森谷柚葉のひとり牡蠣

 午後三時、牡蠣小屋の食べ放題が終了した。

 テーブルの上を綺麗にして、宿まで歩いていく。
 アルコールも摂取したし、ほろ酔い気分で、ゆっくりと散歩がてら海沿いを歩いてみる。牡蠣を食べ過ぎて、お腹がいっぱいだ。バケツの殻は数えていないけれど、五十個はあったと思う。食べ放題だから、よく食べる人ならもっと数が多い。牡蠣小屋が赤字にならないか心配だ。

 昼間というのもあって、そこまで寒さは感じないし、久しぶりに潮の香りを浴びて、かなり気分が良い。ふと川瀬との会話を振り返る――でも今は頭が働かない。

 三十分程ぶらついて、宿に戻った。やはり、この辺りはコンビニとかもないから、文明から離れて自分を見つめなおすには良い場所かもしれない。必要なものはスーツケースに常備しておけば何とかなるし。

 本来の宿泊先は、会社が手配した伊勢のホテルだったが、今回は自腹で差額を払って、鳥羽の温泉宿に変更した。半休というのもあるし、上司には毎年鳥羽の牡蠣小屋に行っていることも知られているため、許可が下りた。

 宿の女将によると、今日は柚葉ともう一組しか宿泊客がいないという。だから、二つしかない内湯は、それぞれの部屋の貸切りにしてもらえた。三年連続で泊まっているからか、良くしてくれているのかもしれない。

 早速、浴衣を持って内湯の温泉に入りに行く。貸し切り風呂は本当に贅沢だ。ゆっくりと浸かって、疲れをとる。無色透明の泉質でさっぱりとしたアルカリ泉だから、長く入れてしまう。方角的に太陽は見えないが、空と海が静かに茜色に染まっていくのをただ眺める。

 のぼせる前に内湯から上がり、部屋に戻って、窓から暗くなり始めた鳥羽の海に視線を移す。たまに船の灯りが見えるけれど、暗がりに動く波の様子と、波の音に耳をすませる。ここは車の音もあまり聞こえないから、その静寂だけを楽しむ。

 夕食の時間になったので、指定の部屋へ向かう。宴会場のようなところが、敷居で二部屋に区切られている。もう一組の年配のご夫婦と視線が合ってしまったから、軽く会釈してから席につく。

 既に前菜や冷たいお料理がテーブルに置かれていた。アカモクの小鉢、ひじきの煮物とナマコのおろし和えだ。また父の影響だけど、ナマコは幼い頃からの柚葉の好物である。こちらのナマコは柚子酢で漬けられていたが、父はだいだい酢で漬けていた。その違い以外はとても似ていて、また懐かしくなる。お正月に実家に帰ったら食べたいな。

 仲居に「お飲み物はいかがですか?」と聞かれて「日本酒のお勧めはありますか」と質問すると、地元の蔵の日本酒スパークリングを教えてもらう。ブリュットタイプで辛口だそう。好みに合いそうだからそれに決める。

 すぐに運ばれてきたので、冷えたフルートグラスに注いでみる。微粒子の泡がシュワシュワとして、勢いよく弾ける。数秒眺めてから一口含んでみると、確かにドライさがいい感じだ。

 そこに、女将が舟盛りを運んできた。木の舟の上に、伊勢や鳥羽で採れた鮮魚が盛りつけられている。伊勢海老と鮑と、平貝、ミル貝、イカ、タコ、真鯛、ヒラメ、スズキ……。種類が多くて毎回驚く。

 伊勢海老を一切れ、口に運ぶ――美味しい。上品な甘さで、程よい弾力だ。昼間の牡蠣とは違う種類の美味しさ。柚葉はどちらが好きかを、決めるつもりはないし、比較するものではないと思っている。でも食いしん坊なのでどちらも好き。

 一人で食べる夕食は、誰かに気を遣う必要がない代わりに、味の感想を分け合う相手もいない。それでも柚葉は、この静けさの方が性に合っていた。舟盛りの隅から隅まで、自分のペースで食べれるし。

 この日本酒スパークリングと刺身の相性は最高だった。辛口の白葡萄のブリュットよりは少々重たい。それが、和食にはとても合うと思った。

 その後は、メバルの煮つけ、牡蠣フライ、焼き牡蠣もついていた。昼間にも食べたのに、こちらも完食。しめには、牡蠣飯と、伊勢海老の味噌汁。この味噌汁は本日二回目だ。実は明日の朝食用だけど、柚葉が朝食をスキップすることが決まっていたから、夜にだしてくれたそう。デザートのフルーツまでいただいた時には、お腹がいっぱいではち切れそうだった。

 食後、部屋に戻ると、スマートフォンが一件のメールを受信していた。差出人は、川瀬だった。
 本文は短く、《もう一度、話を聞いてもらえますか。 川瀬蓮生》とだけだった。詳しい用件も、日時の指定もない。