京都の夏は想像以上に暑かった。紅葉や桜の季節はかなり過ごしやすいし、来て良かったなって思うけれど、この季節だけは未だに慣れない。
――再び、あの夏がやってくる。
俺、夏田京は、長野から京都の大学に進学して二年目を迎えた。
『おばんざい花鞠』の前に着くと紫陽花の鉢植えが出迎えてくれる。暖簾をくぐろうとしたけど、一旦路地裏でスマートフォンを取り出して、鏡アプリを開いて自分の顔を覗き込む。
口角を持ち上げて、目を少し細めたり、丸く見開いたりして……全然ダメだ。やっぱり引きつってる……。見た目だけは馴染んだはずなのに、笑い方だけは、いつまで経っても「それっぽく」ならない。
「……はぁ」
いまいちすぎる。でも、これでも随分とマシになったと思う。一年前の自分は本当に酷かったから……。
小さく息を吐き、画面を切り替えると、検索履歴が並んでいる。
『大学生 陽キャ ノリ 練習』
『関西弁 かわいい 返し方』
『接客 明るい声 のりのいい喋り方』
長野の山奥で自然に囲まれて育った俺は、染めたことのない黒髪と、量販店で買った野暮ったい服でもなんとかなると思っていた。雑誌の中の人は東京とかにしかいないと思っていたからだ。しかし、ここ京都は、それ以上に個性派だらけで面食らった。
俺の学科は建築学科だけど、工学部なのにダサい人が俺しかいない。垢抜けた陽キャばかりで、周りの雰囲気にただただ圧倒され、毎日落ち込んでいた。
田舎から出てきた俺が、生まれたままの姿でいることは、ここに馴染むことを諦めるということだ。
だから、俺は生まれ変わることにした。まずは、外見から――。
『大学生 メンズ 髪型 京都』で検索して、それらしい美容室を見つけ、勇気を振り絞って予約を入れた。もちろん、地元ではこのようなオシャレな所には行ったことがない。
「京都の大学生っぽく、浮かない感じにしてください」と震えた声で人気の美容師さんにオーダーすると、笑顔で「任せてください」と施術が始まり、慣れた手つきで無駄にサラサラした黒髪を、今どきのシルエットに仕上げてくれた。
美容師さん曰く、色白だから黒髪が似合うらしく、カットだけでも見違えるくらい変わった。ブルベど真ん中というやつみたいだ。カラーは無しにしたから少し予算は浮いたし、「めっちゃイケメンになりましたね」と言ってもらえて、ちょっと喜んだ。
服も今までの着心地がいいものは部屋着にして、流行りのブランドをネットで一つひとつ調べて買い揃えた。これで、陽キャ武装は完璧。
次に、話し方と立ち振る舞い、人間関係の構築に進んだ。
一年かけて、少しずつ「京都で浮かない自分」を積み上げてきたから、今の外見で判断されるなら、どこからどう見ても今どきの大学生にしか見えないはずだ。事実、『おばんざい花鞠』の面接で採用されたのも、陽キャ武装後だった。
飲食店の面接は、外見も重要だと過去の失敗から学び、しっかりと準備した今回は、普通に受かった。以前は、バイトの面接には落ちまくっていたから。
でも、一番重要な中身は、そう簡単には変えられない――。
『おばんざい花鞠』は、京都でも指折りの人気店だ。何がそんなに人を集めるのか分からないけれど、バイトにはビジュや愛想もノリも良い、いわゆる一軍の大学生が勢ぞろいしている。
この一軍だらけの職場で、浮かないためには、必死に擬態するしかない。バレないように、馬鹿にされないように――それだけを考えて持ち場につき、本日のランチ予約の状況を把握する。今日もほぼ満席だ。バイト二日目がんばるぞ。
「いらっしゃいませーっ! こちらのお席へどうぞっ!」
口から飛び出したのは、自分でも引くくらいのテンション高めの声だ。作務衣に身を包み、満面の笑みを浮かべながら、御予約のお客様を席に案内する。
「本日のおすすめは加茂茄子の田楽っす! めっちゃ美味しいんで、マジで頼まな損っすよ!」
「あら、お兄さん元気が良くてお薦め上手やね。じゃあそれ頂くわ」
「うっす! ありがとうございますっ!」
お客さんが穏やかな表情になっていたことを確認して、成功した、と嬉しさを噛みしめると同時に、胃の奥がキリキリと痛む。注文をハンディーで飛ばしてから、客席から厨房裏の通路へ足を踏み入れた瞬間――俺の仮面は一秒で崩壊する。
「……っはあぁぁぁ……」
壁にもたれて、ずるずるとその場にしゃがみ込み、魂が口から抜け出たように脱力して、荒い息を吐く。
「京ちゃん、お疲れさん。今日もハイテンションやな!」
「ひゃいっ!?」
頭上から降ってきた低い声に飛び起きると、作務衣の袖をまくった西園寺修先輩が、ニヤニヤしながらすぐ後ろに立っていた。教育係だから、ずっと監視しているのかもしれない。少し長めの前髪の隙間から覗く瞳から、面白がっているのが伝わってくる。
「し、修先輩……! いつから……」
「『マジで頼まな損っすよ』らへんからかな」
「うわぁっ……」
血の気が引き、顔が爆発しそうになって手で覆うと、先輩はくすくすと喉を鳴らして、ぽんぽんと優しく俺の頭を撫でてくれる。
「そんな全力で接客せんでも、誰も怒らへんで? なんか、無理してへん? 裏に入った瞬間の京ちゃん、まるで幽体離脱した妖怪みたいやったし」
「ようかい……っですか」
「うん。まあ、そういう必死なとこも、めちゃくちゃかわええんやけどな」
さらりと言い捨てて、人差し指で俺の頬をツンツンっと押してから、厨房へ戻っていく。触れられた場所が、なんか熱い――。
落ち着け俺。揶揄われてるだけだぞ? 誰にでもこういうことする人なんだ。修先輩は陽キャなんだから――。
そう思おうとしても、心臓は勝手にうるさく鳴っていた。
――再び、あの夏がやってくる。
俺、夏田京は、長野から京都の大学に進学して二年目を迎えた。
『おばんざい花鞠』の前に着くと紫陽花の鉢植えが出迎えてくれる。暖簾をくぐろうとしたけど、一旦路地裏でスマートフォンを取り出して、鏡アプリを開いて自分の顔を覗き込む。
口角を持ち上げて、目を少し細めたり、丸く見開いたりして……全然ダメだ。やっぱり引きつってる……。見た目だけは馴染んだはずなのに、笑い方だけは、いつまで経っても「それっぽく」ならない。
「……はぁ」
いまいちすぎる。でも、これでも随分とマシになったと思う。一年前の自分は本当に酷かったから……。
小さく息を吐き、画面を切り替えると、検索履歴が並んでいる。
『大学生 陽キャ ノリ 練習』
『関西弁 かわいい 返し方』
『接客 明るい声 のりのいい喋り方』
長野の山奥で自然に囲まれて育った俺は、染めたことのない黒髪と、量販店で買った野暮ったい服でもなんとかなると思っていた。雑誌の中の人は東京とかにしかいないと思っていたからだ。しかし、ここ京都は、それ以上に個性派だらけで面食らった。
俺の学科は建築学科だけど、工学部なのにダサい人が俺しかいない。垢抜けた陽キャばかりで、周りの雰囲気にただただ圧倒され、毎日落ち込んでいた。
田舎から出てきた俺が、生まれたままの姿でいることは、ここに馴染むことを諦めるということだ。
だから、俺は生まれ変わることにした。まずは、外見から――。
『大学生 メンズ 髪型 京都』で検索して、それらしい美容室を見つけ、勇気を振り絞って予約を入れた。もちろん、地元ではこのようなオシャレな所には行ったことがない。
「京都の大学生っぽく、浮かない感じにしてください」と震えた声で人気の美容師さんにオーダーすると、笑顔で「任せてください」と施術が始まり、慣れた手つきで無駄にサラサラした黒髪を、今どきのシルエットに仕上げてくれた。
美容師さん曰く、色白だから黒髪が似合うらしく、カットだけでも見違えるくらい変わった。ブルベど真ん中というやつみたいだ。カラーは無しにしたから少し予算は浮いたし、「めっちゃイケメンになりましたね」と言ってもらえて、ちょっと喜んだ。
服も今までの着心地がいいものは部屋着にして、流行りのブランドをネットで一つひとつ調べて買い揃えた。これで、陽キャ武装は完璧。
次に、話し方と立ち振る舞い、人間関係の構築に進んだ。
一年かけて、少しずつ「京都で浮かない自分」を積み上げてきたから、今の外見で判断されるなら、どこからどう見ても今どきの大学生にしか見えないはずだ。事実、『おばんざい花鞠』の面接で採用されたのも、陽キャ武装後だった。
飲食店の面接は、外見も重要だと過去の失敗から学び、しっかりと準備した今回は、普通に受かった。以前は、バイトの面接には落ちまくっていたから。
でも、一番重要な中身は、そう簡単には変えられない――。
『おばんざい花鞠』は、京都でも指折りの人気店だ。何がそんなに人を集めるのか分からないけれど、バイトにはビジュや愛想もノリも良い、いわゆる一軍の大学生が勢ぞろいしている。
この一軍だらけの職場で、浮かないためには、必死に擬態するしかない。バレないように、馬鹿にされないように――それだけを考えて持ち場につき、本日のランチ予約の状況を把握する。今日もほぼ満席だ。バイト二日目がんばるぞ。
「いらっしゃいませーっ! こちらのお席へどうぞっ!」
口から飛び出したのは、自分でも引くくらいのテンション高めの声だ。作務衣に身を包み、満面の笑みを浮かべながら、御予約のお客様を席に案内する。
「本日のおすすめは加茂茄子の田楽っす! めっちゃ美味しいんで、マジで頼まな損っすよ!」
「あら、お兄さん元気が良くてお薦め上手やね。じゃあそれ頂くわ」
「うっす! ありがとうございますっ!」
お客さんが穏やかな表情になっていたことを確認して、成功した、と嬉しさを噛みしめると同時に、胃の奥がキリキリと痛む。注文をハンディーで飛ばしてから、客席から厨房裏の通路へ足を踏み入れた瞬間――俺の仮面は一秒で崩壊する。
「……っはあぁぁぁ……」
壁にもたれて、ずるずるとその場にしゃがみ込み、魂が口から抜け出たように脱力して、荒い息を吐く。
「京ちゃん、お疲れさん。今日もハイテンションやな!」
「ひゃいっ!?」
頭上から降ってきた低い声に飛び起きると、作務衣の袖をまくった西園寺修先輩が、ニヤニヤしながらすぐ後ろに立っていた。教育係だから、ずっと監視しているのかもしれない。少し長めの前髪の隙間から覗く瞳から、面白がっているのが伝わってくる。
「し、修先輩……! いつから……」
「『マジで頼まな損っすよ』らへんからかな」
「うわぁっ……」
血の気が引き、顔が爆発しそうになって手で覆うと、先輩はくすくすと喉を鳴らして、ぽんぽんと優しく俺の頭を撫でてくれる。
「そんな全力で接客せんでも、誰も怒らへんで? なんか、無理してへん? 裏に入った瞬間の京ちゃん、まるで幽体離脱した妖怪みたいやったし」
「ようかい……っですか」
「うん。まあ、そういう必死なとこも、めちゃくちゃかわええんやけどな」
さらりと言い捨てて、人差し指で俺の頬をツンツンっと押してから、厨房へ戻っていく。触れられた場所が、なんか熱い――。
落ち着け俺。揶揄われてるだけだぞ? 誰にでもこういうことする人なんだ。修先輩は陽キャなんだから――。
そう思おうとしても、心臓は勝手にうるさく鳴っていた。



