに紫を含んだ薄鼠色の羽織には繊細な花模様の地紋が織り込まれており、照明の光を受けて上品に輝いている。

「めっちゃ似合うじゃん」

「ま、まじ? じゃあこれにする」

「自分で選ばなくていーの?」

「いい」

「あはっ、即答かよ」

 自分より遥かに目が利く白洲の言うことだ。間違いないだろう。着付けをしてくれるスタッフのところへそのまま向かうと、それに見合った長襦袢と帯を選んでもらえた。全身鏡の前でされるがままに着せられる。いつの日かテレビで見かけた、工場のラインに身を任せて流れていくアイスになった気分だった。
 ──ただのアイスがこんなにイケてるわけないだろ。
 鏡に映った自分は、制服を着ているときより随分と品が増して見える。着物が似合うなんて考えたこともなかった。おまけに隣で「かっこいい、かっこいい」と褒めちぎってくれる白洲のおかげで、緩んだ頬が元に戻らない。いつまでもこの時間が続けばいいのに。

「宵ってどこにいるんだろ」

 白洲が思い出したみたいに呟いた。あいつの名前が出てくるだけで妙に胸がざわつく。

「どうでもよくね」

「えー、あいつの着物見たいんだけど。てか俺たち同じ班でよかったな! 友達と回れるとか最高」

「あ、ああ」

 純粋な笑顔を浮かべる白洲の隣で、寺本はぎこちなく頷いた。
 同じ班になったのは偶然じゃない。裏の手を使って根回しした努力の成果だ。白洲と一緒になりたかっただけなのに、またもや灰島までついてきた。どこまで邪魔をすれば気が済むのだろう。
 念でも飛んでしまったのか、噂の人物が鏡の中にふらりと現れた。
 深い葡萄色の着物と羽織。影に溶け込むような紫の中で胸元に結ばれた、豪奢な房がついた金色の羽織紐。高校生とは思えぬ色気を纏わせながら、ソイツがゆったりとこちらに歩いて来る。

「お、宵! うー、やっぱ宵は着物が似合うんだよなあ。かっこいい」

 灰島に駆け寄ってべた褒めする白洲の後ろで、寺本は唇を噛んだ。
 素直に嫉妬できない。無駄に憂いを帯びた表情に腹が立つこと以外、自分も同じ意見だからだ。

「颯も似合ってる」

「だろ〜? 宵に選んでもらってよかった」

 ──くそ、灰島が選んだのかよ!
 遅刻なんかするんじゃなかった。早く来ていたら白洲の着物を選べたかもしれないのに。ついでに灰島にダサい着物を勧められたのに。

「見て、寺本のやつは俺が選んだんだ」

 やっと灰島がこちらを向いた。でれっと下がっていた目元が締まり、鋭い視線で頭のてっぺんから足袋まで突き刺される。

「……なんだよ」

 好戦的な態度には、同じように返すしかない。
 灰島は口元をふっと歪ませた。

「寺本にはもったいないと思うけど」
 
「はあ?」

「そんなこと言うなって。寺本、似合ってるよ」

 白洲に慰められても意味はなかった。体が浮きそうなほど膨れ上がっていた気分に針を刺され、しわしわと萎んでいく。別に灰島なんかに褒めてほしかったわけではない──けど、客観的に見てイケてると思ったのは間違いだったのか。無言で肩を落とすと、灰島は拍子抜けしたように目を瞬かせた。いつも噛みつく自分が何も言い返さなかったことが意外だったらしい。
 雷門の前まで移動すると、外国人の団体にカメラを向けられた。着物が珍しいからという理由だけではない。彼らの視線の先にいるのは、魅力が溢れ出ている白洲颯だ。

「ここで写真撮ろー」

 底が四角い巾着袋からスマホを取り出した白洲は端に立ったままカメラを頭上に構えた。なんで灰島を真ん中にして写らなきゃいけないのか。

「白洲は真ん中入って。アイドルなんだから」

「あはっ、まだなってないよ」

「いいから」

 白洲を引き寄せた瞬間、ふわりと清潔感のある香りが鼻を掠めた。きっとシャンプーやワックスの匂いじゃない。どこから香っているのか知るために、体を近づけた。白洲の傷ひとつない首元が接近する。石鹸ほどキツくなく、花より甘くない。うっとりと息を深く吸い込んだその時、

「寺本? 撮るから前向いて」

 白洲の声にハッとした。慌ててカメラを見つめる。すぐにシャッターを何度か押した彼は、満足そうにまた歩き始めた。
 ──どんな顔で写っただろう。気が抜けていたせいで、変な顔だったかもしれない。せっかく白洲が撮ってくれたのに。

「何ぼーっとしてんの」

「いたっ」

 灰島に背中を叩かれ、反射的に声が出た。叩き返してやろうと振り上げた手が白洲に見つかり、中途半端に空を舞う。振り向いた灰島に鼻で笑われた。
 (ああくそっ、むかつく!)
 なぜ灰島は事あるごとに自分を刺激してくるのか。そんなに白洲のことが好きだというなら、こちらも対抗するしかない。