恋するだけでは、終われない / 恋したことなら、忘れない


 ……スーツケースの件は、すでに解決。

 そう思ったのは、実は甘くて。
 まだ一番『ややこしいこと』が。
 残ったままに……なっていた。



都木(とき)先輩、なんだかすみません」
「もう海原(うなはら)君、気にしないでよね」

 みんなが夕食の時間になったころ。
 わたしたちはホテルの五階、いわゆる『女子の』フロアーを歩いていて。
 ふたりで『例の』コネクティングルームに向かっている。


 部屋の前に到着すると、まず海原君が。
暖花(ほのか)、いるか?」
 そう声をかけながら、扉をノックするものの。
 中から特に……返事はない。

「逆のドアもやってみる?」
 そうわたしが聞くと、ガチャガチャとチェーンの音がして。
 隙間から暖花の声だけが、もれてくる。


(すばる)先輩、わたしイルカじゃないし」
「えっ?」
「『暖花はイルカ』って、いったじゃん」
「いや。あれは『いるか?』って聞いただけだ」
「だから『イルカ』じゃ、ないってば」

 ……なるほど、『ちゃんと』すねているんだ。

「ねぇ暖花、あっちの扉から中にはいるね」
「ちょっと? 美也(みや)ちゃん?」
「じゃぁ、はいりまーす」

 わたしはつとめてあかるくいってから。
 もうひとつ扉を、一気にひらく。


「ここ! 女子の部屋ですよ!」
「でもみんな、はいっていいって許可したよ?」
「わたしはまだ返事を、していません!」

 言葉では抵抗する暖花だけれど。
 その表情はすでに、きてくれてありがとうといっていて。

 わたしの視線に気づいた、海原君の『幼馴染』はそれから。
「昴先輩、くるの遅いし」
 ボソリといって、それから今度は。

「わたしのミスなんだから、わたしが謝罪するべきだよね!」
 そういって彼に、せまっていく。



「別に気にしなくていいだろ。それにもう解決した」
「わたしの中では、まだ終わってないの!」

 いいなぁ、暖花。
 わたしからすれば、ある意味うらやましいくらい。
 彼女は海原君に『甘えて』いる。

 ただ同時に、暖花はきちんと。
「わたしのせいなのに、昴先輩が謝るのは嫌なの!」
 自分のせいで、彼に迷惑をかけたことを悔いている。


 ……でも海原君にはちょっと、わかりにくいみたいだね。


「なぁ暖花。『そんなこと』より、ディナービュッフェの時間だぞ?」
「……えっ?」

 あぁ、海原君ったら。
 それだと暖花、また怒っちゃうのに。

「ご飯で釣るとか、やめてよ」
「いや、そうじゃなくてさ」
「じゃぁなに?」

 ……おまけになんだか、嫌な予感。

「『都木先輩が』、迷惑だろう」
「うわっ、最悪」
「へ?」

 ……まずい、それはまずいよ海原君。

「だったら、美也ちゃんと食べにいけばいいじゃん!」
 ほらやっぱり、暖花がまた怒ってしまったのに。
 海原君ったら、そのへんは変に『安定』しているから。

「わかった。じゃぁあとで、『三藤(みふじ)先輩に』交代してもらってまたくるからな」


 ……また余分なことをいって、もっと暖花を怒らせる。


「なにそれ? 昴先輩って、とことんデリカシーがなさすぎ!」
「本当だよね。でも『鈍いから』ごめんね……」
「えっ?」
「えっ……」
「あ。ご、ごめん!」

 しまった、ついうっかり。
 余分な口を、挟んでしまった。



 ……でもそれがかえって、よかったらしい。



「もういい。なんかバカらしくなってきた」
「えっ?」
「だって美也ちゃんだけが、盛りあがっちゃいそうだもん」

 彼女はそこで、小さく息を吸ってから。
 スッとたちあがると、実に優雅に一礼する。

「美也ちゃん。迷惑をかけて、ごめんなさい」

 わたしだけにあわせた、その視線。
 その澄んだ瞳は、まるで月子のように力強くまっすぐで。


 続いて暖花は、彼に向かって。
「昴先輩。しかたないから、食べにいってあげる」
 すっごく上から目線で、ものをいう。



「じゃぁ、いくぞ暖花」
「あ、ちょっと髪の毛直すから。先にいっててくれる?」
「わかったけど、あんまり遅くなるなよ」

 ……これは、本当に『ただの』幼馴染の関係なのだろうか?

 とってもひさしぶりに会ったはずの、ふたりのやり取りの中には。
 わたしの知らない、海原君の姿がたくさんあって。
 そして彼はなにより……とても自然な姿を見せている。




「都木先輩、どうかしましたか?」
「ううん、なんでもない」

 先に部屋をでたわたしたちは。
 ふたりで並んで廊下を歩いてから。
 エレベーターではなく、階段を降りていく。


 彼の歩幅は、いままでと変わることなく。
 わたしのそれに、自然にあわせてくれていて。
 その変わらないやさしさで、わたしは心を落ちつかせようとはするものの。

 彼の『変わらなさ』はやがて。
 どこかで『新たな波乱』を呼び起こしはしないかと。
 わたしは少し不安に、なっていた。



「そういえば、大学ってどうですか?」
「えっ? どうしたのいきなり?」
「いや、なんとなく話題をふったほうがいいのかなって」
「そ、そっか」

 ……海原君の前で、暗い顔はよくないね。

「ありがと」

 あとね、ちょっとうれしい。
 ただね、その質問はちょっと答えにくい。


 ……だって楽しいけれど、君がいないのが寂しいから。


「じゃぁ海原君。放送部はどうですか?」
「えっ? まだ先輩の答えを聞いてませんよ?」
「なんかね、聞きたくなっちゃったの」


 ……わたしがいなくて、寂しいですか?


「あ、相変わらずです」
 なんだかその回答は……無難だなぁ。



 でも、楽しくないといわれると悲しいし。
 楽しいといわても複雑だし。
 寂しいといわれたら……それはそれで困るのだろう。

「だから海原君、忙しいのが一番だよ」
「えっ? なんでですか?」
「さぁ?」


 ……だってこうして、一緒にすごせるから。


 せっかくだから、口にしてもよかったものの。
 まだ急ぐことはないと、わたしは笑顔でごまかした。




 ……ただ再会するより、なんだか深く楽しめる。




 海原(うなはら)君のおかげでそう思えた『わたしは』。

「カ、カイバラっ!」
 その夜、あの『お約束の』クラスメイトによって。
 彼が『大変なこと』になっているとはまったく知らずに。

 あたたかくて……幸せな眠りに落ちていた。