幸福な王子の恋人

よく、ものの例えで「雷に打たれたような衝撃」とか表現することがある。


突然、それまでの世界から見えるもの全てがガラリと変わってしまうような‥‥そんな感覚。

これまでずっとそんなのはただの比喩だと思ってた。

でもいまの自分は、まさしくそれだった。

今日も学校であった時はドキドキして仕方なくて、つい目で追ってしまったり、逆に目線を知られたくなくて、ヘンに避けてしまったり。

あれからずっとヨウジのことが頭から離れない。

おかげでぜんぜん寝付けず、睡眠不足の頭は言葉がなかなか頭にはいってこない。

「‥‥‥‥‥」

天気は、ずっと土砂降りのまま。
うす暗い景色をぼんやり眺めながら、つばめは小さくため息をついた。

──あの雷が、自分の中の何かを変えてしまった。
なんだかそんな気がしてやまない。


「‥‥っていいかなと思ってんだけど。って‥‥‥おーい!つばめ!」

と、そんな物思いは、ヨウジのツッコミで一瞬で引き戻される。

「‥‥はっ」

間近には、ヨウジの顔。

少しあどけなさの残るワイルドな顔立ち。ヨウジの切れ長のまぶたが、こちらをじっと覗き込んでいる。

「ッ!」

ヨウジだけじゃない。
部室な集まったサッカー部の他メンバーも、ホワイトボードを囲んで全員がつばめの事を見ていた。

「つーばーめ?
さっきの話、聞いてたか?」

「え‥‥‥‥本当ごめん。
考えことして全然聞いてなかった‥‥。
‥‥‥‥何だっけ?」

つばめの言葉に、ヨウジはため息をつくとホワイトボートを叩きながら言った。

「‥‥‥‥‥文化祭だよ!ぶ、ん、か、さ、い!

天気予報が急変して、ここ最近ずっと大雨だろ?
オレらはグラウンドでシュートゲームする予定だったけど、この感じだと当日は無理っぽそうじゃん?って。

体育館は演劇部のやつらが終日使うからダメだし、教室でサッカーボール蹴るなんて絶対許可降りるわけないし。

だから残念だけど、今年のサッカー部は文化祭のブース出店は急きょ取りやめにするって話!
とりあえず、ここまではオッケー?」

「はい‥‥‥」

そういえばそんな事を言っていたな、とつばめはぼんやり思い出す。

「で、こっからが本番な。
とはいえさ、せっかくの文化祭、手持ち無沙汰になるのも嫌じゃん。

だから、オレたちみんなで手分けして『他の部活動のブースに応援に入るのはどうか?』ってのが、オレからの提案!」

「おお。お前にしては真っ当なアイデアじゃん」

「"しては"は、余計!でも、結構いいだろ?」

つばめの言葉に、ふふんと鼻高々にヨウジは続ける。

「まあ‥‥我がサッカー部は?
学校を代表する花形の部活動だけど?

‥‥だからこそ、こういう時は一歩引いて、周りの手助けするのも今後の部の評判に一役買うってわけ」

「ほうほう」

「ってわけで、各々早いもん勝ちで手伝いたい部活動を指名すること!
‥‥‥はいはーい!そしたらオレ、美術部!」

「‥‥っておい!
それ、ただ単にニーナのそばに行きたいだけだろ!」

つばめは思わず手元にあった紙を丸めると、ヨウジに投げる。

「せいかーい!」

コツっと紙の塊を受けながらヨウジは笑う。その場が少し、やわらかく和む。

少々寸劇交じりなプレゼンだったものの、ヨウジの案は好意的に受け止められ‥‥あれよあれよと、ヨウジのペースで話は進んで行く。


「──お。なんだ。
希望する部活動もバラけたな。これならみんな第一候補の所でよさそうだ」

ホワイトボートのメモを眺めながら、満足そうにヨウジがつぶやく。

他のメンバーは全員希望する部活の名前を上げ終わっている。あとはつばめだけ。

「じゃ最後つばめ。お前はどこの部活手伝う?」

「えっと‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
えっと、じゃ、じゃあ‥‥‥‥俺も美術部」

「ん。おっけー」

「当日にお前がニーナに変なちょっかい出さないように、監視役する。いとこ代表として」

「保護者かっ!」

照れ隠しに言ったつばめの冗談に、ヨウジは軽い口調で吹き出す。二人のジョークにつられて周りも和む。

「‥‥‥」

つばめの理由は半分本当で、半分嘘だった。

もう半分は‥‥。
心のどこかでヨウジのそばにいたい、と思ったから。



「おし。じゃあオレいまみんなで決めた事、この後すぐ顧問に伝えてくるから」

ディスカッションも終わり、ホワイトボートにをスマホで撮るなりヨウジは言った。

「多分こっからは各々配属した部活動伝いで指示が下りてくると思う!

ほいじゃ、しばらく自主練続くけど、各々励むよーに!
‥‥つばめ!片付けよろしく」

ヨウジは矢継ぎ早にそう言うと、全てをほったらかしたまま、一目散に出て行ってしまう。

「ったく。お前の後始末はいっつもおれかよ‥‥」

独り言をいいながら、つばめは書き殴りっぱなしのホワイトボートの文字を消していく。

「こういうところが、本当にいい加減なんだよなー‥」

だけど、昔からここぞと決めた時の決断と行動力は高い。
現に、ただのアイデアベースだった議題はヨウジを中心にあれよあれよと話が固まっていく。

「相変わらず海野は自由人だなぁ」
「‥‥でもまぁ、なーんかヨウジが中心になると断れないんだよな」

そう語る部員たちの話し声が聞こえきて、つばめの顔は思わずゆるむ。

そう。人を巻き込む力だけはすごいんだよな。あいつ。

つばめはそんなヨウジを微笑ましく思いながら、静かにホワイトボートを整えた。




美術部の指示はまあ‥‥。
今晩にでもニーナに直接聞けばいいか。あいつ部長だし。

部室の片付けを終えて教室に戻る道すがら、つばめはぼんやり思った。

「あ」

ふと顔を上げると、少し離れたところで転校生のレイジが、たくさんの荷物を抱えながらヨタヨタと歩いてくるのが見えた。

(え‥‥こいつも美術部だったんだ‥)

つばめは、なんとなく立ち止まってその姿を見てしまう。

山岸レイジ。
半年ほど前に隣のクラスに転入してきたという転校生。

風の噂では、中高一貫のそこそこ有名な私立に通っていたのに、なぜかわざわざそこから来たとかなんとか。

同じサッカー部でレイジとクラスメイトの悪友は、彼をもっぱら『変わり者』と評している。

"暗いわけじゃないんだけど、なんかいつもボーッと教室の窓とかばっか見てて、絡みづらいんだよな‥‥"

つばめはその時、彼をはじめてじっくりと見た。そして、なるほどたしかに、こだわりの強そうな人物だと思った。

すらっとした背の高い色白な体に、キリッとした鼻筋と口元。

なによりも印象的なのはまばらに伸ばした前髪で目を隠したそのぼさぼさに伸びた髪型。それがどことなく気だるそうな彼のアンニュイな雰囲気を一層引き立てていた。

彼は、大小さまざまなパネルの束や画材の詰まったカバンをいくつも下げ、トドメに大きなまっさらなキャンパスとイーゼルまでかかえていた。

荷物が重たいのか、単にスタミナがないだけなのか、少し歩いてはすぐに荷物をすべて下ろし、一息ついてまた抱えて歩きだす。

小まめに休憩しながら、のしのし髪の毛を揺らして廊下を歩いていく姿に、つばめは何となく、"ゴールデンレトリバーのお散歩動画"を思い出した。

雨で湿った床にレイジの上履きのソールが擦れる音と雨音だけが、二人以外誰もいない廊下に響く。

「よっこらせ‥‥‥」

しかし当の本人は、手に持った大量の荷物が死角になり、つばめの存在に全く気づいていない様子だった。

そんなレイジをぼんやり眺めていて、つばめはある事に気づく。

(あれ?)

レイジの足元は、自らが抱えた荷物で完全に隠れてしまっている。

(‥‥ちょっと待て。
あいつ、このままだと多分階段で転ぶな‥‥)

そう思って、つばめはとっさに声をかける。

「山岸!階段‥‥‥」

その呼びかけに、ひどく驚いた様子でレイジは声のする方を振り返った。

「‥えっ‥‥つばめ‥大河原君?!」

一瞬。

──なんでこいつは俺の名前を知ってるんだ?

とつばめは思ったが、それも忘れるくらいレイジの足取りが危なっかしくて、つばめはたまらず大声で叫んだ。

「ほら!あっ、こけるって!」

スローモーションになったみたいに、ゆっくりとレイジの体が傾いていく。

「あ。あ、わ、わぁ───っ」

そしてそのままの勢いで、レイジは盛大に階段から足を踏み外した。

「お、おい!山岸ーッ!」

どた、どた、どた!と。
予想通りにレイジは転んで行った。
それはまるで、舞台コントでも観ているような見事な落ちっぷりだった。

そういえば‥‥。
こいつ、そうだったかも!

その時つばめは思い出した。

少し前に、授業中にレイジのクラスがバレーボールをやっているのが窓から見えたことがあったが、終始レイジはでかい体を縮こませ、まるで"無理やり風呂場に連れてかれたゴールデンレトリバー"のように、不安気にコートをウロウロするばかりだったことに。

『ううう‥‥』

なんて泣き声が聞こえてきそうなくらい絶望した顔で、パスが回ってきても全然ボールを飛ばせずにヤジられ、一人コートの隅でたたずんでいたことに。

その時、やけにその姿が可哀想で面白くて、つばめは密かに吹き出していたけど。

────でも、まさかここまでどんくさい奴だったとは‥‥!!!

と、つばめは感動すら覚えた。

「‥‥‥‥?」

そして、目の前のレイジは派手な音を立てて落ちた割には、怪我ひとつなくケロッとした顔で、何が起きたかわからない顔をしてこちらを見ている。

「‥‥ぷっ。あはははは!」

つばめはそんなキョトンとした表情がツボに入り、心配するよりも先に思わず吹き出した。

「わ、笑わないでよー!」

レイジが顔を真っ赤にして、独特のへなへなした声で抗議する。

「わりー。あんまりにも綺麗なフォームですっ転んでいくの見たら、どうしてもおもろいが勝っちゃうわ‥‥あと顔」

「し、失礼な!
‥‥大河原君が急に後ろから声かけるからだろ。
そんなの誰だってびっくりするって!」

(それにしても‥‥)

クスクスと笑いが収まらないながらもつばめは、さっきからあまりにも自然にレイジが自分の名前を呼ぶのに違和感を覚えていた。

「そういやお前、転校生なのによくおれの名前がわかったな?」

いぶかしげにつばめが聞く。

「‥‥‥‥だって、うちの学校サッカー強いから。大河原君、こないだも試合で海野君と大活躍だったじゃん。校門前によくのぼりも出てるし。それで覚えたんだ」

そういうと、レイジはうつむき加減でぐしゃぐしゃになった前髪を手ぐしで整える。

と言っても、彼にとっての"整える"というのは、洒落っ気のついた男子高校生のするそれではなく、いつも決まって長い前髪を下ろし、かたくなに目元を隠す事を指していた。

レイジは、普段は何か注意を受ければすぐに直し、ルールは基本的に順守する生徒だった。

しかし、この長い前髪だけ何度も指摘されても揺るがず、かたくなに直すことはなかった。

「ふーん。ま、別にいいけどさ。
それよりも、怪我とかないか?立てる?」

そういうと、つばめはレイジに手を差し出す。

「う、‥‥うん」

その手を、レイジはびっくりしたような顔で見つめるとおずおずと握った。

「大丈夫、ありがとう」

レイジの掌は少し汗ばんでいた。
つばめはその手をしっかりと掴むと彼の体を引き起こす。

「そういえば‥‥」

その時ふと、昨日養護教諭から言われた言葉がよみがえった。

──二人の荷物は山岸君が持ってきてくれてるから‥‥今度あったらちゃんと彼にお礼言っておくのよ──

つばめが記憶する限り、この学校にその苗字をもつのは彼しかいない。
あの時、養護教諭の言った『山岸』とは、他ならぬレイジのことだった。

「あ!‥‥‥あのさ、山岸」

「なに?」

「言うの遅くなってごめん。昨日はありがとうな。

──雷のとき。おれたちの荷物持ってきてくれたの、山岸なんだろ?
先生から聞いたよ。おかげで、おれもヨウジも助かった」

「‥‥‥‥よかった。
俺もずっと気になってたから」

レイジの長い前髪からかすかにみえる瞳がにっこりとほほえむ。

「あの時、海野君すっごい動揺してたから。俺も心配してたんだ」

「‥‥え、よ、ヨウジが?
そ、そ、そうだったのか。
ふーん‥‥」

突然出てきたヨウジの苗字に声がうわずるのを、つばめは必死に取り繕う。

「うん。俺が最初に駆けつけた時、ものすごい取り乱してた。大河原君のこと必死に揺さぶって起こそうとしてたし」

「そんな‥‥‥そうだったのか‥‥」

ヨウジが自分のために、密かにそんな風に思ってくれてたなんて。

つばめの心はなぜか変に浮き足立ってしまう。


しかし。
同時に一点、あることにも気づく。

「あれ?でもそれって‥ 。
てことは、おれたちの第一発言者って、お前だったんだ?」

「うん。まあ‥‥‥。
あの日はたまたま、文化祭用の絵を描いてて、ちょうどずっと外を見てたから。‥‥‥ホラ、この絵」

そういうと、レイジは床に散らばったパネルを一つ、表にひっくり返して見せた。

それは、グラウンドを窓から眺めた構図で描かれた水彩の風景画だった。

「え。絵、めっちゃ上手っ!
お前ってこんな絵上手いんだな」

つばめが感嘆の声を上げるのを、レイジはまんざらでもない様子で見つめると、また別のパネルを見せた。

「ちなみに、こんなのも描いてる」

今度は、どこかの小川を切り取った油絵。本物さながらに水面が乱反射するさまも精密に捉えている。

「すご!うまっ!」

美術の成績だけは、昔から頑張ってもからきしなつばめにとって、それらの絵は魔法や手品のように見え、ひたすら素直に感嘆の声を上げる。

「‥‥あ、てか。そういや顧問から聞いた?」

「なに?」

「‥‥おれらさ、この雨で文化祭のブース中止になったから。前日準備と当日は俺とヨウジが美術室のボランティアする予定」

「‥‥‥なにそれ、聞いてない」

レイジは驚いた様子で、ぱあっと顔を輝かせながら目を見開く。

「え。すっごくうれしい」
「そ、そんなに?」

噛み締めるように言うレイジに、つばめは少し引き気味に返す。

「ま、いいけどさ‥‥あ。
てかごめん。めっちゃ長話してるわ。

まあ今後はボランティアって事で。
とりあえずこれ、運ぶの手伝うわ」

「え、いいよ大丈夫!自分で持てるから‥‥」

申し訳なさそうにレイジは言う。

「‥‥いやいや。
あんな風に派手にずっこける姿目の前で見たら、手伝うしかないっしょ」

そう返すとつばめは笑って、レイジの返事も待たずにテキパキと荷物をまとめて小脇にかかえると、手際よく歩き出す。

「‥‥こういうのはさ、パズルゲームの要領でもっと効率的にまとめればいいんだよ‥‥‥。ほら、行こーぜ。山岸」

「うん‥‥」

レイジはうつむきながら答える。

激しく降り続く雨音が、静かな廊下に響いている。

颯爽とした足取りでつばめが歩いていくのを、レイジはのそのそとした足取りでついて行く。

背格好はレイジの方が大きいのに、先を歩くつばめの方がずっとたくましく見える。それがなんだかいびつで面白くて、レイジはつばめの背中をながめる。

「つばめは‥‥変わらないね。
‥‥‥あの頃とおんなじだ‥‥」

誰にも聞こえない小さな声で、レイジはつぶやいた。