食べ終わった後、アレクシスは満ち足りた表情でソファにもたれかかった。
「礼を言う、アヤノ。おかげで腹が満たされた」
「いえ、どういたしまして。それより、あの鍵なんですけど」
食事をふるまったんだから、そろそろ返してもいいだろう。
そう思って話を切り出すと、アレクシスの顔から途端に笑顔が消えた。
「いや、それは困る」
「だから、困るのは私だって言ってるじゃないですか。これ以上、他人の部屋の鍵を持つのは……」
そう言って、私はキーラックにぶら下がった鍵を指差した。
私の部屋の鍵と、あの真新しい鍵。
二つ並んでいると、まるで只ならぬ間柄同士の鍵のように見えてしまう。
ぞっとする。
「しかし、俺の部屋は……まだ、何もない。仕事の準備もできていない」
彼は困ったように眉を下げ、私の室内を見回した。
確かに、彼の部屋――天蓋付きベッドと木箱だらけ――では、生活できるとは言いがたい。
「仕事の準備って、具体的に何をされるんですか? 出張でいらしてるんですか?」
私が尋ねると、アレクシスは少し考えてから、真剣な顔で言った。
「俺はこの世界で、そうだな――伝説の料理人となるべく、修行せねばならないのだ」
――は?
私は思わず、手に持っていたマグカップを取り落としそうになった。
伝説の料理人?
金塊を持っているような人が、なぜ?
しかも、あんなに世間知らずで、食材を果物ばかり買い込むような人間が、料理人?
私の思考は完全にフリーズした。目の前のイケメンは、どこからどう見ても、世間知らずのお坊ちゃまか宇宙から降りてきた異星人、あるいは異世界から来た王子様でしかなかった。
だが、その口から飛び出した言葉は、私の想像をはるかに超えていた。
「伝説の……料理人、ですか」
ようやく絞り出した声は、完全に棒読みだった。
「ああ。そのためにも、アヤノには……そうだな。俺の食料庫と厨房になってもらわねば困る」
そう言って、アレクシスはキラキラと輝く瞳で私を見つめた。
まるで、散歩に飽きたゴールデンレトリバーがおやつをねだるかのように。
私は、彼のその言葉の意味を、この時点ではまだ正確には理解していなかった。
「しょく、りょうこ? ちゅうぼう?」
完全に思考停止する。
伝説の料理人、という突拍子もない言葉に、彼の瞳に宿る純粋な輝き。
まるで、それが当然の摂理であるかのように、アレクシスは言い放ったのだ。
「ああ、そうだ。うむ。この異世界で生きる術を学ぶために、そして我が国の食文化を豊かにするためにも、俺は――伝説の料理人とならねばならなくなったようだ。そのためには、アヤノの持つ知識と技術と、その厨房が必要不可欠なのだ」



