君を好きになる前に


「あんまり見ないで‥‥」

幼い頃のハジメ君は、俺がじっと見つめると、いつもそう言って恥ずかしそうに両手で顔を隠していた。

ある時、俺はそんなハジメ君の手をはぎ取って言った事がある。

「だめ。ちゃんと見せて。
‥‥俺の目、見て」

ハジメ君は顔を真っ赤にして、俺の事をじっと見つめながら言った。

「ぼく、レイジ君の事見てると変な気持ちになる‥‥」

「変じゃないよ。俺も一緒だよ」

「うん‥‥」

そうして手を繋ぎあって、ずっと言葉にできないモヤモヤした感情を確かめ合う。

この気持ちをどうしたらいいのかわからないけど、幼い俺たちは、ただ言葉を交わして、繋いだ手や唇ごしに触れ合うだけでよかった。

お互いの心の中だけに秘めた、幸せな記憶。




だけど‥‥‥その年の夏。
すべてがバレてしまった。

ハジメ君の部屋でこっそりとキスをしていたのが、ハジメ君の両親に見つかってしまった。

その後すぐ、俺たちは互いの両親と担任を交えた面談が設けられた。

ハジメ君のお父さんはずっと憤慨した様子でわめき散らしていて、お母さんはその隣で、置物のように座っているだけだった。

俺は、ハジメ君のお父さんに一言、

「穢れた目でうちの子を見るな」

とだけ言われた。


その言葉に、それまで黙って聞いていた俺の両親もスイッチが入り、俺らは置いてけぼりのまま、お互いの親同士で言い合いが始まった。脇で担任が必死になだめているのを、俺たちはじっと見ていた。


「‥‥なんで?
どうしてレイジ君を好きになったらいけないの?」


大人達が大声で喧嘩をしている中、ハジメ君が泣きそうな声で小さくつぶやいたけど、誰もその理由を教えてくれなかった。

それが、俺が知ってるハジメ君の最後の姿だった。




そのすぐ後に夏休みが来て、それが明けた頃、ハジメ君は頬に痛々しいガーゼを何個も当てながら登校してきた。

「‥‥」

ハジメ君は、別人のように雰囲気が変わっていた。


「ハジメ君、久しぶり‥‥」

いつものように肩に触れて、挨拶をする俺に、彼はぼんやりとうつろな目で、吐き捨てるように言った。

「‥‥やめて。
そういうのキモいから。

もうおれに触んな。
おれのこと、ジロジロ見んなよ」

そう言う彼は、とても悲しい目をしていた。

俺はその目を見た時、
「ああ。彼は自分で自分の心を殺してしまったんだ」
と思った。



その日から、俺は髪を伸ばした。

前髪を伸ばして目を隠さないと、
どんどん彼を不幸にしてしまう気がしたから。

だって俺は、どんなにキモいと汚いと言われても、思いは変えられない。‥‥ハジメ君への気持ちは、どうしても忘れられなかったから。

どんなに取り繕っても、きっと俺の目は雄弁に語ってしまうだろう。
ならせめてもう誰にも悟られたくなくて、髪の毛を伸ばした。




‥‥あの雷の日から、確かにハジメ君は変わったよ。

でもそれは、俺の目にはハジメ君が本当の自分を少しだけ取り戻したように見えたんだ。

だって、ヨウジ君と一緒にいる時のハジメ君の表情は、子どもの頃に見てたあの笑顔にそっくりだったから。

‥‥だから、それでよかった。

幸福な王子の絵は、そんなハジメ君を思って描いたんだ。でもそれは決して、俺の理想や憧れだけを絵にのせたんじゃない。

ハジメ君に、本当の自分に気づいて欲しかった。
そして、辛い過去や記憶を振りほどいて‥‥。

今度こそ、幸せになってほしかった。
俺のことは忘れたままでも。
ハジメ君が笑ってくれるなら、それでいい。

それが俺の願いだったんだよ。










レイジは二度目の雷の時、ハジメの姿を保健室の窓からずっと見ていた。

「‥‥‥‥」

一人で慟哭する彼を見て、本当は何度も足がハジメの方に向いていた。

でも、そうして保健室の窓に手をかけた時、遠くから一目散にハジメの元に走っていくヨウジの姿が見えて‥‥やめた。

そして、一言。

事前にあんなに口酸っぱく言ったのに、気がつくと危ない場所にフラフラと歩いて行こうとするハジメを見て、とっさに窓から大声で叫んでいた。


聞こえないかもしれない。
それならそれでいい。
ヨウジが助けに入るから、きっとなんとかなるだろう。

そう思って、後ろを向いた時、背後で大きな雷が落ちるのがわかった。

ハッとなって、振り返る。
二人は無事だった。

‥‥‥‥よかった。


そのまま保健室のベッドに潜り、頭からシーツをかぶって目を閉じると、レイジはそのままひっそりと泣いた。


全部おしまい。
でも、これでいいんだ。これで。

‥‥さようなら、ハジメ君。



泣き疲れてうとうと眠たくなった頃、レイジは心の中でつぶやいて目を閉じた。

その時、鍵をかけていたはずの保健室のドアが開いた。


誰かが入ってくる。

(ニーナちゃんか、先生が戻ってきたのかな‥)

そう思って、レイジはそのままベッドで狸寝入りをした。


しかしその人物は、保健室にはいるなり、真っ直ぐにレイジのいる保健室のベッドのカーテンの前に向かうのがわかった。

おぼろげに、カーテン越しに人影がみえる。

そしてふいに、その人影は自分に向けて声をかけてきた。


「レイジ、いるんだろ?」

その声にドキッとして、反射的に返答してしまう。


「‥‥‥なんで、ハジメ君がここにいるの?」

「謝りたくて、来た」

「‥‥‥‥」
 
「さっきはごめん。
おれ、自分のことしか考えてなかった」

「そんなのいいよ、気にしなくて‥」


「絵、みたよ」

レイジの体が固まる。

「おれ、思い出した。ぜんぶ。
‥‥教えてくれてありがとう」

ハジメの言葉に、レイジはベッドを降りて、カーテンの前でたちすくむ。


「‥‥お前さ。
前に元に戻っても友達でいて、って言ったけど。
あれ嘘じゃん。

まえに叶わなくても、遠くからみてるだけでいいって。そんな恋もあるなんて、そんな強がり言ってたけどさ。あれも全部嘘じゃん。

だって俺、なんにも変わってないんだから」

「‥‥」

「最初からレイジは俺のこと、ずっと見てくれてたんじゃん」


「‥‥‥‥‥」

「気づくの、遅くなってごめん。
でも、たくさん遠回りして、ようやくわかった。

おれ、レイジの事が好きだ。
ずっと、ずっと前から‥‥。

レイジは‥‥おれのこと好き?」



ゆっくりとカーテンが開く。

レイジがうつむいていた顔を上げると、そこには泥まみれでぐしゃぐしゃになったハジメが立っていた。

「ぶはっ‥‥きったな‥‥」

そのあまりのみすぼらしい姿に、レイジは吹き出す。

「うるさいな。笑うなよ」

「ごめんごめん。‥‥ぶふっ‥」

「笑うなったら!」

他愛のないやり取りが続く。


「あーあ。
こんなに泥だらけになって‥‥」

そう言って、レイジは頬についた泥を指でぬぐう。

「‥‥」

そのうち自然と、気づいたら指先がハジメの頬を撫でていた。

「‥‥好きだよ。

好きに決まってるじゃん。
俺だってずっとずっと、大好きだったよ」

と、ハジメをまっすぐに見つめて言った。

「‥‥‥‥」

二人の間に沈黙が流れる。

そのまま、二人はゆっくりと抱きしめあった。

ハジメのずぶ濡れの服がレイジの制服に染みこんでくる。
でも、冷たい雨水も、泥も、どうでもいい。

共に抱きしめあっていると、まるで二人のからだが一つになったような感覚になった。

「‥‥ハジメ君」

おもむろにレイジが聞く。

「なに?」

「‥‥キスしていい?唇に」

「うん。
いいよ‥‥して」

そういうと、目を閉じて静かに口づけをした。

保健室の窓の外はすっかり雨上が上がっていた。ただ静かに、雲の隙間から差し込んだ光だけが、キラキラとグラウンドを照らしている。

その窓の外も見ないまま、二人はお互いを慈しみあうようにキスをして、お互いの体を抱きしめあった。

その時、二人の止まっていた時間が、ゆっくりと動き出すような気がした。