10月になった。
窓の外では、校庭を囲む葉が、目障りなほど鮮やかな黄色に染まり始めてた。
だが、その色彩すら私には不自然な、作り物のようにしか見えない。
修学旅行の班決めという、高校生活における最大級の行事が、教室の中で始まろうとしていた。
黒板の前に立った学級委員が、チョークで班の定員を書き込んでいく。
教室内は一瞬にして、誰が誰と組み、誰をあぶれさせるかという、熱気に包まれた。
「もちろん、私と煌河くんは一緒だよね!あと、李奈。これで3人」
優奈の声には躊躇もなかった。
彼女は私の席までわざわざ椅子を引いて近づき、当然の権利を示すように私のノートの上に自分の指先を置いた。
その爪に塗られた、校則違反ギリギリのピンク色のネイルが、私の脳を不快にする。
「……うん、ありがと。私は、どこでもいいんだけど、ね」
私の声は、自分の耳にも変に埋もれて聞こえた。
同じ班になる。
それは、東京への二泊三日の旅の間、煌河くんの視線と優奈の恋バナをなんとかやり過ごさないといけないということを意味していた。
拒否権なんて私には最初から与えられていない。
ここで私が別の班にすると言えば、優奈は間違いなくどうして?と、私を問い詰めるだろう。
その時背中を向けたままだった煌河くんが肩を動かした。
彼は振り返らなかった。
ただ、手元にあったシャーペンを、机の上に音を立てて置いた。
「優奈。班、男子と女子の数が合わないと駄目なんだってさ」
彼は私を完全に無視し、優奈という飼い主にだけ向かって、事実のみを告げていた。
「えー、そうなの?じゃあ、煌河くんの友達とか誘おうよ。李奈も、他いたほうが話しやすいでしょ?」
私はただ首を縦に振るしかなかった。
机の下の右手は爪が皮膚に食い込むほど握り締められていた。
そのせいか、指の間から何か液体が垂れたような気がして、慌ててもう片方の手で塞いだ。
その日の放課後地獄は図書室で待っていた。
優奈が「委員会の集まりがあるから、先に図書室で修学旅行の計画立てといて!」と言い残し、私と煌河くんを2人きりにしたのだ。おそらく彼女なりの気遣いだったのだろう。
それがどれほど残酷な仕打ちか彼女は想像すらしていない。
放課後の図書室。
かつて、雨の日に2人きりで居残りをしたあの日のように。
窓際の机に、私と煌河くんは斜め向かいに座った。
壁の時計が刻む秒針の音がいやに響く。
彼は広げた東京のガイドブックを無言でめくっている。
その指先は綺麗。
「……あの、煌河くん」
耐えきれなくなって、私は声を絞り出した。
ただ彼の声が聞きたかっただけなのかもしれない。
「新幹線の時間、優奈が朝早い方がいいって言ってたから、これ……どうかな」
私は、自分のノートに書いた時刻表のメモを彼の方へと動かした。
煌河くんの動きが止まった。
彼はゆっくりと顔を上げた。
数ヶ月ぶりに、彼の視線が私の顔に突き刺さる。
その目は無の感情しかないように見える。
「優奈が良いって言うなら、それでいいよ」
彼はメモを見ることさえせず、ただそれだけを吐き捨てた。
「李奈ちゃん」
とは、もう二度と呼ばない。
「……そっか。じゃあ、優奈にそう伝えておくね」
私は、笑みを浮かべることすら忘れ、ただ視線を床に落とした。
頭が奥が熱い。
また、あの鉄の味がせり上がってくる。
「お前さ」
不意に、煌河くんが声を出した。
「本当、そういう顔、得意だよね」
「え……?」
「何でもない。優奈が戻ってくる前にルート決めよ」
彼はそれ以上、何も言わなかった。
「そういう顔」が何を指しているのか、私には分からなかった。
スマホの暗い画面に映る、自分のあの嘘の笑顔のことだろうか。
それともすべてを失ったかのような、この被害者面の顔のことだろうか。
いずれにせよ、私は彼の前で完全に裏切り者として確定していることには変わりはない。
その夜、第二の地獄がスマートフォンを通じてやってくる。
『李奈、今日煌河くんと2人で何話した?』
夜の11時半。
優奈から届いたのは一行だけの冷たいメッセージだった。
心臓がドクリ、と跳ねた。
画面を見つめる私の額から、じんわりと汗ばんでいく。
『新幹線の時間とか、回るルートの話だよ。優奈が朝早い方がいいって言ってたから、それを伝えただけ』
私は言い訳のような返信を打ち込んだ。
どこにも後ろめたいことなんてないはずなのに、なぜか自分が罪を犯しているような罪悪感に駆られる。
3分後、スマホが鳴った。
画面に表示される「優奈」の2文字が、まるで殺されてしまう前の前兆のように見えてしまった。
「――もしもし、優奈?」
「李奈。あんまり、煌河くんと2人きりで話さないでほしいな」
受話器から聞こえてきた声は、聞いたこともない優奈の声。
「え……?でも、優奈が先に図書室に行っててって言ったから……」
「そうだけどさ。なんか、今日の煌河くん、図書室から帰ってきた後、いつもより元気なかったんだよね。李奈、何か変なこと言わなかった?」
変なこと。
「何も言ってないよ。本当に、修学旅行の計画だけ」
「ふーん。ならいいんだけど。私ね、李奈のこと、本当に信頼してるから。私の大好きな人を、まさか親友が奪おうとするわけないもんね?」
くす、と笑い声が受話器の向こうから聞こえた。
優奈は、気づいているのだろうか。私が煌河くんを好きだったことに。
それとも、煌河くんが私に手紙を渡したことに――。
「当たり前だよ……。私は、優奈の恋を応援するって、決めてるから」
私は暗闇の中で再び、自分の口を無理やり引き上げた。
「うん!やっぱり李奈は最高の親友!明日、また教室でね!」
一瞬にして元の可愛い優奈に戻った彼女は、満足したように電話を切った。
私はスマートフォンをベッドに叩きつけ、自分の両腕で身体を抱きしめた。
寒かった。
10月なのに、部屋の中が氷河期かと錯覚するほどしているかの寒かった。
私は起き上がりバッグに駆け寄った。
チャックを乱暴に開け、奥に腕を突っ込む。
指があの紙に触れた。
(開けて。お願いだから中を見て。これ以上、この半殺しの日常に耐えられない――)
半分、封筒を引きずり出しそうになったその時、私の脳にさっきの優奈の言葉が、首元に突き付けられるナイフとなって蘇った。
窓の外では、校庭を囲む葉が、目障りなほど鮮やかな黄色に染まり始めてた。
だが、その色彩すら私には不自然な、作り物のようにしか見えない。
修学旅行の班決めという、高校生活における最大級の行事が、教室の中で始まろうとしていた。
黒板の前に立った学級委員が、チョークで班の定員を書き込んでいく。
教室内は一瞬にして、誰が誰と組み、誰をあぶれさせるかという、熱気に包まれた。
「もちろん、私と煌河くんは一緒だよね!あと、李奈。これで3人」
優奈の声には躊躇もなかった。
彼女は私の席までわざわざ椅子を引いて近づき、当然の権利を示すように私のノートの上に自分の指先を置いた。
その爪に塗られた、校則違反ギリギリのピンク色のネイルが、私の脳を不快にする。
「……うん、ありがと。私は、どこでもいいんだけど、ね」
私の声は、自分の耳にも変に埋もれて聞こえた。
同じ班になる。
それは、東京への二泊三日の旅の間、煌河くんの視線と優奈の恋バナをなんとかやり過ごさないといけないということを意味していた。
拒否権なんて私には最初から与えられていない。
ここで私が別の班にすると言えば、優奈は間違いなくどうして?と、私を問い詰めるだろう。
その時背中を向けたままだった煌河くんが肩を動かした。
彼は振り返らなかった。
ただ、手元にあったシャーペンを、机の上に音を立てて置いた。
「優奈。班、男子と女子の数が合わないと駄目なんだってさ」
彼は私を完全に無視し、優奈という飼い主にだけ向かって、事実のみを告げていた。
「えー、そうなの?じゃあ、煌河くんの友達とか誘おうよ。李奈も、他いたほうが話しやすいでしょ?」
私はただ首を縦に振るしかなかった。
机の下の右手は爪が皮膚に食い込むほど握り締められていた。
そのせいか、指の間から何か液体が垂れたような気がして、慌ててもう片方の手で塞いだ。
その日の放課後地獄は図書室で待っていた。
優奈が「委員会の集まりがあるから、先に図書室で修学旅行の計画立てといて!」と言い残し、私と煌河くんを2人きりにしたのだ。おそらく彼女なりの気遣いだったのだろう。
それがどれほど残酷な仕打ちか彼女は想像すらしていない。
放課後の図書室。
かつて、雨の日に2人きりで居残りをしたあの日のように。
窓際の机に、私と煌河くんは斜め向かいに座った。
壁の時計が刻む秒針の音がいやに響く。
彼は広げた東京のガイドブックを無言でめくっている。
その指先は綺麗。
「……あの、煌河くん」
耐えきれなくなって、私は声を絞り出した。
ただ彼の声が聞きたかっただけなのかもしれない。
「新幹線の時間、優奈が朝早い方がいいって言ってたから、これ……どうかな」
私は、自分のノートに書いた時刻表のメモを彼の方へと動かした。
煌河くんの動きが止まった。
彼はゆっくりと顔を上げた。
数ヶ月ぶりに、彼の視線が私の顔に突き刺さる。
その目は無の感情しかないように見える。
「優奈が良いって言うなら、それでいいよ」
彼はメモを見ることさえせず、ただそれだけを吐き捨てた。
「李奈ちゃん」
とは、もう二度と呼ばない。
「……そっか。じゃあ、優奈にそう伝えておくね」
私は、笑みを浮かべることすら忘れ、ただ視線を床に落とした。
頭が奥が熱い。
また、あの鉄の味がせり上がってくる。
「お前さ」
不意に、煌河くんが声を出した。
「本当、そういう顔、得意だよね」
「え……?」
「何でもない。優奈が戻ってくる前にルート決めよ」
彼はそれ以上、何も言わなかった。
「そういう顔」が何を指しているのか、私には分からなかった。
スマホの暗い画面に映る、自分のあの嘘の笑顔のことだろうか。
それともすべてを失ったかのような、この被害者面の顔のことだろうか。
いずれにせよ、私は彼の前で完全に裏切り者として確定していることには変わりはない。
その夜、第二の地獄がスマートフォンを通じてやってくる。
『李奈、今日煌河くんと2人で何話した?』
夜の11時半。
優奈から届いたのは一行だけの冷たいメッセージだった。
心臓がドクリ、と跳ねた。
画面を見つめる私の額から、じんわりと汗ばんでいく。
『新幹線の時間とか、回るルートの話だよ。優奈が朝早い方がいいって言ってたから、それを伝えただけ』
私は言い訳のような返信を打ち込んだ。
どこにも後ろめたいことなんてないはずなのに、なぜか自分が罪を犯しているような罪悪感に駆られる。
3分後、スマホが鳴った。
画面に表示される「優奈」の2文字が、まるで殺されてしまう前の前兆のように見えてしまった。
「――もしもし、優奈?」
「李奈。あんまり、煌河くんと2人きりで話さないでほしいな」
受話器から聞こえてきた声は、聞いたこともない優奈の声。
「え……?でも、優奈が先に図書室に行っててって言ったから……」
「そうだけどさ。なんか、今日の煌河くん、図書室から帰ってきた後、いつもより元気なかったんだよね。李奈、何か変なこと言わなかった?」
変なこと。
「何も言ってないよ。本当に、修学旅行の計画だけ」
「ふーん。ならいいんだけど。私ね、李奈のこと、本当に信頼してるから。私の大好きな人を、まさか親友が奪おうとするわけないもんね?」
くす、と笑い声が受話器の向こうから聞こえた。
優奈は、気づいているのだろうか。私が煌河くんを好きだったことに。
それとも、煌河くんが私に手紙を渡したことに――。
「当たり前だよ……。私は、優奈の恋を応援するって、決めてるから」
私は暗闇の中で再び、自分の口を無理やり引き上げた。
「うん!やっぱり李奈は最高の親友!明日、また教室でね!」
一瞬にして元の可愛い優奈に戻った彼女は、満足したように電話を切った。
私はスマートフォンをベッドに叩きつけ、自分の両腕で身体を抱きしめた。
寒かった。
10月なのに、部屋の中が氷河期かと錯覚するほどしているかの寒かった。
私は起き上がりバッグに駆け寄った。
チャックを乱暴に開け、奥に腕を突っ込む。
指があの紙に触れた。
(開けて。お願いだから中を見て。これ以上、この半殺しの日常に耐えられない――)
半分、封筒を引きずり出しそうになったその時、私の脳にさっきの優奈の言葉が、首元に突き付けられるナイフとなって蘇った。



