幸せを願う嘘をひとつ

ほとんど眠ることができないまま迎えた朝は、ひどく白白しい。

いつも通りに制服に袖を通し、いつも通りにリボンを結ぶ。
鏡の中にいる私は、何の変哲もない女子高生の姿をしているけれど、その内側はすでにボロボロに腐り始めているような気がしてならい。

ローファーを引きずりながら通学路を歩く。
「あ、李奈ーっ!」
校門をくぐったその瞬間、声が私の名前を呼んだ。
走ってこちらに駆け寄ってくる人影が見える。
優奈だった。

その手には、キャラクターのストラップが揺れるスマートフォンが、ぎゅっと握りしめられていた。
「李奈、おはよう!あのね、聞いてっ!」
私の腕に飛びつき、抱きついてきた優奈からは、ほんのりと甘い香りがした。

心臓が跳ねた。
「おはよう、優奈。……なんか、すごく嬉しそうだね」
私は広角を必死に上げた。
声が少しだけ震えていないか気になった。

「う、うん!昨日の夜、思い切って、煌河くんにLINEしてみたの」
優奈は頬をいちごのような色に染めながら、画面を私に見せた。

「そしたらね、最初はなかなか既読がつかなくて心配だったんだけど、夜遅くに返信が来たの! 『おう、お疲れ』って。本当に夢みたいで……!」
優奈の弾けるような笑顔。

『煌河くんは私に優奈のこと可愛いって相談してきた』

昨日自分がついたあの嘘。
優奈はその嘘を100%信じ切っているのだ。
だからこそ、こんなにも煌河くんとの距離を縮めるための一歩を踏み出すことができた。

私のついた嘘が、優奈の恋のガソリンとなってしまっている。
「よかったね、優奈。ほら私の言った通りでしょ?」

私は、自分の喉がどんな風に声を鳴らしているのか分からなかった。
ただ人工知能のようにセリフを吐き出すことしかできない。

「うん全部李奈のおかげだよ。本当にありがとう!私これからも頑張る!」
優奈は私の手を握りしめて感謝を伝えてくる。

「じゃあ、私、ちょっとトイレ寄ってから教室行くね!」
優奈はスキップをしながら廊下へ駆けた。

1人取り残された私は、深い息を吐き出した。
これから向かう教室には、あの手紙を私に渡した本人が待っているのだ。

階段を上り教室の前に立つ。
開けられた扉の向こうからは、朝の騒がしさが溢れていた。

意を決して教室へと一歩を踏み出した。
いつもの席。
その椅子の前に立ち、カバンを机のフックにかけようとした瞬間だった。

私のすぐ目の前の席に座っている背中がピクリと動いた。
煌河くんが振り返った。
でも彼の顔には、笑顔はひとかけらもなかった。

少しパーマのかかった前髪の隙間から光るその瞳は、寝不足そうで私を見つめていた。
「……李奈ちゃん」

周囲の騒音に搔き消されそうなほどの声が私を呼んだ。
彼の目線の強さに私は動けなくなる。

「昨日の、手紙……」
煌河くんが、机の下で拳を握りしめているのが見える。
彼はそれの返事をくれるのを、今か今かと待っているのだ。

その想いから私は逃げ出さなければならない。
ここで彼に「まだ読んでない」とも「ごめんなさい」とも言えない。
優奈の笑顔を守るためには、私はここで彼を突き放すための次の嘘を重ねるしかないのだ。