君を好きになる前に

午後からは、怒涛の勢いで時間が流れた。

あれは終わった?これはどうする?
あっちはあれでいいの?
これはやった?
‥‥うわ、まだやってない!

目まぐるしく業務進捗の会話や怒号が飛び交う。

そして気づけばあっという間に、
時間は定刻のチャイムがなる5分前になっていた。

「ああ、ようやく完成した‥‥」

うるうるとした声でニーナが言う。
隣に立つレイジも、感極まって言葉にならない様子だった。

二人の視線の先には‥‥。
まるでちょっとした美術館のような、厳かな雰囲気のブースが完成していた。

「みんなお疲れ!
本当に本当に本っ当にありがとう!
二人が手伝ってくれたおかげだよ!」

「俺たちだけだったらこんな時間に終わらなかった。
最悪、徹夜してたかも‥‥。感謝してもしきれないよ‥‥」

なんて目を潤ませながら、それぞれ二人は感慨深く感謝の言葉を口々に言う。

その達成感や喜びは、ほんの一週間ほど前にジョイントしただけのヨウジやつばめにも十分伝わっていた。

「こっちこそ、お疲れさま!
俺らよりずっと二人の方が大変だっただろ」

「ニーナ、レイジ。
明日はいい文化祭になるといいな。
てか‥‥いい文化祭にしよう!」


「イェ───イ!」

思わず、その場でみんなで順番にハイタッチする。


ニーナからつばめ。
つばめから、レイジ。

そして‥‥レイジからヨウジ。

「‥‥‥‥‥」

最後は心なしかバチバチと牽制し合うような視線を交わしながらも、心ゆくまで喜びを噛み締める。


そして、ニーナが言う。

「じゃああとは‥‥。
レイジくんのアトリエの掃除だけだね」

その言葉に頷くと、四人は一斉に美術部準備室を見た。

そう。

今回、演劇部のポスター制作のためにと、レイジは特例で準備室をアトリエとして使わせてもらっていたが‥‥。

あの場所の清掃が、まだ手付かずだったのだ。

当日はあそこが部員の休憩室になる予定なので、演劇部への絵の納品が終わり次第、すみやかに明け渡さないといけない。

「‥‥あ、それはもちろん、俺がやる!
私物ばっかだし、俺のためにみんなが用意してくれたスペースだし、責任もって片付けます!」

あわあわとした様子でレイジが言う。

「それに、みんなも疲れたでしょ?
明日が本番なんだから、今日は帰ってゆっくり休んで。
こっちは物さえ片付ければ一時間もかからず終わるから」

レイジはそういうと、ゴミ袋をもって美術部準備室に向かう。

「いやいや‥絶対オマエだけじゃムリだって!」

つばめは呆れた様子で、頭を横にふって呼び止めた。

少し思い出すだけでも、どんどん増えていった大量のクロッキーや紙くず。

絵の具や画材の散らばった、物だらけのカオスな空間。

あれを一人で一時間で片付けるなんて到底無理な話で、あまりにもレイジの見立ては甘すぎる。

"元の自分に戻りたい"とつばめが言った時は、たった一日で大量の資料を集めてきたり、前に指を怪我した時もそうだったが、いつも他人にばかり尽くしていざ自分の事となると途端にいい加減になるレイジのことを、つばめは呆れた様子で見た。

「しゃーねーから、おれ手伝うわ」

そうつばめは言うと、用具入れからほうきとちりとりを取り出す。

「いいよ、悪いよ」

バツが悪そうにレイジが言う。

「いーや、手伝う!
だってこの短期間であそこまで部屋を散らかす奴が、ここにきて一人でテキパキ片付けなんて、できるわけねーもん!」

「な、なんだよーつばめ君!
今日はずっと俺の事いじってばっかじゃんか‥!」

ポカポカとつばめを叩くレイジ。
びっくりするほど、拳に力が入ってない。

そんな二人を見て、ニーナはくすくすと笑った。

「じゃ、お願いしてもいいかな?
‥‥私、先生に報告しないといけないし、ミズキちゃんの所も寄りたいし。

つばめ、ありがとうね。レイジ君をよろしく」

そう言うと、ニーナは足早に教室から出て行った。

「ヨウジは?」

「ん?ああ、俺?俺は‥‥そうだな‥‥」

つばめの言葉にヨウジはハッとした様子で、歯切れ悪く何か言いたげな様子でまごついた。

その時、廊下から大声が響く。

「おーい!誰か手ぇ空いてるやついたら、誰でもいいから手伝ってー!」

「‥‥わり。俺ちょっと行ってくるわ。

つばめ。これ終わったら部室でまっててくれ。
また後で‥‥じゃ」

「う、うん」

ヨウジは手短にそういうと、他の部の応援を呼ぶ声がする方向に向かって走っていった。



──放課後のチャイムが鳴る。
つばめとレイジは二人きりで、黙々と美術準備室の片付けをしていた。

「‥‥‥‥」

外は雨がさめざめと降っている。

床に散らばるクロッキーを集めつつ、レイジの私物を整理しながら、淡々と作業は進んでいく。

「‥‥いよいよ明日だね」

長い沈黙の間、ふいにレイジが言った。

「うまくいくかな。
今更ちょっと不安になってきた」

つばめは思わず、柄にもなく弱気になる。

「絶対うまくいよ。元に戻れる。
‥‥つばめ君ならできる」

レイジはそんなつばめをじっと見つめて言った。
その言葉は、いつになく力強い口調だった。

「‥‥ありがと」

つばめはレイジに心を押されながらも、同時にさみしさも込み上げていた。


──そうだ。

さっき廊下で言えなかった言葉を、いま言わなきゃ。

でも、レイジを前にするとなんだか言葉がうまく出てこない。

思えば自分は、いつもそうだった。 
なんだか恥ずしくて、どこか柄にもなくもじもじしてしまう。
‥‥昔から、レイジの前ではそうだった気がする。


「‥‥‥‥なんか俺、終わっちゃうのがすごいさみしい」

そのまま自分が考えあぐねていると、レイジがポツリとつぶやいた。

全く同じことを考えていた言葉をエスパーのように言われて、つばめはドキッとして顔を上げる。

そこには、少しだけ泣きそうな顔をしたレイジがいた。

「‥つばめ君。
俺さ、今日一日ずっと考えて、ずっと言えなかった事がひとつだけあるんだ」

「‥‥‥‥‥なに?」

「‥‥‥明日、つばめ君が元に戻っても‥‥。
変わらずに俺と友達でいて」


その時。
換気のために開けていた窓から、ぬるく湿った風が吹いた。

その風に、いつもまばらにおろしている前髪がはらりと揺れて、照れくさそうにゆるむレイジの表情がはっきりと露わになった。

笑っているような、泣いているような。
諦めているような、悟っているような。

その表情に、つばめは立ちすくんで見つめてしまった。

ドキッと心が揺さぶられる感情とも違う。
何かがじんわり心に広がって行くような。
そんな気持ちになった。

「‥‥あたりまえだろ」

たくさん言葉や思いが込み上げた結果、つばめは一言だけ、返した。

「よかった」

レイジは手ぐしでそわそわと前髪を直しながら笑う。

「‥‥」

思っていたよりもずっと早く片付けは終わり、美術準備室は元の空っぽの姿に戻った。


なんだか名残惜しくて、二人で跡形のなくなった教室を少しの間ながめる。

「‥‥あ!
結局おれ、レイジが描いた絵まだ見れてない!」

つばめが思い出したように言った。

レイジはその言葉に固まって、その後少しほほえんだ。

「明日、展示が終わったら見せるよ‥‥。
それまで待ってて」

「‥‥わかった。約束な」
「うん」


目を合わせると、そのまま二人は言葉を交す。

「じゃあ、おれはこのあと部室で自主練あるから。
‥‥また明日」

「うん。また明日‥」

そう短く交わすと、二人は別れた。




部室に行くと、ヨウジはいなかった。

おそらくまだ手伝っているのだろう。
つばめは先回りしてジャージに着替えると、一人柔軟をする。

(今日はもしかしたらウエイトトレーニングもするかな‥)
なんて思い、器材の準備をしていると、ドカドカと音を立ててヨウジがやってきた。

「わりー。遅くなった」

そのままトレーニングする気満々のつばめをみると、ヨウジは申し訳なさそうに続ける。

「あ、ごめん。言葉足りなかったか。
‥‥今日は、自主練じゃねーんだ」

その言葉に肩透かしをくらうつばめ。

「え?じゃあなんで、わざわざ呼んだんだよ。
てっきり自主練すんだと思ってた‥‥」

なんて言いながら器材を元に戻すつばめを見ながら、ヨウジは照れくさそうに言った。

「ん‥‥。
ちょっと二人きりになれる場所が欲しかったんだよ」

そう言うと、部室の鍵を閉める。

「え?」

背後から意味深な施錠の音がして、つばめは振り返る。

──ヨウジが自分のところへやってくる。
その表情はいつになく真剣で、つばめはその表情に心臓を掴まれる。

「‥‥え?
一体、ど、どうしたんだよ。
真面目な顔して‥‥。ら、らしくねーって」

必死に言葉をしぼりだす。
これ以上近づかれたら、ドキドキしてるのがバレる。

「あのさ‥‥‥」

ヨウジはおもむろにつばめの両肩を両腕で掴むと、何か言いたげにこちらをじっと見つめた。

「はひっ‥!」

つばめは飛び上がるような思いになる。
距離が近くて、視線が恥ずかしくて、思わずうつむく。

やばい。心臓の音、多分聞こえてる‥‥。

「‥‥‥‥」

そこまで思って、つばめはあることに気づく。


‥‥あれ?
‥‥‥ヨウジもドキドキしてないか、これって。


つばめは気づいて、とっさに顔を上げる。
ヨウジは顔を真っ赤にして、コチラをじっと見つめいた。


(あ‥‥‥これって‥‥)

つばめは思って、息をのむ。

しかし、ヨウジはしばしの沈黙の後、笑って言った。

「‥‥やっぱり。
つばめって、ニーナちゃんに似てんなぁ!」

「‥‥へ? い、言いたいことはそれだけ?」

つばめのことばに、ヨウジは照れくさそうにうろたえる。

「あー、えっと、いや、ま。
そうじゃないんだけどさ‥‥‥‥‥って。あ!」

そこまで言って、急にヨウジは窓の外を見るなり、歓喜の声を上げた。

「‥‥‥おい見てみろよ、つばめ」

うながされるまま、外を見る。


「──あ、雨、止んでる‥‥!」


厳密には、ごく小さい霧雨ではあるものの‥‥。

ずっと土砂降りで練習を我慢していた二人にとってはずっと待ち望んでいた、晴れ間の瞬間だった。

「これっていわゆる、青天の霹靂ってやつ?」

喜びを隠し切れない様子でヨウジが言う。

「厳密にはその言葉だと、状況が逆。
‥‥‥でも、うれしいな。一週間ぶりか」

「パッと見ぬかるんでる所もあるけど、我慢できなくね?」

ヨウジの言葉に、つばめはうなずく。

「ひっさびさにやるか。リフティング!」

そう言って二人は顔を見合せると、一目散に部室から出て行った。



泥で汚れるのも気にせず、二人はグラウンドに出ると久しぶりのボールに触れる。

リフティングと、軽いパス交換。

ぬかるみに取られ、時折うまくボールが扱えなくなるつばめとは対象的に、ヨウジは活き活きとした表情でボールと戯れる。

まるでボールが体に吸い付いているようで、そのテクニックにつばめは純粋にみとれてしまう。


「やっぱり、ヨウジはすごいな」 

「‥‥俺にはこれしかないだけだよ」

そう言って、照れ隠しをするようにヨウジがパスを送った。


「‥‥なあ。前々から聞きたかったんだけどさ‥‥」

つばめはパスを受け取ると、そう言ってヨウジに返す。


「‥‥なんで、ヨウジはここにきたんだ?

確かお前って、ジュニアユースのスカウト断ってうちに来たんだろ。

お前くらい才能があるなら、絶対うちじゃなくてそっちの方が‥‥」

「‥‥‥‥‥‥」

そこまで言って、ヨウジの表情が暗いことに気づいて、"踏み込み過ぎた"とつばめは黙った。

「‥‥‥‥」

ヨウジはパスを受け取ったまま、しばらく考え込むようにうつむくと、重い口を開いた。


「‥‥母さんの体調が悪いんだ。
妹もまだ幼いし。誰かそばにいてやらないと。

それに、ここなら頑張れば大学進学までサポートしてもらえる。

‥‥プロになれなくても、いくらでも潰しがきく」


そう言うと、顔を上げてつばめにパスを返す。

「ホラ俺ってさ、こう見えて慎重派じゃん?」
そう言って笑いかける。

──でも、つばめは笑わない。

「‥‥‥‥‥‥大丈夫だよ。
ヨウジならプロになれる。絶対」

そうまっすぐ見すえると真剣な顔で言った。

(なんだよ‥‥‥。
そんな顔すんなよ、つばめ‥‥‥)

ヨウジはその姿を見て、立ちすくんでしまう。

雨の間のかすかな晴れ間。
久しぶりの夕焼けに照らされたつばめの表情は、
ヨウジにはあまりにもまぶしすぎた。

「ずっとそばで見てきた親友のおれが言うんだから。
お前なら、ぜったい大丈夫!」

そう言ってつばめはヨウジに笑いかける。

(やめろよ‥‥。俺の心にこれ以上入ってくんな‥‥)

──ああ、だめだ。言葉が出てしまう。

「‥‥あのさ、つばめ。
さっきの続き。

照れくさくて、いままでいえなかったけど‥‥‥‥。
俺もお前に、言いたいことがあるんだ」

そう言うと、ヨウジは真剣な表情でパスを出した。

「明日文化祭終わったら……俺、お前と二人になりたい」

「えっ、‥‥」

つばめは思わずパスを受け取り損ねる。
泥まみれのボールはコロコロと転がり、ぬかるみで止まった。

「‥‥」

「そこで、俺がいままでずっと隠してたこと‥‥お前にちゃんと話す」

「‥‥そ、それって‥‥どういう意味?」

ヨウジの言葉の意図が分からず、つばめは固まる。

「それは、‥‥ま。当日のお楽しみ、ってことで」

そう言うと、ヨウジはすぐにいつもの顔に戻って笑った。

──放課後の終わりを告げるチャイムが鳴る。


「‥無理にとは、言わない。
返事はギリギリまで待つ。

‥‥だから、頭の片隅に入れといてくれよ」

ぬかるみのサッカーボールを拾い上げて、ヨウジが言う。

「放課後も終わったし、つばめはそろそろ部室戻れよ。
片付けは俺がやっとくから」

そういうと、ヨウジは笑った。




──放課後を過ぎて、誰もいなくなった美術室。

レイジはひとり作品の前にいた。

明日の本番を前に、ずっとハトロン紙にくるんでいた絵の梱包を解こうと手をかけた所で、ふいに背後から誰かに声をかけられた。

「‥‥‥山岸」

振り返ると、声の主はヨウジだった。 

「ぜんぶ、お前の言う通りだった。
俺‥‥明日、つばめに言うことにした。
本当のこと‥‥‥」

その言葉に、レイジは短く「そう」と返すと、何重にも巻かれた紙を解いていく。

「‥‥‥は。お前、そんだけかよ?
‥‥本当はお前だって、あいつの事好きなんだろ?」

ヨウジの言葉に、レイジの手が止まる。

「そうだよ」

「じゃあなんで‥‥‥」

「‥‥俺がそう思うことで彼を苦しませちゃうから、俺は言わない。

‥‥それに‥‥安心してよ。
つばめ君は、海野君の事が好きだよ」

そういってレイジは笑った。

「なんだよ、それ。
お前はそれでいいのかよ。
そんないい子ぶって‥つばめを誰かに取られても。
だってお前、たしか中学生の頃アイツと‥‥‥」

「‥うん、それでいいよ。
それでつばめ君が幸せになるなら、それでいい」

キッパリとレイジが言うのに、ヨウジはたじろぐ。

「‥‥そうか。‥‥そうなんだな?」

そのままキッとレイジを見据えると、啖呵を切るように言い放つ。

「‥‥じゃあ‥‥もう俺も、お前に遠慮しないから。
つばめは‥‥俺のものだ」

「‥‥つばめ君はつばめ君だけのものだよ。
だれのものにもならない」

二人はしばらく睨み合う。


「‥‥‥‥‥」

最初に目をそらしたのは、ヨウジだった。

「はっ、‥‥‥せいぜい言ってろよ」

そういって立ち去ろうとした時。

ふいに、梱包がすべて解かれたレイジの絵が目に飛び込んでくる。

──ヨウジはその絵に、釘付けになった。

(この絵‥‥。山岸、お前‥‥‥‥‥)

静かにその絵を見つめるレイジの表情を見て、ヨウジはひとつの仮説が、浮かんでしまった。




その晩、つばめは一睡もできなかった。

真っ暗な部屋の中。
どうしようもなく寝返りをうつ。

目をつぶると、頭の中でヨウジの姿と言葉がぐるぐると巡って苦しくなって目が覚めてしまう。

(‥‥‥‥でも、明日は‥‥‥)

ふいに、壁にプッシュピンで飾っていたレイジが描いたクロッキーが目に入る。

「‥‥‥‥‥」

自分でも、わからない。

整理しきれない思いが押し寄せてきて、つばめは思わず布団の中に潜った。

そのまま、雨の音を聞きながら自問自答を繰り返していたら、いつの間にか夜は明けていた。