探偵研究部。――カケラノセカイ―― 3.5 大人たちの物語

 八月二十四日。

 ずっと黙秘していたイワンが、自供する条件として挙げてきたのは、母国語の通訳をつけること、そして、彼との面会だったーー。

「やあ、はじめまして。やっと会えたね」

 透明なアクリル板を挟んで、有栖川美知の父親、有栖川外交官はイワンに向かって静かに語りかけた。

 未知によく似た亜麻色の髪を後ろに撫でつけ、眼鏡の奥には光の強い青みかかった瞳が覗く。

 対するイワンは、まるで猫のようにやわからく椅子に座り、緑の瞳をうっすらと細め、ガラス板の向こうの男を値踏みするように見つめている。

「はじめまして」

 機械的に挨拶を返すその声には、何の感情もこもっていないようだった。

「六年ぶりだろうか。私は君を知らないが、君は私を知っていたはずだ。
 なぜならば、六年前の誘拐事件は、本当は娘ではなく、私が標的だったのだろう。――違うかな?」

 イワンは、その言葉に片方の口角だけを上げた。

「……もちろん、証拠はないが。しかし土壇場で君たちは――いや。君は、私ではなく、娘に狙いを定めた。なぜだ?」

 その言葉に、もう片方の口角を上げたそのイワンの顔は、うっすらと微笑んでいるように見える。

 肩まで伸びた絹糸のような金色の巻き毛に、釉薬からあげたばかりの柔らかな白磁の肌と、翡翠のような緑の瞳――。

 絵本の王子様のようなその姿を目にしたであろう娘の心を思った。

 かつて、娘の心をズタズタに引き裂いたこの少年に、個人的な憎しみを覚える。

 しかしきわめて冷静に、有栖川は続けた。

「君は、変装の達人だと仲間内から聞いてるが、ただ、それだけでは分からないことがある。
 日本に来てからの君のやり口をみていて思う。

 まずは娘の中学にもぐりこんだ時だ。

 君は生徒のふりをして娘に近づく時、他の生徒と関わりを持ったり、注目を集めてみたり、『印象に残ろうとしている』節があった。

 先日の西湖でもだ。

 ダミーの仕掛け人「ゲームマスター」を作り上げて、自分は中学生の参加者として危険な目に遭ってみたり。

 目標に対して、一番遠回りしているように、私には思えるのだ。
 なぜだい?」

 イワンは不意にヘヘッと笑う。

 そして、通訳がいるというのに、流暢な日本語で話しかけてきた。
 声は、十六歳にしては少し明るい、透き通ったような少年のものだった。

「なぜだ、か。……だって、楽しいじゃん」
 あどけない声が笑う。

 その一言に、有栖川は、やはり、と思った。

「四月の時から話そうか。
 俺ね、はじめは未知だけ見つけて、後は学校を爆破してからいなくなるつもりだったの。まずは、警戒されにくいように女の子に化けてさ。

 日本の中学の放課後は賑やかで、『見て行って、見て行って』とか『見学だけでも』と歩いているだけで声をかけられた。手を引かれて連れていかれた部室が美術部だった。そうしたら、絵を書いてみないか? って唐突に筆を渡されてさ。

 俺は機械の設計図しか書いたことなかったのに。

 絵の具を渡されて。『とにかく思ったこと、感じたことなんでもいいからキャンバスにぶつけてみてよ。きっと楽しいよ』って。
 だから、思いっきりぶつけたね」

 有栖川は、証拠品として警察に押収されたその絵が思い浮かぶ。
 
 絵具の表面にはあらかじめタンニンが混ぜられていて、酸化鉄を加えることで、血文字のようにどす黒く変化する……。
 娘あての凝った脅迫を施したその絵が、そんな無邪気な動機から作られたものだったのだ。

「その時思ったんだ。
 なんだろう、こんなに楽しい。じゃあ、せっかくだから、UNKNOWN――未知を探しながら、楽しもうかって思ったんだ」

 イワンは、まるでとっておきの玩具を自慢する子どものように、無邪気に話し始めた。

「科学部に行ったら、まあ、無造作に薬品が置いてあってさ。
 使い放題だった。
 ガキたちは何だか楽しそうにびっくり箱を作ってて。
 なんだよ、何の威力もない、無駄なもん時間かけて作ってんなって思った。

 でも楽しそうでさ。

 困ってるとこ教えたら、『もっと教えろ!」って食いついてきて。
 はは。なーにやってんだよって。
 だから俺も作ってみた。いまアレは……」

「警察で保管してるよ。証拠だからな」
 
 有栖川が静かに答える。
 少しだけ残念そうに
「そうか」
 とイワンは答えた。

「あとスポーツも初めてやった。
 柔道なんて、組み敷かれてからも抵抗できるなんて最高だったよ。テニスも、バスケもどれもこれも楽しかったよ。この国はいいね。子供らがみんな、そんな思いを、してるなら」

 一瞬、遠くを眺めるように有栖川の肩先を見たイワンの表情に、同年代の子を持つ親としての感傷が現れそうになる。

 ――いや、感情に流されている場合ではない。

 と、有栖川はひざの上の手をぐっと握りなおした。

「西湖でのときも、どうしてだ。
 未知だけでなく、わざわざあんな大掛かりなゲームの企画をして、他の子どもたちを巻き込んで。到底君一人では、そんなことはできないだろう。
 だれか、協力者がいるんだろう?」

「サマーゲームパーティーね。たしかに、俺の案ではないんだよ。ただ、仲間のふりをするのは、俺のアイデアだった。
 あいつら、わざわざ『デスゲーム』って言ってるのに、全員で生還でしょ? 意味分かんないよな。

 皆で協力して皆でクリアする、とか、馬鹿みたいだしな」

 有栖川は、イワンの表情を見逃すことが出来なかった。友人たちとの楽しい夏の思い出を振り返るような、そんな無邪気な顔に見えたからだ。

「そんなの、現実の世界ではありはしないのに。俺はでも、そんな夢みたいなことを、ちょっと楽しいと思ってしまったんだ。
 ――だから、今回は失敗した」

 有栖川は、その言葉に含みがあるように思った。

「今回って?」

「やだな、誘導尋問は無しでしょ」

 そう言ったイワンの表情は、また固く閉ざされたものになった。
 ふう、と有栖川は息をはく。

「君は、そんな普通の生活に本当は憧れているんじゃないのか。落ち着いて、怯えずに過ごす毎日を求めているんじゃないのか?」

 イワンは口先だけで笑った。

「ヘヘッ。普通の生活。……これが、おれの普通だよ」

 有栖川は、なるべくやわらかい言葉で続ける。

「君が望むなら、今からでも穏やかな生活ができるだろう。私と交渉しないか?」

 しかし、計算ずくのそれは、イワンには届かなかった。

「なるほどね。そのためにここに来たのか。悪いけど、もう時間だ。ありがとう、有栖川外交官どの。未知によろしく」

 そうしてまた、看守に促されて、イワンは静かに消えた。

ーー面会の後。

 じりじりと外は太陽が照り付ける。
 外務省へ向かうハイヤーへ乗り込むまでの刹那、ぽとりと一匹の蝉が足元へ落ち、じたばたとその足でもがいていた。
 じっとりと、有栖川の背中には冷や汗が浮かんでいた。

 あのイワンという少年。不敵、といえばいいのか、感情のどこか一部を欠損したかのような人間性。彼は、アクリル板の向こうで、何を感じ、何を考えているのか。
 憎むべき非情な犯罪者であると同時に、社会の生み出した被害者のようにも、有栖川には見えた。 毒を含む土壌で育てられた植物が、その体にも毒を含むように。彼の当たり前は、テロリスト集団での生活で培われたものなのだと。
 彼が楽しそうに語った、初めて触れた「普通の日常」。

「柔道なんて、組み敷かれてからも抵抗できるなんて、最高だったよ」

 どれ程過酷な環境で育ったのか。その言葉が、耳の奥でこだまする。
 
 彼の過去を知らなければ。
 
「私は、西湖のこの私有地と、ホテルのオーナーこそが、本当の意味での事件の首謀者だと思っている」

 ここに来る前に目を通した、今回の事件を担当した刑事の報告文が脳裏をよぎる。

 イワンが口にした「今回は失敗した」という言葉。それは、この事件が彼らにとっての「テスト」であったということだろうか?

 外交官としての立場を超えて、一人の父親として、この事件に立ち向かうことを、有栖川は静かに決意していた――。
 
 アフターストーリー 大人たちの物語・了