好きな人のためにダウナー系になったら、ライバルが「本物」でした。


 白洲が一員としてデビューしたアイドルグループの華々しい門出から二ヶ月が経った。白洲は普段通り学校に通いながら、放課後そのまま音楽番組の収録や新曲のレコーディングへ向かう。休日は早朝からテレビに生出演、ダンス練習、雑誌の取材、SNSの動画撮影。所属しているのが大手事務所ということもあって、メディアの仕事が次から次へと舞い込んでくるらしい。

「いっぱい活動できて嬉しいな。休めないけどね」

 そう言って疲労感の滲む顔に笑みを浮かべた白洲は、たびたび授業中に寝るようになった。

「次じゃあ白洲、これ前出て答えてー。……あれ?」

 返事がないことを不思議に思った教師が振り向き、机でうつ伏せになった白洲を見た途端、何とも言えない渋い顔をした。

「あちゃー。寺本、起こしてやって」

「えっ俺ですか?」

 突然の任命に寺本は驚きつつ、横を向いた。
 手の甲でふにっと潰れた柔らかそうな頬。鮮やかな唇。黒く艶のある睫毛。天使みたいな顔で静かに寝息を立てている白洲に、罪悪感を抱きながら手を伸ばしてみる。

「お、おい白洲……」

 手が後頭部に触れそうになった瞬間、後ろからガタッと椅子の脚が地面を擦る音が聞こえた。それと同時に、灰島の長い手がぬっと現れる。

「颯。起きろ」

 自分の手は呆気なく弾かれた。代わりに机から身を乗り出した灰島の手が、白洲の髪をくしゃりと撫で掴む。慣れている触り方だった。

「んん、あー寝ちゃった……」

 ふにゃふにゃと身体を起こした白洲が目を擦る。

「忙しいのは分かるけどさあ、本業はこっちだからね?」

「はい。すみません」

 この調子では問題を解くどころか、前に出ることすら難しいだろう。寺本はノートを片手に立ち上がった。

「先生、それ俺が答えます」

「あ、じゃあよろしく」

「寺本ごめん……」

 白洲は両手のひらを合わせ、眉を下げて謝った。「全然いいよ」と笑顔で流しつつ前に出る。
 以前までは白洲と目が合うだけで狼狽していた。笑いかけられたら顔が熱くなり、取り繕った返事しかできなかった。今となってはそれを明確に思い出せないほど、彼に対する緊張感は薄れた。恋愛関係にはならないと分かっているからだろうか。
 問題を解いて席に戻る途中、灰島と視線が絡んだ。相変わらず全身から無気力で怠そうな空気が滲み出ている。灰島は肘をついたまま、

『やさしー』

 声を出さずに口をパクパクと動かした。
 何と言い返せばいいのか。うるせえとかウザいとか、いつもならすんなり返せる言葉が出て来ない。迷った挙句、無言で椅子に座り直した。
 ──もう何なんだよ……。
 白洲と接しやすくなった分、灰島と接しにくくなってしまった。なのに昼飯も委員会も放課後の勉強会も、灰島とばかり一緒にいる。うんざりするほど。
 唐突にツンッと細い何かが背中に当たった。
 (なんだ?)
 振り向くと、人さし指を押し付けてくる灰島の仏頂面があった。ぐりぐり。ぐりぐり。肩甲骨のあたりに刺さった指がめり込んでくる。

「おい、やめろよ」

 思わず小声で注意したが、灰島はこちらを一瞥し、やめるどころか今度は指を背中の上で滑らせた。文字を書く時のような動きを感じ取るため、シャーペンを置いて神経を尖らせる。
 ──む、し、す、ん、な?
 意味が分かった途端、頬に熱が迸った。全身が火照り、耳にまでじりじりと熱が伝わっていく。
 仲良くなった灰島はまるで機嫌がいい時の猫みたいだ。頼んでもないのに構え構えと絡んでくる。
 前の席から後ろにできることは、せいぜいメモを渡すくらい。しかし無視するなと言われても返す言葉は思い浮かばず、付箋にペン先を置いたまま黒板を見つめた。
 ──灰島に言いたいこと。何がある。なんでもいい。委員会の仕事は、今日は金曜だから何もない。さっき食べた昼飯も普通だった。
 逡巡していたところで、白洲に小さな紙の切れ端をすっと差し出された。咄嗟に受け取って開く。

『明日、練習も仕事もない。遊ぶ?』

 白洲は頬を緩ませながらこちらを指さしたあと、灰島のほうに指先を向けた。「三人で」と彼の唇が音を立てずに動く。
 ──三人なら問題ない。白洲が居てくれたら普通の態度で灰島とも話せる。むしろぎこちない空気を解消する良い機会かもしれない。
 寺本は頷き、受け取った紙をそのまま後ろの席に回した。

『どうする』

 口パクで問いかけたその時、

「寺本、ちゃんと前向いてー」

 教師から指摘を受けてしまった。慌てて前を向いた途端、くすくすと周囲の笑い声が聞こえてくる。寺本は耳が熱くなるのを感じながら俯いた。
 ふと背中にまた指の感触がした。大きな動きで書かれた、『いく』の二文字。

「……っ」

 ──そんなところじゃなくてメモに書けよ!!
 背中に少し指が触れただけだ。なんてことないはずなのに、猛烈な羞恥心に苛まれるのは何故なのか。


 土曜の昼時ということもあり、フードコートは家族連れで溢れ返っていた。どこかで赤ちゃんが泣き叫ぶ中、白洲と灰島がゴミ箱に隣接された給水機から紙コップを持って戻ってくる。そのうち一つは目の前に置かれた。

「あ、さんきゅ」

「いーえ」

 自分と灰島は肉を中心とした茶色い料理だが、白洲の前にあるのは彩り豊かな野菜のどんぶり(申し訳程度に上に乗ったサラダチキン)とお味噌汁のみ。ドリンクは水。三時間もアクティブワンで運動しまくった後とは思えない昼飯に、思わずそれで大丈夫なのかと聞いてしまった。
 芸能人の意識の高さに感服しつつも、いつか倒れてしまいそうで心配になる。撮影の時に浮腫んだ顔で映るのが嫌だから。白洲はそう言って、ここ最近は学校の昼飯も減らしていた。

「……一切れ食う?」

 タレがたっぷりかかった肉を差し出す。白洲は一瞬迷う素振りを見せたが、小さく首を振った。

「我慢しないと。明日スチール撮影だから」

「なんの」

 隣から灰島が問いかけた。そもそも自分はスチール撮影の意味さえ分からない。灰島は知っているのか。

「まだ内緒だけど、これから新曲出るんだ」

「え、もう? この前デビュー曲リリースしたのに?」

「うん。今すごい注目してもらってるから、人気になるためにどんどん出すんだって」

「へえ……」

 目を輝かせて言った白洲に、アホみたいな返事しかできなかった。受験シーズン真っ只中に働き詰めてしまったら進学は厳しくなりそうだ。私立大学か専門学校にでも行くつもりなのか?
 昨日のホームルームで渡された進路相談書をふと思い出し、寺本は密かにため息をついた。人の進路を心配してる場合じゃない。帰ったら今日も勉強しなければ。

「これからどうする」

 白洲の声にハッとした。考えながら口の中のものを飲み込む。

「んん、ゲーセンでもいく?」

「いいね。宵は?」

「ゲーセンでもいいけど。映画とかは」

「あ〜いいね! でも全員が観たいやつあるかな」

 灰島はともかく、好きなアニメが被ってる白洲とは映画の好みが合いそうだ。上映中の映画一覧を調べた寺本は、テーブルの中央にスマホを置いた。

「怪盗タワーワールドやってるよ。あと蚊滅も」

「蚊滅いいじゃん。宵はテレビの放送見てた? てか知ってる?」

「ああ。さすがに知ってるけど観てない」

「じゃあダメかあ」

 残念そうに白洲がため息をついた。
 灰島だけ別のを観ろよ──なんて冗談言ったら、本当にそうしてしまうかもしれない。

「灰島はなにが観たい」

「二人が観たいやつでいい」

 鼻につく答えだ。どうせ洋画とか頭を使いそうな映画が観たいと思ってるくせに。
 んーと白洲が画面をスクロールさせ、二頭身の可愛らしい動物が出てくるアニメで指を止めた。

「じゃあこれは? よく知らないけど人気だよね」

「俺も観たことない」

「全員かよ」

 画面を覗き込んだ灰島が、呆れたように呟く。

「てか映画から入るやついんの?」

「いるじゃん、俺らが」

 白洲がけらけらと笑いながら言った。
 小さい子ども向けのアニメだ。自分たち以外、子ども連れしかいないだろう──と思いながら劇場に入り、客席を見て驚いた。年齢層が高い。カップルもちらほらいる。

「なんか内容が結構シビアらしいよ。モンスターを討伐したりするんだって」

「と、討伐?」

 このキュルンとした見た目で一体何を倒すのか。

「うん。ちらっと聞いた話だとね」

 先を歩いていた灰島が座ったあと、白洲がその隣の椅子を倒した。自分も隣に座る。
 ──灰島の隣じゃなくてよかった。ゆっくり歩いた甲斐があった。隣にいたら、映画になんて集中できない。
 上映が始まってしばらく経った頃、左肩に何か乗せられた。何事だと横を向きかけた頬に柔らかな髪が当たり、思わず体が硬直する。灰島と同じあの香りがふわっと漂った。
 (寝てる……?)
 暗がりの中、スクリーンの光を受けた白洲の寝顔がぼんやり浮かんでいる。よほど疲れていたのだろう。チケット代が勿体ないからと起こす気にはなれず、映画そっちのけで寝顔を眺めていたら、ふっと灰島がこちらを向いた。白洲の顔から自分の肩へ視線が流れていく。
 何か言いたげな表情。視線。それから空気。
「なに」と小声で聞いたが、灰島は無表情のまま白洲の頭に手を伸ばした。優しく頭頂部に触れ、灰島の肩に白洲の顔をころんと倒させる。

「ん……」

 白洲は一瞬眉を寄せたものの、そんなことをされても起きなかった。
 ──なんだよ。ちょっと肩に頭が乗るのも許せないってか?
 起こしてしまうかもしれないのに。わざわざ頭の位置を移動させるなんて。キッと睨みつけたが、灰島はすぐにスクリーンを向き直した。
 灰島の胸板ですやすや眠る白洲の横顔は安堵に満ちている。心臓の音が聞こえてしまいそうなほど、ぴたりとくっついた頬。まるでカップルのような光景に耐えきれなくなった寺本は、唇を噛んで目を逸らした。
 昨日も今日もずいぶん慣れた手つきで白洲に触れていた。そのことに白洲は気にも留めず身を委ねる。これまでどれほどそうやって、過ごしてきたのだろうか。
 ぞわぞわと得体の知れぬ不快なものが胃の底から湧き上がってくる。白洲に触れ合える機会を奪われたせいではない。正確な理由はなんとなく分かる。でもそれを言葉として認識してしまったら──、たぶん、いや絶対、変なことになる。