柚葉はしばらくスマートフォンの画面を見つめていた。そして、《明日の夕方に伺えます。》と返信して、スマートフォンを枕元に伏せて置き、おもむろに昼間にもらった新商品の日本酒の蓋を捻った。明日感想を言うために、一口含んでみる。すると、白露山とは違った風味が広がっていき、フルーティーな後味が飲みやすくて、どんどん進んでしまう。これも、なかなか良いかも。
窓から真っ暗な海を眺めて、波の音を聞きながら、ゆっくりと楽しむ。そして、気づけば飲み干してしまっていた。すると急に眠気が襲ってきて、布団の中に潜り込んだ。
◇
翌朝、五時のアラーム音に起こされた。昨晩早く眠りについたせいか、目覚めはとても良い。
今日は、おかげ横丁でのイベント最終日で、八時からの設営に間に合わせなければならない。七時にチェックアウトするから、朝食も自動的にスキップになる。
スマートフォンを見ると、《夕方、大丈夫です。お待ちしています。》と川瀬から返信が来ていた。帰京する前に寄ってみよう。
まだ太陽が昇らない静かな海を一瞬眺めてから、柚葉は一人で内風呂に向かった。貸切の小さな湯船に、温泉が流れる音だけが響いている。窓の外はまだ群青色で、水平線のあたりだけがうっすらと明るい。柚葉は肩まで浸かって、しばらく何も考えずに、その明るくなっていく境目を眺めていた。
風呂から上がったら部屋に戻り、身支度を済ませ、昨日購入した自家焙煎のコーヒーを、備え付けの電気ケトルで沸かしたお湯でドリップしていく。少量のお湯でたちまち部屋中がコーヒーの香りに包まれる。それを二回繰り返すといい感じにコーヒーが入った。飲んでみると、深煎りで頭がシャキッとする感じ。
次に、冷蔵庫から紙箱を取り出して、栗きんとんのモンブランと対面する。それは思っていたより小ぶりで、和栗のペーストがみっしりと絞られていた。備品のスプーンで一口頬張ると、栗の甘さと渋皮の苦味が、濃厚だけどあっさりとしている。乳製品より和栗が主役だからだろうか。コーヒーと合わさると、また違った印象になる。
朝食としてはカロリーが高すぎるかもしれないが、今日は特別な朝だからいいことにしよう。中心のメレンゲにスプーンを入れると、サクっと音をたてる――この音が好き。中から出て来たキャラメルソースと栗の相性も最高だった。
コーヒーを飲んで、口内を落ち着かせてからメイクを軽く直す。そして、荷造りをし、忘れ物がないかを確認して宿を出た。
スーツケースを後部座席に積み込み、赤いコンパクトカーのエンジンをかけて、ナビをおかげ横丁の市営駐車場にセットする。
早朝の道は空いていて、三十五分ほどで伊勢の街並みが見えてきた。目的地の駐車場にレンタカーを停める。朝の八時前ということもあり、広い駐車場はまだガラガラだった。車を降りると、徒歩数分でおかげ横丁のイベント会場へ向かう。朝の澄んだ空気の中を歩くのは気持ちいいものだ。
到着すると、最終日は朝だからバックヤードは、出展者が勢ぞろいしていた。それぞれが商品を運び入れたり、陳列したりで慌ただしい。柚葉のブースも設営がはじまっている。週末ということもあり、在庫を確認しながら、足りないものがないか一つずつチェックしていく。
午前十時に開場して、オープン時は客足が途切れなかったが、昼を過ぎる頃には、現地スタッフだけでも回せる状態になっていた。
ブースを一周しながら最終確認し、柚葉は時計を見る。川瀬との約束までは、まだ少し余裕があるから、スタッフが全員休憩から戻ったら、そろそろ引き上げさせてもらおう。お腹も空いてきたし。
「じゃあ、午後はお願いします」
「森谷さん、京都に戻られるんですよね?」
「うん。その前に、ちょっと寄るところがあるけどね……」
「頑張ってください」と声をかけられて「頑張る」と答える。現地スタッフに引き継ぎを行い、笑顔で見送られ、柚葉は会場を後にした。
せっかく伊勢に来たのだから、最後にもう一つ食べておきたいものがある。毎回締めはこれだ。
その店に行く途中に、行きつけの七味屋へ立ち寄る。京都にも七味屋は沢山あるのに、柚葉のお気に入りはここの柚子七味だ。小さな袋に入れられたものでも、一年に一度買っておけば事足りる。この店の七味は柚子の香りがとても強い。地元の柚子を使っているからかも。ひとパック余分に買っておく。誰に渡すかは、まだ決めていない。
数分歩いて、おかげ横丁で人気の伊勢うどんの店に入った。
もっちりとした太い麺は箸で持ち上げるとふるっと揺れ、甘辛いたまり醤油のたれは黒々としているが、見た目より優しい味がする。昆布や鰹節の出汁とたまり醤油だけで勝負する潔さが、柚葉は好きだった。フランスで食べた、複雑に重ね合わせるソースの料理とは真逆の、削ぎ落とされた引き算の美学。それでも、これは完成された味なのだ。
実は柚葉は甘いたれが苦手だったのに、伊勢うどんを知ってからは、甘じょっぱいたれが好きになった。典型的な食わず嫌いだったと思う。うどんは透き通った出汁と控え目な醤油が合うと思い込んでいたから。
「……やっぱり、これ好き」
あおさと、ネギ、卵黄、薄揚げのトッピングが賑やかだ。柚子七味を少量加えて、太い麺とあおさが、たれと混ざりあうと最高で、さらに卵黄を崩すと濃厚さが加わる。これが、一番伊勢らしい食べ物な気がする。他の土地にはないものだから。
きれいに平らげると、店を出て駐車場へ車を取りに行く。
そして、伊勢インターへ向かう道から少しだけ外れた白露酒造へ向かった。
窓から真っ暗な海を眺めて、波の音を聞きながら、ゆっくりと楽しむ。そして、気づけば飲み干してしまっていた。すると急に眠気が襲ってきて、布団の中に潜り込んだ。
◇
翌朝、五時のアラーム音に起こされた。昨晩早く眠りについたせいか、目覚めはとても良い。
今日は、おかげ横丁でのイベント最終日で、八時からの設営に間に合わせなければならない。七時にチェックアウトするから、朝食も自動的にスキップになる。
スマートフォンを見ると、《夕方、大丈夫です。お待ちしています。》と川瀬から返信が来ていた。帰京する前に寄ってみよう。
まだ太陽が昇らない静かな海を一瞬眺めてから、柚葉は一人で内風呂に向かった。貸切の小さな湯船に、温泉が流れる音だけが響いている。窓の外はまだ群青色で、水平線のあたりだけがうっすらと明るい。柚葉は肩まで浸かって、しばらく何も考えずに、その明るくなっていく境目を眺めていた。
風呂から上がったら部屋に戻り、身支度を済ませ、昨日購入した自家焙煎のコーヒーを、備え付けの電気ケトルで沸かしたお湯でドリップしていく。少量のお湯でたちまち部屋中がコーヒーの香りに包まれる。それを二回繰り返すといい感じにコーヒーが入った。飲んでみると、深煎りで頭がシャキッとする感じ。
次に、冷蔵庫から紙箱を取り出して、栗きんとんのモンブランと対面する。それは思っていたより小ぶりで、和栗のペーストがみっしりと絞られていた。備品のスプーンで一口頬張ると、栗の甘さと渋皮の苦味が、濃厚だけどあっさりとしている。乳製品より和栗が主役だからだろうか。コーヒーと合わさると、また違った印象になる。
朝食としてはカロリーが高すぎるかもしれないが、今日は特別な朝だからいいことにしよう。中心のメレンゲにスプーンを入れると、サクっと音をたてる――この音が好き。中から出て来たキャラメルソースと栗の相性も最高だった。
コーヒーを飲んで、口内を落ち着かせてからメイクを軽く直す。そして、荷造りをし、忘れ物がないかを確認して宿を出た。
スーツケースを後部座席に積み込み、赤いコンパクトカーのエンジンをかけて、ナビをおかげ横丁の市営駐車場にセットする。
早朝の道は空いていて、三十五分ほどで伊勢の街並みが見えてきた。目的地の駐車場にレンタカーを停める。朝の八時前ということもあり、広い駐車場はまだガラガラだった。車を降りると、徒歩数分でおかげ横丁のイベント会場へ向かう。朝の澄んだ空気の中を歩くのは気持ちいいものだ。
到着すると、最終日は朝だからバックヤードは、出展者が勢ぞろいしていた。それぞれが商品を運び入れたり、陳列したりで慌ただしい。柚葉のブースも設営がはじまっている。週末ということもあり、在庫を確認しながら、足りないものがないか一つずつチェックしていく。
午前十時に開場して、オープン時は客足が途切れなかったが、昼を過ぎる頃には、現地スタッフだけでも回せる状態になっていた。
ブースを一周しながら最終確認し、柚葉は時計を見る。川瀬との約束までは、まだ少し余裕があるから、スタッフが全員休憩から戻ったら、そろそろ引き上げさせてもらおう。お腹も空いてきたし。
「じゃあ、午後はお願いします」
「森谷さん、京都に戻られるんですよね?」
「うん。その前に、ちょっと寄るところがあるけどね……」
「頑張ってください」と声をかけられて「頑張る」と答える。現地スタッフに引き継ぎを行い、笑顔で見送られ、柚葉は会場を後にした。
せっかく伊勢に来たのだから、最後にもう一つ食べておきたいものがある。毎回締めはこれだ。
その店に行く途中に、行きつけの七味屋へ立ち寄る。京都にも七味屋は沢山あるのに、柚葉のお気に入りはここの柚子七味だ。小さな袋に入れられたものでも、一年に一度買っておけば事足りる。この店の七味は柚子の香りがとても強い。地元の柚子を使っているからかも。ひとパック余分に買っておく。誰に渡すかは、まだ決めていない。
数分歩いて、おかげ横丁で人気の伊勢うどんの店に入った。
もっちりとした太い麺は箸で持ち上げるとふるっと揺れ、甘辛いたまり醤油のたれは黒々としているが、見た目より優しい味がする。昆布や鰹節の出汁とたまり醤油だけで勝負する潔さが、柚葉は好きだった。フランスで食べた、複雑に重ね合わせるソースの料理とは真逆の、削ぎ落とされた引き算の美学。それでも、これは完成された味なのだ。
実は柚葉は甘いたれが苦手だったのに、伊勢うどんを知ってからは、甘じょっぱいたれが好きになった。典型的な食わず嫌いだったと思う。うどんは透き通った出汁と控え目な醤油が合うと思い込んでいたから。
「……やっぱり、これ好き」
あおさと、ネギ、卵黄、薄揚げのトッピングが賑やかだ。柚子七味を少量加えて、太い麺とあおさが、たれと混ざりあうと最高で、さらに卵黄を崩すと濃厚さが加わる。これが、一番伊勢らしい食べ物な気がする。他の土地にはないものだから。
きれいに平らげると、店を出て駐車場へ車を取りに行く。
そして、伊勢インターへ向かう道から少しだけ外れた白露酒造へ向かった。



