梅雨から夏への切り替わりは毎年シームレスで、気づけば口癖が『暑い』になっていく。
今年も夏はそんな風に始まっていくはずだったのに、線香花火くらい繊細な熱量が自分に向けられたものだと気づいてから、感覚が全部入れ替わってしまった。
「オレの記憶が正しければ、葉久留って『暑いの無理ダメ終わった』とか去年は毎日言ってたよな。紫外線対策に力入れんのはいいけどさ。その格好はちょーっとやりすぎじゃね?」
襟に校章が入った白シャツと濃紺のスラックス。
このあたりの学生と遠目なら差異がない俺の高校の夏服は、速乾性や通気性が昨今の気候にマッチしていない。
来年の生徒総会アンケートには、意見をしっかり書き込むことを今から決意する。
講堂に集まるような行事がない日は、男子も女子もネクタイオフとボタン外しが通常だ。
熱中症対策として校内では体操服の着用が許されているので、指定カーディガンを着込みシャツのボタンを上まできっちり留めている生徒は俺くらいだろう。
「エアコンの設定温度が低すぎぃ〜とか女子が結託して文句言ってるけど、オレはこれでも節電しすぎだとか思ってたわ」
全教室エアコン完備の西尾高校では熱中症対策グッズの持ち込みが許されていない。
うちわ代わりにファイルやノートで熱を散らすくらいしか出来ないことに神北は納得してないようである。
クーラーの設定温度と個人の体感温度には開きがある。みんなが心地よく過ごせる理想の空間が実現するのはまだまだ先の話だ。
去年の気温は覚えてないが、親が買ってくれたカーディガンを着たのは今年が初めてだ。
シャツ1枚では冷える時期のためにあるカーディガンを活用していない生徒は俺だけじゃない。
インナーが必須となる指定シャツの生地は薄く、猛暑にはありがたかった。
ボタンを上から2つ外すと私服っぽく着崩せるデザインも悪くなかった。
それなのに、胸元や腕を隠すように厚着をしているのは、俺に健全であれと視線で圧をかけてくる恋愛初心者のせいだ。
「家でもエアコンつけっぱなしだから、最近喉の調子がなんか良くなくてさ……」
「そういや葉久留は沖縄に親戚がいるんだよな。その関係で暑さに耐性あるのかも?」
名推理だろと得意げな顔をする神北には悪いが、仕事の都合で沖縄に引っ越した親戚と俺の厚着には何の関連もないのである。
エアコンが稼働している教室はともかく、廊下や階段にまで冷気は届いてくれない。
風通しのよい体操服で過ごせたら一日中快適なのに、俺の無防備さは風紀の乱れにつながると真剣に諭してきたヤツのおかしな持論を覆せずにいる。
シャツを全開にして、肌が透けるようなインナー1枚でいるなら目のやり場に困ると言うのも理解できる。
けれど、周りがやっている程度の着崩しが健全な学び舎に相応しくないと熱弁されても飲み込めない。
万能型の男子が自然と集結していったグループの中で、笠見透真は冷静沈着な知性派、
色で言うならブルー的なキャラだ。
周りにつられて調子に乗ったり、大口を開けて笑うなんてあいつはやらない。
人生何回目だよと問いたくなる無駄のない合理的な言動はAIのようだと揶揄するヤツもいた。
目立つ人間はどうしても一般市民からのヘイトを溜めやすい。脚光を浴びるまでにどんな苦労があったのか、過程や行間を読もうとせず、見える部分だけを批判する。
スカした感じの冷笑系。
笠見に貼られたラベルを信じたわけではないけれど、進級して同じクラスになるまで俺もあいつをまったく理解していなかった。
『葉久留はもう少し、人の目を気にした方がいい』
出席番号が近く笠見と交流することが多い神北は俺の友人だ。その関係で俺のことを見知っていたのだろう。 はじめての声かけが一方的すぎて、笠見に対する好感度は思いっきり下がった。
『純粋な好意がよからぬ妄想へと発展してしまえば、暴走の可能性も高い。理性を揺るがすような挑発や誘惑は今後控えてもらえないだろうか』
わざわざ、どうもと受け流してやれるほど俺は性格が丸くない。
思い立ったら即行動の母と姉のセットに散々振り回されて育ってきた。その年月が俺を熟慮する慎重派に成長させた。
周りに溶け込み、波立たせないことをモットーに生きてきた俺が笠見の言うような行動をしているはずがないのだ。
『隙があるように見えたのかもしれないが、俺はお前が思うほど迂闊じゃない。状況判断は得意な方だし、客観的に物を見ることもできる。俺をエロを結びつける奇特なヤツは絶対にいないから安心しろ!』
『どうしてそう言い切れる? 人の趣味嗜好は様々だ。指先の動きや意図しない発声に感覚を刺激され、身を震わせる人間もいるだろう』
『そんな特殊なヤツに配慮してたら、生きにくいだけだ』
『しばらく様子見するつもりだったが、夏服になれば余計に抑えがきかない人間が増える。その前に対策を取るべきだ』
『頭の良い奴って妙な方向に思考が傾くんだな。お前が思い描くような事態にはならねぇって!』
俺からの反論で押し黙った笠見は、冷笑系のお手本みたいな顔をして去っていった。
あらゆる予測が空回りして大変だな。
俺でムラムラする物好きなんているはずがない。
笠見の主張が正しいわけがないと突っぱねたのに、俺はその数日後、固定観念が崩れる場面に遭遇する。
パックジュースのストローが奥に引っ込み、仕方なくハサミで開いて作った飲み口を傾けた瞬間、一人の男子が椅子から転げ落ちた。
水が滴る果物に唇を近づけたならともかく、紙パックのジュースを飲む姿に動揺するとかありえない。
単に座り方が悪かったのだろう。
笠見の話を気にしすぎて、警戒心が強くなっているだけだ。雑念を振り払うように首を振ったけれど、立ち上がった男は床にぶつかった場所ではなく、急所である部分をさりげなく両手でガードしていた。
セクシーを振りまいてるつもりはないが、いつの間にか同性を惑わせる魔性を俺は獲得したらしい。
それ以外にも周りの反応が不自然なことが多くなり、俺は学校の風紀を乱さないために自衛手段を取るしかなくなったのだ。



