君を好きになる前に

そして、月日はあっという間に流れる。

ーー文化祭前日。

この日は丸々1日が準備に当てられ、朝から各々が朝から日頃の部活動を成果を発表するため準備に打ち込んでいていた。

美術部の方からは、ニーナの大きな声が感嘆の声が聞こえる。


「わー、すごい!ほんっと助かる!」

そういうと、ニーナは満面の笑みで両手をポンポンと叩く。

「こんなの朝飯前よ!
もうニーナちゃん、なんでも言って!
俺らめっちゃこき使っていいから!」

ヨウジはこれ以上ないくらいのデレデレした顔で、教室の什器類を隅に移動している。

「おいヨウジ、鼻の下伸びすぎ」

後ろで共に什器を持つハジメが、呆れた様子で釘を刺した。



三人がわいわいとじゃれ合うのを他所に、奥の美術部準備室では、レイジが一人黙々と演劇部に提出する絵の制作の最終仕上げに差し掛かっていた。

床にはアクリル絵の具や色鉛筆、クレヨン、果ては色紙や布切れ、金箔と、様々な画材や素材が床に散らばっている。

最後、削ったパステルを指で乗せ終えたレイジが、満足げにふーと息を着くと、静かにひとりごちた。


「‥‥‥‥よし、できた」

そういうと、手慣れた手つきでフキサチーフで作品全体にスプレーをふりかけると、レイジはすこしの間、その絵をながめていた。



「うーんと、ヨウジ君。もうちよっと右」

什器をすっかり移動し終え、がらんどうになった美術室の教室では、まずヨウジがハシゴに登り、それをハジメが足元で支え、少し離れたところでニーナが照明の位置などを細かく指示しながら確認していた。

その時、おもむろに美術準備室の扉が開いた。



「‥‥ちょっとミズキちゃんの所に行ってくる」

振り返ると、そこにはハトロン紙にくるまれた大きなパネルを持つレイジが立っていた。

「レイジ君よかった!ようやく完成したんだね‥‥」

感慨深げにニーナが呼びかける。
レイジは照れくさそうに、
「心配かけちゃってごめん」
と小さく謝った。


「おー!レイジ、遂にできたんだな!
一体どんな絵になったか見してよ!」

「おい!ハジメ。ハシゴが揺れるって。
‥‥でも、俺もちょっと気になるな」

ハジメはいてもたってもいられず駆け寄る。
ヨウジもハシゴの上から興味ありげに呟いた。


「だめ」

しかし、レイジは短く言った。

「えーなんで、減るもんじゃないのに!」

食い下がるハジメを前に、レイジは揺るがない様子で返す。

「だめなものはだめ。
この絵を最初に見せるのは、ミズキちゃんって決めてるから」

「‥‥なんだよ?
お前ミズキのこと好きなのか?
普段あんなにどやされてるのに、どういう風の吹き回しだよ」

ヨウジが冗談っぽく尋ねる。
ハジメは思わずレイジを見た。

「‥‥そんなんじゃないよ。
ただ、ミズキちゃんには一番迷惑かけたちゃったから。
俺なりの誠意なだけ」

レイジはうつむくと、ぶっきらぼうに言った。

「じゃ、ニーナちゃん。
俺この絵いったん渡してくる。
すぐ戻るから」

それだけ言うと、小走りでレイジが出て行こうとする。
‥‥のを、ハジメがとっさに呼び止めた。



「いや、ちょっと待って!
俺もついてく。その絵、俺が持つ。
大丈夫、絵は見ないから」

「え、どういう事‥‥?」

ハジメの真意がわからないまま、レイジはいぶかしげに聞く。


「だってお前さ。覚えてるか?
初めて会った時、なんでもない階段につまづいて、頭からすっ転んでただろ」

「‥‥な、なにそれ!
まるで俺がどんくさいみたいな事言って」

レイジはムキになって反論する。

「いや、どんくさいよレイジ君は」
「うん。山岸はどんくさいな」

「‥‥な、なんだよ二人して!」

ひーんと泣き顔みたいな声を上げて、口をへの字に曲げてレイジがすねる。

その様子を見て、ニーナとヨウジはくすくすと笑うが、ハジメの目は真剣だった。


「‥‥お前、ずっと頑張ってこの絵描いてただろ?
わざわざ文化祭前日まで締め切りを伸ばしてさ。
ずっと納得いくまで何度も描き直してさ‥‥。

スランプになってもそれでも必死に描こうとしてたの、おれ知ってるよ。
だから、何描いてるのはわかんなくても、思いはわかる」

「‥‥‥」

「この絵、でかいじゃん」

「多分、お前のことだから、早く渡すのに急いで、抱えたまま慌てて走るだろ?

そこでまた転んだりぶつけたりして、この絵を"落として"何かあったりしたら、おれ、嫌だからさ。
だから、責任もってミズキのところまで送り届けたい。
‥‥だめかな?」

「う、うん‥‥それなら。わかったよ‥‥」

いつになく真剣なハジメの剣幕に押されるように、レイジは彼にキャンバスを渡すと二人は連れ立って教室を出て行った。


「あの二人、すっかり仲良くなったねぇ」

その後ろ姿を、ニーナは微笑ましく見ながら言った。

「‥‥そうだな。知らないうちに、なんだか活き活きしてる」

そう言うヨウジの顔はどこか寂し気だった。






「‥‥さっきは真剣な剣幕で言うから、言いそびれちゃったけど」


本館から体育館に繋がる長い渡り廊下を歩く途中、レイジはふと切り出した。


「もしかして、ハジメ君って"落とす事"って、文字通りの意味だと思ってる?」

「うん。違うの?」

ハジメはキッパリと答える。
その言葉に、レイジは返す。

「‥‥違うよ。
ミズキちゃんが言ってた"落とす"っていうのは、締切に間に合わなくて制作を"落とす"っていう事」

「は。そんな業界用語知らねえし‥‥」

ハジメがモゴモゴと言う。
レイジもまあそうだよね。と笑って返す。

「だいたい、前日あがりで間に合うのかよ」  

ハジメは心配そうにレイジに尋ねた。

「‥‥前にミーティングした時は、最悪前日の昼前までなら学校のコピー機フル稼働で制作すれば間に合う。とは、言ってくれた」

「そっか」

この後の怒涛のスケジュールを思うと、あの時のミズキの怒りは、改めてごもっともだとハジメは痛感する。

「本当はね、納期を優先して作ることもできたんだ。

実際、一回それでずっと早くに絵をあげてたんだ。
‥‥でも、ミズキちゃんに叱られちゃって」


「なんで?」


「"この絵が本当にアンタが描きたかったものなの?"
って一言。突き返されちゃって。

そんでいつもの口調で、"あたし達は全力で演劇と向き合うから、レイジも作品に全力で向き合え。やり直し!"って」

「‥‥」

「まあそのせいで、こんなに遅くなっちゃったけど。 

でも、おかげでようやく納得できるものが描けた。
だから、一番最初にみせるのは、ミズキちゃんなんだ」

誇らしそうな表情でレイジが言う。

‥‥そんな背景があったなんて。
ハジメは、改めて絵を持つ手に力が入った。



「なんだか、初めて廊下で会話した時を思い出すね」

レイジがしみじみと言う。

「確かに。あの時もこんな風に歩いたな。
俺がほとんど荷物持って」

「そうそう」

レイジの笑顔がこそばゆくて、ハジメはなんだか気恥ずかしくなり、思わず外を見た。

あの日と同じ土砂降りの雨。

「‥‥なんかずっと前に思えるのに、冷静に考えたらまだ一週間ちょっとしか経ってないんだよな」


その時ふと、ハジメは思った。

もし、明日の文化祭が終わって元の自分になれたら。

ヨウジとは、友達同士に戻れる。 
‥‥でも、レイジとの関係はどうなるんだろう?



「なあ。おれたちって‥‥」



勇気を振り絞ってハジメが聞くのとほぼ同時に、レイジが言葉を切り出した。

「あ、ついたよ」

あんなに時間はあったはずなのに、あっという間に二人は体育館にたどり着いてしまう。

「‥‥」

ハジメはその先が言えず、会話は終わる。

時間はゆっくりと、確実に流れている。

 



「ミズキちゃん。絵、持ってきたよ」

体育館で演劇の最終チェックしているミズキをなるべく邪魔しないようにそばに近寄ると、レイジが小声で言った。

「‥‥‥ん」

ミズキはその後ろにいるハジメを見ると、無言で彼から絵を受け取る。

「もうすぐゲネプロおわるから、そしたら確認する。
レイジだけ残って。大河原は帰っていいよ。

絵はデータ化したら、またそっちに返しに行くから」


「お‥‥!じゃ、じゃあおれ、先帰ってるな‥!」

(よかった!今回はブチ切られなかった‥‥!)

さっきまであんなにいいエピソードを聞いたばかりなのに、それでもハジメはミズキと対峙する度に、また逆鱗に触れてどやされないかと条件反射で気が気でなかった。

しかし、絵を届けた時の彼女はいつになく穏やかで、ハジメはホッとした様子で去っていった。





ゲネプロを終えたミズキは、体育館の倉庫を即席で改装した作業スペースで、レイジからの絵を開封した。


「レイジ、あんた‥‥‥」

その絵を見た時、ミズキの目が大きく開いた。

「‥‥‥‥‥うん。いい絵じゃん。
こっちも散々待たされた甲斐あったわ」

そのあと、目元が小さくゆるむ。


「ミズキちゃん。
今回のこと、本当にありがとう。
先生に直談判までして文化祭ギリギリまで待ってくれて‥‥‥。
ずっと俺が本当に描きたかったもの、自由に描かせてくれて」

レイジはそういうと、深々と頭を下げる。

「別にそういうのいいから。
そんで、周りに迷惑かけまくった結果、あんたの納得する絵は、ちゃんと描けたの?

ってまあ、聞くまでもないか」


「‥‥‥‥‥うん。
この絵に、ぜんぶ描ききった」

そういうと、いつになくスッキリした顔でレイジは笑った。


「そ。ならいいじゃん。
少し早いけど、とりあえずお疲れ」

そう言うと、ミズキも小さく微笑んだ。