君を好きになる前に

秋の天気は変わりやすい。

お昼まではあんなに晴れていたのに、数時間後の今はねずみ色の雨雲が空を分厚く覆っている。

「あ、雨」

サッカー部の練習終わり、グラウンドでボールカートを押すヨウジは、自分の頬に小さな雨粒が落ちてきたのに気づき反射的につぶやいた。

「降水確率、四時から九十パー。
しかも、かなりやばい雨らしいよ」

ヨウジの隣で、カチャカチャとプラスチックがすれあう音を立てながら、コーンの束をかかえたハジメが返す。

「え、マジで?」

「マジマジ。‥‥だってずっと前からニュースで騒いでたじゃん。ヨウジみてないの?」

「えーーーーー!そうなの?
俺、傘持ってきてねえよー」

落ち込むヨウジの顔を覗き込むように、ハジメはいたずらっぽく笑いながら言う。

「‥‥‥‥おれ、あるよ。
しかも折りたたみじゃないでかい奴。」

「マジ?」

さっきまで絶望的だったヨウジの表情は、ハジメの言葉で一瞬で明るくなる。

「え、帰り駅まででいいから入れてくんない?」

「あ。でもおれ今日ニーナん家で晩飯食べるんだった」

「うえーー!そこをなんとか!
俺も今日この後、人と会うんだよ!
ずぶ濡れなんてカッコつかねえー」

「‥‥なんて、ウソウソ。
いいよ。さっさと片付け終わらそうぜ」



他愛のないやりとりを交わしながら、二人はグラウンド脇の用具庫に向かうと重い扉を開けた。

夏の蒸し暑さが残る建物内は、むわっとした独特の湿気が溜まっている。ハジメは慣れた手つきでチェックシートのバインダー取り出すと、コーンの数を書き込みながらヨウジに聞いた。


「ヨウジ、ビブス全部ある?」
「ある!」
「ん。じゃあボールは?」

「多分‥‥‥‥‥全部ある!」


勢いだけで自信満々にキッパリと返すヨウジの言葉に、ハジメはため息をついて呆れる。

「もういい、おれ数えるから、お前がチェックシート書いて」

「えー?ハジメって、ほんと変なとこ几帳面だよな。
こんなのパパッと終わらせて、早く帰ろうぜー」

「バカ。お前がズボラすぎるんだよ、ったく‥‥。
こないだボール無くして顧問に叱られたばっかだろ。お前」



1、2、3、4‥‥。
と、ハジメが手際よくボールを数える横で、手持ち無沙汰のヨウジは一人くるくるとボールペンを回している。

「あのさあ‥‥‥。
ニーナちゃんってさー‥‥いいよな」

おもむろに、ヨウジが呟いた。

「俺、ああゆうムチっとした清純派女子、めっちゃタイプなんだよなー‥‥」

また出た。その話。
と言わんばかりにヨウジを一瞥するとハジメは、手を休めずにボールを数え続ける。

「あー?ニーナね。あいつ食い意地しかないよ。
部屋着もダサいし」

「うわ!出た強者のコメント!
いいなあ。たまに家に泊まったりすることもあるんだろ?いとこ同士で幼なじみなんて、そんなんエロ漫画の設定じゃん!」

「家に泊まってたのは、小学生の頃のハナシ!
‥‥今は親が仕事でいない時とかに、たまに食事に呼ばれるだけだよ」

「えー?でもさあハジメはさ、ニーナちゃんにドキッとしたことないのかよ?」

ボールを数える手が止まる。
ハジメは、ばかばかしいと言わんばかりの口調で返す。

「‥‥‥ないね。まったく」

「いーや絶対ウソ!強がんなって。誰にもいわねえからさぁ、正直になれよー。な?絶っ対あるだろ?"禁断の恋"的なさあ!」

「っ、しつけーな!
だから本当にないって!」

どんどんヒートアップするヨウジのまくし立てに、ハジメは思わず語気が強くなる。

「‥‥なんだよ、冗談じゃんか」

バツが悪そうにヨウジが言う。

「あ‥‥ごめん。つい、おれもカッとなった‥‥」

さっきまでポツポツ降りだった雨は急激に勢いを増し、あっという間に用具庫の天井を殴りつけ始める。

「‥‥アイツは、妹みたいなもんだから。
それにいとこ同士は結婚できるから、禁断の恋でもなんでもないし。それに‥‥‥」

激しく雨の降る音が倉庫内に響く。ハジメはぼんやりとした表情でそこまで言って、ハタとつぶやく。


「‥‥‥‥あ。どこまで数かぞえたか、忘れた」









「あーあ。ひでー雨」


ボールをイチから数え直し、最終チェックをして用具庫から出る頃には、雨はすっかりバケツをひっくり返したような土砂降りに変わっていた。


遠くから微かに雷鳴の音が聞こえる。

扉の前の小さなひさしの下で、かろうじてハジメと二人で身を寄せ合いながら雨宿りをするヨウジは、情け容赦なく降る豪雨を恨めしそうに睨みつけると、しみじみとつぶやいた。



「悪い。おれがモタモタしてたから‥‥‥」

申し訳なさそうにハジメが言う。

ヨウジはそんな彼をじっと見つめて少し何かを考えた後、にやりと笑った。

「んー‥‥‥。そんじゃ、最初に部室までたどり着いた方がアイスおごりで!」

そういうと、間髪入れずにヨウジは雨の中を走り出す。
 
「え?あっ、ずる!フライング!」

急いでハジメもその後を追う。


「人生、先に走ったモン勝ち!」
「なんだそれ、意味わかんねーし!」

「勝てば官軍!」
「絶対意味違う!」

雷の音が遠くで聞こえる度、ぎゃーぎゃーと声を上げながら、二人は土砂降りのグラウンドを駆け抜ける。

ヨウジはさすが部のエースストライカーと言わんばかりに、ハジメとは段違いの足の速さでぐんぐん差を広げていく。


「おい!遅いぞハジメ!早く!」

雨で前髪が額に張り付くのも気にせず、ヨウジは振り返って笑う。

「お前が速すぎんだよ、ばーか!」

つられてハジメも笑顔になり、その背中を捕まえようと必死に走る。


あとちょっと。

グラウンドの真ん中あたりで、ハジメはあと少しの所でようやくヨウジの背中をとらえた。

指先が届きそうになった、その瞬間。

「あっ!」

ハジメはぬかるみにはまって転んでしまう。

とっさにヨウジは振り返ると、呆れた様子で笑って、ハジメの元へ引き返した。

「何やってんだよ、ハジメ。大丈‥‥‥」


━━━━それっきり。
そう言って手を差し伸べようとして、それっきり。

突然、すべてが白い稲光でかき消された。


何も見えない。

一瞬のうちに、世界を砕くような轟音を上げて、大きな雷が二人の近くにある欅に落ちた。

ハジメはなにが起きたのか何もわからぬまま、そのままぷっつりと意識が途絶えた。






次に目を覚ますと、保健室のベッドにいた。

「先生!大河原君が目を覚ましました‥!」

保健委員が大声をあげて養護教諭を呼びにいく声をぼんやりと聞きながら、ハジメはゆっくりと体を起こす。

「ここは‥‥?」

「ハジメ!」

ずっと横にいたであろうヨウジは椅子から転げ落ちる勢いで、一目散にハジメの肩に飛びついた。

「‥‥‥‥よかった‥‥‥!」

その声は柄にもなく震えている。

「あれ‥‥おれ一体‥‥‥」

ハジメは薄ぼんやりする頭で記憶を辿ろうとするが、全然まとまらない。

「覚えてないのか?
部室に戻る時、近くにでっかい雷が落ちたんだよ‥‥‥。

俺も一瞬動けなくなったけど、ハジメはずっと倒れたまま動かなくてさ‥‥。何度も名前呼んでも、目を覚まさなくて‥‥‥‥。俺、俺‥‥‥‥‥。」

そこまで言うとヨウジは言葉に詰まり、ハジメの肩を借りたまま静かに泣いた。

しばらくすると、絞り出すような声で一言、

「‥‥‥よかった、生きてて‥‥‥‥‥」

とだけ言いい、また堪えきれない様子で泣き出した。


「心配かけてごめん。
そばにいてくれて、ありがと‥」

「そんなの当たり前だろ、バカっ!」

ヨウジが自分の肩を抱きしめながら、慣れない涙に顔を真っ赤にさせてこちらを睨みつける。

くしゃくしゃの表情なのに、それすらも魅力的に見えてしまうのは、ただ単にヨウジの顔が整っているというだけではなくて‥‥。

「‥‥‥‥‥‥」

その時、ハジメは胸の奥で何かが小さく、ぎゅーっと震えるのがわかった。

あれ?なんだこの気持ち‥‥。


「あ。よかった。目が覚めたのね」

密かに戸惑いを覚えるハジメをよそに、突然カーテンが勢いよく開いた。

そこには、保健委員の報告を受けてやってきた養護教諭が、血圧計を持って立っていた。

「さあヨウジ君。
感動の再会のところ悪いけど、先生ちょっと診察するわね」

そういってヨウジを引き剥がすと、養護教諭はハジメの指先に付けられていたパルスオキシメーターを取り、酸素濃度を確認する。

「うん。酸素の数値は異常なし。
‥‥このままいくつかちょっと質問するね。
まず、名前は?」

ハジメの腕に手際よく血圧計を巻きながら養護教諭が聞く。

「‥‥大河原ハジメです」

「今日は何曜日かわかる?」
「月曜日です」

「うん。次は目を見るね」

手に持っていたペンライトでハジメの目元を照らす。養護教諭はそのまま何度か光の当たる角度を変えて確認すると、カチ、とライトを消した。

「よしよし。
瞳孔も異常なし。
血圧も‥‥‥正常値。
うん。典型的な軽い脳震盪だね」

「よかったあ‥‥‥」
かたわらのヨウジはその言葉に安心すると、またべそべそと男泣きをする。

「でも。これはあくまで応急処置だから。

頭を強く打ってる可能性もあるから、念のためこの後病院でしっかり見てもらうのよ。

担任の先生から親御さんに連絡入れておいたから。迎えが来るまでここで休んでなさい」

「ありがとうございます。
‥‥‥あ。でも、病院は自分で行けます。うち共働きで忙しいので‥」

「あのね?先生そういこと言ってんじゃないのよ」
養護教諭がピシャリとさえぎる。

「付き添いも無しに、もし万が一何かあったらどうするの?

今は目につく異常はないっていったって、頭を強く打ってる場合はね、急に容体が変わることだって珍しくないのよ」

「すみません。でも‥‥‥」

ベッドのシーツを握りしめながら、ハジメはどうしたらいいかわからず途方にくれる。

「先生。だったら俺が付き添います。
‥‥‥それならいいですよね?」

二人のやりとりに横入りするように、ヨウジがキッパリと言った。真っ赤に腫れた目が、まっすぐに養護教諭を見据える。

「俺が責任持って連れてきますから」

その眼差しは真剣そのものだ。

「まあ‥‥‥‥‥。
そこまで言うなら、先生としては問題ないけど」
ヨウジの勢いに押され、養護教諭はしぶしぶ折れる。

「ありがとうございます!」

ヨウジはハジメの方を見ると、小さくガッツポーズした。

「じゃあ、"ヨウジ君が付き添いしてくれる"って、先生から親御さんには伝えておくからね?
いい?ちゃんと病院に連れてくのよ!」

「はい!もちろんです!」




「‥‥あ、そうそう。
二人の荷物は保健委員の山岸君が持ってきてくれてるから。カーテンの前に置いてあるそうだから、今度あったらちゃんと彼にお礼言っておくのよ。

あと!ちゃんと病院には着替えてから行くこと。
わかった?」


それだけ言うと、シャっと勢いよくカーテンを閉じて養護教諭は出て行った。


「あ、そういえば、そうだった‥‥‥」

その時、二人はハタと気づく。
自分たちがまだ泥だらけのユニフォーム姿のままであることに。







「とりあえず、着替えるか」

ヨウジはそういうと、カーテンの隙間から自分のカバンをズルズルと引き寄せてタオルと着替えを出すと、何の迷いもなく服を脱ぎ出した。


「わっ!!!」

突然目の前に飛び込んでくるヨウジの下着姿に、ハジメは思わず大声を上げた。

「なんだよ急にデケー声出して。
あ、そうだタオル濡らそうっと」

ヨウジはハジメの大声に気にもとめず、そのままズカズカと保健室の水道まで歩くと、タオルを濡らして体を拭いた。

「‥‥‥‥‥‥」

無駄な脂肪が一切ない、小麦色に日焼けをしたしなやかな筋肉をまとったヨウジの体の上を、白いタオルが乱暴に滑っていく。

おかしい。
今までずっと部室で見ていたはずなのに。それまで何とも思わなかったはずなのに。

‥‥‥‥なのに。
何故だか釘付けになってしまう自分がいる。

それは、初めての感情だった。




「悪い。背中ちょっと拭いてくれね?」
ずいっと突然ヨウジが背を向けて、自分に迫ってくる。

「あ‥‥‥」

ヨウジの背中がまぶしくて見れない。

おれ、一体どうしちゃったんだよ‥‥‥。


「ん?ハジメ?」

こっちの気持ちなどわかるわけもないヨウジは、いつもの様子で背中ごしに聞いてくる。


「‥‥ごめん。ちょっとぼーっとしてた」

言えるわけがない。

ハジメは戸惑う気持ちを抑えて、なんとか平常心を保ちながらヨウジの背中を拭く。

(あーーーー‥‥‥。
いま、心拍数測られなくて、よかった‥‥)

と、ハジメは心の底から思った。

その後、ハジメも慌てて着替えようとしたが、なぜかヨウジの姿が頭から離れず、まったく思うように手が動かなかった。





なんとか着替えを済ませて、病院のすぐ近くの市民病院まで二人はタクシーで向かった。

そこで長い時間をかけてさまざま問診や検査、CTなどをひと通り行う。

その結果、
「ん。特に問題ありませんね。
直後に気を失ってたのは、軽い脳震盪によるものでしょう。まあ念のため、今日1日は安静にして下さい。」

というお墨付をもらう事ができた。


(よかった‥‥)

ハジメはようやく、一人密かに胸を撫で下ろした。

━━よかった。
自分は何もおかしくなんて、なってない。
そうだよな。

一人心の中で何度も繰り返しつぶやく。



「ありがとうございました。失礼します‥」

そのまま足早に診察室を出ると、すぐ近くの待合室には心配した様子でポツンと座るヨウジの姿が見えた。

「おーい」
ハジメはそう言うと、ヨウジに向かって無言でピースサインをする。

ふっ。と、それまで不安げだったヨウジの顔がほころんだ。


診察が終わって案内されたフロアはほとんど人が残っておらず、会計はスムーズに進んだ。

「大河原さん」
「はい」

自分の名前を呼ばれると、ハジメは立ち上がって財布を取り出し、手馴れた手つきでクレジットカードを出し、受付に渡した。

「一括でお願いします」

「‥‥‥‥」

その姿を、ヨウジはまじまじと眺めていた。

共働きのハジメは、両親からは家族カードを持たされていた。とはいえ、もちろん無駄遣いは許されていない。

学校や勉強に関係するものや、どうしても1人で過ごさないといけない時の食事代。
そして、今日のような緊急時。

この三つのどれかに当てはまる時のみ、使うことを許されている。ハジメはそれで病院代を払い終えると、ヨウジを連れ立って外へ出た。



「行きの時でも思ったけどさ」
 
外はすっかり真っ暗で、相変わらずの雨が降り続いている。

「なんかハジメって、高校生なのにタクシー乗り慣れてるし、サラッとクレカなんか使うし。
なーんか変な所ばっかやけに大人っぽいよな」

病院の出口で傘を広げながらヨウジが言った。

「そーか?こんなの普通だろ」

「いや普通じゃねえって。‥‥‥でもそうだよな。
ハジメの親って二人とも外科医?なんだっけか。
住んでるマンションも立派だし。

いいなぁーー。
俺んちなんて、マジど貧民。
スラムみてえなとこに住んでるから」

ヨウジは冗談まじりにそう言うと、自分が濡れるのも構わず、手に持った傘をハジメの方に寄せた。

「ホラ。帰ろうぜ」
「う、うん‥‥」

何故だか、自分に優しいヨウジを見るたびに、ハジメは妙にどぎまぎしてしまう。


でも‥。
あいつが優しいのは、ある意味当たり前じゃん。
だって今のおれって、一応怪我人だし。

ヨウジはいい加減でガサツな奴だけど、そういうところは面倒見のいいやつだ。

‥‥‥だから、相合傘なんてどうってことない。

そうハジメは思うのに、ヨウジと1つの傘を分け合って、肩と肩が触れ合うくらいに体を寄せ合うのは、なんだか妙に気恥ずかしくて心臓が高鳴る。


なんでだろう、わからない。
おれって、こんなだったっけ?


でも、なんだかこの気持ちはヨウジに知られたくない。
というか、知られちゃいけない。
‥‥悟られないように、隠さなきゃ。

それだけは強く分かる。


「‥‥あの、ごめんな。今日」
ハジメは、ぐるぐる感情が巡る頭の中で冷静になろうと、とっさに頭にうかんだ言葉を切り出す。


「お、お前ほんとは今日、人と会う予定があったんだろ?それが、こんなことになっちゃって‥‥」

ハジメはヨウジの顔が直視できなくて、自分の足元をじっと眺めたまま言う。


「ああ、あれ?そんなの気にすんなよ。
ハジメの方が大事だからさ」

「えっ」

何気ない一言なのに、余計に胸が高鳴る。

落ち着け。
大した意味なんてない。
ただの心配だ。

━━だって、ヨウジは友達だから。


「はは。ありがとう‥‥」

そう思おうとしてるのに、胸の奥にいるもう1人の自分がどうしても納得してくれなくて、ハジメはたまらずに、ぎゅっと目を閉じた。