恋するだけでは、終われない / 恋したことなら、忘れない


 ……見て、しまった。

 早足以上の、早足で。
 ミーティングルームに戻ったわたしは。
 必死に心を……落ち着かせている。



「ねぇ、千雪(ちゆき)?」
 由衣(ゆい)が、徹夜あけの海原(うなはら)君のようすが気になると口にしたとき。

「じゃぁ、お願い」
 わたしは、つい。
 そんなふうに返事をした。


 もし彼が寝ていても、由衣なら絶対『起こしはしない』。
 むしろわたしは、海原君はなんだかんだと『まだ』起きていて。
 由衣が休むように一喝してくれればいいとさえ思っていた。


 でも本当は、彼女と同行すればよかった。
 せめて由衣に、『あとからいくね』と伝えればよかった。

 だからわたしは。


 ……完全に判断を、間違えた。




 しばらくたっても、由衣が戻らず。
 わたしはふたりのいるツアーデスクに向かって。
 ゆっくりと廊下を、歩いていく。

 静かな音楽が流れる空間は、どこまでもおだやかで。
 あとはあの角を曲がるだけという場所で。
 いつもとは違った、とっても控えめな『くしゃみ』が聞こえて。

 なぜか歩くのをやめてしまったわたしは。
 角からそっと……顔をだす。


「起きちゃった、海原?」
 声量ももちろん、いつもと違う。

「海原、寒くない?」
 どこまでもやさしい、その声に。

 わたしは思わず……立ちつくす。


 普段の彼女の姿からはほど遠い。
 ただただ、純粋な『やさしさ』あふれる由衣はそれから。
 盗み見ているわたしに気づくことなく。
 ゆっくりと、自分のベストを脱いでいき。

 とっても、とっても慎重に。
 これまで見たことがないほど真剣な顔をしながら。
 彼の背中に、ゆっくりと自分のベストを広げていく。



 ……目の前で海原君が、由衣に『包まれて』いくのに。


 わたしはなにも……動けない。



 やさしい動きのまま、由衣は静かに腰かけて。
 彼の隣で頬杖をついた彼女は、それから。
 満足そうに口元をゆるませると、小さくなにかをつぶやいた。

 口にした言葉は、誓って聞こえなかったものの。
 ただ、わたしにはわかった。



 ……もう、これ以上わたしには無理なのだ。



 正直、圧倒的な『差』を感じたことなんて。
 これまでだって何度も経験してきた。

 太陽みたいな美也(みや)ちゃんと、圧倒的な存在感の月子(つきこ)ちゃん。
 華やかな姫妃(きき)ちゃんや、お姉ちゃんみたいな玲香(れいか)ちゃん。

 でもあのひとたちは、あくまでわたしの中では『先輩』だったので。
 埋められないなにかがあるのは、しかたのないことだろうと。
 ある程度は……現実から逃避することが可能だった。


 でも、由衣は。
 わたしの『親友』で『同級生』だ。


 いいわけなんて、できない。
 わたしにはもう、平静を装うことも不可能で。
 わたしの瞳が、我慢の限界を知らせているいま。


 ……この恋からは撤退するべきだと。わたしははっきり、理解した。




 こぼれ落ちそうな涙を、必死にこらえて。
 わたしはなんとか、ミーティングルームに駆けこんだ。

 誰にもこんな姿は、見せられない。
 誰かがくる前に、元に戻らなければならないと思えば思うほど。
 どうすればいいのか、わからなくなってきて。
 そして、そのとき。

 ……場違いなくらい、リズミカルなノックが聞こえてきた。


「あ・け・る・ね! 千雪!」

 底抜けにあかるい声が。
 わたしが『まって』と頼む前にやってくる。
 そしてそのひとは、サッと部屋に滑りこむと。

 なにひとつ、迷うことなく。
 部屋の扉を……ロックした。







 ……もう、千雪ったら。

 なにも修学旅行で……泣くことなんてないの・に。



「いや、で・も逆?」
「えっ?」
「修学旅行だ・か・ら泣くのかな?」

「姫妃ちゃんって……やっぱり性格が悪いです」
 わたしの胸の中でずっと泣きじゃくっいた千雪が。
 真っ赤な瞳でわたしをにらむと。

「うんうん、それでい・い」
 わたしはとっておきの『つくり笑い』をしてから。
 もう一度彼女を、しっかりと両腕で包みこむ。



 ……最近ずっと、千雪のようすは変だった。



「落ち込んでいる海原君を、元気にしたかったんです」
 そっか。

「彼を独り占めしたら、元気にできるって思ったんです」
 それで、焦っていたんだ・ね。


「でも、そんなのは無理なんです!」
 ちょ、ちょっ……。

「強敵だらけで、無理なんです!」
 お、お願い。
 息が……苦しい・よ。



「ごめんなさい、力がはいりすぎました」
 ここで突然、冷静になった千雪が。

「うわっ、つくり笑いだ」
 わたしを見て、露骨に嫌そうな顔をする。

「う・ん!」
「さ、最悪……」


 ……たぶんこれで、この子は平気。


「本当に……性格の悪さがにじみでていますよね」
 ほ・ら。ね。
 なんか『ブラックな』千雪が帰ってき・た。

「姫妃ちゃん、聞いています?」
 大いに不満があると、ふくれた顔は『割と』かわいくて。

「あ・っ」
「あ……」
 その瞳から、大粒の涙がポロリと落ちた。



「えいっ!」



 ……えっ? いまのなに?


 
「反射神経いいんです、わたし」

 涙の粒が、スカートに着地するその直前。
 千雪が涙を、手刀でバサリと斬る。


「それって、特・技?」
「まさか。そもそも、こんなに泣いたことなんてありません」

 ……まぁ、それもそうだ・よ・ね。

 でも、そんな彼女の顔を見たわたしは。
 なんだかステキな決めゼリフを、思いついた。



 ……恋したことなら、忘れない。



「前に進むんだよ、わたしたち」
 だって、同じ彼に恋したことで。
 ふたりはきっと……わかりあえるは・ず!


「うーん」
「な・に?」
「なんだか、姫妃ちゃんと同じ扱いっていうのは……」
「えっ?」
「やっぱり、一緒にしないでください!」


 そもそも彼に、『告白したわけではない』と主張する千雪に。
「こっちだって、振られたわけじゃな・い・もん!」
 それならわたしもと、いいかえす。

 それから、ふたりで『くだらない』やり取りを続けて。
「もう、姫妃ちゃんしつこいですよ!」
 ついに千雪が『降参』すると。


「お・ぉ・っ」
 わたしは思わず、声をあげてしまう。

「なんですか?」
「ひ・み・つ」


 だってね、まるでなにかから『解放された』ようなその笑顔は。
 すっごく……かわいいから。 


 彼ではな・い、誰かのた・めに。
 千雪はそれを、取っておいたほうがいいは・ずだと。



 だからわたしは千雪を。
 お願いだから前に進めと。


 もう一度、『祈るように』……抱きしめた。