榊原邸の朝は早いが夜も早い。
月が中天に浮かぶころ、日中の騒動を泡沫の向こうに追いやり、屋敷中はしんと寝静まりかえっている。
年がら年中、完全夜型生活を送っている私には、朝早く起こされるのも辛く、眠たい昼間を何とか乗り越え、もろもろの作業をこなし迎えた夜に、何故か元気になってしまう。
体内時計が完全にくるっている証拠だ。
睡眠時間は短い筈なのにも関わらず、目が冴えてしまって、少し厨房にお邪魔し、珈琲風の苦みのあるお茶をいただいてきた。
さすが日本人が家主。
フォルジェ王国の食卓は、確かに物足りない味の食事ばかりであるのだが、修羅場中はゼリー飲料や固形栄養などで済ませてしまう私からすれば、不味いというほど酷くは無い。
まあ、空腹じゃなければ別に。
欲を言えばプリンが食べたい。
卵も牛乳代替え品もあるし、砂糖もあるのだから、そのうち作ればいいか。
季節の進み具合が日本より少し早く、肌寒い位だった。
膝掛を肩から包み、ベランダに出る。
虫の鳴き声とすこしひんやりとしたやわらかい風。
それから月光。
視界の先には緑の庭で、街の光は都内のそれよりも断然暗く仄かだ。
しかしながら絵になる。
遠い外国に旅行しに来たような……と考え、外国どころか、もっと遠い所なのだという事を思い出し笑ってしまった。
家をこよなく愛していた私が、異世界に居るという事実。
その時、背後から静かな足音が近づいてきた。
振り返ると、そこにはアレクシスが立っていた。
彼は、昼間とは違う、簡素な寝間着姿で、月明かりを背負って立っている。
「眠れないのか」
彼の声は、夜の静けさに溶け込むように、いつもより少しだけ低く響いた。
「アレクシスさんもですか?」
アレクシスは首肯し、私に一歩近づくと、隣の手すりに軽く肘を置いた。
その距離が、普段より少しだけ近く感じる。
彼の視線が、私の横顔を捉えた。
「いつも、俺に新たな視点を与えてくれて、感謝している」
「ど、どうしました? ――ッ」
この道、わが道を往くアレクシスから、殊勝な発言が飛び出し、思わず動揺してカップを揺らしてしまった。
濃茶の雫が指先を濡らした。
すると隣からスッと腕が差し出され、私の指からお茶のカップをとりあげた。
「火傷は?」
「もう温くなってたんで」
「そうか――職人の大切な指に傷をつけるわけにいかないからな」
いや、あなたの料理介助の方がずっと危険な気がするんだけど。
心の中の突っ込みは、かろうじて抑えられた。
なんとなく、空気的に。
今、そういう事を言ってはいけない気がした。
「日本の料理も、この世界の食材に対する君の考察も、そして描かれた俺の姿も……全てが俺を奮い立たせる」
そんな言葉に、なぜか胸の奥がじんわりとする。
事実、彼の言葉は胃に響くことばかりなのだが、この夜の静けさの中での言葉は、不思議と心に染み渡る。
月が中天に浮かぶころ、日中の騒動を泡沫の向こうに追いやり、屋敷中はしんと寝静まりかえっている。
年がら年中、完全夜型生活を送っている私には、朝早く起こされるのも辛く、眠たい昼間を何とか乗り越え、もろもろの作業をこなし迎えた夜に、何故か元気になってしまう。
体内時計が完全にくるっている証拠だ。
睡眠時間は短い筈なのにも関わらず、目が冴えてしまって、少し厨房にお邪魔し、珈琲風の苦みのあるお茶をいただいてきた。
さすが日本人が家主。
フォルジェ王国の食卓は、確かに物足りない味の食事ばかりであるのだが、修羅場中はゼリー飲料や固形栄養などで済ませてしまう私からすれば、不味いというほど酷くは無い。
まあ、空腹じゃなければ別に。
欲を言えばプリンが食べたい。
卵も牛乳代替え品もあるし、砂糖もあるのだから、そのうち作ればいいか。
季節の進み具合が日本より少し早く、肌寒い位だった。
膝掛を肩から包み、ベランダに出る。
虫の鳴き声とすこしひんやりとしたやわらかい風。
それから月光。
視界の先には緑の庭で、街の光は都内のそれよりも断然暗く仄かだ。
しかしながら絵になる。
遠い外国に旅行しに来たような……と考え、外国どころか、もっと遠い所なのだという事を思い出し笑ってしまった。
家をこよなく愛していた私が、異世界に居るという事実。
その時、背後から静かな足音が近づいてきた。
振り返ると、そこにはアレクシスが立っていた。
彼は、昼間とは違う、簡素な寝間着姿で、月明かりを背負って立っている。
「眠れないのか」
彼の声は、夜の静けさに溶け込むように、いつもより少しだけ低く響いた。
「アレクシスさんもですか?」
アレクシスは首肯し、私に一歩近づくと、隣の手すりに軽く肘を置いた。
その距離が、普段より少しだけ近く感じる。
彼の視線が、私の横顔を捉えた。
「いつも、俺に新たな視点を与えてくれて、感謝している」
「ど、どうしました? ――ッ」
この道、わが道を往くアレクシスから、殊勝な発言が飛び出し、思わず動揺してカップを揺らしてしまった。
濃茶の雫が指先を濡らした。
すると隣からスッと腕が差し出され、私の指からお茶のカップをとりあげた。
「火傷は?」
「もう温くなってたんで」
「そうか――職人の大切な指に傷をつけるわけにいかないからな」
いや、あなたの料理介助の方がずっと危険な気がするんだけど。
心の中の突っ込みは、かろうじて抑えられた。
なんとなく、空気的に。
今、そういう事を言ってはいけない気がした。
「日本の料理も、この世界の食材に対する君の考察も、そして描かれた俺の姿も……全てが俺を奮い立たせる」
そんな言葉に、なぜか胸の奥がじんわりとする。
事実、彼の言葉は胃に響くことばかりなのだが、この夜の静けさの中での言葉は、不思議と心に染み渡る。



