王子サマはBL漫画家(わたし)の部屋にパラサイト中

「ほうこれは……とても、良い匂いがする……」

餌を目の前にした落ち着きない犬のように、アレクシスは私の背後から鍋の中を覗き込んだ。
甘い低音が耳に忍び込み、ぞくぞくと私は身体を小さく震わせる。

近い、近すぎる。
隣人の距離感としてはいささか問題アリ。

「ハウス!」と言いたい所をぐっとこらえて、私はゆっくりと振り返った。

「ここから更に三十分程煮込みますので、もう少しお待ちください、あちらで」

最後通牒をうけたかのような表情を浮かべ、アレクシスは肩を落とし、指定された位置に戻るとサクランボのパックを片手に座った。

幸いというか、本日の私の部屋は、誰かに見られて困るような物が溢れている状態ではない。
仕事の区切りがついてしっかり片付けが終わった後だったのは、彼にとっても幸運だろう。

何故ならば、私は普通の漫画家ではない。
BL漫画家なのだ。

BOYS LOVE。
略してビーエル。

男性同士の恋愛に関するあれこれを主題とした、ある種のファンタジー作品を描くことを、生業としている。

ゆえに、ごく普通の生活をしている人がそうそうお目にかからないような書籍や資料、そしてグッズ等が、壁面収納本棚の中に並んでいる。
うっかり手に取ってしまったら、心の平安を崩しかねない。

あの禁断の扉(収納)さえ開かなければ、私の部屋は、奥にベッド、並びに大きめのPCデスク。
そして更にその並びにテレビなどの家電を置いたチェスト。その正面に二人掛けのソファ。
と、とてもシンプルに構成されている。

リモコンやメモなどの細かい物も、ローテーブルの引き出しに仕舞っているので、机上にはアレクシスが購入したさくらんぼと、先に少しだけ切っておいたオレンジの載せられた皿しかない。

世間知らずなお坊ちゃま臭をぷんぷんさせているアレクシスは、漫画、という物を、正確に理解していないようだったが、絵師――というのは彼の理解領域にも存在している言葉だったらしい。

彼の中で、芸術家の類と同位置に引き上げられてしまったBL漫画家の私を、尊敬の眼差しで見るのはやめて貰いたかった。

特典として作成していたポストカードに、目を丸くさせて恐る恐る彩色されてある表面を指で辿る様子は、彼がその出来に甚く感動している事実を、視覚的に伝えてきた。ので、まあ悪い気はしないかも。

ちなみにポストカードは、肌の露出が多少過剰ではあるけれど、等身キャラ一人のかなり無難な物である。

調理の際に圧力鍋を使用したビーフシチューは、口の中に運んだ瞬間ほろりほろりと溶けてしまう。
明日になればもっと味が染み込みそう。
カランとスプーンが食器に触れる音に、口に合わなかったかな?と一瞬心配になるけど、そうではなかったようだ。

アレクシスは表情が豊かだった。
初対面にも近い相手に対して、こうも自分の感情をだだもれにさせてしまって大丈夫なのだろうか。

しかも相手は私である。

次回作のネタの一人になりそうな存在が目の前にいて、その言動や表情。
一挙手一投足を観察しているというのに。

私がバゲットを切り分けている最中に、物凄い勢いで一皿を綺麗に食べ終えたアレクシスは、唐突に立ち上がり私の部屋から出て行ってしまう。
そして慌ただしくも、すぐ戻って来た。
綺麗な玻璃製っぽい瓶を手にしている。