好きな人のためにダウナー系になったら、ライバルが「本物」でした。


 柔らかな朝日が差し込む、誰もいない教室。
 寺本陽向(てらもとひなた)は窓ガラスに映る己の姿を見つめながら、片手を制服のポケットに突っ込んだ。

「だる……」

 今日の寺本はいつもと風貌が違う。普段は上げている前髪をアイロンで重めに下ろし、シャツのボタンを二つ開け、昨夜買ったばかりのカーディガンを羽織った。
 長い袖から僅かに出した指先で毛先をつまみ、伏し目がちでもう一度呟いてみる。

「めんど……。だる……。んーなんか違うなあ。もっと息多めにしたら怠そうに聞こえるかな。だる……ダル……」

 寺本は首をひねりながら、机に置いていたスマホの録音をストップした。再生ボタンを押してすぐ、喉の奥から絞り出したような声が流れ始める。

『はあ、だる……ダル……』

「……きっ、きも! なにこの声? 俺こんな声してんの?」

 全身に鳥肌が立った。なんなら寒気までした。頭を抱えて絶望しかけた、その瞬間。

「さっきから何やってんの」

「ひっ!」

 聞こえるはずのない声が響き、飛び上がるように振り返る。
 声の主はすぐ近くの席に座っていた。机に突っ伏し、それこそ怠そうな表情でこちらを見つめている。
 灰島宵(はいじまよい)。顎下まで伸びたうねりのある黒髪、切れ長の鋭い目。この世の全てを面倒くさいと思ってそうなアンニュイな雰囲気。クラスの中で最も口数が少なく、正真正銘のダウナー系男子だ。

「は、灰島? いつから……ってかいつ来たんだよ⁉」

「お前がそこに立った時から。俺が座っても気付かねえし」

 灰島は大きな欠伸を一つ吐くと、無駄に長い足を前に投げ出して頬杖をついた。吸い込まれてしまいそうな黒目がジトーッと見つめてくる。寺本は思わずたじろいだ。

「な、なんだよ」

「何の練習してたの」

「……お前には関係ないだろ」

「なんか、ダルダル言ってたけど」

 ふっと鼻で笑われる。即座に頭に血が上った。

「っ、人の努力をバカにすんなよ! お、俺は、お前と違って!」

 思わず声を張り上げてしまった。慌てて口を押さえる。
 駄目だ。ボロが出過ぎている。自分は今日から見た目も仕草も言葉遣いも、すべてを変えると決めたのに。

「だから何の努力だよ」

「だからっ、ミステリアスで独特でダウナー系の男になる努力!」

「……はあ?」

 全ては昨日の始業式後、高校一年生の頃から想いを寄せている相手──白洲颯(しらすはやて)が放った一言から始まった。



「白洲、冬休み中に別れたって本当?」

 体育館から教室に移動し、ホームルームが始まるのを待つ時間。白洲の席に集まった一人が彼に問いかけた。去年も自分と同じクラスだった、白洲に片思い中の女子だ。
 目がくっきりとしていて顔も小さく、笑った顔が超絶愛らしい白洲は、アイドルの練習生として芸能事務所に所属している。一月から始まったオーディションで最終候補まで残り、来月に結果が出る。そこでデビューできなかったとしても、事務所の推薦で俳優として活動できるらしい。

「今の時期にバレたらまずいからね」

「ってことはデビューしたら作るの?」

「わかんない。好きな人が出来たら、そうなんじゃない?」

 白洲はふふっと笑みを浮かべた。誰にでも優しく朗らか。もちろん容姿もいい。校内一の人気者。彼に憧れ、恋焦がれる人は数え切れないほどいる。寺本もまた、そのうちの一人だ。

「どんな人がタイプ?」

 目を輝かせて聞いた女子に、白洲はまったりと答えた。

「考えたことないけど、俺と正反対の人かな。ダウナー系? ミステリアスで独特な雰囲気の人っていいよね」

「え〜なにそれぇ」

 すぐ隣でその会話を聞いていた寺本の頭に、雷が落ちたような衝撃が走った。
(真逆じゃねえかよお……っ!)
 明るいことが取り柄で元気だけはある自分にはダウナー系の要素は一つもない。というかそもそもダウナーってなんだ。意味はイマイチよく分からないが、少なくとも独特でミステリアスな雰囲気は持ち合わせていない。
 ホームルームが終わり、白洲に声をかけようとした時だった。

「宵っ、帰ろ」

 白洲は覆いかぶさるように灰島の肩に腕をかけた。二人の距離がぐっと縮まる。無邪気な笑顔を向けられたにも関わらず、灰島は怠そうにゆらりと立ち上がった。

「今年同じクラスになれたのまじで嬉し〜」

「だな」

 ──だな!?
 あの白洲がそんなことを言ってくれたのに、なんだそのクソみたいな相槌は?
 唖然としているうちに彼らは肩を並べて教室から出て行った。
 白洲には親友がいるということ、そして灰島宵という名前も噂で聞いていた。実際に間近で姿を見るのは初めてだ。悔しさに唇を噛んだ時、はっと気が付いた。
 白洲と正反対。独特でミステリアスな雰囲気がある。つまるところ、それは灰島宵のような人ではないのか──と。

「くそお……っ」

 しかし諦めるのはまだ早い。二年間も無駄にしてきたものの、チャンスはあと一年残っている。好みのタイプに出来る限り近づけば自分にも可能性はあるはず。
 ダウナーの意味が何だって構わない。白洲の好みがそれなら、これからなってしまえばいい!
 一夜にしてそう心に誓ったのだった。



 息を荒げながら一気に捲し立てた寺本を、灰島は呆れたような目で見つめ、それから可笑しそうにくつくつと笑い始めた。

「それで、颯のタイプになるために……ふっ、練習か」

「笑うなよ!」

「なんか無理そ」

「……は?」

「お前、感情が顔に出やすいじゃん。思ったことすぐ言うし。そもそも練習するようなことじゃないだろ」

「お前に何が分かるんだよ。俺は努力するって決めたの! 人になにを言われようと──」

「ほらまた。すぐデカい声出す」

「〜っ」

 くそ、くそくそくそ。何なんだよ。自分が白洲の理想の男だからって、舐めやがって!
 言い返す言葉を探していたその時、不意に灰島が立ち上がった。百八十センチは超えるスラリと細い体が目の前に来るとさすがに威圧感がある。冷ややかな視線をこちらに向けた彼は、静かに口を開いた。

「颯のこと、好きってことだよな。恋愛的な意味で」

「……だったらなんだよ。関係ないだろ」

「ある」

「ま、まさか……っ、お前も白洲のことが好きなのか?」

 灰島は唇の端をきゅっと引き上げ、寺本の耳元に顔を寄せた。低く、それでいて艶のある声が吹き込まれる。

「そうだって言ったら?」

 ぞくりと背中が震えた。自分がどんなに声を絞っても出せなかった、魅惑的な声。顔をわずかに離した灰島の瞳には、得体の知れぬ光が揺れている。
 ──もしこいつが本気で好意を寄せているなら、何が何でも勝たなければいけない。少しでも白洲の好みに近づき、関係値を築く。それだけだ。
 両手に力を込めて灰島の胸元を押し返した。

「灰島よりもっと魅力的なダウナー系になって、絶対に白洲と付き合ってやる」

「何の宣言だよ。そもそもダウナーの意味わかってんの」

「……あれだろ。気怠げで何考えてんのか分かんなくて……いつも眠そうで、あと色っぽいみたいな」

 言っていて、余計に意味が分からなくなった。
 灰島が「へえ」と呆れたようにまた笑う。まさにこういう表情こそが目指すべきダウナー系だ。

「てかお前って颯に認知されてんの?」

「〜っ、されてるわ阿呆!! なめんな!」

「はいはい。まずは落ち着いて話すことから練習すれば。意味ないだろうけど」

 宣戦布告というやつか。受けて立つしかない。いつかこいつの余裕ある顔をぶち壊してやる!
 踵を返してどこかへ行く灰島の背中を、これでもかというほど睨みつけてやった。