幸福な王子の恋人

 
 サマーキャンプから帰ったあと、俺たちの距離はさらに縮まった。

 でも幼いながらも"こういうこと"は、周りには秘密にしないといけない、というのは理解していた。

 でも‥‥触れたいキモチは止められない。
 だからその日も、いつものようにじゃれあって、隠れてキスをした。

 ──それがまさか、見られていたなんて思いもしなかった。

 つばめ君のお父さんから学校にクレームが入ると、俺たちは晒し者にされ、お互いの両親と担任を交えての面談が設けられた。

 つばめ君のお父さんは一言。
 俺に吐き捨てるように言った。

「気色悪い。穢れた目で息子を見るな」

 その言葉に俺の両親もヒートアップして、いつしか俺達を差し置いて大人達の間で罵詈雑言が飛び交う。

「なんで‥‥?
どうして、レイジを好きになったらいけないの?」

 つばめ君が小さな声でつぶいたけど、誰もその理由を教えてはくれなかった。


 ──そしてそれが、俺が知ってるつばめ君の最後の姿になった。

 そのあとすぐ夏休みが来て、それが明けた頃。
 つばめ君は頬に痛々しいガーゼを何個も当てながら登校してきた。

 その顔つきは、別人のように雰囲気が変わっていた。

「久しぶり‥‥」

 つばめ君は挨拶を交わす手を跳ねのけると、うつろな目でぼんやりと言った。

「‥‥触んな。おれのこと、ジロジロ見んなよ。
‥‥‥‥‥気色悪い‥‥‥」

 人は、心があまりにも辛いと、自分の身を守るためにそこだけ記憶をなくすことがあるらしい。

 つばめを傷つけたのは、俺だ。

 俺はその事実が耐えられなくなって、その日から彼に近づくのをやめて、髪を伸ばし始めた。

 目を、心を、隠さないと、どんどん彼を不幸にしてしまう気がしたから。
 きっと俺の目は雄弁に思いを語ってしまう。
 ならばせめて、これ以上誰にも気づかれたくなかった。

 つばめ君の傷は時間と共に癒えていく。
 だけど右頬の深い傷だけは、そこだけうっすら跡になって残ってしまった。

 傷跡だけを残して、俺の髪は伸びていく。

 ──そして完全に目を隠すことに慣れた頃、俺とつばめ君は別々の中学に通っていた。


 絵を本格的に描き出したのはその頃。
 記憶の中の彼を忘れないように、描くことで繋ぎ止めておきたかったから。

 でも没頭するうち、自分でも描く事自体が楽しくなった。親もその気になり高校からは画塾にも通わせてくれた。

 その画塾で、ニーナちゃんと再会した。
 彼女は、俺たちの関係を当時から言わずとも気づいていた。ニーナちゃんに誘われて、ある時俺はつばめ君の試合を観に行った。

 数年ぶりに見る彼は、観客席からでもすぐにわかった。
 背が伸びて顔立ちは大人びて、声も変わっていたけれど、面影はそのままで、走り方も変わってなかったから。

 海野君が何か言うと、つばめ君が笑う。
 試合中も二人のコンビネーションは抜群で順調に点を獲っていく。しかし相手も負けじと食らいつく。
 そして、海野君に託されたPKでつばめ君が勝ち点を獲り‥‥チームは勝利した。

 俺は試合中、ずっと泣いていた。

 だってそれまで俺は、ニーナちゃんからまだつばめ君の心の傷は癒えてない、と聞いていた。

 でも、目の前のつばめ君はピカピカの姿で、俺の知ってる大好きな彼だったから。
 だから、海野君を見る彼の視線の意味もわかった。

 ──きっとつばめ君は。
 海野君のことが好きなんだよね。
 君のその笑顔を見てたらわかるよ。 

 ‥‥‥それでいいんだよ。

 俺はつばめ君に、誰かを好きになることを諦めてほしくなかった。

 会えなくなってからずっと、彼のことが気がかりだった。でもあの日見た海野君の横にいるつばめ君は、ずっと笑っていた。

 それだけで、よかった。
 
 俺は、つばめ君の幸せを守りたい。
 君の笑顔の為なら俺はなんだってする。 

 あの試合を観た時、心に誓った。 

 そしてその日から俺は親を説得して、半年前。
 ついに学校に編入した。


 ──本当はね。
 俺たちの高校での出会いは、あの廊下じゃないんだ。
 本当は、もっと前‥‥。
 転校初日の時にすでに会っていたんだよ。

「おい!おまえこれ、落としたぞ」

 そう言って俺を呼び止めると、両手で抱えた教科書一式の上にのっけてたプリントが風で飛んでしまったのを、君が拾ってくれたんだ。

「‥‥ありがとう‥‥‥」

 その後すぐに君はヨウジ君に呼ばれて、俺のことハッキリみないまま走り去ってしまったけど。
 
 たぶん、つばめ君は覚えてない。
 でも、俺は覚えている。
 それでいいんだ。

 ──そしてあの日。雷が落ちた。

 "雷に打たれて性格が変わる"なんて、ハッタリだ。
 嘘の中にいくつかの本音を混ぜて、すべては君に近づくための設定だった。

 だけど準備室でつばめ君が『元に戻りたい』と泣いた時、俺はハッタリだとわかってても、彼の願いを叶えてあげたくなってしまった。

 同時にどこかで、あの日をもう一度再現したらつばめ君の中で何かが変わるかもしれない。と思う自分もいた。

 だから俺は賭けに出て、君はそれに乗ってくれた。

 でも、つばめ君の心を変えて‥‥‥‥。
 俺は一体なにがしたかったんだろう。

 海野君と一緒になるように導く方が、つばめ君は笑顔でいれるのに。俺はつばめ君に幸せになってほしいはずなのに。なんだってするって誓って、もう一度君と巡り会ったのに‥‥。

 つばめ君のそばにいたら、どんどん心が膨らんでいってしまう自分がいた。

 「幸福な王子」の絵も‥‥。
 どうしても抑えきれなかった。

 つばめ君を、あの思い出を描きたくなってしまった。君の横顔に焦がれて、こっそり落書きをした昔の自分が、君を諦めてくれなかった。

 そんな迷いだらけのキモチで上手くいくわけもなくて。結局賭けには負けて‥‥俺はまた、つばめ君を傷つけてしまった。

 本当に、最低だ。

 でも結局、バタフライエフェクトのように、最初からこうなるべきところにすべてはおさまった。

 これで‥‥‥‥‥よかったのかな。
 


 ──二度目の雷の時、レイジはつばめの姿を保健室の窓からずっと見ていた。

 慟哭するつばめの背中を見て、本当は何度も足が彼の方に向いていた。
 そうしてたまらなくなって、飛び出そうと窓に手をかけた時、遠くから一目散につばめの元へ走っていくヨウジの姿が見えて‥‥やめた。

 ただ、一言だけ。

 あんなに口酸っぱく木に近づくなと伝えていたのに、フラフラと欅に歩いて行こうとするつばめに気づいて、とっさに叫んでいた。

 聞こえないかもしれない。
 それならそれでいい。
 海野君がいるから、きっと彼がなんとかする。

 そう思って後ろを向いた時、グラウンドに大きな雷が落ちるのがわかった。

 ハッとなって振り返る。二人は無事だった。

 ヨウジは、つばめを強く抱きしめていた。
 その姿を見てレイジは胸を撫で下ろす。

(‥‥ああ‥‥‥)

 長い長いレイジの願いは、その時ようやく果たされた。

 そのまま二人はゆっくりと、お互いの顔を近づける。
 まるで恋人同士のように。

 ───よかった。これでいいんだ。これで───。

 それなのに。
 レイジはそう思うのになぜか苦しくて、その先の二人の姿が見れなかった。

「ッ‥‥‥!」

 そのまま彼は保健室のベッドに潜りこむと、声を押し殺して泣いた。

(‥‥なんで?なんで、こんなに悲しいんだ?)

 その涙は、かつて二人を初めて見た時の、つばめの密かな恋心を悟った時の涙とはぜんぜん違った。

 苦しくて、切なくて、悲しい。

 俺はずっと、この時を待ち望んでいたはずだ。
だって海野君なら大丈夫。きっとつばめ君を悲しませない。俺よりずっと彼を笑顔にできる。

「あ‥‥」

 溢れて止まらない涙を拭った指を見て、レイジは小さく声を上げる。

 いつかの日に、つばめに絆創膏を貼ってもらった人差し指。すっかり傷は塞がって、跡だけが残っていた。

「‥‥‥‥‥‥‥」

 レイジはそれをしばらくみつめると、自らの口元に当て、体を丸めて瞼を閉じた。

(‥‥‥さようなら、つばめ‥‥‥)

 泣き疲れた体は、そのままゆっくりと眠りに落ちていった。

 あーあ‥‥。
 せめて、君と友達のままでいたかったな‥‥。




「はっ、」

 誰かが教室の鍵を開ける音で、浅い眠りから目が覚める。そのまま扉が開き、静かに誰かが入ってくる。

(‥‥‥しまった、いつのまにか寝てた‥‥)

 腕時計をみる。
 20分も経ってないくらいだった。

(多分ニーナちゃんだな‥‥。様子見に来てくれたのかな‥‥?)

 ひとしきり泣いて少し眠れば、悲しみも冴えて冷静になる。レイジは静かにベッドから降りると、カーテン越しにこちらに歩いてくる人物に向けて言った。

「‥‥ごめん、ニーナちゃん。
心配しないで。俺もう元気になったから‥‥」


「‥‥おれだよ」

 その声に息が止まる。

「‥‥‥‥つばめ君?!
な、なんでここにいるの?
海野君と一緒だったんじゃ‥‥」

「ヨウジには、フラれた!」
あっけらかんとした声でつばめが返す。

「‥‥‥てかさ。
そんな事はどうでもいいんだよ。
おれ、レイジに謝りたくて来たんだ。

あのさ‥‥‥さっきは本当に、ごめんなさい。
許してもらえるかわからないけど‥‥。
どうしても謝りたくて‥‥‥‥」

「もういいよ、そんなの。気にしなくて‥‥」


「あとさ‥‥。絵。みたよ」

 レイジの体が固まる。

「おれ、忘れちゃっててごめん‥‥。
思い出すの、ずっと待っててくれて、ありがとう‥‥。

とりあえず‥‥これだけは言わせて」

 白いカーテンに彼のシルエットがおぼろげに見える。
 つばめはそう前置きをすると、布越しにレイジと対峙する。

「──お前のせいじゃないから」

「え?」

「おれがずっとレイジとの記憶を忘れてたのは、レイジのせいじゃないから」

「そんな……何言ってんの。
もうわかってるんでしょ?

つばめ君は俺と一緒にいたから傷ついて、俺を忘れたんだよ‥‥?

だから、俺は君を幸せにできない‥‥。
ずっとそう思って‥…」

 レイジはうろたえるように、言葉を探しながらうつむく。

「ばかじゃねえの」

 鼻声になったつばめが、その言葉をぴしゃりとさえぎった。

「おれ、忘れたんじゃないよ。
‥‥守ってたんだ。レイジとの思い出が。
幸せだったから‥‥」

その言葉に、レイジはうつむいていた顔を上げて、カーテン越しに彼を見た。

「ずっと前から、二人でいるだけで幸せだったの、おれ知ってるよ」

「‥‥‥‥‥‥」

「だからさ‥‥お願い。
これからは、おれから離れないで。
どこにもいかないで。
そばにいておれのこと、ちゃんと見て‥‥」

 その時、ゆっくりとカーテンが開く。
 開けたのは、レイジだった。

「へへ‥‥」

 つばめは彼を見つけるなり、涙まじりのくしゃくしゃの笑顔で、両手を広げた。

「‥‥だいすき‥‥!」

 その瞬間、レイジは感情が一気にたかぶり、反射的につばめを抱きしめていた。

「‥‥‥‥‥‥つばめ‥‥つばめ!」

 噛み締めるように何度も名前を呼ぶと、彼を胸に強く抱き止める。そこにはもう、以前のような遠慮もためらいもない。

「‥レイジ‥目を見せて‥‥」

 つばめはそう言うと、彼の前髪を手でよける。
 レイジの澄んだ涙まじりの瞳の中には、泣き顔のつばめが映っている。

「もう、おれの前で隠しちゃダメだよ‥‥‥」

 つばめはそう笑いかけると、背中に手を回して、思い切り彼を抱きしめる。

 「‥‥うん‥‥‥‥。
これからは、本当の自分で‥‥。
‥‥ずっとつばめのそばにいる‥‥‥‥」


 レイジもずっと胸に溜めてた思いを吐き出すように伝えると、つばめの頬を伝う涙をかわりに拭った。

「ずっとだよ、ずーっと‥‥」

 つばめのずぶ濡れの服がレイジの制服に染みこんでくる。雨水も、泥も、すべて分かち合う。
 かつて、あの幸福な記憶の中で、びしょ濡れのからだで抱きしめあったぬくもりを、ただ二人は思い出していた。

「───つばめ」

 ふと、おもむろにレイジが聞く。

「‥‥なに?」

「君のくちびるに、キスしてもいいですか?」

 まるで演劇の台詞のように尋ねるレイジに、つばめは笑って答える。

「──もちろん。わたしも君を愛しているんだ」

 つばめもまた芝居かかった言葉で返す。

 そう言うと二人は目を閉じて、軽く触れるだけのくちづけをする。

「ふふふ‥‥」

 そのまま照れくさそうに顔を見合わせはにかむ。
 互いの瞳は、溜まった涙でキラキラと宝石のように輝いている。

「‥‥‥‥」

 また、どちらともなく顔が近づいてキスする。

 抱きしめる力にあわせて、くちづけは次第に深くなっていく。これまで共に過ごせなかった年月を確かめるように、二人は夢中でくちびるを重ねた。

 その時、ずっと止まっていた時間がようやくゆっくりと動き出していくのがわかった。

 ──きっとこれは、終わりじゃなくてはじまり。