君を好きになる前に

「マジ、うますぎる‥‥」

アルミホイルに包まれたおにぎりを頬張りながら、ヨウジがしみじみと呟く。

昼休み。
「今までのお礼に!」と、ニーナが腕を奮って作った全員分の自作の弁当を、四人は銘々に取り囲んでつついていた。


テーブルの真ん中に広げられたピクニック用のタッパーには、おにぎりやホイルのついた骨付き唐揚げ、ピックが刺さった卵焼きやブロッコリー、ソーセージ、プチトマトなどが彩りよく詰まってある。

「ほんと?いっぱい作ってきちゃったから、たくさん食べて食べて!」

嬉しそうに言いながら、ニーナは紙皿をもってニコニコしながら、ちょうど1人分のおにぎりとおかずを大事そうに取り分けている。

「レイジ、絵。
データ化できたから返しにきた」

そんな中、ふいに美術室にミズキが顔を出した。

「あ!ミズキちゃん!」

ミズキを見た瞬間、ニーナの顔は一段とパアッと明るくなる。

「今ちょうどね、ミズキちゃんの分のお弁当取り分けてた!
‥‥多分作業に追われてろくにお昼とってないと思うから、よかったら後で食べて」

そう言うと、ニーナは甲斐甲斐しく紙皿をラップにくるんで、ポケットおしぼりと共にミズキに渡す。

「ありがと。愛してる」
「私も!愛してるー!」


歯が浮くような言葉を恥ずかしげもなく交わしながら、ミズキは颯爽と体育館に帰っていく。

その様子をみて、ハジメは少し驚いた。

「……え。女子って普通そんなこと言うの?」

ハジメの問いにヨウジは笑って、
「言う言う。うちの妹もよく友達同士ですぐ『好きー』『愛してるー』とか言ってるし」

と言いながら、特に気にする様子もなく再びおにぎりをかじる。

そうなのか。
とハジメは思って、目の前のお弁当を見た。

思えば、ニーナの作ってきたものは、全部箸を使わずに片手間に食べれるもの‥‥例えば"デスクワークのながら食べ"にぴったりなメニューしかないことに気づく。

あ。
ハジメは一人、謎が解けたようにハッとした。

レイジはそんなニーナを羨ましそうに見つめると、ふっと視線を土砂降りの窓の外に静かに落とした。


「さー!みんな、いっぱい食べて!
午後は一気にやる事増えるから、怒涛に時間が過ぎてくよ!
体力つけてがんばろうね!」

そう言うと、ニーナはさらに元気いっぱいにモリモリとおかずを頬張りながら満面の笑みで言った。





午後からはニーナの予言の通り、怒涛の勢いで時間が流れた。

テーブルの上に布を敷く何十メートルと巻かれた布を片っ端から裁断し、端を慣れないミシンでひたすら縫い止めていく。それをテーブル一面に敷いて土台を作ったら、各々用意した演出物などを置いたりして配置を調整する。

その次は、今度は手分けして各部員の膨大な作品を一気に搬入していく。その後は数センチ、数ミリ単位の細かいの展示バランスをチェックし、それと並行して膨大な作品の量の分だけのキャプションを作る。

全てが同時進行で並行して、終わったらすぐに別のやる事にとりかかる。

あれは終わった?これはどうする?
あっちはあれでいいの?
これはやった?
‥‥うわ、まだやってない!


目まぐるしく業務進捗の会話が飛び交う。そして気づけばあっという間に、時間は定刻のチャイムがなる5分前になっていた。

「ああ、ようやく完成した‥‥」

うるうるとした声でニーナが言う。
隣に立つレイジも、感極まって言葉にならない様子だった。

2人の視線の先には、まるでちょっとした美術館のような、厳かな雰囲気のブースが完成していた。

「みんなお疲れ!
本当に本当に本っ当にありがとう!
2人が手伝ってくれたおかげだよ!」

「俺たちだけだったらこんな時間に終わらなかった。
最悪、徹夜してたかも‥‥。感謝してもしきれないよ‥‥」

なんて目を潤ませながら、それぞれ二人は感慨深く感謝の言葉を口々に言う。


その達成感や喜びは、ほんの一週間ほど前にジョイントしただけのヨウジやハジメにも十分伝わっていた。

「こっちこそ、お疲れさま!
俺らよりずっと2人の方が大変だっただろ」

「ニーナ、レイジ。
明日はいい文化祭になるといいな。
てか‥‥いい文化祭にしよう!」


「イェーーーーイ!」

思わず、その場でみんなで順番にハイタッチする。

そうして心ゆくまで喜びを噛み締めた後、ニーナが言う。


「じゃああとは‥‥。
レイジくんのアトリエの掃除だけだね」

その言葉に頷くと、四人は一斉に美術部準備室を見た。


そう。
今回、演劇部のポスター制作のためにと、レイジは特別に期間限定で準備室をアトリエとして使わせてもらっていたが‥‥。

あの場所の清掃がまだ手付かずだったのだ。

明日はあそこが部員の休憩室になる予定なので、演劇部への絵の納品が終わり次第、すみやかに明け渡さないといけない。

「あ、それはもちろん、俺がやる!
俺の私物ばっかだし、俺のためにみんなが用意してくれたスペースだし、責任もって片付けます!」

あわあわとした様子でレイジが言う。

「それに、みんなも疲れたでしょ?
明日が本番なんだから、今日は帰ってゆっくり休んで。
こっちは物さえ片付ければ一時間もかからず終わるから」


レイジはそういうと、ゴミ袋をもって美術部準備室に向かう。

「‥‥いや、絶対お前だけじゃムリだって!」

ハジメは呆れた様子で、ぶんぶんと頭をふって呼び止めた。

少し思い出すだけでも、どんどん増えていった大量のクロッキーや紙くず。絵の具や画材の散らばった、物だらけのカオスな空間。

あれを一人で一時間で片付けるなんて到底無理な話で、あまりにもレイジの見立ては甘すぎた。

"元の自分に戻りたい"とハジメが言った時は、たった一日で大量の資料を集めて調べてきたり、前に指を怪我した時もそうだったが‥‥。

いつも他人にばかり尽くして、いざ自分の事となると途端にいい加減になるレイジのことを、ハジメは呆れた様子で見た。

「しゃーねーから、おれ手伝うわ」

そうハジメは言うと、自ら用具入れから箒とちりとりを取り出す。

「いいよ、悪いよ」

バツが悪そうにレイジが言う。

「いーや、手伝う!
だってこの短期間であそこまで部屋を散らかせる奴が、ここにきて一人でテキパキ片付けなんて、できるわけねーもん!」

「な、なんだよーハジメ君!
今日はずっと俺の事いじってばっかじゃんか‥!」

ポカポカとハジメを叩くレイジ。
びっくりするほど痛くない。

そんな二人を見て、ニーナはくすくすと笑った。

「じゃ、お願いしてもいいかな?
‥‥私、先生に報告しないといけないし、ミズキちゃんの所も寄りたいし。

ハジメ、ありがとうね。レイジ君をよろしく」

そう言うと、ニーナは足早に教室から出て行った。



「ヨウジは?」

ハジメが聞く。

「ん?ああ、俺?俺は‥‥そうだな‥‥」

ヨウジはハッとした様子で、歯切れ悪く何か言いたげな様子でまごついた。

その時、廊下から大声が響く。

「おーい!誰か手ぇ空いてるやついたら、誰でもいいから手伝ってー!」

「‥‥わり。俺ちょっと行ってくるわ。
ハジメ。これ終わったら部室でまっててくれ。
また後で‥‥じゃ」

「う、うん」

ヨウジは手短にそういうと、他の部の応援を呼ぶ声がする方向に走って行った。



放課後のチャイムが鳴る。
ハジメとレイジは二人きりで、黙々と美術準備室の片付けをしていた。

「‥‥‥‥」

外は雨がさめざめと降っている。

床に散らばるクロッキーを集めつつ、レイジの私物を整理しながら、淡々と作業は進んでいく。

「‥‥いよいよ明日だね」

長い沈黙の間、ふいにレイジが言った。

「うまくいくかな。
今更ちょっと不安になってきた」

ハジメは思わず、柄にもなく弱気な言葉がついて出る。

「絶対うまくいよ。元に戻れる。
‥‥ハジメ君ならできる」

レイジは、ハジメをじっと見つめて言った。
その言葉は、いつになく力強い口調だった。

「‥‥ありがと」

ハジメはそんなレイジに心を押されながらも、同時に寂しさも込み上げていた。


━━そうだ。

さっき渡り廊下で言えなかった言葉を言わなきゃ。

でも、レイジを前にするとなんだか言葉がうまく出てこない。‥‥思えば自分は、レイジの前ではいつもそうだった気がする。



「‥‥なんか俺、終わっちゃうのがすごいさみしい」

そのまま自分が考えあぐねていると、レイジがポツリとつぶやいた。

全く同じことを考えていた言葉をエスパーのように言われて、ハジメはドキッとして顔を上げた。

そこには、少しだけ泣きそうな顔をしたレイジがいた。


「‥ハジメ君。俺さ、今日一日ずっと考えてて、ずっと言えなかった事がひとつだけあるんだ」

「‥‥‥‥‥なに?」

「‥‥‥明日、ハジメ君が元に戻っても‥‥。
変わらずに俺と友達でいて」


その時。
換気のために開けていた窓から、ぬるい湿った風が吹いた。

その風に、いつもまばらにおろしている前髪がはらりと揺れて、照れくさそうにゆるむレイジの表情がはっきり露わになった。

笑っているような、泣いているような。諦めているような、悟っているような。


その表情に、ハジメは立ちすくんで見つめてしまった。

ドキッと心が揺さぶられる感情とも違う。何かがじんわり心に広がって行くような。
そんな気持ちになった。


「‥‥あたりまえだろ」

たくさん言葉や思いが込み上げた結果、ハジメは一言だけ、返した。

「よかった」
レイジは手ぐしでそわそわと前髪を直しながら笑う。

「‥‥」

思っていたよりもずっと早く片付けは終わり、美術準備室は元の空っぽな姿に戻った。


二人で、跡形のなくなった準備室を少しの間ながめていると、

「‥‥あ!
結局おれ、レイジが描いた絵まだ見れてない!」

とハジメが思い出したように言った。

レイジはその言葉に固まって、その後少しほほえんで言った。

「明日、展示が終わったら見せるよ‥‥。
それまで待ってて」

「‥‥わかった。約束な」

「うん」

二人は目を合わせると、そのまま名残り惜しそうに言葉を交す。



「じゃあ、おれはこのあと部室で自主練するから。
‥‥また明日」

「うん。また明日‥」

そう短く言うと、二人は別れた。





部室に行くと、ヨウジはいなかった。
おそらくまだ準備を手伝っているのだろう。

先回りして、ハジメはジャージに着替え、一人柔軟をする。

今日はもしかしたらウエイトトレーニングもするかな。
なんて思い、器材の準備をしている中、ヨウジがやってきた。


「わり、遅くなった」

真面目な顔でヨウジが言いながら、部室にやってくる。


「あ、ごめん。俺言葉が足りなかった。
‥‥今日は自主練じゃなねーんだ」

トレーニングする気満々のハジメをみて、ヨウジは申し訳なさそうに言う。
その言葉に、ハジメは肩透かしを喰らった。

「え?じゃあなんで、わざわざ呼んだんだよ」

てっきり自主練すんだと思っていた‥‥。
なんて言いながら器材を元に戻すハジメを見ながら、ヨウジは照れくさそうに、何かを言いたげな様子で言った。

「ん‥‥。
ちょっと二人きりで喋れる場所が欲しかったんだよ」

そう言うと、部室の鍵を閉める。

背後から施錠の音がして、ハジメは振り返ると、ヨウジがつかつかと一目散に自分のところへやってくるのがわかった。
その表情はいつになく真剣で、ハジメはその表情に一瞬で心臓を掴まれる。

「‥‥え?
一体、ど、どうしたんだよ。
真面目な顔して‥‥。ら、らしくねーって」

必死に言葉をしぼりだす。
これ以上近づかれたら、ドキドキしてるのがバレる。

「あのさ‥‥‥」

ヨウジはおもむろにハジメの両肩を両腕で掴むと、何が言いたげにこちらをじっと見つめた。

「はひっ‥!」

ハジメは飛び上がるような思いになる。


距離が近い。
やばい。心臓の音、多分聞こえてる‥‥。  

「‥‥‥‥」

ハジメは思って、あることに気づく。 


あれ?‥‥ヨウジもドキドキしてないか、これ。

ハジメは気づいて、とっさに顔を上げる。

ヨウジはハジメをじっと見据えたまま、しばしの沈黙の後、笑って言った。

「‥‥やっぱりハジメって、ニーナちゃんに似てんなぁ!」


「‥‥え?
い、言いたいことはそれだけ?」


ハジメの言葉にヨウジが照れくさそうにうろたえる。

「あー、えっと、いや、ま。
そうじゃないんだけどさ‥‥‥‥‥って。あ!」

そこまで言って、急にヨウジは窓の外を見るなり、歓喜の声を上げた。

「‥‥‥おい見てみろよ、ハジメ」

うながされるまま、外を見る。



「あ、雨、止んでる‥‥」



厳密には、ごく小さい小雨ではあるものの‥‥。

ずっと土砂降りで練習を我慢していた二人にとってはずっと待ち望んだ、かすかな晴れ間の瞬間だった。


「これってまさしく、青天の霹靂ってやつ?」

うれしさを隠し切れない様子でヨウジが言う。

「厳密にはその言葉だと、状況が逆。
‥‥‥でも、うれしいな。一週間ぶりか」

「パッと見ぬかるんでる所もあるけど、我慢できなくね?」

ヨウジの言葉に、ハジメは頷く。

「ひさびさにやるか。リフティング!」

そう言って二人は顔を見合せると、一目散に部室から出て行った。






泥で汚れるのも気にせず、二人はグラウンドに出ると久しぶりのボールに触れる。

リフティングと、軽いパス交換。 

ぬかるみに取られ、時折うまくボールが扱えなくなるハジメとは対象的に、ヨウジは活き活きとした表情でボールと戯れる。

まるでボールが体に吸い付いているようで、そのテクニックにハジメは純粋にみとれてしまう。

「やっぱり、ヨウジはすごいな」

「‥‥俺にはこれしかないだけだよ」

そう言って、照れ隠しをするようにヨウジがパスを送った。

「なあ、前から聞きたかった事があるんだけど‥‥」

ハジメはパスを受け取ると、そう言ってヨウジに返す。


「なんで、ヨウジはここにきたんだ?

確かお前って、ジュニアユースのスカウト断ってうちに来たんだろ。正直お前くらい才能があるなら、うちじゃなくてそっちの方が‥‥」

そこまで言って、ヨウジの表情が暗いことに気づいて、"踏み込み過ぎた"とハジメは黙った。

「‥‥‥‥」

ヨウジはパスを受け取ったまま、しばらく考え込むようにうつむいていた。

「‥‥母さんの体調が悪いんだ。
妹もまだ幼いし。誰かそばにいてやらないと。
それに、ここなら頑張れば大学進学までサポートしてもらえる。

‥‥プロになれなくても、いくらでも潰しがきく」

そう言うと、うつむいた顔を上げてハジメにパスを返す。

「ホラ俺ってさ、こう見えて慎重派じゃん?」

そう言って笑いかける。

(ヨウジは本当に‥‥‥おれなんかよりずっと大人だ)

「慎重派、ねぇ。
そんな人が絶対に決めなきゃいけないって勝負どきに、わざわざおれにボール託すかね?」


「でも、それで俺ら勝ったじゃん。
別にあの時の判断は一ミリも血迷ってなんかねーよ。
それだけ、俺はハジメの事買ってんだ。
‥‥俺の相方だから」 


━━相方。
その言葉に深い意味なんてないはずなのに、それでも心で反芻してしまう自分がいる。


「‥‥あのさハジメ。
照れくさくていままでいえなかったけど‥‥‥‥。
俺もお前に言いたいことがあるんだ」

そう言うと、ヨウジは真面目な表情で言葉を続けて、ハジメにパスを出した。


「明日、文化祭終わったら明日のお前の時間。
少しでいいから‥‥俺にくれ」

「えっ、‥‥」

ハジメは思わずパスを受け取り損ねてしまう。
泥まみれのボールはコロコロと転がり、ぬかるみで止まった。

「‥‥そ、それって、どういう意味?」

ヨウジの言葉の意図が分からず、ハジメは固まる。 

「それは、また明日話す。
‥‥ま。当日のお楽しみ、ってことで」

そう言うと、ヨウジはすぐにいつもの顔に戻って笑った。


雨の間のかすかな晴れ間。
久しぶりの夕焼けに照らされたヨウジのその笑顔は、ハジメにはあまりにもまぶしかった。






その晩、ハジメは一睡もできなかった。

真っ暗な部屋の中。
どうしようもなく寝返りをうつ。

目をつぶると、頭の中でヨウジの姿と言葉がぐるぐると巡って苦しくなって目が覚めてしまう。

(‥‥‥‥でも、明日は‥‥‥)

ふいに、壁にプッシュピンで飾っていたレイジが描いたクロッキーが目に入る。

「‥‥‥‥‥」

自分でも、わからない。
整理しきれない思いが押し寄せてきて、ハジメは思わず布団の中に潜った。


そのまま、雨の音を聞きながら自問自答を繰り返していたら、いつの間にか夜は明けていた。