君を好きになる前に

よく、ものの例えで「雷に打たれたような衝撃」とか表現する事がある。
突然それまでの世界から見えるもの全てがガラリと変わってしまうような‥‥そんな感覚。

これまでずっと、そんなのはただの比喩だと思ってた。

でもいまの自分は、まさしくそれだった。



今日も学校であった時、ドキドキして仕方なくて、つい目で追ってしまったり、逆に目線を知られたくなくて、逆張りでヘンに避けてしまったり。

昨日からずっとヨウジのことが頭から離れない。

おかげでぜんぜん寝付けず、睡眠不足の頭はなかなか言葉が頭にはいってこない。

どうしたらいいかわからなくて、ハジメは不意に窓の外をみる。

「‥‥‥‥‥」

天気は、あの日からずっと土砂降りのまま。

うす暗い景色をぼんやり眺めながら、ハジメは小さくため息をついた。

あの雷が自分の中の何かを変えてしまった。 

なんだか、そんな気がしてやまない。






「‥‥っていいかなと思ってんだけど。って‥‥おーい!」

と、そんなハジメの物思いは、ヨウジのツッコミで一瞬で現実に引き戻される。


「あ‥‥」

ハッと正気に戻る。
部室に集まったサッカー部のメンバーがホワイトボードを囲んで輪になりディスカッションをしている中、皆一様にハジメの事を見ていた。

「ハージーメ?
さっきの話、聞いてたか?」

呆れたようにヨウジが言う。


「え‥‥‥‥‥。
本当ごめん、全然聞いてなかった。
‥‥‥‥何だっけ?」

「ったく。お前が上の空になるなんて、よっぽどエロい事でも考えてたのかよ?ほんっとうにスケベだなー」

「う、うっせーな!」


「‥‥‥‥‥文化祭だよ!ぶ、ん、か、さ、い!」


ヨウジはホワイトボートに書き込まれた文字を指差しながら言う。

「昨日あたりから、天気予報が急変しただろ?

俺らは文化祭でグラウンドでシュートゲームする予定だったけど、多分当日はそれ無理っぽそうじゃん?って話で。

体育館は演劇部のやつらが終日使うからダメだし、教室でサッカーボール蹴るなんて絶対許可降りるわけないだろ。

だから残念だけど、今年のサッカー部はブース出店は取りやめにするって話!

とりあえず、ここまではオッケー?」

「はい‥‥‥」

そういえばそんなような事を言っていたな、とハジメはぼんやり思い出す。



「で、こっからが本番な。
とはいえさ、せっかくの文化祭、手持ち無沙汰になるのも嫌じゃん。

だから、俺たちみんなで手分けして他の部活動のブースに応援に入るのはどうか?ってのが俺からの提案!」


「おお。お前にしては真っ当なアイデアじゃん」

「"しては"は、余計!

でも、結構いいだろ?
まあ、我がサッカー部は?代々学校を代表してきた花形の部活動だけど?

‥‥だからこそ、こういう時は一歩引いて、周りの部活動の手助けするのも今後の部の評判に一役買うってわけ」

「ほうほう」

「ってわけで、各々早いもん勝ちで手伝いたい部活動を指名すること!

‥‥‥はいはーい!そしたら俺、美術部!」

「‥‥っておい!
それ、ただ単にニーナのそばに行きたいだけだろ!」

ハジメは思わず手元にあった紙をくしゃっと丸めると、ヨウジに投げる。

「せいかーい!」

コツっと紙の塊を受けながらヨウジは笑った。

その場が少し、やわらかく和む。

少々寸劇交じりなプレゼンだったものの、ヨウジの案はハジメを含め、他のメンバーにも概ね好意的に受け止められ‥‥あれよあれよと、ヨウジのペースで話は進んで行った。

「お。なんだ。
希望する部活動もしっかりバラけたな。
これならみんな第一候補の所でよさそうだ」

キュキュっとマーカーの音と立てながら、ホワイトボートに取ったメモを眺めながら、ヨウジが言った。

他のメンバーは全員希望する部活の名前を上げ終わっている。あとはハジメだけ。


「じゃ最後ハジメ。お前はどこの部活手伝う?」

「えっと‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
えっと、じゃあ、俺も美術部」

「ん。おっけー」

「当日にお前がニーナに変なちょっかい出さないように、監視役する。いとこ代表として」

「保護者かっ!」

照れ隠しに言った冗談に、ヨウジは軽い口調で吹き出すと、つられて周りも笑った。


ハジメの理由は半分本当で、半分嘘だった。 

もう半分は、心のどこかでヨウジのそばにいたい、と思ってしまったから。

でも、それは言わない。


相変わらず外は土砂降りで、雨が止む気配は全くなかった。




 
「おし。じゃあ俺今みんなで決めた事、この後すぐ顧問に伝えてくるから」

ホワイトボートに取ったメモをスマホで撮ると、ヨウジは言った。

「多分こっからは各々配属の部活動の奴からいろいろ指示が下りてくると思う!

ほいじゃ、検討を祈る!
しばらくは各々自主練に励むよーに!‥‥あと片付けよろ!」

ヨウジは矢継ぎ早にそう言うと、全てをほったらかしたまま、一目散に部室を出て行ってしまう。

「おいおい‥‥」

呆れたように、ハジメは書き殴りっぱなしのホワイトボートの文字を消した。

「こういうところが、本当にいい加減なんだよな‥‥」

だけど、昔からここぞと決めた時の決断と行動力は高い。現に、ただのアイデアベースだった議題が、ヨウジを中心にあれよあれよと話が固まっていく。

「でもまぁ、さすがうちのエースだわ」

そうつぶやくハジメの顔は笑っている。

(人を巻き込む力だけはすごいんだよな。あいつ)

ハジメはそんなヨウジを微笑ましく思いながら、ホワイトボートを整えた。




美術部の指示はまあ‥‥後でニーナに直接聞いてみるか。

なんて考えながら、ハジメは教室に戻る途中に歩いていると、誰もいない廊下でばったりとクラスメイトの山岸レイジとかちあった。

「あ」

と言っても、当の本人は手に持った大量の荷物に集中していて、ハジメの存在に全く気づいていない様子だった。

「よっこらせ‥‥‥」

すらっとした背の高い体に、ぼさぼさの長い前髪。

大小さまざまなパネルの束や、画材の詰まったカバンをいくつも下げ、トドメに大きなイーゼルをかかえては、少し歩いてはスタミナが切れたのか下ろし、またかかえて歩く。

小まめに休憩しながらのしのし廊下を歩く姿は、さながら図体のでかい赤ちゃんのようだった。

(‥そっか、確かこいつも美術部だったっけか‥)

レイジのそのいでたちを見て、ハジメはふと思い出した。


ハジメの通う学校は、幼稚園から大学までのエスカレーター式になっている。

もちろんヨウジのように中学や高校からスポーツ推薦などで入学してくる者もいるが、幼稚園からストレートで上がってくる「純粋培養」も一定数いて、ハジメやレイジ、ニーナなどはその典型だった。

とはいえニーナはともかく、ハジメにとってレイジはただの"いち同級生"でしかない。

いつも人の輪から少し離れたところでいつもぼーっとしてる。なんでもない、ただのクラスメイト。という印象でしかなかった。

「‥‥‥あれ?」

そんな事を回想しながらレイジを眺めていて、ハジメはふとある事に気づいた。

レイジの足元は、自らが抱えた荷物で完全に隠れてしまっていることに。

(ちょっと待て。あいつ、このままだと多分階段で転ぶな‥‥。)

そう思って、ハジメはとっさに声をかける。


「山岸!階段‥‥‥」

「えっ?」
ほら。あっ、こける。

ハジメの声に、ひどく驚いた様子で振り返ったレイジが、そのままの勢いで、盛大に階段から足を踏み外した。


「あ。あ、わ、わぁーーーっ」

そして‥‥予想通り、転んだ。
それはもう頭から。勢いよく。


その時、ハジメは思い出した。

(そうだ。確かこいつって幼等部の頃からずっと、運動はからきしだったんだっけか‥‥)
と。

そういえば。
少し前に授業でバレーボールをやった時だって、終始レイジはでかい体を縮こませ、"まるで無理やり風呂場に連れてかれたゴールデンレトリバーみたいな顔"で不安気にウロウロするばかりだったことに。

「ううう‥‥」

時折パスが回ってきても、全然ボールを飛ばせずチームメイトにヤジられ、一人絶望した表情でコートの隅でたたずんでいたことに。


その時も、やけにその姿が可哀想で面白くて、ハジメは密かに吹き出していたけど。

(でも、まさかここまでどんくさい奴だったとは‥‥!)

と、ハジメは感動すら覚えた。


「‥‥ぷっ。あはははは!」

ハジメは、レイジがあまりにも綺麗に階段から転げ落ちるものだから、ず心配するよりも先に、思わず腹を抱えて笑ってしまった。

「笑わないでよー!」

イーゼルやパネルの束に埋もれたレイジが、独特のへなへなした声で抗議する。


「ごめん、ごめん。
てか本当にお前っておもろいくらいに運動能力皆無だな」

「だって。大河原君が急に後ろから声かけるから、誰だってびっくりするって!」

「だとしても、だろ!あーおもろ。
本っ当に綺麗なフォームですっ転んでくから、心配するより笑っちゃったよ」

「うるさいなぁ、もう」

「第一、こんな前が見えづらい前髪してるから転ぶんだろ。うちの部活なら顧問に一発でブチ切れられるぞ、そんな頭」

ハジメは笑いながら、レイジの前髪を指差す。

「‥‥うちの学校、頭髪指導は強制じゃないから別にいいじゃん」

むすっとした様子で、ぐしゃぐしゃになった前髪を手ぐしで整えるとレイジは言った。

‥‥と言っても、レイジにとっての"整える"というのは、洒落っ気のついた男子高校生のするそれではなく、いつも決まって瞳の前に長い前髪を下ろし、かたくなに目元をまばらに隠す事を指していた。

レイジは、普段は教師から何か行動を咎められたり注意を受ければすぐに直し、ルールは基本的に順守する聞き分けの良い生徒だった。

しかし、この長い前髪だけは彼が中学生から今まで何度も注意されても揺るがず、いくら教師やまわりに叱られてもかたくなに直すことはなかった。

数年前、校長が代変わりして校風が変わったあたりで、昔ほど厳しく風紀指導をする事がなくなった。周りの教師たちは観念したようにレイジの前髪を注意する事がなくなり、今に至っている。


「ま、別にいいけどさ。
ほら。怪我ないか?立てる?」

ハジメはそう言って手を差し出す。

「あ‥‥‥うん」

差し出れたその手を、レイジはびっくりしたような顔で見つめる。

「‥‥‥‥」

その後、おずおずと手を取った。
レイジの掌は少し汗ばんでいる。


その時ふと、ハジメは昨日養護教諭から言われた言葉がよみがえった。

"二人の荷物は保健委員の山岸君が持ってきてくれてるから。カーテンの前に置いてあるそうだから、今度あったらちゃんと彼にお礼言っておくのよ"

あの時、養護教諭の言った保健委員の山岸とは、他ならぬレイジのことだった。

「あ!そういえば‥‥!あのさ、山岸」

「なに?」

「言うの遅くなってごめん。
昨日はありがとうな。
あの‥‥雷のとき。おれたちの荷物持ってきてくれたの、山岸なんだってな。

おかげでおれもヨウジもめっちゃ助かったよ」

「‥‥‥‥よかった。
俺もずっと気になってたから。
今日学校に来たハジメ君が元気そうで、すごく安心した」

レイジの長い前髪からかすかにみえる瞳が、にっこりと微笑む。


「あの時、ヨウジ君すごい取り乱してたから。
俺も心配してたんだ」

「そっ!‥‥‥。そ、そ、そうだったのか。ふーん‥‥」

突然出てきたヨウジの名前に声がうわずるのを、ハジメは必死に取り繕う。


「うん。俺が最初に駆けつけた時‥‥ものすごい取り乱してた。

俺が、『頭打ってるかもしれないから離れて』って言ってもきかなくて、揺さぶって起こそうとしてたし。

ヨウジ君があんな風になってるの、俺はじめてみた」

「そんな‥‥‥。そうだったのか」

ヨウジが自分のために、密かにそんな風に思ってくれてたなんて。

ハジメは変に浮き足立ってしまう。

しかし。
同時に一点、あることにも気づく。


「あれ?でもそれって‥ 。
てことは、俺たちの第一発言者って、山岸だったんだ?」

「うん。まあ‥‥‥。
あの日はたまたま、文化祭用の絵を描いてて、ちょうどずっと窓の外見てたから。‥‥‥ホラ、この絵」


そういうと、レイジはかたわらで散らばったパネルを一つ、表にひっくり返して見せた。

それは、雨の降るグラウンドを窓から眺めた構図で描かれた水彩の風景画だった。

「え。絵、めっちゃ上手っ!
あれ、お前ってこんな絵上手かったっけ?‥‥おれ知らなかった」

ハジメが感嘆の声を上げるのを、レイジはまんざらでもない様子で見つめると、また別のパネルを見せた。

「ちなみに、こんなのも描いてる」

今度は、どこかの小川を切り取った油絵。本物さながらに水面が乱反射するさまも精密に捉えている。

「すご!うまっ!」

美術の内申点だけは、昔から頑張っても2以上は取れないでいるハジメにとって、それらの絵はとても珍しく興味深いものに見え、ハジメは素直に感嘆の声を上げた。


そんなハジメを見て、レイジは自嘲気味にボソッと言う。

「俺は全ての運動能力を引き換えに、美術に全ベッドしてるんだ。‥‥大河原君の真逆」


「悪かったな。絵が下手で。
‥‥あ、てか。そういや顧問から聞いた?」

「なに?」

「‥‥おれらさ、この雨で文化祭のブース、中止になったから。
当日は俺とヨウジが美術室のボランティアする予定」

「‥‥‥なにそれ、聞いてない」

レイジは驚いた様子で、ぱあっと顔を輝かせながら目を丸くする。


「え。すっごくうれしい」
「そ、そんなに?」

噛み締めるように言うレイジに、ハジメは少し引き気味に聞く。

「だって、美術部って地味だもん。華があるサッカー部の二人が手助けしてくれるなんて、それだけで心強いよ」

「そんな、もっと自信持てって。
こんな絵かけるなんて、充分すごいじゃんか。
‥‥あ。てか、ごめん。めっちゃ長話してる。
まあ今後はボランティアって事で。とりあえずこれ、運ぶの手伝うわ」

「え、いいよ大丈夫!自分で持てるから‥‥」

申し訳なさそうにレイジが言う。

「いやいや。
あんな風に階段でずっこける姿見ちゃったら、手伝うしかないっしょ」

そう返すと、ハジメは笑った。


そういうと、レイジの返事も待たずにハジメはテキパキとパネルやイーゼルをまとめて小脇にかかえ、手際よく歩き出す。

「ほら、行こうぜ。山岸」
「う、うん‥‥」

レイジはうつむきながら答えた。




激しく降り続く雨音が、静かな廊下に響いている。

のそのそと歩くレイジの前を、颯爽とした足取りでハジメが歩く。背格好はレイジの方が大きいのに、ハジメの方がずっとたくましく見える。

それがなんだかいびつで面白くて、レイジはハジメの背中を眺めた。

「大河原君って‥‥。
相変わらず、優しいんだね」

誰にも聞こえない小さな声で、レイジはつぶやいた。