……午後九時が近づく、ホテルの屋上。
あと片づけをしていた僕に。
藤峰先生がふらりと近寄ると。
いかにも話しかけてほしそうな顔で……こちらを見る。
「なんですか?」
「いかないでね! 海原君」
胸の前で両手を組んで、上目づかいでせまる先生に。
「……遊ばないでください」
相手をする僕はきっと、いいひとだ。
「いや、自分でいうそれ?」
「先生の前でしかいいませんけど」
「なにそれ、もしかしてわたしって『特別』なの?」
「あの……用件はなんですか?」
「だから、いかないでってばぁ〜」
僕は小さくため息をつくと。
「はい」
短く返事をして。
「よしっ!」
わざわざ『そんなこと』でガッツポーズをする先生を見て。
思わずもう一度、ため息をついてしまう。
「ため息ばっかりしてるけど、もしかして月子がうつった?」
「そんなの、僕が答えられるはずがないじゃないですか」
「否定しなかったって、あとで月子につげ口しといてあげる」
「えっ……」
無駄に右目でウインクまでして。
先生は約束だからねと、またせまる。
「そこまで、こだわることですか?」
バーベキューの途中で、何度も『抜けだそう』とする僕をとめてきた先生は。
「あたり前じゃん」
そういってポケットからタバコ。
ではなく、クロワッサンを取りだすと。
「はい」
グシャリとつぶれたそれを、半分ちぎって渡してくる。
「『雑務』が山積みです」
「だからって君がすべて背負う必要なんてない」
「でも」
「海原君が作業しにいったら、ほかのみんなはどうなる?」
「……それは」
「当然、手伝います」
「そのために、きたんですよ?」
三藤先輩と都木先輩が、自然と会話の中にあらわれて。
「だよねぇ〜」
先生は別のクロワッサンを、ふたりに半分ずつ渡すと。
「あとのみんなも、集合!」
笑顔のまま、のびのびとした声を。
ホテルの屋上に響かせる。
……鳩の餌やりのごとく、クロワッサンが全員に配布されていく。
「うわぁ、潰れてるし」
高嶺よ、よくいった。
「これ、食べられるんですか?」
市野さんも……さすがだね。
「有名なお店のやつ、並んで買ってきたんだよ?」
先生のそれはちっとも、答えになっていない上に。
「バターたっぷり、サクサクだって大人気なんだよ?」
自慢の品がいまや、ベシャベシャでボロボロだ。
「海原君さぁ」
し、しまった。
「なんか文句ある?」
「あ、ありません」
「じゃぁ、食べな」
「は、はい……」
「昴先輩、ひとことおおいんだよね」
暖花の冷たい言葉に。
食べる羽目になったみんなが静かにうなずくと。
「よし、食べたね」
藤峰先生が満足そうな顔をしてから。
「でも、評判ほどおいしくないよねー」
食べさせておきながら。
平然と……いいはなつ。
「もしかして、『在庫処分』ですか?」
「よし! いまからなにする?」
もし期待していた味なら、先生のことだ。
きっと自分の夜食。
または朝ごはんの前に、ひとりで食べようとしていたはずだろう。
……だだ、とはいっても。
非常に『うっとうしい』けれど、要するに先生は。
全力で僕たちを……今夜は『働かせない』つもりらしい。
「花火はねぇ、ダメなんだよねー」
就寝までの『自由時間』は、本来自由に使えるはずだけれど。
確かに僕は、作業をしようとしていた。
いや、僕だけではなくて。
みんなもきっと……同じことをしてしまう。
「どうしよっか、海原君?」
それがわかるから先生は、こうしてわざわざ足どめしてでも。
別のことをしろと……伝えたいのだろう。
「ねぇ! 流れ星でも、探さない?」
娯楽に対する想像力に乏しい僕にかわって。
都木先輩の顔と声が、パッとあかるくなって。
「ならわたし、絶対最初に見つけ・る!」
波野先輩が即座に乗って、宣言する。
「海原君、どうする?」
「アンタ山川に、『筋トレ大会』誘われてたじゃん」
市野さんと高嶺は、どうしてそれを?
「『ふたり』は、審査員に誘われてたよ」
「ちょっと暖花?」
「暖花だって、誘われてたよね!」
「……とんでもない選択肢のようだけれど」
そういう三藤先輩は、すでに夜空を見あげていて。
「自由時間なので、『あなたたち』はご自由にどうぞ」
三人をチラリと見てから……口元を少しゆるませた。
……残念ながら、流れ星を見つけるには。
街のあかりが……ありすぎたのかもしれない。
でも、みんなで探すと。
ひとりでは見つけられないものがたくさんあったから。
わたしはとっても、楽しめた。
「都木先輩、新幹線です!」
「空を見ろ、バカ!」
「由衣だってさっき、ラーメン屋さんの看板見てたよ・ね?」
「それは姫妃ちゃんが、広告のモデルを見て騒いだからですけど!」
「あの……おとなしく空を見ませんか?」
「あなたたち、暖花に指摘されてどうするのよ……」
「わ、わたし見えたっ!」
……ちなみに最後のセリフは、佳織先生だ。
「見えてないのに、適当すぎるし……」
「でも、あれが『らしさ』でしょ千雪?」
「ですけど。なんだか美也ちゃんって、佳織先生に……本当に甘いですよね」
少し離れたところにいた彼女は。
「ところで、美也ちゃん」
とても澄んだ瞳でわたしを見ると。
……もし流れ星が見えたら、なにをお願いするかと聞いてきた。
お願いごととは、少し違うかもと。
そんな前置きしたわたしの答えに。
千雪は『つまんないな』とつぶやいた。
「好きなひとの名前を三回いうって、答えてほしかったです」
「ごめんね、わたし早口言葉苦手なの」
「今夜だけは、それでもそういってほしかったです」
夜空より、もっと上のほうを向いている彼女の顔は。
どれだけ我慢しようとしても、小刻みに揺れているようで。
その瞳はいつもより……水分が多いらしい。
「つまんないなんていって、ごめんなさい」
そんな状況で、いわなくてもいいことなのに。
千雪という子は、いつだって律儀なんだから。
「ねぇ。見えたと思って、一緒に流れ星に伝えてみない?」
「美也ちゃんとなら、喜んで」
本当は、思いっきり抱きしめたいところだけれど。
彼女は目立つことを……あまり喜ばないタイプなので。
わたしはそっと、その手を握ると。
目をつぶったまま、ふたりで息をあわせると。
あの彼のことを想いながら。
心の中で……『ありがとう』と唱えてみた。

