幸せを願う嘘をひとつ

私はぎゅっと喉にある鉄の味を飲み込みながら笑みを浮かべた。
「あぁ昨日のあれ?ごめん、まだ読んでないや。カバンの奥に入れたまま忘れてた」
トツトツ、と掛けられた教室の時計の針が響いた。

窓の外からは、グラウンドで朝練をしている運動部の掛け声や遠くを走る電車の音が、信じられないほど響いている。
それなのに、私たちの周りだけがまるで真空に閉じ込められたように、音を失ってゆく。

「……忘れてた?」
煌河くんの声から、一瞬で熱が引いていくのが分かった。

彼は、私が手紙を読んでいない、という言葉の裏にある拒絶の意志を悟ったのだ。
その瞳が私をじっと射抜く。
なぜ、という疑問。

どうしてそんな嘘をつくんだ、という強い気持ち。
そして何より、「俺の気持ちは君にとってその程度のものだったのか」と訴える瞳が言葉にならないほど重く体に落ちてきたような気がして膝が崩れ落ちそうになる。

その視線があまりにも長くて、私の心臓は何度も止まってしまっているような錯覚に陥った。
2人だけの秘密が、一瞬で勘違いへと塗り替えられてく。

「そっか」
ぽつり彼は呟いた。
その声は冷たい。

「忘れるくらい、どうでもいい物だったんだな。……ごめん、変なこと聞いて」
そう言うと煌河くんは前を向き、私にその背中を向けた。
いつもなら、授業中に楽しそうに振り返ってくれた、大好きな愛おしい背中。

けれど、今のその背中は、まるでレンガのように分厚い壁となって、私の生きる世界から彼を遮断してしまった。

その日の授業中完全に光が、音が消え失せていた。
チョークの音もすべてが雑音に聞こえる。

前の席にいる煌河くんは一度も後ろを振り返らなかった。
自業自得だ。
私が選んだ嘘だ。

そしてその日の放課後。
「煌河くん!今日、一緒に帰らない?」
チャイムが鳴り響く教室で声が響いた。

声の主は優奈だった。
彼女はついに教室で煌河くんに直接声をかけたのだ。

いつもなら、煌河くんは女子からの誘いを、傷つけないようにかわす人だった。
だから私はどこかで安心していたのかもしれない。
どうせ上手くいかない。

煌河くんが好きなのは私なのだから、優奈の片思いは切なく終わるのだろう、と。
そんな身勝手すぎる傲慢さを、心に持ってた。

「……おう、いいよ。帰ろうぜ」
煌河くんは、机の中の荷物をバッグに詰め込みながらそう言った。

「えっ……本当に!?やったぁ!」
優奈が、まるで幸せを独り占めしたかのように、目を輝かせている。
彼女の心底嬉しそうな顔。

煌河くんは立ち上がると同時に一瞬だけ、私の席の方へと視線を向けた。
視界に入ったゴミを見るかのような、完全に冷めた視線。

彼は私への未練を、その瞬間に完全にゴミ箱へと投げ捨てたのだ。

「優奈、気を付けてね」
私は、死人のような声でそれだけを返した。

優奈が嬉しそうに煌河くんの顔を覗き込み、煌河くんがそれに優しい横顔で応えている。

これが私の望んだ代償。
けれど、胸を満たしているのは、親友への祝福なんかじゃなくて、息もできないほどの絶望。