好きな人のためにダウナー系になったら、ライバルが「本物」でした。


 劇場のトイレから出ると、通路の脇で白洲が電話していた。こちらに気づいた彼の顔が気まずそうなものへと変わる。

「はい、……はい。これから向かいます。失礼します」

「なんかあった?」

「ごめん。急に撮影で呼ばれちゃって」

「うわ、大変だな」

「抜けてもいい……?」

 白洲は眉を下げて両手を合わせた。隣にいた灰島が、「こっちはいいから行けよ」と彼の頭をさらりと撫でる。

「うん。まじごめん、二人で遊んで!」

 ──ふたりで?
 駆け足で去っていく白洲の後頭部を見つめながら、自分が置かれた状況を少しずつ理解した。今はまだ午後の三時。勉強があるとしても帰るにはまだ早い。
 どうしよう。何を言えばいいんだろう。次はどこに行こうかと聞きたいけど、灰島はもう帰りたいかもしれない。

「寺本はどうする」

 不意に顔を覗き込まれた。目を合わせにくいと思っていることがバレた気がして、ぎくりとする。

「え?」

「俺はまだ遊びたいけど」

 ──白洲がいなくてもいいのか?

「あ……っ、ああ。俺も、遊び足りない」

「ゲーセン?」

「……うん」

 他の選択肢がすぐに思い浮かばなかった。とりあえず頷くと、灰島は黙って歩き出した。
 煌々と光るクレーンゲームの台が密集しているゲームセンターの入口は、ただ床に引かれた線で廊下と区切られており、通路側には壁もドアもない。外に漏れ出た爆音の機械音に子どものわめき声が重なり、耳を塞ぎたくなるほどの雑音が響いている。

「すげー音だな」

 自分の小さな声が空気に吸い込まれていった。白洲という緩衝材が消えた途端、灰島の存在感がやけに濃く感じる。これまでどんな風に悪態をついていたか、ふざけ合っていたかを忘れてしまったみたいだ。

「どれやりたい」

 灰島は怠そうにポケットに手を突っ込んだまま聞いてきた。靴の踵を擦りながらゆったりと歩くその姿は、映画の主人公みたいな雰囲気がある。とても同い年とは思えない。

「……寺本?」

「えっ、ああどうすっか」

「これは」

 ふと灰島が足を止めた。ガラスの向こうには、先ほど観たばかりのアニメのキャラクターが山のように積まれていた。ボールチェーンが頭に付いた親指サイズのキーホルダーだ。

「お前ハマったの!?」

「いや。俺は要らないけど」

 灰島が財布から小銭を取り出しながら呟いた。

「じゃあなんでやる……」

 言いかけて、はっと気が付いた。まさか白洲にあげるつもりなのか?
 胸の奥が嫌な感じにキュッと締め付けられた。
 想像し得ない無条件の優しさ。自分のいないところで自分のことを考えてくれる人がいる。白洲にはきっと、灰島を含め、そういう相手が何人もいる。誰の一番にもなれない自分とは、生きている世界が違うのだろう。

「ピロリロリンッ! レッツゴー!」

 突然、チープな音楽が流れ始めた。機械の正面に立った灰島がレバーを握る。ガコンッガコンッとアームが激しく揺れた。

「まじでやるんだ」

 景品は全部で五種類ある。そのうち灰島が狙っているのは、どうやらうさぎのキャラクターだ。
 灰島は正面と横からガラス越しに位置を確認し、真剣な眼差しでボタンを押した。すぐにアームが降りていく。場所はちょうどだった。爪が開き、うさぎの体を掴む。

「おっ」

 しかし持ち上げたところで、するんと爪の中から滑り落ちていった。灰島は表情ひとつとして変えることなく、流れるように金を投入した。

「え、また?」

「取れなかったから」

「すげえ熱量……」

 唖然としているうちに、先ほどと全く同じ光景が目の前で繰り返された。そうして六回目に突入しかけた時、咄嗟に灰島の腕を止めた。

「待て待て待て。これ何回やるの? そんな欲しい感じ?」

「……まだ取れない」

「いやいや、もし確率機だとしたら何千円か使わないと取れんって」

「次取れる」

 自信満々に言い切った灰島は、強引に六回目を始めた。
 見た見た。これさっき見たんだけど。どうせまた落ちる──と思ったら、アームの爪が奇跡的にチェーンの中に入った。釣り竿みたいに引っかかったうさぎが運ばれ、ゴトンと取り出し口に落下する。

「ええっ? やったじゃん!」

「だから言っただろ」

「いや見栄張っただけだと思ってた」

「なめんな」

 灰島はしゃがみ込んで拾い上げると、振り返りざまに寺本に差し出した。

「え?」

「はい」

 咄嗟に出した手のひらに、ころんとうさぎが落とされる。戸惑いながら見上げた。

「な、なんで。いいの?」

「欲しそうだったから」

「いや別に欲しいとは……」

「寺本に似てる。それ」

 淡々とした口調で言われ、余計に困惑した。
 ──揶揄いたくてわざわざ取ったのか? 六百円もかけて?
 萎んでいた気分がぐんぐん膨らんでいく。動機がなんであれ、灰島は自分のためにこれを取ってくれた。

「……白洲にあげるんじゃなかったんだ」

「なんで颯?」

 返事に困った。白洲のほうが仲がいいから、白洲のことが好きそうだから。そんな風に明け透けに言って恥をかくのは自分だ。

「なんとなく。ま、ありがと。鞄につけよ~」

「寺本はやらないの」

「俺がちで下手だから。そんな金使うなら白洲のグッズ買いたいし」

「……白洲白洲って、お前そればっかだな」

「え?」

 心底呆れるという言い方だった。踵を返した灰島が奥のガチャガチャコーナーに進んでいく。ちらりと見えた顔が拗ねていたような気がして、寺本は目を瞬かせた。

 帰り際に立ち寄った本屋。ずらりと並んだ分厚い参考書の前で灰島が足を止めたせいで、一気に現実に引き戻されてしまった。しつこいくらいに書かれた『大学入試』『共通テスト』の赤文字にうんざりする。灰島のことだから小説を選ぶのだと思っていたのに。

「灰島は志望校決まってんの?」

「第一は決まった。第二と滑り止めはこれから」

「いいなあ。俺まだ何も決めてない」

 もうすぐ夏休みが始まる。それまでにはある程度決めておかないと、勉強の方針が固められないから不利になると塾講師が言っていた。急かされても気持ちだけが逸るばかりだ。

「大学行ったら……」

 何かを言いかけた灰島が、途中で言葉を切った。だがなんとなく続きは分かった。白洲は芸能の道へ、灰島と自分はそれぞれ違う大学へ。きっと、白洲とも灰島とも会わなくなるだろう。

「同じ大学受ける?」

 ふっと笑いながら灰島が首を傾げた。珍しく柔らかなその仕草に、わけもなく顔が熱くなった。

「……冗談?」

「いや。寺本がもっと頑張ればいけると思うけど」

「俺かよ。てかどっちかが落ちたら気まずいじゃん」

「それは仕方ない」

 卑怯だ。大学でやりたいことがないと悩んでいる時にそんなことを言われたら、心が揺らいでしまう。

「あれ……先輩?」

 聞き覚えのある女子の声に振り向くと、図書委員の加藤が立っていた。フリルがついたレース素材の半袖、膝上のミニスカート。普段は後ろで一つ結びの髪の毛は巻かれて降ろされていた。制服と比べると雰囲気がかなり違う。

「あ、加藤さん」

「すごい偶然ですね! 先輩の私服かっこいい……」

 先輩、と一括りにして呼んだわりに、彼女は灰島のことを一直線に見つめた。

「加藤さんは何買いに来たの」

 灰島が問いかけた瞬間、加藤の顔がパッと明るくなった。

「私はホラー小説です! 発売前からネットで話題になってたんですよ、もう映画化も決まってて」

「へえ。どれ?」

「あ、こっちです。来てください!」

 加藤は灰島の背中をそっと押すようにして小説棚のほうへ歩き始めた。その後ろを歩きながら、首をひねる。
 ──触る必要なくないか?
 異性へのアピールを堂々と目の前でやられると、さすがに居心地が悪い。

「お貸しした本どうでした?」

「ああ、よかった。結末が微妙だけど」

「え、私も思いました〜! でもあの作者のクセなのかな。他のシリーズも絶妙な終わり方しますよね。すっきりしないというか」

「わかる」

 まるで二人だけの世界だ。後を追う足がどんどん重くなっていく。どれほど距離が空いても、こちらに気が付いてくれない。
 こっちを見ろ。後ろを向け。着いてきてないことに気づけよ。今日お前が遊んでいるのは誰なのかわかってるのか。
 次々と浮かんでくる言葉にできない文句を、立ち止まって必死に飲み込んだ。

「……寺本?」

 不意に灰島が振り向いた。加藤の手から逃れ、こちらに戻ってくる。

「どうした」

「俺、帰らないと」

「え?」

「勉強するから」

「……じゃあ、俺も帰る」

 ──じゃあってなんだよ。本音は違うくせに、嘘をつくな。
 灰島の奥にいる加藤と目が合った。邪魔されたとでも言いたそうな顔だった。そりゃあ、あれだけ話が盛り上がっていたのだから当然だ。

「いい。お前は加藤さんと一緒にいれば?」

「は? おい」

 二人から顔を背けて歩き出した時には、もうすでに後悔が始まっていた。

「はあ……なにやってんだろ」

 感情剥き出しの幼稚な態度。きっと加藤も灰島も呆れたはずだ。勝手に不貞腐れて勝手に傷ついた自分がひどく惨めで、たまらなかった。