アレクシスが私の生活圏に現れて以来、私の引きこもりという堅固な平穏は、根底から瓦解の一途を辿っていた。
そして、その破壊の波は、ついに近隣住民との予期せぬ交流にまで波及することになったのだ。
それは、アレクシスが初めて『伝説の味噌汁』なるものに意気込み、その調理に着手した日の出来事である。
彼は包丁の扱いに未だ習熟しておらず、大根の裁断中に、唐突かつけたたましい音を立て、まな板ごと床に落としてしまったのだ。
「……ダイコーンが、床に散らばってしまったな」
ええい、大根を落としたくらいでそんな無駄に良い声(低音)で絶望するな。
彼の悲痛な声が響き渡った、まさにその刹那。玄関のチャイムが鳴り響く。
私は反射的にギョッとした。
こんな時間に、一体誰が訪れるというのか。
インターホン越しに覗くと、そこに立っていたのは、日頃から非常階段など共用箇所の清掃を率先して行ってくれる、穏やかな面持ちの老婦人であった。
一応、面識はある。
「何かあったのかしら? すごい音がしたから、心配で」
「あ、いえ、なんでもないですよ! ちょっと大掃除をしていて! うるさくしてすいません!」
私は慌てて取り繕う。
しかし、アレクシスはそんな私の焦燥など意に介する様子もなく、玄関のドアを開けようと無造作に手を伸ばす。
「助けの手は、いくつあってもいいだろう?」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
私の切迫した制止も虚しく、アレクシスは躊躇なくドアを開け放ってしまった。
そこに現出したのは、床に無残に散らばった大根の破片、白いシャツに卵の染みをつけたままの類稀なる美貌の男、そして、その光景を前に呆然と立ち尽くす老婦人の姿であった。
「あら、ご主人は外国人の方だったのねぇ。まぁ、背が高くて素敵だこと」
老婦人は、アレクシスを一瞥するや否や、その眼差しを輝かせた。
アレクシスは、その言葉の真意を完全に理解しきれていないようだったが、持ち前の愛想の良さで艶やかに微笑み返す。
「俺がアヤノの夫……? なるほど。俺はこの家で、彼女の食料庫と厨房を守る者だからな」
そう言いながら誇らしげに胸を張り、礼儀正しく老婦人の手を握ろうと歩み寄った。
映画スターか。
私は慌てて彼の腕を掴み、寸前で引き戻す。
「違います! 夫じゃないです! 彼はただの隣人で、今、ちょっと……」
私は必死で状況を説明しようと試みるが、老婦人の耳にはもう私の言葉など届いていないようだった。
彼女の視線は、完全にアレクシスに釘付けになっている。
「あらあら、そうなの。でも、仲良しさんなのねぇ。また何かあったら言ってちょうだいね」
そう言って、老婦人はニコニコと朗らかな表情で立ち去っていった。
しかし、その顔には、どこか「面白いものを見つけた」というような、底知れぬ好奇心が満ち溢れていた。
そして、その破壊の波は、ついに近隣住民との予期せぬ交流にまで波及することになったのだ。
それは、アレクシスが初めて『伝説の味噌汁』なるものに意気込み、その調理に着手した日の出来事である。
彼は包丁の扱いに未だ習熟しておらず、大根の裁断中に、唐突かつけたたましい音を立て、まな板ごと床に落としてしまったのだ。
「……ダイコーンが、床に散らばってしまったな」
ええい、大根を落としたくらいでそんな無駄に良い声(低音)で絶望するな。
彼の悲痛な声が響き渡った、まさにその刹那。玄関のチャイムが鳴り響く。
私は反射的にギョッとした。
こんな時間に、一体誰が訪れるというのか。
インターホン越しに覗くと、そこに立っていたのは、日頃から非常階段など共用箇所の清掃を率先して行ってくれる、穏やかな面持ちの老婦人であった。
一応、面識はある。
「何かあったのかしら? すごい音がしたから、心配で」
「あ、いえ、なんでもないですよ! ちょっと大掃除をしていて! うるさくしてすいません!」
私は慌てて取り繕う。
しかし、アレクシスはそんな私の焦燥など意に介する様子もなく、玄関のドアを開けようと無造作に手を伸ばす。
「助けの手は、いくつあってもいいだろう?」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
私の切迫した制止も虚しく、アレクシスは躊躇なくドアを開け放ってしまった。
そこに現出したのは、床に無残に散らばった大根の破片、白いシャツに卵の染みをつけたままの類稀なる美貌の男、そして、その光景を前に呆然と立ち尽くす老婦人の姿であった。
「あら、ご主人は外国人の方だったのねぇ。まぁ、背が高くて素敵だこと」
老婦人は、アレクシスを一瞥するや否や、その眼差しを輝かせた。
アレクシスは、その言葉の真意を完全に理解しきれていないようだったが、持ち前の愛想の良さで艶やかに微笑み返す。
「俺がアヤノの夫……? なるほど。俺はこの家で、彼女の食料庫と厨房を守る者だからな」
そう言いながら誇らしげに胸を張り、礼儀正しく老婦人の手を握ろうと歩み寄った。
映画スターか。
私は慌てて彼の腕を掴み、寸前で引き戻す。
「違います! 夫じゃないです! 彼はただの隣人で、今、ちょっと……」
私は必死で状況を説明しようと試みるが、老婦人の耳にはもう私の言葉など届いていないようだった。
彼女の視線は、完全にアレクシスに釘付けになっている。
「あらあら、そうなの。でも、仲良しさんなのねぇ。また何かあったら言ってちょうだいね」
そう言って、老婦人はニコニコと朗らかな表情で立ち去っていった。
しかし、その顔には、どこか「面白いものを見つけた」というような、底知れぬ好奇心が満ち溢れていた。



