たとえ世界が音を失ったとしても

 その日のお昼休憩の時のことだ。

 私は佳奈と一緒に机を向かい合わせにしながらご飯を食べていた。購買で買ったクリームたっぷりのクリームパンに、サクサクと甘くて美味しいメロンパン。毎日同じものを食べても飽きないのが、購買のパンの魅力の一つだと私は思っているが、佳奈は「毎日同じじゃつまんないじゃん」と私とは違う意見を持っていた。

「あ、風間くんじゃない?」

 私がパンを美味しく頬張っていると、佳奈がおもむろに外を見てそう言った。私は佳奈の視線を辿るように外に視線を向けると、身だしなみをきれいに整えた美しい女性と一緒に歩く風間くんがいた。風間くんは不機嫌そうに顔を顰めながら女性の半歩後ろをついていく。その手の中には何冊もの冊子が握られており、遠目からでも楽譜だろうと予測ができた。

「これから演奏会か何かなのかなぁ? 風間くんも大変だねぇ」
「演奏会とかコンクールとかって普通、休みの日とかにやるんじゃないの?」
「さぁ? 音楽関係の事情はわからないけど、風間くんの出てるコンクールとかって学生よりも大人寄りだって聞いたことあるよ」
「じゃあ、風間くんは学校を犠牲にしてまで音楽をやってるってこと?」

 どんどんと小さくなっていく風間くんの背中を見つめながら呟く。佳奈は一瞬目を丸くした後、おかしそうに笑い声を上げた。

「犠牲って! そんな大袈裟にいうことじゃないでしょ。ただ、風間くんがちょっと普通じゃないだけだよ」

「普通じゃないって、そんな言い方は……」

「犠牲も普通じゃないも同じもんだよ。それに、あながち間違いじゃないでしょ? 学業も優遇されて、音楽の道をまっすぐ進むことができる——これが、普通だったら先生たちはみんなのことを特別扱いしなきゃいけなくなるよ」

 佳奈は私の学校を犠牲にという言葉を普通じゃないと表現したが、私が伝えたかったのはそういうことじゃなかった。ただ、学生のうちに経験できることが風間くんは音楽という制限があるせいで当たり前の経験できないのかと思うと、それは少しだけ残念に思えたのだ。だけど、自分とは違うと明確な線を引く佳奈にはその考えは伝わらなさそうだった。


「それよりも! 瑠夏って風間くんのこと気になってるの? やっぱり有名人だから?」

「そういう訳じゃないけど……」


 ずっと前から彼のピアノを聞いているんだとか、実は飛び降りようとしたところを止めてもらったとかは口が裂けても言えなかった。それに、朝のあの時間は私だけの秘密の時間にしたかった。

 私は誤魔化すように視線を逸らすと、曖昧に笑って「ただ、ちょっと気になるだけ」と呟いた。