第3話 最弱のドラゴン、最強のゴブリン
翌朝、希歩は六時四十二分に目を覚ました。
アラームは六時四十五分。
三分早い。
枕元のスマートフォンへ手を伸ばし、画面を見たところで、昨日の昼と同じようなことを考えている自分に気づいた。
三分をどこへ戻すか。
洗面を早めるか。朝食へ早く降りるか。昨夜のログをもう一度見るか。
そこまで考えてから、希歩はスマートフォンを伏せた。
アラームが鳴るまで、目を閉じる。
三分後、予定どおりに起きた。
*
ホテルの朝食会場は、七時十三分の時点で半分ほど席が埋まっていた。
希歩は入口から料理台までの列を見て、待ち時間を目測する。
二分以内。
トレーを取り、いつもの出張朝食を選ぶ。
卵料理。サラダ。ヨーグルト。コーヒー。
これで十分だった。
パンの棚の前を通り過ぎかけて、足が止まる。
籠の端に、表面へ細かな種がついた小さな丸パンがあった。
名前の札は見たことのないものだった。
昨夜のザワークラウトを思い出す。
酸っぱい、と最初は思った。
けれどソーセージと一緒なら、もう一口食べたくなった。
希歩は丸パンを一つ取った。
席に着き、最初に半分へ割ってみる。
中は思ったより柔らかく、香ばしい匂いがした。
特別に感動する味ではなかった。
ただ、取らなければ知らなかった。
希歩はそれを食べ終え、七時三十一分に席を立った。
予定より一分遅い。
気にはなった。
でも、公園への出発にはまだ十九分の余裕がある。
一分は誤差ではなく、吸収できる範囲だった。
*
八時四十八分。
希歩が公園入口へ着くと、里菜はもういた。
「二分前に着いた」
里菜が腕時計を見て言う。
「八時四十六分。十四分前」
「そう。今日は私のほうが早かった」
「競ってない」
昨日と同じ人工滝の音が、朝の公園に響いている。
夜より人通りが多く、犬を連れた人や、速足で遊歩道を抜ける人がいる。
あの三音は聞こえない。
九時ちょうど、なぎさとの通話をつないだ。
『おはようございます。こちら本社、寝不足アラートは出てませんか』
「七時間二十一分寝た」
『聞いてない数字までありがとう』
「聞いたから答えた」
里菜が工具ケースを開きながら笑った。
「じゃ、予定変更どおり、こっちから行くよ」
滝の脇の点検扉を開ける。
昨日、里菜が古い型だと言った小型コントローラーが収まっている。
希歩は端末に表示した設備台帳と、機器に貼られた型番を照合した。
「登録あり。設置年は七年前」
「古いけど、保守対象から外れるほどじゃないな」
『中央側の現行構成では、その端末は滝周辺の二系統だけ担当。通常配信は全部、こっちから見えてる』
「ローカル保存領域は?」
「今見る」
里菜が保守端末を接続する。
希歩は作業開始時刻を記録した。
九時八分。
里菜が画面を操作する。
「通常の配信フォルダ、現行分だけ。夜間用の電子音楽、確認音、非常放送。変なのは見えない」
「三音に該当する音源名は?」
「ない」
『中央設定との差分も今のところなし』
希歩は昨日の仮説へ線を引いた。
現地にある?
通常領域にはない。
なら、仮説が外れたのか。
里菜はすぐに次の画面へ移った。
「ストレージ容量、ちょっと変だな」
「何が?」
「使用量が多い」
希歩は機器仕様書を開く。
「現行音源の総容量は?」
『中央登録分なら二百六十メガ弱』
「こっち、使用済みが四百近い」
里菜が答えた。
希歩は数字を見比べる。
百メガ以上、説明がつかない。
「ログ?」
「ログ領域は別」
『キャッシュ?』
「それにしては固定で食ってる感じ」
里菜の手が止まった。
「昔の構成、残ってない?」
希歩はすぐに設備履歴を検索した。
大規模改修なし。
端末交換なし。
音響系統変更なし。
見える履歴だけなら、今の構成がずっと続いている。
『待って』
なぎさが言った。
声の調子が変わった。
『設備台帳じゃなくて、構成管理の古いほうを掘る。こういう一時利用、正式台帳に残らないことある』
「探せる?」
『探す。ファイル名が人類に優しければ』
「期待できないね」
里菜が言う。
『去年の“最終版_本当の最終_修正版2”を見た私に怖いものはない』
希歩は話を聞きながら、里菜の操作履歴を記録する。
通常領域確認。
現行構成との差分なし。
ストレージ使用量に不一致。
里菜は別の診断画面を開いた。
「希歩、こっちにも通常画面から見えない領域がある。非常時フォールバック用」
「中身は?」
「権限上げないと見えない。先に履歴待つ?」
希歩は時計を見た。
九時四十六分。
昨日までの自分なら、予定順に沿って先に中央設定との差分確認へ進んだかもしれない。
けれど今は、容量の不一致がある。
見えない領域もある。
「履歴と並行。里菜はフォールバック領域を読み取り専用で確認。変更はしない」
「了解」
里菜は迷わず作業を組み替えた。
その速さを見て、希歩は少しだけ考える。
里菜は予定を無視しているわけではない。
新しい情報が出るたびに、次に確かめる価値が高いものを入れ替えている。
そして、何を変えたかは残している。
順番が変わることと、雑であることは同じではない。
希歩は自分の作業メモへ、変更理由を入力した。
《容量不一致確認のため、非常用領域を優先確認》
予定変更。
理由あり。
それなら問題ない。
*
十時十三分。
『見つけた』
なぎさが言った。
里菜と希歩が同時に通話画面を見る。
『四年前。市の地域回遊企画。期間限定で滝周辺に位置連動コンテンツを追加してる』
「企画名は?」
『えーと……』
なぎさが一拍置いた。
『「最弱のドラゴン、最強のゴブリン」』
沈黙した。
滝だけが鳴っている。
「何それ」
最初に言ったのは里菜だった。
『私に聞かれても。正式名称です。誤字じゃない』
「逆じゃない?」
『だから企画書も確認した。最弱のドラゴンを、最強のゴブリンから助ける地域回遊ゲームだって』
「ドラゴン、弱いんだ」
『かなり弱かったみたい。企画書に“逃げ足だけは速い”って書いてある』
里菜が笑う。
希歩は笑わず、なぎさが共有した古い構成図を拡大した。
「滝側端末に追加設定あり」
『そう。位置判定は別システムだけど、成功時の短いチャイムだけ現地端末から鳴らしてる。中央経由だと遅延が出るから、ローカル保存』
「長さは?」
『一秒ちょっと。三音』
希歩と里菜が顔を見合わせた。
「ファイル名わかる?」
『ゲーム側の資料だと、SUCCESS_WATERFALL_03』
里菜が保守端末へ視線を戻す。
「非常用領域、見えた」
一覧の中に、意味のわからない古い識別子がいくつか並んでいた。
通常配信フォルダとは違い、人が読む前提ではない表示だ。
「これ、日時が四年前」
里菜が一つを指す。
希歩はなぎさの資料と照合する。
「容量は?」
「小さい。音なら一秒くらい」
「再生しないでコピーできる?」
「できる」
「保全して、複製が元データと一致するのを確認してから再生」
「了解」
里菜がすぐに操作する。
なぎさが笑った。
『希歩、ゲームのチャイム相手でも捜査資料みたいだね』
「原因を消したら比較できない」
『ごもっとも』
数分後、保全した音源を里菜の保守端末だけで再生した。
音量を絞る。
――ピ、ポ、ン。
三音。
昨日、滝の音の中から浮いたものと同じ並びだった。
希歩の背中が少し伸びる。
「一致」
「うん。これだ」
『企画資料の試聴データとも波形ほぼ一致』
なぎさが答える。
音の正体は見つかった。
けれど希歩は、安堵するより先に別の違和感を覚えた。
四年前から、ここにあった。
「企画終了後の削除記録は?」
『中央側はある。ゲーム用配信データ削除、位置連動設定撤去、ってなってる』
「現地端末は?」
『記録上は“設定復旧確認”だけ。非常用領域まで消した記載はない』
里菜が腕を組む。
「じゃあ、消し忘れだ」
「残存はそう。でも、それだけじゃ昨日鳴った理由にならない」
「だよね」
里菜はすぐに頷いた。
「四年間ずっと鳴ってたなら、もっと前から申告がある」
『管理側の履歴でも、今回みたいな申告が増えたのはここ一か月くらい』
希歩は画面を切り替えた。
「最近の変更は?」
『待って。保守履歴だと――』
なぎさが検索する。
『三週間前にファームウェア更新』
希歩の指が止まった。
「対象はこの型も?」
『対象。通信断時の再接続処理が変更されてる』
里菜が保守端末で更新履歴を開く。
「ほんとだ。フォールバック周りも触ってる」
「内容は?」
「接続が落ちたとき、無音時間を減らすためにローカル音源を先に参照するよう変わってるっぽい」
希歩は昨日の記録を見る。
十八時七分十四秒、短い通信断。
十五秒、再接続。
その間に三音。
条件が近づいた。
里菜が言う。
「じゃ、この古い音を消して、同じ瞬断作れば症状止まるか見られるね」
「消さない」
希歩は即答した。
里菜が手を止める。
「うん?」
「それで三音が止まっても、原因の一部しか証明できない。四年間鳴らずに、なぜ更新後から鳴ったのか。昼間にも瞬断はあるのに、なぜ昨日は夜だけ鳴ったのか。それが残る」
「ああ」
里菜は一秒も反発しなかった。
「確かに。消すのは最後でいい」
『私も賛成。昼の瞬断、昨日と同じくらいの長さのものを何本か拾ってるけど、申告なし』
「なら、条件がもう一つある」
希歩は昨日の時系列を開く。
昼間。
異常なし。
十八時。
夜間モードへ切替。
電子音楽開始。
十八時七分。
通信瞬断。
三音。
「夜間の電子音楽」
希歩が言う。
里菜が頷いた。
「ストリームの種類か、再接続の仕方が違うか」
『そこ、今夜なら中央側から全部追える』
なぎさが言った。
希歩は時刻を見る。
十一時二十六分。
午前のうちに、正体の半分までは来た。
古い音はある。
通信瞬断も関係している。
ファームウェア更新も怪しい。
残るのは、夜だけ鳴る理由。
*
十二時十二分。
「私、外で食べてくるけど、希歩どうする?」
里菜が工具を片づけながら聞いた。
「私はここで軽く食べる」
「仕事しながら?」
「しない」
里菜の手が止まった。
「今、何て?」
「十五分、端末を閉じる」
「誰?」
「希歩」
『本人確認が必要です』
通話越しになぎさまで言う。
「二人とも失礼」
希歩は公園売店で買っておいたサンドイッチと水を取り出した。
里菜は笑いながら手を振る。
「じゃ、私はその十五分で何か見つけてくる」
「十三時に戻って」
「はいはい」
里菜が公園の外へ向かう。
なぎさとの通話もいったん切った。
希歩はベンチへ座る。
端末の蓋を閉じる。
スマートフォンも鞄へ入れる。
十五分。
昨日の店より短い。
料理も、珍しいものではない。
それでも、食べながらログを見ないと決めた。
理由はある。
午前中に増えた情報が多い。
古い企画。
非常用領域。
ファームウェア更新。
夜間電子音楽。
画面を見続けたまま考えるより、一度区切ったほうが整理できる。
休むことも、条件整理の一部。
なぎさに言われたからではない。
今日は自分でそう決めた。
サンドイッチをひと口食べる。
滝の音が聞こえる。
昼間の滝は、昨日の夜よりただの水音に近かった。
三音はない。
希歩は時計を見ずに食べ終えた。
それから初めて時刻を確認する。
十二時二十七分。
ちょうど十五分だった。
「これは偶然」
誰もいないのに、希歩は言った。
*
午後は、今夜の再現試験の条件整理に使った。
なぎさが中央側で、昼と夜の配信方式の差を洗う。
里菜は現地端末のフォールバック設定を読み出す。
希歩は昨日の時刻と、過去一か月の申告、ファームウェア更新日を一つの表へ並べた。
更新前の申告は、確認できる範囲でゼロ。
更新後に四件。
すべて夕方以降。
偶然だけで片づけるには、偏りすぎている。
『夜間の電子音楽だけ、常時ファイル再生じゃなくてストリームを張り直す処理が入ってる』
なぎさが言った。
「昼は?」
『環境音はローカル側の定常再生が中心。通信が一瞬揺れても、再取得そのものが少ない』
里菜が画面を覗き込む。
「じゃ、夜間ストリームが切れた瞬間に、この端末がフォールバック領域を見る。そこに先頭で昔の三音がいる、と」
「まだ仮説」
希歩が言う。
「今夜、同時に見れば確定できる」
「了解」
『こっちは中央配信、通信状態、再接続時刻を監視する』
「里菜は現地直結ログ」
「任せて」
「私は発生時刻と現地音、両方記録する」
三人の役割が決まる。
希歩は予定表を開いた。
十九時三十分。
《再現試験》
終了時刻の欄へ指を置く。
二十時三十分。
そう入力しかけて、止まった。
一時間で原因が出る保証はない。
かといって、終わるまで無制限に続けるのも違う。
公園の保守作業には、安全面で守るべき時間がある。
疲労した状態で機器を触れば、別の事故を作る。
希歩は終了欄を消した。
代わりに入力する。
《原因特定まで。ただし22:30で安全判断》
里菜が横から覗いた。
「ずいぶん幅を持たせたね」
「幅じゃない。未確定だから固定しないだけ」
『そういうの、世間では余白って言うんじゃない?』
なぎさの声がする。
「安全上限は決めてる」
「そこが希歩らしい」
里菜は笑った。
希歩は予定表を保存する。
十九時三十分から、原因特定まで。
ただし二十二時三十分で安全判断。
終わる時刻は、まだ決まっていない。
それでも、不安ではなかった。
わからないものを、わからないまま予定へ書く。
その代わり、どこで止めるかだけは決めておく。
正確さを捨てたわけではない。
正確に進むために、今は固定しないほうがいい。
希歩は滝のそばの古いコントローラーを見る。
四年前の三音は、そこに残っていた。
だが、残っているだけなら鳴らない。
今夜、電子音楽が流れ、通信が切れた瞬間に何が起きるのか。
そこまで見れば、ようやく原因が一本につながる。
人工滝は、何も知らないように水を落とし続けていた。
(End)
【終】
翌朝、希歩は六時四十二分に目を覚ました。
アラームは六時四十五分。
三分早い。
枕元のスマートフォンへ手を伸ばし、画面を見たところで、昨日の昼と同じようなことを考えている自分に気づいた。
三分をどこへ戻すか。
洗面を早めるか。朝食へ早く降りるか。昨夜のログをもう一度見るか。
そこまで考えてから、希歩はスマートフォンを伏せた。
アラームが鳴るまで、目を閉じる。
三分後、予定どおりに起きた。
*
ホテルの朝食会場は、七時十三分の時点で半分ほど席が埋まっていた。
希歩は入口から料理台までの列を見て、待ち時間を目測する。
二分以内。
トレーを取り、いつもの出張朝食を選ぶ。
卵料理。サラダ。ヨーグルト。コーヒー。
これで十分だった。
パンの棚の前を通り過ぎかけて、足が止まる。
籠の端に、表面へ細かな種がついた小さな丸パンがあった。
名前の札は見たことのないものだった。
昨夜のザワークラウトを思い出す。
酸っぱい、と最初は思った。
けれどソーセージと一緒なら、もう一口食べたくなった。
希歩は丸パンを一つ取った。
席に着き、最初に半分へ割ってみる。
中は思ったより柔らかく、香ばしい匂いがした。
特別に感動する味ではなかった。
ただ、取らなければ知らなかった。
希歩はそれを食べ終え、七時三十一分に席を立った。
予定より一分遅い。
気にはなった。
でも、公園への出発にはまだ十九分の余裕がある。
一分は誤差ではなく、吸収できる範囲だった。
*
八時四十八分。
希歩が公園入口へ着くと、里菜はもういた。
「二分前に着いた」
里菜が腕時計を見て言う。
「八時四十六分。十四分前」
「そう。今日は私のほうが早かった」
「競ってない」
昨日と同じ人工滝の音が、朝の公園に響いている。
夜より人通りが多く、犬を連れた人や、速足で遊歩道を抜ける人がいる。
あの三音は聞こえない。
九時ちょうど、なぎさとの通話をつないだ。
『おはようございます。こちら本社、寝不足アラートは出てませんか』
「七時間二十一分寝た」
『聞いてない数字までありがとう』
「聞いたから答えた」
里菜が工具ケースを開きながら笑った。
「じゃ、予定変更どおり、こっちから行くよ」
滝の脇の点検扉を開ける。
昨日、里菜が古い型だと言った小型コントローラーが収まっている。
希歩は端末に表示した設備台帳と、機器に貼られた型番を照合した。
「登録あり。設置年は七年前」
「古いけど、保守対象から外れるほどじゃないな」
『中央側の現行構成では、その端末は滝周辺の二系統だけ担当。通常配信は全部、こっちから見えてる』
「ローカル保存領域は?」
「今見る」
里菜が保守端末を接続する。
希歩は作業開始時刻を記録した。
九時八分。
里菜が画面を操作する。
「通常の配信フォルダ、現行分だけ。夜間用の電子音楽、確認音、非常放送。変なのは見えない」
「三音に該当する音源名は?」
「ない」
『中央設定との差分も今のところなし』
希歩は昨日の仮説へ線を引いた。
現地にある?
通常領域にはない。
なら、仮説が外れたのか。
里菜はすぐに次の画面へ移った。
「ストレージ容量、ちょっと変だな」
「何が?」
「使用量が多い」
希歩は機器仕様書を開く。
「現行音源の総容量は?」
『中央登録分なら二百六十メガ弱』
「こっち、使用済みが四百近い」
里菜が答えた。
希歩は数字を見比べる。
百メガ以上、説明がつかない。
「ログ?」
「ログ領域は別」
『キャッシュ?』
「それにしては固定で食ってる感じ」
里菜の手が止まった。
「昔の構成、残ってない?」
希歩はすぐに設備履歴を検索した。
大規模改修なし。
端末交換なし。
音響系統変更なし。
見える履歴だけなら、今の構成がずっと続いている。
『待って』
なぎさが言った。
声の調子が変わった。
『設備台帳じゃなくて、構成管理の古いほうを掘る。こういう一時利用、正式台帳に残らないことある』
「探せる?」
『探す。ファイル名が人類に優しければ』
「期待できないね」
里菜が言う。
『去年の“最終版_本当の最終_修正版2”を見た私に怖いものはない』
希歩は話を聞きながら、里菜の操作履歴を記録する。
通常領域確認。
現行構成との差分なし。
ストレージ使用量に不一致。
里菜は別の診断画面を開いた。
「希歩、こっちにも通常画面から見えない領域がある。非常時フォールバック用」
「中身は?」
「権限上げないと見えない。先に履歴待つ?」
希歩は時計を見た。
九時四十六分。
昨日までの自分なら、予定順に沿って先に中央設定との差分確認へ進んだかもしれない。
けれど今は、容量の不一致がある。
見えない領域もある。
「履歴と並行。里菜はフォールバック領域を読み取り専用で確認。変更はしない」
「了解」
里菜は迷わず作業を組み替えた。
その速さを見て、希歩は少しだけ考える。
里菜は予定を無視しているわけではない。
新しい情報が出るたびに、次に確かめる価値が高いものを入れ替えている。
そして、何を変えたかは残している。
順番が変わることと、雑であることは同じではない。
希歩は自分の作業メモへ、変更理由を入力した。
《容量不一致確認のため、非常用領域を優先確認》
予定変更。
理由あり。
それなら問題ない。
*
十時十三分。
『見つけた』
なぎさが言った。
里菜と希歩が同時に通話画面を見る。
『四年前。市の地域回遊企画。期間限定で滝周辺に位置連動コンテンツを追加してる』
「企画名は?」
『えーと……』
なぎさが一拍置いた。
『「最弱のドラゴン、最強のゴブリン」』
沈黙した。
滝だけが鳴っている。
「何それ」
最初に言ったのは里菜だった。
『私に聞かれても。正式名称です。誤字じゃない』
「逆じゃない?」
『だから企画書も確認した。最弱のドラゴンを、最強のゴブリンから助ける地域回遊ゲームだって』
「ドラゴン、弱いんだ」
『かなり弱かったみたい。企画書に“逃げ足だけは速い”って書いてある』
里菜が笑う。
希歩は笑わず、なぎさが共有した古い構成図を拡大した。
「滝側端末に追加設定あり」
『そう。位置判定は別システムだけど、成功時の短いチャイムだけ現地端末から鳴らしてる。中央経由だと遅延が出るから、ローカル保存』
「長さは?」
『一秒ちょっと。三音』
希歩と里菜が顔を見合わせた。
「ファイル名わかる?」
『ゲーム側の資料だと、SUCCESS_WATERFALL_03』
里菜が保守端末へ視線を戻す。
「非常用領域、見えた」
一覧の中に、意味のわからない古い識別子がいくつか並んでいた。
通常配信フォルダとは違い、人が読む前提ではない表示だ。
「これ、日時が四年前」
里菜が一つを指す。
希歩はなぎさの資料と照合する。
「容量は?」
「小さい。音なら一秒くらい」
「再生しないでコピーできる?」
「できる」
「保全して、複製が元データと一致するのを確認してから再生」
「了解」
里菜がすぐに操作する。
なぎさが笑った。
『希歩、ゲームのチャイム相手でも捜査資料みたいだね』
「原因を消したら比較できない」
『ごもっとも』
数分後、保全した音源を里菜の保守端末だけで再生した。
音量を絞る。
――ピ、ポ、ン。
三音。
昨日、滝の音の中から浮いたものと同じ並びだった。
希歩の背中が少し伸びる。
「一致」
「うん。これだ」
『企画資料の試聴データとも波形ほぼ一致』
なぎさが答える。
音の正体は見つかった。
けれど希歩は、安堵するより先に別の違和感を覚えた。
四年前から、ここにあった。
「企画終了後の削除記録は?」
『中央側はある。ゲーム用配信データ削除、位置連動設定撤去、ってなってる』
「現地端末は?」
『記録上は“設定復旧確認”だけ。非常用領域まで消した記載はない』
里菜が腕を組む。
「じゃあ、消し忘れだ」
「残存はそう。でも、それだけじゃ昨日鳴った理由にならない」
「だよね」
里菜はすぐに頷いた。
「四年間ずっと鳴ってたなら、もっと前から申告がある」
『管理側の履歴でも、今回みたいな申告が増えたのはここ一か月くらい』
希歩は画面を切り替えた。
「最近の変更は?」
『待って。保守履歴だと――』
なぎさが検索する。
『三週間前にファームウェア更新』
希歩の指が止まった。
「対象はこの型も?」
『対象。通信断時の再接続処理が変更されてる』
里菜が保守端末で更新履歴を開く。
「ほんとだ。フォールバック周りも触ってる」
「内容は?」
「接続が落ちたとき、無音時間を減らすためにローカル音源を先に参照するよう変わってるっぽい」
希歩は昨日の記録を見る。
十八時七分十四秒、短い通信断。
十五秒、再接続。
その間に三音。
条件が近づいた。
里菜が言う。
「じゃ、この古い音を消して、同じ瞬断作れば症状止まるか見られるね」
「消さない」
希歩は即答した。
里菜が手を止める。
「うん?」
「それで三音が止まっても、原因の一部しか証明できない。四年間鳴らずに、なぜ更新後から鳴ったのか。昼間にも瞬断はあるのに、なぜ昨日は夜だけ鳴ったのか。それが残る」
「ああ」
里菜は一秒も反発しなかった。
「確かに。消すのは最後でいい」
『私も賛成。昼の瞬断、昨日と同じくらいの長さのものを何本か拾ってるけど、申告なし』
「なら、条件がもう一つある」
希歩は昨日の時系列を開く。
昼間。
異常なし。
十八時。
夜間モードへ切替。
電子音楽開始。
十八時七分。
通信瞬断。
三音。
「夜間の電子音楽」
希歩が言う。
里菜が頷いた。
「ストリームの種類か、再接続の仕方が違うか」
『そこ、今夜なら中央側から全部追える』
なぎさが言った。
希歩は時刻を見る。
十一時二十六分。
午前のうちに、正体の半分までは来た。
古い音はある。
通信瞬断も関係している。
ファームウェア更新も怪しい。
残るのは、夜だけ鳴る理由。
*
十二時十二分。
「私、外で食べてくるけど、希歩どうする?」
里菜が工具を片づけながら聞いた。
「私はここで軽く食べる」
「仕事しながら?」
「しない」
里菜の手が止まった。
「今、何て?」
「十五分、端末を閉じる」
「誰?」
「希歩」
『本人確認が必要です』
通話越しになぎさまで言う。
「二人とも失礼」
希歩は公園売店で買っておいたサンドイッチと水を取り出した。
里菜は笑いながら手を振る。
「じゃ、私はその十五分で何か見つけてくる」
「十三時に戻って」
「はいはい」
里菜が公園の外へ向かう。
なぎさとの通話もいったん切った。
希歩はベンチへ座る。
端末の蓋を閉じる。
スマートフォンも鞄へ入れる。
十五分。
昨日の店より短い。
料理も、珍しいものではない。
それでも、食べながらログを見ないと決めた。
理由はある。
午前中に増えた情報が多い。
古い企画。
非常用領域。
ファームウェア更新。
夜間電子音楽。
画面を見続けたまま考えるより、一度区切ったほうが整理できる。
休むことも、条件整理の一部。
なぎさに言われたからではない。
今日は自分でそう決めた。
サンドイッチをひと口食べる。
滝の音が聞こえる。
昼間の滝は、昨日の夜よりただの水音に近かった。
三音はない。
希歩は時計を見ずに食べ終えた。
それから初めて時刻を確認する。
十二時二十七分。
ちょうど十五分だった。
「これは偶然」
誰もいないのに、希歩は言った。
*
午後は、今夜の再現試験の条件整理に使った。
なぎさが中央側で、昼と夜の配信方式の差を洗う。
里菜は現地端末のフォールバック設定を読み出す。
希歩は昨日の時刻と、過去一か月の申告、ファームウェア更新日を一つの表へ並べた。
更新前の申告は、確認できる範囲でゼロ。
更新後に四件。
すべて夕方以降。
偶然だけで片づけるには、偏りすぎている。
『夜間の電子音楽だけ、常時ファイル再生じゃなくてストリームを張り直す処理が入ってる』
なぎさが言った。
「昼は?」
『環境音はローカル側の定常再生が中心。通信が一瞬揺れても、再取得そのものが少ない』
里菜が画面を覗き込む。
「じゃ、夜間ストリームが切れた瞬間に、この端末がフォールバック領域を見る。そこに先頭で昔の三音がいる、と」
「まだ仮説」
希歩が言う。
「今夜、同時に見れば確定できる」
「了解」
『こっちは中央配信、通信状態、再接続時刻を監視する』
「里菜は現地直結ログ」
「任せて」
「私は発生時刻と現地音、両方記録する」
三人の役割が決まる。
希歩は予定表を開いた。
十九時三十分。
《再現試験》
終了時刻の欄へ指を置く。
二十時三十分。
そう入力しかけて、止まった。
一時間で原因が出る保証はない。
かといって、終わるまで無制限に続けるのも違う。
公園の保守作業には、安全面で守るべき時間がある。
疲労した状態で機器を触れば、別の事故を作る。
希歩は終了欄を消した。
代わりに入力する。
《原因特定まで。ただし22:30で安全判断》
里菜が横から覗いた。
「ずいぶん幅を持たせたね」
「幅じゃない。未確定だから固定しないだけ」
『そういうの、世間では余白って言うんじゃない?』
なぎさの声がする。
「安全上限は決めてる」
「そこが希歩らしい」
里菜は笑った。
希歩は予定表を保存する。
十九時三十分から、原因特定まで。
ただし二十二時三十分で安全判断。
終わる時刻は、まだ決まっていない。
それでも、不安ではなかった。
わからないものを、わからないまま予定へ書く。
その代わり、どこで止めるかだけは決めておく。
正確さを捨てたわけではない。
正確に進むために、今は固定しないほうがいい。
希歩は滝のそばの古いコントローラーを見る。
四年前の三音は、そこに残っていた。
だが、残っているだけなら鳴らない。
今夜、電子音楽が流れ、通信が切れた瞬間に何が起きるのか。
そこまで見れば、ようやく原因が一本につながる。
人工滝は、何も知らないように水を落とし続けていた。
(End)
【終】



