「あ、やっと戻ってきた」
特別校舎の入り口で降りてくる私たちを見て佳奈が片手をあげる。
「そろそろ下校時間だからさ、呼びに行こうか悩んでたんだよね」
「ごめん、待たせちゃって……いたっ!」
私が咄嗟に謝ると佳奈はお仕置きというように私の額にデコピンをした。
「こんなことくらいで謝らなくていーの! 私だって、好きで待ってたんだし。それに嫌ならとっくに二人を置いて帰ってるって」
佳奈らしい答えに私は目尻を下げながら「じゃあ、ありがとう」と言って笑った。そんな私の様子を確認した佳奈は隣に立つ風間くんへと視線を向けて、「わーお」と感嘆の声を上げる。
「泣いても男前なんて、ずるいね。私なんて泣いたら顔面終わっちゃうのに」
「……ほっとけ」
揶揄う佳奈に風間くんはめんどくさそうに眉を顰めた。風間くんはきっと泣いた後の顔を見られたのが恥ずかしかったのだろう。できるだけ顔を逸らして佳奈の視線から逃げようとしていた。
三人で立ち話をしていると、下校を促す音楽が流れ始める。
「あぁ、ほら。もう行かないと。クマちゃん先生に怒られるよ」
「……クマちゃん、先生?」
初めて聞いたというように風間くんが首を傾げたから、私たちは驚いて顔を見合わせた。
「知らないの、風間くん。クマちゃん先生って熊谷先生のあだ名だよ」
「あぁ、あの先生か。……確かに図体でかいし、名前の通り熊みたいだもんな」
直球すぎる物言いに私が返答に困っていると、横で佳奈が吹き出していた。
「風間くんって、こんな面白い人だったの……!」
どうやら風間くんの人となりが佳奈の琴線に触れたようだった。笑われた風間くんはムッとし「面白くなんてないだろ」と言い返したが、余計に佳奈の笑いのツボを押しただけでなんの効果もなかった。
温かい橙色に包まれた街並みを三人で歩いて帰る。なんだか不思議な気分だった。
あんなに私の心を揺さぶった空を見ても、今はただ綺麗だと思うだけだ。その心境の変化が、良いものなのかはわからない。結局、私の中ではっきりとした答えは出ていないし、問題だって解決していないのだから。
でも、この時間を得られたのは、紛れもない、自分自身がほんの少しだけ前に進めたからだ、と断言できた。
「……瑠夏」
考え事して歩いていると、後ろから風間くんに話しかけられた。ハッとして振り返れば、風間くんは夕陽を背景に数歩後ろに立っていた。私たちが足を止めたから、自然と佳奈も足を止めて私たちを見守ってくれる。
「僕は、ピアノを諦めない」
「——!」
「プロにはもうなれないってわかってる。周りの人が期待するような演奏ができないことも、自分が一番よくわかってる」
私は大きく目を見開き、風間くんのことをじっと見つめる。愛想のかけらもない顔をしていた風間くんは、一瞬視線を地面に向けると、パッと顔を上げた。
そして、憑き物が落ちたように、綺麗に笑った。瞳に落ちていた影はどこかへと消えて、ほんのわずかな光が瞳の奥でもう一度灯っていた。
「でもやっぱり、ピアノと一緒にありたいから。だから僕は、ピアノを弾き続ける」
私は咄嗟に何かを言いかけて、唇をギュッと噛み締める。そして風間くんに向かって拳を突き出した。
「じゃあ、これからも聴かせてよ。風間くんのピアノ」
「……前みたいには弾けないぞ」
「わかってるよ」
「お前が好きだった演奏は、もうできないかもしれない」
「それでも良いんだよ」
吐露された不安に私は間髪入れずに答える。
「だって、私が聴きたいと思ったのは、天才ピアニストの演奏じゃないもん」
風間くんは大きく目を見開き、それから、私が差し出した拳へと視線を落とす。
「……本当に変なやつ」
「それ、さっきも聞いたよ」
「なら、これから何度でも言ってやるよ」
そう言いながら風間くんも右手で拳を作り、私の拳へと軽くぶつけた。
特別校舎の入り口で降りてくる私たちを見て佳奈が片手をあげる。
「そろそろ下校時間だからさ、呼びに行こうか悩んでたんだよね」
「ごめん、待たせちゃって……いたっ!」
私が咄嗟に謝ると佳奈はお仕置きというように私の額にデコピンをした。
「こんなことくらいで謝らなくていーの! 私だって、好きで待ってたんだし。それに嫌ならとっくに二人を置いて帰ってるって」
佳奈らしい答えに私は目尻を下げながら「じゃあ、ありがとう」と言って笑った。そんな私の様子を確認した佳奈は隣に立つ風間くんへと視線を向けて、「わーお」と感嘆の声を上げる。
「泣いても男前なんて、ずるいね。私なんて泣いたら顔面終わっちゃうのに」
「……ほっとけ」
揶揄う佳奈に風間くんはめんどくさそうに眉を顰めた。風間くんはきっと泣いた後の顔を見られたのが恥ずかしかったのだろう。できるだけ顔を逸らして佳奈の視線から逃げようとしていた。
三人で立ち話をしていると、下校を促す音楽が流れ始める。
「あぁ、ほら。もう行かないと。クマちゃん先生に怒られるよ」
「……クマちゃん、先生?」
初めて聞いたというように風間くんが首を傾げたから、私たちは驚いて顔を見合わせた。
「知らないの、風間くん。クマちゃん先生って熊谷先生のあだ名だよ」
「あぁ、あの先生か。……確かに図体でかいし、名前の通り熊みたいだもんな」
直球すぎる物言いに私が返答に困っていると、横で佳奈が吹き出していた。
「風間くんって、こんな面白い人だったの……!」
どうやら風間くんの人となりが佳奈の琴線に触れたようだった。笑われた風間くんはムッとし「面白くなんてないだろ」と言い返したが、余計に佳奈の笑いのツボを押しただけでなんの効果もなかった。
温かい橙色に包まれた街並みを三人で歩いて帰る。なんだか不思議な気分だった。
あんなに私の心を揺さぶった空を見ても、今はただ綺麗だと思うだけだ。その心境の変化が、良いものなのかはわからない。結局、私の中ではっきりとした答えは出ていないし、問題だって解決していないのだから。
でも、この時間を得られたのは、紛れもない、自分自身がほんの少しだけ前に進めたからだ、と断言できた。
「……瑠夏」
考え事して歩いていると、後ろから風間くんに話しかけられた。ハッとして振り返れば、風間くんは夕陽を背景に数歩後ろに立っていた。私たちが足を止めたから、自然と佳奈も足を止めて私たちを見守ってくれる。
「僕は、ピアノを諦めない」
「——!」
「プロにはもうなれないってわかってる。周りの人が期待するような演奏ができないことも、自分が一番よくわかってる」
私は大きく目を見開き、風間くんのことをじっと見つめる。愛想のかけらもない顔をしていた風間くんは、一瞬視線を地面に向けると、パッと顔を上げた。
そして、憑き物が落ちたように、綺麗に笑った。瞳に落ちていた影はどこかへと消えて、ほんのわずかな光が瞳の奥でもう一度灯っていた。
「でもやっぱり、ピアノと一緒にありたいから。だから僕は、ピアノを弾き続ける」
私は咄嗟に何かを言いかけて、唇をギュッと噛み締める。そして風間くんに向かって拳を突き出した。
「じゃあ、これからも聴かせてよ。風間くんのピアノ」
「……前みたいには弾けないぞ」
「わかってるよ」
「お前が好きだった演奏は、もうできないかもしれない」
「それでも良いんだよ」
吐露された不安に私は間髪入れずに答える。
「だって、私が聴きたいと思ったのは、天才ピアニストの演奏じゃないもん」
風間くんは大きく目を見開き、それから、私が差し出した拳へと視線を落とす。
「……本当に変なやつ」
「それ、さっきも聞いたよ」
「なら、これから何度でも言ってやるよ」
そう言いながら風間くんも右手で拳を作り、私の拳へと軽くぶつけた。



