そして、月日はあっという間に流れる。
──文化祭前日。
この日は丸々1日が準備に当てられ、朝から各々が朝から日頃の部活動を成果を発表するための準備に打ち込んでいた。
美術部の方から、大きな感嘆の声が聞こえる。
「わー、すごい!ほんっと助かる!」
そういうと、ニーナは満面の笑みで手を叩く。
「こんなの朝飯前よ!
もうニーナちゃん、なんでも言って!
俺らめっちゃこき使っていいから!」
ヨウジはこれ以上ないくらいのデレデレした顔で、教室の什器類を隅に移動している。
「おいヨウジ、鼻の下伸びすぎ!」
後ろで共に什器を持っているつばめが、呆れた様子で釘を刺した。
三人がわいわいとじゃれ合うのをよそに、奥の美術部準備室では、レイジは黙々と演劇部に提出する絵の制作の、最終仕上げに差し掛かっていた。
床にはアクリル絵の具や色鉛筆、クレヨン、果ては色紙や布切れ、金箔と、様々な画材や素材が床に散らばっている。
最後、削ったパステルを指で乗せ終えたレイジが、満足げにふーと息を着くと、静かにつぶやいた。
「‥‥‥‥できた」
そういうと、レイジはしばらく絵をながめていた。
「うーんと、ヨウジ君。もうちよっと右」
什器をすっかり移動し終え、がらんどうになった美術室の教室では、三人が協力しながら照明の位置などを細かく確認していた。
その時、おもむろに美術準備室のドアが開いた。
「‥‥ちょっとミズキちゃんの所に行ってくる」
振り返ると、ハトロン紙にくるまれた大きなキャンバスを持つレイジが立っていた。
「レイジ君よかった!ようやく完成したんだね‥‥」
感慨深げにニーナが呼びかける。
レイジは照れくさそうに、
「心配かけちゃってごめん」
と小さく謝った。
「おー!レイジ、遂にできたんだな!
一体どんな絵になったか見してよ!」
「おい!つばめ。ハシゴが揺れるって。
‥‥でも、俺もちょっと気になる」
つばめはいてもたってもいられず駆け寄る。
ヨウジもハシゴの上から興味ありげにつぶやいた。
「だめ」
しかし、レイジは短く言う、
「えーなんで、減るもんじゃないのに!」
食い下がるつばめを前に、レイジは揺るがない様子で返す。
「だめなものはだめ。
この絵を最初に見せるのは、ミズキちゃんって決めてるから」
「‥‥なんだよ?お前ミズキのこと好きなのかよ。
普段あんなにどやされてるのに、どういう風の吹き回しだ?」
ヨウジが冗談っぽく尋ねる。
「‥‥‥‥‥」
つばめは思わずレイジを見た。
「‥‥そんなんじゃないよ。
ただ、ミズキちゃんには一番迷惑かけたちゃったから。
俺なりの誠意なだけ」
レイジはうつむくと、ぶっきらぼうに言った。
「じゃ、ニーナちゃん。
俺この絵いったん渡してくる。
すぐ戻るから」
それだけ言うと、小走りでレイジが出て行こうとする。
‥‥のを、つばめがとっさに呼び止めた。
「いや、ちょっと待って!
俺もついてく。‥その絵、俺が持つ。
大丈夫、絵は見ないから」
「え、どういう事?」
つばめの真意がわからないまま、レイジはいぶかしげに聞く。
「だってお前さ。覚えてるか?
初めて会った時、なんでもない階段につまづいて、頭からすっ転んでただろ」
「‥‥な、なにそれ!
まるで俺がどんくさいみたいな事言って」
レイジはムキになって反論する。
「いや、どんくさいよレイジ君は」
「うん。山岸はどんくさいな」
「‥‥な、なんだよ二人して!」
ひーんと泣き顔みたいな声を上げて、口をへの字に曲げてレイジがすねる。
その様子を見て、ニーナとヨウジはくすくすと笑うが、つばめの目は真剣だった。
「‥‥お前、ずっと頑張ってこの絵描いてただろ?
文化祭前日まで締め切りを伸ばしてさ。
ずっと納得いくまで何度も描き直してさ‥‥。
スランプになってもそれでも必死に描こうとしてたの、おれ知ってるよ。
だから、何描いてるのはわかんなくても、思いはわかる」
「‥‥‥」
「この絵、でかいじゃん」
「多分、お前のことだから、早く渡すのに急いで、抱えたまま慌てて走るだろ?
そこでまた転んだりぶつけたりして、この絵を"落として"何かあったりしたら、おれ、嫌だからさ。
だからおれが、責任もってミズキのところまで送り届けたい。‥‥だめかな?」
「う、うん‥‥そういうことなら。
わかったよ‥‥」
いつになく真剣なつばめの剣幕に押されるように、レイジは彼にキャンバスを渡すと、連れ立って教室を出て行った。
「あの二人、すっかり仲良くなったねぇ」
その後ろ姿を、ニーナは微笑ましく見ながら言った。
「‥‥‥そうだな。知らないうちに」
そう言うヨウジの表情は、どこかさびしげで、心の動揺を隠せずにいた。
(なんだよ‥アイツ。
山岸になんで、あんな顔してんだよ‥‥)
「‥‥さっきは真剣な剣幕で言うから、言いそびれちゃったけどさ‥‥」
本館から体育館に繋がる長い渡り廊下を歩く途中、レイジはふと切り出した。
「もしかして、つばめ君って"落とす"って、文字通りの意味だと思ってる?」
「え、違うの?」
つばめはキッパリと答える。
その言葉に、レイジは返す。
「‥‥違うよ。
ミズキちゃんが言ってた"落とす"っていうのは、物理的なことじゃなくて、締切に間に合わなくて制作を"落とす"ってこと」
「は。そんな業界用語知らねえし‥‥」
つばめがモゴモゴと言う。
レイジもまあそうだよね。と笑って返す。
「だいたい、前日あがりで間に合うのかよ」
つばめは心配そうにレイジに尋ねた。
「‥‥前にミーティングした時は、最悪前日の昼前までなら学校のコピー機フル稼働で制作すれば間に合う。
とは、言ってくれた」
「そっか」
その怒涛のスケジュールを思うと‥‥。
あの時のミズキの怒りは改めてごもっともだと、つばめは痛感する。
「本当はね、納期を優先して作ることもできたんだ。
実際、一回それでずっと早くに絵をあげてたんだ。
‥‥でも、ミズキちゃんに叱られちゃって」
「なんで?」
「"この絵が本当にアンタが描きたかったものなの?"
って一言。突き返されちゃって。
そんでいつもの口調で、
"あたし達は全力で演劇と向き合うから、レイジも作品に全力で向き合え。やり直し!"って」
「‥‥」
「まあそのせいで、こんなに遅くなっちゃったけど。
でも‥‥おかげでようやく納得いくものが描けた。
だから、一番最初にみせるのは、ミズキちゃんなんだ」
どこか誇らしそうな表情で、レイジは言った。
──そんな背景があったなんて。
つばめは、改めて絵を持つ手に力が入る。
「なんだか‥‥初めて廊下で会話した時を思い出すね」
レイジがしみじみと言う。
「確かに。あの時もこんな風に歩いたな。
俺がほとんど荷物持って」
「そうそう」
笑いかけるレイジの表情がこそばゆくて、つばめはなんだか気恥ずかしくなり、思わず外を見た。
あの日と同じ土砂降りの雨。
「‥‥なんかずっと前に思えるのに、冷静に考えたらまだ一週間ちょっとしか経ってないんだよな」
その時ふと、つばめは思った。
もし、明日の文化祭が終わって元の自分になれたら。
ヨウジとは、友達同士に戻れる。
──でも、レイジとの関係はどうなるんだろう?
「なあ。おれたちって‥‥」
勇気を振り絞ってつばめが聞くのとほぼ同時に、レイジが言葉を切り出した。
「あ、ついたよ」
あんなに時間はあったはずなのに、あっという間に二人は体育館にたどり着いてしまう。
「‥‥」
つばめはその先が言えず、会話は終わる。
時間はゆっくりと、でも確実に流れている。
「ミズキちゃん。絵、持ってきた」
体育館で演劇の最終チェックしているミズキのそばに行くと、レイジが小声で言った。
「‥‥‥ん」
ミズキはその後ろにいるつばめから、無言で絵を受け取る。
「もうすぐゲネプロおわるから、そしたら確認する。
レイジだけ残って。大河原は帰っていいよ。
絵はデータ化したら、またそっちに返す」
「お‥‥!じゃ、じゃあおれ、先帰ってるな‥!」
(よかった!今回はブチ切られなかった‥‥!)
さっきまであんなにいいエピソードを聞いたばかりなのに、それでもつばめはミズキと対峙する度に、また逆鱗に触れてどやされないかと気が気でなかった。
しかし、絵を届けた時の彼女はいつになく穏やかで、つばめはホッとした様子で、去っていった。
ゲネプロを終えたミズキは、体育館の倉庫を即席で改装した作業スペースで、絵を開封する。
「レイジ、あんた‥‥‥」
ミズキの目が大きく開く。
「‥‥‥‥‥‥‥‥うん。いい絵じゃん。
こっちも散々待たされた甲斐あったわ」
そのあと、目元が小さくゆるんだ。
「ミズキちゃん。
いろいろ気にかけてくれて、本当にありがとう。
俺さ‥‥‥この絵にぜんぶ描ききったよ」
そういうと、いつになくスッキリした顔でレイジは笑った。
「‥そ。ならいいじゃん。
少し早いけど、とりあえずお疲れ」
そう言うと、ミズキも小さく微笑んだ。
二人が絵を届けに行くのを見届けたあと。
残されたヨウジとニーナは、作品に添えるキャプションの製作をしていた。
流れ作業のように印刷した紙をヨウジが切り、それをニーナが台紙に貼り付ける。
「‥‥‥‥」
手は黙々と作業しながらも、ヨウジの頭の中は無意識のうちに、"あの日の事"を思い出していた。
──あの、雷の日。
「‥つばめ‥‥」
ヨウジは、保健室のベッドで眠ったままのつばめの手を握り、一人泣きながら途方に暮れていた。
「海野君、荷物持ってきたよ。ここ置いとく」
ふいに、カーテン越しにレイジの声が聞こえた。
「ッああ、わりぃ‥‥サンキューな」
ヨウジはとっさに涙を拭いて返事をする。
「開けるね」
返事も聞かずにレイジはカーテンを開けると、ずかずかと二人の空間に入ってくる。
そのままレイジはつばめを挟んでヨウジと向かい合うように、少し乱暴に椅子に座る。
「‥‥‥泣いてたの?」
「泣いてねえ‥‥」
鼻をすすりながらヨウジは返す。
その姿に、レイジはため息をついた。
「海野君さ‥‥。もっと正直になりなよ」
「‥‥‥どう言う意味だよ」
「だって手、ずっと繋いでるじゃん」
少しイラついた様子でレイジが言う。
「違っ、これは‥‥!」
レイジの指摘にヨウジは慌ててつばめの手を離した。
「‥‥本当は、俺が来るまで泣いてたんでしょ」
「ちげーよ‥‥‥」
「嘘ついてんの、バレバレ‥‥」
「‥‥つばめと俺は、友達だから‥」
「‥友達だから?
それだけで、そんな風になる?」
「‥‥‥‥」
「好きならちゃんと伝えた方がいいよ。
だってつばめ君は‥‥」
「‥‥ッ!だから違えって言ってんだろ!」
ヨウジは反射的に立ち上がって怒鳴る。
レイジは、眉一つ動かさずその姿をじっと見ていた。
「俺さ‥‥‥。
海野君見てると、ほんとイライラする。
‥‥せっかく、つばめ君のそばにいるのに。
なんで素直にならないの?」
一触即発の空気が漂う。
──その時、つばめの唇がかすかに動いた。
「う‥‥‥」
二人は一斉に彼の方をみる。
「俺、先生呼んでくるから‥‥!
海野君はここにいて」
レイジはそういうと足早に保健室を出て行った。
──あの日から、ヨウジはずっと考えている。
その感情の正体がわからないフリをして、
本当はうっすら気づいている。
でも‥。
この後に及んで、まだそのキモチに向き合えないでいる。
「あ、ヨウジ君。切るところそこじゃないよ」
ニーナの言葉にハッとする。
みると、文字の上にハサミが来てしまっていた。
「あ‥‥ごめん」
「"心ここに在らず"って感じだね」
ニーナが意味深に笑いながら言う。
「んーさては‥‥‥‥ずばり恋だね」
「はは。何言ってんの、ニーナちゃん」
冗談っぽく言うのを、ヨウジは乾いた笑いで返す。
「‥‥‥‥‥」
さっきまでは元気だったのに。
ミズキのところに一緒に絵を持っていくと言って二人が出ていったのを見てから、ガクッとヨウジは気落ちしていた。
(‥‥二人の間には、もうそんな関係がうまれていたのか‥。
これまでだったら、あんなふうにアイツとじゃれあっているのは、俺だったのに。
なんで、山岸なんだよ‥‥‥)
と打ちひしがれる目で、ぼんやりとヨウジは切り損じた紙をながめた。
「‥‥‥‥‥‥」
すると突然。
ニーナが唐突に、爆弾発言をカミングアウトした。
「‥‥‥‥ヨウジ君さ。
私、ミズキちゃんと付き合ってるの。知ってる?」
「‥‥‥‥‥‥‥え、マジで?」
ヨウジが絶句する。
「マジマジ。
ほとんど誰にも打ち明けてないけどね。
‥‥そっか、言ってなかったか」
「女同士で‥。それってどっちから告ったの?
‥‥キモチに気づいたのって‥‥いつから?
‥‥‥‥‥怖くなかったの?」
一呼吸おいて疑問がたくさんわいてきたヨウジは、一気にニーナに詰め寄る。
「‥‥興味津々じゃん。
まるで、自分のことみたいに聞いてきてさ」
「‥‥‥‥‥‥」
しかし、図星を突かれて黙りこくる。
「私から告白したよ。中学の頃に。
‥‥ああみえてミズキちゃん奥手だから。
キモチに気づいたのは‥‥そうだなあ。
中学校の頃にはもう好きだったね」
ニーナはそう言いながら、台紙に貼ったキャプションの端を指で押さえる。
「たぶん、私から告白しなかったら、
今でも片想いのまま、付き合ってないと思う」
「……‥へー。
ニーナちゃんって、そういうの結構グイグイいくんだな。なんか意外‥‥」
ヨウジの言葉に、ニーナは彼の方を見て笑った。
「まさか。めちゃくちゃ怖かったよ。
‥‥だって、好きって言ってもし嫌われたらさ。
今までみたいに話せなくなるかもしれないじゃん」
ヨウジの手が止まる。
「だから、告白する前はずっと悩んでた」
「…………」
「でもさ。本当は好きなのに‥‥。
何も言えないでそばにいるのって、けっこー苦しくない?」
「……」
「それに、相手だって同じ気持ちかもしれないのに。
自分が臆病になって何も始まらないのって……。
もったいないじゃん。
私はね、そう思ったの。
だから、行動した」
「ニーナちゃん‥‥」
本当に、似てるな。
つばめに。
顔立ちも、心の強さも。
ずっと最近モヤモヤしてんのは‥‥。
ここ最近ずっと。
あいつが山岸のことを嬉しそうに話すたび、
なんか、すげえイラつくんだ。
あいつが‥つばめの心がドンドン俺から離れて行ってしまってるような気がすると苦しくて‥‥。
ずっとそばにおいときたくなる。
かと思ったら、ヘンな夢をみたり、あいつのちょっかい出して、顔を真っ赤にして照れてる姿を見ると、なんか‥。
すごくムラムラする自分もいる。
だからつい、困らせてしまう。
‥‥‥ホントきもいよな。
これって一体、なんなんだよ‥‥。
「‥‥‥‥‥それはね、恋だよ」
「えっ?」
思わずヨウジは頭を上げる。
「‥‥心の声。
さっきからぜーんぶ、喋ってるよ?」
そういうとニーナは笑った。
「ただいまー‥‥」
そして、つばめが帰ってくる。
「おかえりー‥レイジ君は?」
「アイツはミズキと話してる‥‥。
おれだけ先に戻ってきた。ってあれ?」
つばめは心配そうに、真っ先にヨウジの元に行く。
「ヨウジ、どうしたんだよそんな顔して」
そういうと、ヨウジの顔をのぞきこむ。
「‥‥‥‥‥‥‥っ」
つばめの顔を見た時。
ヨウジは、胸の中でモヤモヤしていたキモチが、
すっと消えていくのがわかった。
(ああ。そっか。‥‥‥これが、恋か)
──文化祭前日。
この日は丸々1日が準備に当てられ、朝から各々が朝から日頃の部活動を成果を発表するための準備に打ち込んでいた。
美術部の方から、大きな感嘆の声が聞こえる。
「わー、すごい!ほんっと助かる!」
そういうと、ニーナは満面の笑みで手を叩く。
「こんなの朝飯前よ!
もうニーナちゃん、なんでも言って!
俺らめっちゃこき使っていいから!」
ヨウジはこれ以上ないくらいのデレデレした顔で、教室の什器類を隅に移動している。
「おいヨウジ、鼻の下伸びすぎ!」
後ろで共に什器を持っているつばめが、呆れた様子で釘を刺した。
三人がわいわいとじゃれ合うのをよそに、奥の美術部準備室では、レイジは黙々と演劇部に提出する絵の制作の、最終仕上げに差し掛かっていた。
床にはアクリル絵の具や色鉛筆、クレヨン、果ては色紙や布切れ、金箔と、様々な画材や素材が床に散らばっている。
最後、削ったパステルを指で乗せ終えたレイジが、満足げにふーと息を着くと、静かにつぶやいた。
「‥‥‥‥できた」
そういうと、レイジはしばらく絵をながめていた。
「うーんと、ヨウジ君。もうちよっと右」
什器をすっかり移動し終え、がらんどうになった美術室の教室では、三人が協力しながら照明の位置などを細かく確認していた。
その時、おもむろに美術準備室のドアが開いた。
「‥‥ちょっとミズキちゃんの所に行ってくる」
振り返ると、ハトロン紙にくるまれた大きなキャンバスを持つレイジが立っていた。
「レイジ君よかった!ようやく完成したんだね‥‥」
感慨深げにニーナが呼びかける。
レイジは照れくさそうに、
「心配かけちゃってごめん」
と小さく謝った。
「おー!レイジ、遂にできたんだな!
一体どんな絵になったか見してよ!」
「おい!つばめ。ハシゴが揺れるって。
‥‥でも、俺もちょっと気になる」
つばめはいてもたってもいられず駆け寄る。
ヨウジもハシゴの上から興味ありげにつぶやいた。
「だめ」
しかし、レイジは短く言う、
「えーなんで、減るもんじゃないのに!」
食い下がるつばめを前に、レイジは揺るがない様子で返す。
「だめなものはだめ。
この絵を最初に見せるのは、ミズキちゃんって決めてるから」
「‥‥なんだよ?お前ミズキのこと好きなのかよ。
普段あんなにどやされてるのに、どういう風の吹き回しだ?」
ヨウジが冗談っぽく尋ねる。
「‥‥‥‥‥」
つばめは思わずレイジを見た。
「‥‥そんなんじゃないよ。
ただ、ミズキちゃんには一番迷惑かけたちゃったから。
俺なりの誠意なだけ」
レイジはうつむくと、ぶっきらぼうに言った。
「じゃ、ニーナちゃん。
俺この絵いったん渡してくる。
すぐ戻るから」
それだけ言うと、小走りでレイジが出て行こうとする。
‥‥のを、つばめがとっさに呼び止めた。
「いや、ちょっと待って!
俺もついてく。‥その絵、俺が持つ。
大丈夫、絵は見ないから」
「え、どういう事?」
つばめの真意がわからないまま、レイジはいぶかしげに聞く。
「だってお前さ。覚えてるか?
初めて会った時、なんでもない階段につまづいて、頭からすっ転んでただろ」
「‥‥な、なにそれ!
まるで俺がどんくさいみたいな事言って」
レイジはムキになって反論する。
「いや、どんくさいよレイジ君は」
「うん。山岸はどんくさいな」
「‥‥な、なんだよ二人して!」
ひーんと泣き顔みたいな声を上げて、口をへの字に曲げてレイジがすねる。
その様子を見て、ニーナとヨウジはくすくすと笑うが、つばめの目は真剣だった。
「‥‥お前、ずっと頑張ってこの絵描いてただろ?
文化祭前日まで締め切りを伸ばしてさ。
ずっと納得いくまで何度も描き直してさ‥‥。
スランプになってもそれでも必死に描こうとしてたの、おれ知ってるよ。
だから、何描いてるのはわかんなくても、思いはわかる」
「‥‥‥」
「この絵、でかいじゃん」
「多分、お前のことだから、早く渡すのに急いで、抱えたまま慌てて走るだろ?
そこでまた転んだりぶつけたりして、この絵を"落として"何かあったりしたら、おれ、嫌だからさ。
だからおれが、責任もってミズキのところまで送り届けたい。‥‥だめかな?」
「う、うん‥‥そういうことなら。
わかったよ‥‥」
いつになく真剣なつばめの剣幕に押されるように、レイジは彼にキャンバスを渡すと、連れ立って教室を出て行った。
「あの二人、すっかり仲良くなったねぇ」
その後ろ姿を、ニーナは微笑ましく見ながら言った。
「‥‥‥そうだな。知らないうちに」
そう言うヨウジの表情は、どこかさびしげで、心の動揺を隠せずにいた。
(なんだよ‥アイツ。
山岸になんで、あんな顔してんだよ‥‥)
「‥‥さっきは真剣な剣幕で言うから、言いそびれちゃったけどさ‥‥」
本館から体育館に繋がる長い渡り廊下を歩く途中、レイジはふと切り出した。
「もしかして、つばめ君って"落とす"って、文字通りの意味だと思ってる?」
「え、違うの?」
つばめはキッパリと答える。
その言葉に、レイジは返す。
「‥‥違うよ。
ミズキちゃんが言ってた"落とす"っていうのは、物理的なことじゃなくて、締切に間に合わなくて制作を"落とす"ってこと」
「は。そんな業界用語知らねえし‥‥」
つばめがモゴモゴと言う。
レイジもまあそうだよね。と笑って返す。
「だいたい、前日あがりで間に合うのかよ」
つばめは心配そうにレイジに尋ねた。
「‥‥前にミーティングした時は、最悪前日の昼前までなら学校のコピー機フル稼働で制作すれば間に合う。
とは、言ってくれた」
「そっか」
その怒涛のスケジュールを思うと‥‥。
あの時のミズキの怒りは改めてごもっともだと、つばめは痛感する。
「本当はね、納期を優先して作ることもできたんだ。
実際、一回それでずっと早くに絵をあげてたんだ。
‥‥でも、ミズキちゃんに叱られちゃって」
「なんで?」
「"この絵が本当にアンタが描きたかったものなの?"
って一言。突き返されちゃって。
そんでいつもの口調で、
"あたし達は全力で演劇と向き合うから、レイジも作品に全力で向き合え。やり直し!"って」
「‥‥」
「まあそのせいで、こんなに遅くなっちゃったけど。
でも‥‥おかげでようやく納得いくものが描けた。
だから、一番最初にみせるのは、ミズキちゃんなんだ」
どこか誇らしそうな表情で、レイジは言った。
──そんな背景があったなんて。
つばめは、改めて絵を持つ手に力が入る。
「なんだか‥‥初めて廊下で会話した時を思い出すね」
レイジがしみじみと言う。
「確かに。あの時もこんな風に歩いたな。
俺がほとんど荷物持って」
「そうそう」
笑いかけるレイジの表情がこそばゆくて、つばめはなんだか気恥ずかしくなり、思わず外を見た。
あの日と同じ土砂降りの雨。
「‥‥なんかずっと前に思えるのに、冷静に考えたらまだ一週間ちょっとしか経ってないんだよな」
その時ふと、つばめは思った。
もし、明日の文化祭が終わって元の自分になれたら。
ヨウジとは、友達同士に戻れる。
──でも、レイジとの関係はどうなるんだろう?
「なあ。おれたちって‥‥」
勇気を振り絞ってつばめが聞くのとほぼ同時に、レイジが言葉を切り出した。
「あ、ついたよ」
あんなに時間はあったはずなのに、あっという間に二人は体育館にたどり着いてしまう。
「‥‥」
つばめはその先が言えず、会話は終わる。
時間はゆっくりと、でも確実に流れている。
「ミズキちゃん。絵、持ってきた」
体育館で演劇の最終チェックしているミズキのそばに行くと、レイジが小声で言った。
「‥‥‥ん」
ミズキはその後ろにいるつばめから、無言で絵を受け取る。
「もうすぐゲネプロおわるから、そしたら確認する。
レイジだけ残って。大河原は帰っていいよ。
絵はデータ化したら、またそっちに返す」
「お‥‥!じゃ、じゃあおれ、先帰ってるな‥!」
(よかった!今回はブチ切られなかった‥‥!)
さっきまであんなにいいエピソードを聞いたばかりなのに、それでもつばめはミズキと対峙する度に、また逆鱗に触れてどやされないかと気が気でなかった。
しかし、絵を届けた時の彼女はいつになく穏やかで、つばめはホッとした様子で、去っていった。
ゲネプロを終えたミズキは、体育館の倉庫を即席で改装した作業スペースで、絵を開封する。
「レイジ、あんた‥‥‥」
ミズキの目が大きく開く。
「‥‥‥‥‥‥‥‥うん。いい絵じゃん。
こっちも散々待たされた甲斐あったわ」
そのあと、目元が小さくゆるんだ。
「ミズキちゃん。
いろいろ気にかけてくれて、本当にありがとう。
俺さ‥‥‥この絵にぜんぶ描ききったよ」
そういうと、いつになくスッキリした顔でレイジは笑った。
「‥そ。ならいいじゃん。
少し早いけど、とりあえずお疲れ」
そう言うと、ミズキも小さく微笑んだ。
二人が絵を届けに行くのを見届けたあと。
残されたヨウジとニーナは、作品に添えるキャプションの製作をしていた。
流れ作業のように印刷した紙をヨウジが切り、それをニーナが台紙に貼り付ける。
「‥‥‥‥」
手は黙々と作業しながらも、ヨウジの頭の中は無意識のうちに、"あの日の事"を思い出していた。
──あの、雷の日。
「‥つばめ‥‥」
ヨウジは、保健室のベッドで眠ったままのつばめの手を握り、一人泣きながら途方に暮れていた。
「海野君、荷物持ってきたよ。ここ置いとく」
ふいに、カーテン越しにレイジの声が聞こえた。
「ッああ、わりぃ‥‥サンキューな」
ヨウジはとっさに涙を拭いて返事をする。
「開けるね」
返事も聞かずにレイジはカーテンを開けると、ずかずかと二人の空間に入ってくる。
そのままレイジはつばめを挟んでヨウジと向かい合うように、少し乱暴に椅子に座る。
「‥‥‥泣いてたの?」
「泣いてねえ‥‥」
鼻をすすりながらヨウジは返す。
その姿に、レイジはため息をついた。
「海野君さ‥‥。もっと正直になりなよ」
「‥‥‥どう言う意味だよ」
「だって手、ずっと繋いでるじゃん」
少しイラついた様子でレイジが言う。
「違っ、これは‥‥!」
レイジの指摘にヨウジは慌ててつばめの手を離した。
「‥‥本当は、俺が来るまで泣いてたんでしょ」
「ちげーよ‥‥‥」
「嘘ついてんの、バレバレ‥‥」
「‥‥つばめと俺は、友達だから‥」
「‥友達だから?
それだけで、そんな風になる?」
「‥‥‥‥」
「好きならちゃんと伝えた方がいいよ。
だってつばめ君は‥‥」
「‥‥ッ!だから違えって言ってんだろ!」
ヨウジは反射的に立ち上がって怒鳴る。
レイジは、眉一つ動かさずその姿をじっと見ていた。
「俺さ‥‥‥。
海野君見てると、ほんとイライラする。
‥‥せっかく、つばめ君のそばにいるのに。
なんで素直にならないの?」
一触即発の空気が漂う。
──その時、つばめの唇がかすかに動いた。
「う‥‥‥」
二人は一斉に彼の方をみる。
「俺、先生呼んでくるから‥‥!
海野君はここにいて」
レイジはそういうと足早に保健室を出て行った。
──あの日から、ヨウジはずっと考えている。
その感情の正体がわからないフリをして、
本当はうっすら気づいている。
でも‥。
この後に及んで、まだそのキモチに向き合えないでいる。
「あ、ヨウジ君。切るところそこじゃないよ」
ニーナの言葉にハッとする。
みると、文字の上にハサミが来てしまっていた。
「あ‥‥ごめん」
「"心ここに在らず"って感じだね」
ニーナが意味深に笑いながら言う。
「んーさては‥‥‥‥ずばり恋だね」
「はは。何言ってんの、ニーナちゃん」
冗談っぽく言うのを、ヨウジは乾いた笑いで返す。
「‥‥‥‥‥」
さっきまでは元気だったのに。
ミズキのところに一緒に絵を持っていくと言って二人が出ていったのを見てから、ガクッとヨウジは気落ちしていた。
(‥‥二人の間には、もうそんな関係がうまれていたのか‥。
これまでだったら、あんなふうにアイツとじゃれあっているのは、俺だったのに。
なんで、山岸なんだよ‥‥‥)
と打ちひしがれる目で、ぼんやりとヨウジは切り損じた紙をながめた。
「‥‥‥‥‥‥」
すると突然。
ニーナが唐突に、爆弾発言をカミングアウトした。
「‥‥‥‥ヨウジ君さ。
私、ミズキちゃんと付き合ってるの。知ってる?」
「‥‥‥‥‥‥‥え、マジで?」
ヨウジが絶句する。
「マジマジ。
ほとんど誰にも打ち明けてないけどね。
‥‥そっか、言ってなかったか」
「女同士で‥。それってどっちから告ったの?
‥‥キモチに気づいたのって‥‥いつから?
‥‥‥‥‥怖くなかったの?」
一呼吸おいて疑問がたくさんわいてきたヨウジは、一気にニーナに詰め寄る。
「‥‥興味津々じゃん。
まるで、自分のことみたいに聞いてきてさ」
「‥‥‥‥‥‥」
しかし、図星を突かれて黙りこくる。
「私から告白したよ。中学の頃に。
‥‥ああみえてミズキちゃん奥手だから。
キモチに気づいたのは‥‥そうだなあ。
中学校の頃にはもう好きだったね」
ニーナはそう言いながら、台紙に貼ったキャプションの端を指で押さえる。
「たぶん、私から告白しなかったら、
今でも片想いのまま、付き合ってないと思う」
「……‥へー。
ニーナちゃんって、そういうの結構グイグイいくんだな。なんか意外‥‥」
ヨウジの言葉に、ニーナは彼の方を見て笑った。
「まさか。めちゃくちゃ怖かったよ。
‥‥だって、好きって言ってもし嫌われたらさ。
今までみたいに話せなくなるかもしれないじゃん」
ヨウジの手が止まる。
「だから、告白する前はずっと悩んでた」
「…………」
「でもさ。本当は好きなのに‥‥。
何も言えないでそばにいるのって、けっこー苦しくない?」
「……」
「それに、相手だって同じ気持ちかもしれないのに。
自分が臆病になって何も始まらないのって……。
もったいないじゃん。
私はね、そう思ったの。
だから、行動した」
「ニーナちゃん‥‥」
本当に、似てるな。
つばめに。
顔立ちも、心の強さも。
ずっと最近モヤモヤしてんのは‥‥。
ここ最近ずっと。
あいつが山岸のことを嬉しそうに話すたび、
なんか、すげえイラつくんだ。
あいつが‥つばめの心がドンドン俺から離れて行ってしまってるような気がすると苦しくて‥‥。
ずっとそばにおいときたくなる。
かと思ったら、ヘンな夢をみたり、あいつのちょっかい出して、顔を真っ赤にして照れてる姿を見ると、なんか‥。
すごくムラムラする自分もいる。
だからつい、困らせてしまう。
‥‥‥ホントきもいよな。
これって一体、なんなんだよ‥‥。
「‥‥‥‥‥それはね、恋だよ」
「えっ?」
思わずヨウジは頭を上げる。
「‥‥心の声。
さっきからぜーんぶ、喋ってるよ?」
そういうとニーナは笑った。
「ただいまー‥‥」
そして、つばめが帰ってくる。
「おかえりー‥レイジ君は?」
「アイツはミズキと話してる‥‥。
おれだけ先に戻ってきた。ってあれ?」
つばめは心配そうに、真っ先にヨウジの元に行く。
「ヨウジ、どうしたんだよそんな顔して」
そういうと、ヨウジの顔をのぞきこむ。
「‥‥‥‥‥‥‥っ」
つばめの顔を見た時。
ヨウジは、胸の中でモヤモヤしていたキモチが、
すっと消えていくのがわかった。
(ああ。そっか。‥‥‥これが、恋か)
