君を好きになる前に

たどり着いたのは、美術室の奥にある準備室だった。

「で、コレはどこに置いたらいい?」

「あ‥‥それは一旦机とかに立てかけてもらえれば大丈夫」

「はいはい」

つばめはレイジの指示に従い、せっせと持ってきた画材や資材を彼の指定の場所におく。

「よいしょっと‥‥」

最後に、1メートル四方はありそうな大型のまっさらなキャンバスをイーゼルに立てかける。

「じゃあ、これで全部だよな。
そしたらおれはこれで‥‥」

「‥‥‥あ、ちょっとまって」

つばめがその場を後にしようとするのを、レイジが慌てて呼び止めた。

「あれ?まだ手伝う事あったっけ?」

「ううん。
そうじゃなくて。あ、あのさ‥‥‥。
俺ずっと気になってる事が、ひとつだけあるんだけど‥‥」

レイジはもじもじと、何が言いたげに言葉を探している。

「‥‥なに?」

「変な質問かもしれないけど‥‥聞いてもいい?」
「?‥‥まあ、いいよ」
「じゃあ言うけど‥‥‥。違ったらごめん」

「なんだよ。もったいぶんなって」
しびれを切らすようにつばめが急かす。

「‥‥」

レイジは少し黙って、それから、意を決したように言った。


「‥‥‥‥大河原君ってさ。
もしかして、ヨウジ君のこと好きでしょ?」

「‥‥‥‥‥え?」


いままでそんな大した絡みもない、いち同級生にすぎないレイジに、突然心のうちを見透かされたような一言を投げ込まれ、反射的につばめの体がびくっと強張った。

立てかけたイーゼルに体がぶつかって、大きな音を立ててキャンバスが床に落ちる。

「な、なんで?」

一瞬のうちにブワッと全身が逆毛だって、背中に嫌な汗が吹き出る。

どうして?どうしてバレた?

「んー。
‥‥‥‥なんとなく。
なんか、今日ずっと見てて思ったんだけど、なんかヨウジ君を見る時のつばめ君の顔が、昨日までと違う気がして」

「‥‥‥」

「‥‥‥なんだろ。
こんな言い方が合ってるかわかんないんだけど。
 
‥なんかさ。
あの雷の日を機に、つばめ君が変わった?
‥‥ような気がしてるんだよね‥‥」

「な、な、な‥‥‥」

な、なんで?

──なんでこいつは、俺の気持ちをこんな手にとるようにわかってるんだ?

「‥‥‥‥‥な、なんでわかるの‥?」

とっさに、つばめは心の声が漏れてしまう。

「‥‥やっぱり、そうなんだ」

その言葉にレイジはニヤリと笑った。

「へえー‥‥‥。そんなSFみたいなことって、本当にあるんだ」

なにを考えているかわからない。

獲物を捕食しようとする蛇のような、なにか得体の知れないことを企んでいるような視線を感じる。


どうしよう。
周りに言いふらされたら。

もしくは弱みを握られて、なにかトラブルに巻き込まれたら。

よくない考えばかり頭に浮かぶ。

「う‥‥‥‥‥」

しかし、そんな恐怖に反して意外にも、つばめの前に立ったレイジは、とても真剣な表情をしていた。

「‥‥つばめ君は、元に戻りたい?」


真面目な面持ちでレイジが聞く。

その表情につばめは拍子抜けして、一気に全身の力が抜けていくのがわかった。

「あ‥‥。
そりゃ、戻りたいに決まってるだろ。
こんなの‥‥‥」

それと同時に、一人でかかえていた悩みを一言でも誰かに打ち明けてしまったら、あとはもうせきを切ったように言葉が込み上げてくる。

「それまで友達と思ってヤツに、こんな気持ちを抱くなんて‥‥。自分が自分じゃないみたいで、ずっと気持ち悪いし、怖いんだ‥‥」


そう言いながら、つばめはみるみる涙目になっていく。

「誰にも‥‥‥‥絶対に知られたくない。
こんなの、周りにも‥‥‥。ヨウジにも‥‥‥」

そのままつばめは涙をこらえながらうつむいて、床をにらみつける。

「アイツの事、変な目で見ちゃう前のおれに戻りたい‥‥」

「‥‥大河原君」

震えるつばめの手をレイジは両手でぎゅっと握ると、優しい口調で言った。

「大丈夫だよ。俺、誰にも言わない。
周りには絶対この事は秘密にする」

「あ‥‥」

堪えてた涙がポロッとこぼれる。

「俺は大河原君の気持ち、絶対に否定しないから。
‥‥だから、ホラ。涙拭いて、ね?」

レイジは諭すようにそう言うと、つばめにハンカチを差し出した。

その言葉に、一切嘘は感じられない。


「ありがと‥‥。
なんか‥山岸って、いいやつだな」

つばめは不思議となんだか心が落ち着いて、泣きながら笑うと、ハンカチを受け取った。

「‥‥‥‥」

そのまま、すんすんと涙を拭くつばめを見つめながら、おもむろにレイジはつぶやいた。

「‥‥‥‥だって。その気持ち、俺もわかるし」

「えっ、それってどういう‥‥」

硬直してうろたえるつばめ。
レイジは、あっけらかんとした様子で彼に告げた。


「うん。
実はさ、俺も男が好きなんだ」


あまりにもさらりとレイジが言うので、つばめはさらに混乱する。

「え、そっ‥‥‥‥。そうだったの?」

「そうだよ」

「いつから?」

「うーんと、ずっと前から」

「まさか、山岸もヨウジの事‥‥‥」

「あ。ううん。それは違う」

そう言うと、レイジの前髪の奥に隠れた瞳がつばめの姿をしっかりととらえる。


「俺がずっと好きなのはね。
‥‥‥君だよ。大河原君」


「は?」

一瞬、気の抜けた声が出て後ずさる。涙は全部引っ込んだ。

「えっ?えええ?えええ──?」

わけがわからぬまま、思わず大きな声であっけにとられるのを見て、レイジはくすくすと笑った。


「そんな大きい声だしたら、外に聞こえちゃうよ。
安心して。厳密には、"君"じゃないから。

俺が好きなのは、昔の‥‥。
雷で変わっちゃう前の大河原君。

‥‥‥いわゆる"ノンケ"の君」


「ノンケ?」

「女が好きな男のこと」

「またそんな、ややこしいこと‥‥」


ぶつぶつ呟くつばめの肩に、レイジはポンと手を乗せて続ける。

「‥‥まあ、だから要するに。
俺としても大河原君には元に戻って欲しいわけ。

だから協力するし、約束する。
誰にも言わない、って」

「‥‥‥‥」

「もちろん、大河原君が元に戻っても、俺は絶対に君に迷惑はかけないから安心して。
だから‥‥‥」

そういうとレイジはまた真剣な眼差しで、何かをいいたげに言葉を溜めた。


「‥‥いや、やっぱりいいや」

しかし、そこまで言って口をつぐむ。



その直後、背後のドアが勢いよく開いた。

「‥‥うっわ。最悪‥‥。
ガサツ王サッカー部の大河原いんじゃん」

「あ。レイジ君ここにいたんだ!ずっと探してたよー!」

そこにはニーナと、ニーナの親友であり演劇部の部長であるミズキがノートパソコンを持って立っていた。

「おい、大河原!
うちらこれから演劇部のポスターの最終打ち合わせすんだから、おめーはさっさと出てけ」

「もー!ミズキちゃん口悪い!
でもゴメンつばめ、そう言う事だから。
ちょっと席外してもらっていい?」

「あ‥‥。それじゃ。
大河原君、また。文化祭まで、改めてよろしくね」


矢継ぎ早に三人に言われるまま、あれよあれよとつばめは教室から追い出される。

挙句に、ピシャァッ!と、ミズキに乱暴に教室のドアを閉められてしまった。

「‥‥はー。あいつマジ、性格キツ。
ったく、ニーナはなんであんなやつと昔からずっとつるんでんだよ‥」

追い出された扉の前でつばめは独りごちる。


──それにしても。

"大河原君が元に戻っても、俺は絶対に君に迷惑はかけないから安心して。だから‥"

だから‥‥。

そのあとは、アイツは一体おれになんて言おうとしてたんだろう?

つばめはその後しばらくの間、その場で途切れた言葉の先を考えていた。



「‥‥あのさ、おれって、なんか変わった?」

その日の晩。
つばめはニーナにおもむろに聞いた。

二人が囲む食卓の上には、手の込んだ栄養バランスのいい料理が並んでいる。

昔から共働きで鍵っ子だったつばめは、親が不在の際は同じマンション内にある、いとこであるニーナの自宅に何かと世話になることが多かった。

もっとも、普段はニーナの母を交えた賑やかな食事になる事がほとんどだが、稀にニーナの母の仕事が立て込むことがある。

そんな日は、こうして2人だけでひっそりと夕飯を取るのだった。

「急にどうしたの?髪でも切ったっけ?」

ニーナはもぐもぐ咀嚼しながら、すっとんきょうな声で返す。

「いや、そういうのじゃなくて内面の話。
なんかさ‥‥じつはあの時、山岸に言われたことがあって」

「レイジ君に?」

ニーナの表情が止まる。

「何を?」

「うん‥‥なんか、おれが昔と変わったって」

「‥‥」

「"雷に打たれてから、人が変わったみたい"だって」  

「‥‥」

そこまで言って、つばめは箸を止めてニーナに聞いた。


「‥‥でもさ、意味わかんなくない?
おれ、自分じゃ何も変わったつもりないんだけど」

ニーナはしばらく黙ってつばめを見つめると、言った。

「つばめは‥‥"変わった"って言われて、どう思ったの?」

「え‥‥」

質問をしたのに逆に質問で返され、つばめは言葉に詰まってしまう。

「変わったって言われて、嫌だった?」

そりゃあ、‥‥嫌だった?怖かった?
なんだか答えがまとまらない。

「んーと‥‥‥わからない‥‥‥自分でも。
だから、ニーナに聞いたんだ」

戸惑ったようにうつむくつばめを見て、ニーナはふっと笑う。

「‥‥レイジ君ってさー。
昔からそういう変なところ見るつけるの、上手いんだよ。
多分つばめは知らないだろうけど」

「‥‥変なところ?」

ニーナはうなずいて続ける。


「例えばね。絵がめっちゃ上手な人ってさ、観察眼がすごいの。

ふつーの感覚じゃ、思いもしないような目線で物事をとらえて、想像して。
時には補完して、描き起こしていくのね。

だからたぶんレイジ君には、つばめの自分じゃ見えてない部分が見えてんだと思うよ」

そういうと、ニーナは味噌汁を一口飲む。

意味がわかるような、わからないような。

「まあでもさ。
つばめが本当に変わったんだとしたら、私はちょっと安心するけどなー」

「え?」

「だって昔のつばめって、なんか自分を取り繕ってる感じがして、なんか息苦しかったもん。
肩に力入りっぱなしというか‥‥」

「なんだよそれ」

「……だからまあ、いいんじゃない?
変わることってさ、自分で思ってるより、意外と悪いもんでもないかもしれないよ」

そうケラケラ笑うと、ニーナはあっという間にご飯を平らげた。