え!
ちょっとまって!
まさか、イベントで料理を始めるつもりなの!?
台本にそんなことは一言も書いていない!!!
私の長きにわたる平穏な引きこもり生活は、今日、完全に終焉を迎えると同時に、異世界の王子サマ(仮)は、この世界で新たな『伝説』を作り始めようとしていた。
会場の熱狂は、アレクシスがステージ上でエプロンを締め、食材を並べ始めた途端、最高潮に達した。
私の絶叫寸前の心境とは裏腹に「アレス様が料理するー!」「生クッキング!」と、まさかの展開に大興奮だ。
「我が故郷の料理は、味覚を多少刺激するが、魂を震わせるには至らない。しかし、この世界で学んだ『愛』の真髄は――――料理に新たな生命を吹き込む。実に素晴らしい」
アレクシスはそう高らかに宣言し、手に持った巨大な包丁を器用にくるくると回した。
剣技を思わせる鮮やかな手つきに、会場からは再び割れんばかりの歓声が上がる。
彼はどうやら、イベントというものをいわば、プレゼン的な『自身の料理の腕前を披露し、日本の食文化の奥深さを探求する場』だと認識しているらしい。
だが、問題はここからだった。
「まず、この『攻めのニンジーン』を、細かく刻む! 力強く、そして情熱的にな!」
アレクシスは、勢いよくニンジンを刻み始めた。
剣技仕込みの力加減は、繊細な料理における緻密な作業には全く向かない。
まな板は激しく揺れ、裁断されたニンジンは宙を舞い、中には客席にまで飛び跳ねるものまで現れた。
「キャー! 人参が飛んできた!」
「アレス様の人参!!」
銀テープを追いかけるかの如く、ニンジンと思しき切れ端に、文字通り多くの手が伸ばされる。
しかし、ファンの悲鳴すら、アレクシスにとっては熱烈な応援に聞こえるようで、会場を艶然と見渡すと、次の手順を宣言した。
「次に『受けのジャーガイモ』を……優しく、しかし確固たる意志を持って剥く……」
彼はジャガイモの皮を剥き始めたが、どうやらピーラーの使い方が分かっていないらしい。
ジャガイモの半分以上が皮と共に無残にも削り取られ、見るも無残な姿になる。
「アレクシスさん! それはもったいないから!」
私はステージ袖から思わず叫びそうになったが、鈴村君に口を塞がれた。
「先生! リアルアレスの貴重な姿です! これは演出ですから!」
演出って、こんなにも食材を無駄にするのが演出だというのか!?
私の常識は、彼の行動によってことごとく覆されていく。
そして、クライマックスは『伝説の肉じゃが』。
アレクシスは、煮詰まった鍋の中身を味見しようと、お玉を口に運んだ。
その時、熱気が立ち上る鍋から、突如として湯気と共に謎の光が立ち上った。
「そして――これぞ『愛』の光!」
アレクシスは感動したように目を輝かせたが、それはどう見ても通常の光景ではなかった。
しかも、その光は次第に形を成し、鍋の上空に、紋章らしき――剣と盾、そして魔法陣を組み合わせた意匠のようなもの――がぼんやりと浮かび上がった。
「プロジェクションマッピング!?」
「CG? リアルすぎない!?」
会場は、驚きと興奮、そして若干の恐怖が入り混じったざわめきに包まれた。
確かに今回の連載はファンタジー要素も多く、魔法という概念も作中に登場する。
だからこそ、この可視化された魔法陣の出現は、会場に強烈なインパクトを与えた。
冷静な目で見れば、これは明らかに異常な現象だ。
アレクシス本人は、ただただ満足げに鍋を見つめ、高らかに宣言する。
「完成だ…… これぞ、私の『伝説のニクジャガー』 我が故郷に、この『愛』の味を伝えるために、私はこの料理を極めたのだ」
彼は出来上がった肉じゃがを、麗しい手付きで、丁寧に盛り付け始めた。
その時、彼の背後に、不審な影が忍び寄っていることには、誰も気づいていなかった。



