【取り調べ室にて】
八月三日――
事件解決から二日後。
取調室のパイプ椅子に腰を下ろした安田六郎と名乗る男は、視線を所在なげに泳がせながら、静かに自白を始めた。
「本名は、安田六郎。三十二才。フリーのアルバイター兼ユーチューバー。二級小型船舶免許あり、です」
彼は、まるで架空の出来事をなぞるかのような、ひどく頼りなげな声で身の上を語った。
二日間の留置で無精ひげこそ生えていたが、細身で百七十センチ弱の背丈も相まって、ずいぶんと若く――いや、確固たる意志が感じられないせいか、年齢不相応に幼く見えた。
「船舶免許……ねえ。珍しいものを持ってるな」
佐藤刑事は、調書から目を離さずにカマをかけるように聞く。
「はい……。ユーチューブの企画で、実録用に取ったんです。……数字は、伸びませんでしたけど」
安田は鼻で笑い、自嘲気味に答えた。
調書には『ロクロウちゃんねる』とある。佐藤もみゆおも、聞いたことすらない名前だ。
取り調べ前にスマホ画面で確認したが、「実録!船舶免許二級への道!」の再生回数は、わずか百二十八回だった。
「劇団員でもあるんだろ?」
佐藤が探るように口を挟むと、安田はばつが悪そうに顔を背けた。
「劇団は辞めました。……売れなくて」
俳優を目指していたというが、整ってはいるものの、ひどく凡庸で味のない顔だ。
「食えない」ではなく「売れない」と答えるあたりに、こいつの肥大化した自意識が透けて見える。
大学を中退してからの職歴の大半はアルバイトで、ここには書かれていない真っ当とは言えない仕事も混ざっていたのだろう。
佐藤はそれに気づかないふりをして、核心を突いた。
「どうして、こんな大掛かりな事件を起こした?」
その問いに、安田はばっと顔を上げ、すがるような目で、声を上げた。
「今回のイベントがまさか、犯罪だとは知らなかったんです!」
なりふり構わぬように、身振り手振りをつける姿は、自己憐憫なのか、芝居がかって見えた。
「『ゲームの達人』とのコラボ企画のオファーが、ダイレクトメールで来て。ドッキリ企画だと聞いていました。全国から優秀な中学生を集めて、夏休みのサバイバル動画を作るから協力してほしいって。そう持ちかけられたんです」
「誰に?」
「『ゲームの達人』の運営だと思っていました。あっちは大手だし、やり取りは全て匿名性の高いメッセージアプリ。報酬も、全て仮想通貨で前金でもらいました」
佐藤は、安田の自宅パソコンから押収された一枚の企画書のコピーに目を落とした。そこにはこう書かれている。
『ゲームマスターに扮して子供たちを湖上まで連れ出し、クイズを出題し、樹海まで案内すること』
参加した子どもたちの聞き取りと、完全に一致する内容だった。
「当日は、自宅のアパートまで運営の車が迎えに来ました。それに乗る道すがら、今回の仕事の詳しい内容を聞かされて。もう一人、『QUEEN』っていう仕掛け人がいるから、現場での指示は彼に仰ぐようにと」
「運転手から聞いたのか?」
「いえ、車内にタブレットが置かれていて、そこで通話しました。QUEENが子どもたちの中に紛れている時は、俺がゲームマスターに扮して、台本通りに進行しろと。ゲームの出題も、スマホに送られてきたものを読み上げていただけです。子供たちはライフジャケットを着ていたし、ボートもしっかりしたものだから、安全なゲームだとばかり……」
その言い訳に、みゆお刑事が弾かれたように机を叩いて身を乗り出した。
「あなたね! いくらライフジャケットを着ていても、ボートに大量の水を流し込んでおいて、危険だとか、企画自体がおかしいとか感じなかったの!?
子供たちの証言では、『ゲームマスターのリモコン操作で水が入ってきた』って言っている! 明らかに犯罪の領域よ!」
「もちろん、危ないとは思ったさ!」
みゆお刑事の剣幕に、ヒッ……と縮こまり、困ったように声をあげた。
「……でも。……でも違った」
安田は虚空を見つめ、なぜかその声に熱を帯びさせた。
「QUEENが言ったんだ。
『大丈夫、あの子どもたちは君よりもずっと優秀で、必ず正解を導ける。極限状態でどんな風に答えを導き出すか、それこそが最大の見せ場じゃないか』って。
実際、その通りだった。あのゲームの最中、俺はゲームの達人になって、中学生たちに次々と難題を出した。そのたびに、あいつらは最高にいいリアクションと、完璧な解決策を見せてくれたんだ。
だから、俺は思ったさ。これは最高の素材になる! 絶対にバズるって……!」
身を乗り出し、恍惚とした表情で語る安田の瞳に、佐藤刑事もみゆお刑事もぎくりと一瞬たじろいだ。
――この男は、何を言っているんだ。
目の前で恐怖に震える子どもたちの命よりも、画面の先にいる顔も見えない何万という『ユーザー数』『フォロワー』『再生数』しか見えていないのか。
みゆおは思わず右手で左二の腕をさすった。
佐藤はいちど、奥歯ぐっと噛みしめ、右手のこぶしを抑えた。
そして、嫌悪感を散らすように一度首を振り、深く息を吐いてから腕を組み直した。
「……だが、ユーチューブならお決まりのカメラマンがいるはずだろう? 撮影が目的なら不自然じゃないか?」
「それは、各ボートに取り付けられたタブレットのカメラで撮っていると聞いていました。樹海に入ってからは、QUEENが隠しカメラで撮影すると」
安田は、まるで全てが映画の中の出来事であるかのように、淡々と語った。
――タブレット。
子どもたちの証言とも一致する。
だが、湖上に乗り捨てられた七艘のボートからは、そのタブレットは影も形も発見されていない。
――それはいったい、どこへ行った?
「そもそも、樹海の奥に子供たちを案内し終わった時点で、俺の仕事は終わっていたんです。あとは国道をたどってホテルへ戻るだけで……。
その時に刑事さんたちに捕まった。
ねえ。俺は悪いことはやってないでしょう?
俺どうなるの? 犯罪者になるの? ねえってば!」
事の重大さをまるで理解していない安田の無知で無邪気な態度に、佐藤は頭を抱えた。
いい大人でありながら、倫理観の欠片すらない。
「どうなるの、じゃない!」
佐藤は底冷えのする低い声で怒鳴りつけ、パイプ椅子から立ち上がった。
「あのな、お前がやったことは単なるドッキリじゃない。
一歩間違えば、あの中学生たちは湖の底か、樹海の奥で死んでいたんだぞ!
いいだろう!
罪状を上げるなら、殺人未遂、あるいは未成年者略取誘拐の共犯だ。自分がどれだけ重い罪を犯したか、これからたっぷり思い知ることになる!」
ダンッ、と佐藤が威嚇するように机を叩くと、安田はビクッと肩を跳ねさせ、うつむき、肩を上げて泣き始めた。
ホテルのアルバイトも、バスの運転手も、皆この安田と同じだ。「指示通り」に動いたにすぎない。
しかも、あの白手袋の女性バスガイドは本物のイワンが変装していたものだという。
東京駅で出立を見送った際、佐藤自身も全く見抜けなかった。
プライドがひりひりと焼け付き、はらわたは煮えくり返る。
四月に拘留していた『イワン』に至っては、本物の『イワン』の逮捕を知らせるや否や、あっさりと口を開いた。
「自分は雇われただけの偽物で拘留前にすり替えられたこと。法外な金額を提示されて、黙秘を貫くよう指示されていた」と自供を始めたという。
誰に、どんな目的で、も外国人だから言葉の壁で一向に進まない。
おかげで、どこまで捜査の手を伸ばしても、時間ばかりが取られ、掴めるのはトカゲの尻尾ばかりだ。
単独犯であるはずのない事件だ。
けれど、後ろに横たわる巨大な『本当の影』は、掴もうとすればするほど、指の間からサラサラとこぼれ落ちていく。
(たどり着けない……)
佐藤は、薄暗い取調室の天井の蛍光灯を見上げ、声に出せない徒労感を噛み締めた。
八月三日――
事件解決から二日後。
取調室のパイプ椅子に腰を下ろした安田六郎と名乗る男は、視線を所在なげに泳がせながら、静かに自白を始めた。
「本名は、安田六郎。三十二才。フリーのアルバイター兼ユーチューバー。二級小型船舶免許あり、です」
彼は、まるで架空の出来事をなぞるかのような、ひどく頼りなげな声で身の上を語った。
二日間の留置で無精ひげこそ生えていたが、細身で百七十センチ弱の背丈も相まって、ずいぶんと若く――いや、確固たる意志が感じられないせいか、年齢不相応に幼く見えた。
「船舶免許……ねえ。珍しいものを持ってるな」
佐藤刑事は、調書から目を離さずにカマをかけるように聞く。
「はい……。ユーチューブの企画で、実録用に取ったんです。……数字は、伸びませんでしたけど」
安田は鼻で笑い、自嘲気味に答えた。
調書には『ロクロウちゃんねる』とある。佐藤もみゆおも、聞いたことすらない名前だ。
取り調べ前にスマホ画面で確認したが、「実録!船舶免許二級への道!」の再生回数は、わずか百二十八回だった。
「劇団員でもあるんだろ?」
佐藤が探るように口を挟むと、安田はばつが悪そうに顔を背けた。
「劇団は辞めました。……売れなくて」
俳優を目指していたというが、整ってはいるものの、ひどく凡庸で味のない顔だ。
「食えない」ではなく「売れない」と答えるあたりに、こいつの肥大化した自意識が透けて見える。
大学を中退してからの職歴の大半はアルバイトで、ここには書かれていない真っ当とは言えない仕事も混ざっていたのだろう。
佐藤はそれに気づかないふりをして、核心を突いた。
「どうして、こんな大掛かりな事件を起こした?」
その問いに、安田はばっと顔を上げ、すがるような目で、声を上げた。
「今回のイベントがまさか、犯罪だとは知らなかったんです!」
なりふり構わぬように、身振り手振りをつける姿は、自己憐憫なのか、芝居がかって見えた。
「『ゲームの達人』とのコラボ企画のオファーが、ダイレクトメールで来て。ドッキリ企画だと聞いていました。全国から優秀な中学生を集めて、夏休みのサバイバル動画を作るから協力してほしいって。そう持ちかけられたんです」
「誰に?」
「『ゲームの達人』の運営だと思っていました。あっちは大手だし、やり取りは全て匿名性の高いメッセージアプリ。報酬も、全て仮想通貨で前金でもらいました」
佐藤は、安田の自宅パソコンから押収された一枚の企画書のコピーに目を落とした。そこにはこう書かれている。
『ゲームマスターに扮して子供たちを湖上まで連れ出し、クイズを出題し、樹海まで案内すること』
参加した子どもたちの聞き取りと、完全に一致する内容だった。
「当日は、自宅のアパートまで運営の車が迎えに来ました。それに乗る道すがら、今回の仕事の詳しい内容を聞かされて。もう一人、『QUEEN』っていう仕掛け人がいるから、現場での指示は彼に仰ぐようにと」
「運転手から聞いたのか?」
「いえ、車内にタブレットが置かれていて、そこで通話しました。QUEENが子どもたちの中に紛れている時は、俺がゲームマスターに扮して、台本通りに進行しろと。ゲームの出題も、スマホに送られてきたものを読み上げていただけです。子供たちはライフジャケットを着ていたし、ボートもしっかりしたものだから、安全なゲームだとばかり……」
その言い訳に、みゆお刑事が弾かれたように机を叩いて身を乗り出した。
「あなたね! いくらライフジャケットを着ていても、ボートに大量の水を流し込んでおいて、危険だとか、企画自体がおかしいとか感じなかったの!?
子供たちの証言では、『ゲームマスターのリモコン操作で水が入ってきた』って言っている! 明らかに犯罪の領域よ!」
「もちろん、危ないとは思ったさ!」
みゆお刑事の剣幕に、ヒッ……と縮こまり、困ったように声をあげた。
「……でも。……でも違った」
安田は虚空を見つめ、なぜかその声に熱を帯びさせた。
「QUEENが言ったんだ。
『大丈夫、あの子どもたちは君よりもずっと優秀で、必ず正解を導ける。極限状態でどんな風に答えを導き出すか、それこそが最大の見せ場じゃないか』って。
実際、その通りだった。あのゲームの最中、俺はゲームの達人になって、中学生たちに次々と難題を出した。そのたびに、あいつらは最高にいいリアクションと、完璧な解決策を見せてくれたんだ。
だから、俺は思ったさ。これは最高の素材になる! 絶対にバズるって……!」
身を乗り出し、恍惚とした表情で語る安田の瞳に、佐藤刑事もみゆお刑事もぎくりと一瞬たじろいだ。
――この男は、何を言っているんだ。
目の前で恐怖に震える子どもたちの命よりも、画面の先にいる顔も見えない何万という『ユーザー数』『フォロワー』『再生数』しか見えていないのか。
みゆおは思わず右手で左二の腕をさすった。
佐藤はいちど、奥歯ぐっと噛みしめ、右手のこぶしを抑えた。
そして、嫌悪感を散らすように一度首を振り、深く息を吐いてから腕を組み直した。
「……だが、ユーチューブならお決まりのカメラマンがいるはずだろう? 撮影が目的なら不自然じゃないか?」
「それは、各ボートに取り付けられたタブレットのカメラで撮っていると聞いていました。樹海に入ってからは、QUEENが隠しカメラで撮影すると」
安田は、まるで全てが映画の中の出来事であるかのように、淡々と語った。
――タブレット。
子どもたちの証言とも一致する。
だが、湖上に乗り捨てられた七艘のボートからは、そのタブレットは影も形も発見されていない。
――それはいったい、どこへ行った?
「そもそも、樹海の奥に子供たちを案内し終わった時点で、俺の仕事は終わっていたんです。あとは国道をたどってホテルへ戻るだけで……。
その時に刑事さんたちに捕まった。
ねえ。俺は悪いことはやってないでしょう?
俺どうなるの? 犯罪者になるの? ねえってば!」
事の重大さをまるで理解していない安田の無知で無邪気な態度に、佐藤は頭を抱えた。
いい大人でありながら、倫理観の欠片すらない。
「どうなるの、じゃない!」
佐藤は底冷えのする低い声で怒鳴りつけ、パイプ椅子から立ち上がった。
「あのな、お前がやったことは単なるドッキリじゃない。
一歩間違えば、あの中学生たちは湖の底か、樹海の奥で死んでいたんだぞ!
いいだろう!
罪状を上げるなら、殺人未遂、あるいは未成年者略取誘拐の共犯だ。自分がどれだけ重い罪を犯したか、これからたっぷり思い知ることになる!」
ダンッ、と佐藤が威嚇するように机を叩くと、安田はビクッと肩を跳ねさせ、うつむき、肩を上げて泣き始めた。
ホテルのアルバイトも、バスの運転手も、皆この安田と同じだ。「指示通り」に動いたにすぎない。
しかも、あの白手袋の女性バスガイドは本物のイワンが変装していたものだという。
東京駅で出立を見送った際、佐藤自身も全く見抜けなかった。
プライドがひりひりと焼け付き、はらわたは煮えくり返る。
四月に拘留していた『イワン』に至っては、本物の『イワン』の逮捕を知らせるや否や、あっさりと口を開いた。
「自分は雇われただけの偽物で拘留前にすり替えられたこと。法外な金額を提示されて、黙秘を貫くよう指示されていた」と自供を始めたという。
誰に、どんな目的で、も外国人だから言葉の壁で一向に進まない。
おかげで、どこまで捜査の手を伸ばしても、時間ばかりが取られ、掴めるのはトカゲの尻尾ばかりだ。
単独犯であるはずのない事件だ。
けれど、後ろに横たわる巨大な『本当の影』は、掴もうとすればするほど、指の間からサラサラとこぼれ落ちていく。
(たどり着けない……)
佐藤は、薄暗い取調室の天井の蛍光灯を見上げ、声に出せない徒労感を噛み締めた。



