私はとりあえず落ち着ける場所を探して街を歩き回る。初めてお母さんに逆らった反動なのか、心臓がバクバクと大きな音を立てている。まるで耳元で叫んでいるかのようだった。みっともなく手足は震え、目の端からはいくつもの雫がこぼれ落ちる。何度拭っても涙は止まらず、私のこれまで抑え込んでいた分を出し切るように溢れ続ける。
こんな時になっても私の頭の中にはお母さんがいて、一人にして大丈夫かな、とか、反抗的な態度をとって余計に怒っていないかな、とか考えても仕方がないことが浮かんでは消えた。
街の喧騒が煩わしく思えて、私は少し離れたところを目指して歩き続ける。
そうしてたどり着いたのは、あの日、風間くんと話をした小さな公園だった。いつの間にかこんなに遠くまで来てしまっていたみたいだ。
私はあの時と同じようにブランコに座ると、そばにバッグを下ろした。
ゆらゆら。ゆらゆら。ゆらゆら、と足で軽くブランコを揺らす。
ゆりかごのような動きに合わせるように心臓の動きは徐々にゆっくりになっていった。だけど、頭の中は依然ごちゃごちゃのままで、何が何だかわからないままだ。
「私……なんであんなことを…………」
お母さんに反抗したのは記憶にある限りこれが初めてだ。いつもはお母さんの機嫌を取ることに必死で、顔色を窺ってばかりだった。お父さんが出ていってからのお母さんは過去の幸せに依存して、私にもそうであるようにと押し付けてきた。だけど私はそれを受け入れた。お母さんの願いを受け入れないことでお母さんまでお父さんのように私のことを見捨ててしまうのではないかと想像したら、怖くてたまらなかったのだ。
いい娘でいよう。
お母さんの望む娘でいよう。
迷惑をかけず、いつも元気で、笑って。
そうすれば、私が一人になることはないから。
見捨てられることはないから。
——本当に?
静かな水面に石を投げ入れるように、私の心が揺らいだ。
『瑠夏は間違えるのが怖いんじゃない。間違えた先で一人になるのが怖いんでしょ?』
佳奈の言葉が頭に思い浮かぶ。
自分では自覚がなかったが、本当にその通りだった。
家を出ていったお父さん。
私を見なくなったお母さん。
ため息を吐いた先生。
周囲の人の期待と失望。
それらは全部、私の柔らかい心を傷つけた。
傷ついた私は、これ以上自分を傷つけさせないために自分の心に蓋をした。やめて、と叫ぶ自分を無理やり押し込んで、人が好みそうな笑みを浮かべた。
みんなのために、みんなのために。
そうすれば、みんな喜ぶ。みんな笑ってくれる。みんなそばにいてくれる。
私は幸せになれるはずだった。
それが正しかったはずなんだ。
なのに風間くんがあんなことを言うから。
『僕のためなんかじゃない。全部自分のためだろ』
私はまとまらない思考でこれ以上考えることを放棄した。ブランコの鎖を両手で握りながら空を見上げる。
空は昼と夜の狭間で揺れていた。西の果てにはまだ橙色の光が残っているのに、頭上には深い藍色がゆっくりと滲み出している。その境目を薄い雲がたゆたい、どちらにも染まりきれない曖昧な色をしていた。
一つ、また一つと時間が過ぎるほど星が瞬き始める。
美しい空を見て、せっかく止まった涙が薄く目に滲んだ。
私が一人、ここで道に迷っていても、世界はこうして何事もなかったように夜へと向かっていく。どこにも行けない私を、ここで取り残して進んでいくのだ。
なんてちっぽけな存在なのだろう。
私の価値は——私の人生は一体誰のためのものなんだったんだろう。
私はいつかの日のように空に手を伸ばす。手に入らないものに焦がれるように。この手を誰かが握り返してくれることを祈りながら。
その時、ピコンっという電子音が静かな公園に響き渡った。
私は体をびくりと震わせ、スカートのポケットに入れていたスマートフォンを取り出す。
『やっほー!』から始まるメッセージは佳奈からだった。お母さんからではないことに少しだけホッとしたのと同時に、どう思われているのか不安な気持ちがまた顔を出し始める。
『今日は色々あって大変だったね』
『ゆっくり休むことも大事だからね』
『何かあれば、なんでも相談してくれていいからね』
佳奈からのメッセージが次から次に流れてくる。最後には上品そうな猫のスタンプが添えられていた。
私はそのメッセージを読んで、無意識に文章を入力していた。
『お母さんと喧嘩して、家に帰れなくなっちゃった』と。
しかし送信ボタンを押す直前で、私はハッとして全ての文章を消した。こんなことを佳奈に相談したら、佳奈を困らせてしまう。
なんでも相談して、という言葉に縋りたくなる気持ちと、自分でなんとかしなければ、と思う気持ちが混じり合う。
すでにメッセージに既読はつけてしまった。早く返さなければ、と思うほど、言葉が浮かんでは消えていく。何度も入力しては消してを繰り返し、結局私は何も佳奈に伝えることはできず『うん、ありがとう』と優等生のような返事しかできなかった。
自分の本当の気持ちがわからないのに、漠然とした状況で、ただ『助けて』なんて言えない。
ぎゅっとスマートフォンを握りしめた時、手の中でそれがブルルッと震え始めた。驚いて手の中のスマートフォンを見つめると、佳奈からの着信が来ていた。
出る? それとも出ない?
少し悩んだ末に私は恐る恐る電話に出た。
『瑠夏、急にごめんね』
「ううん、大丈夫。それよりもどうしたの?」
声が震えるのを必死に堪える。気づかれてはいけない。悟られてはいけない。そう思ったのだ。
『あはは、あの返信じゃ何かありますって言ってるようなもんだよ』
「……!」
『ねぇ、瑠夏。また一人で抱え込んでない? 一人で泣いてない?』
優しく、包み込むような暖かさを含んだ声色に、私は小さく息を呑む。嗚咽が漏れそうになって、慌てて口を手で覆った。
なんとか返事をしようとして、何度も失敗する。その間、佳奈は私が言葉にするまで待ってくれていた。
助けて。
たった一言を言うのがこんなにも難しくて、勇気のいることなんて知らなかった。
何度も口を開いたり閉じたりしたけど、最後まで私の喉は意味のある言葉を紡がない。
『じゃあ、質問を変えるね。瑠夏、今どこにいるの?』
こんな時になっても私の頭の中にはお母さんがいて、一人にして大丈夫かな、とか、反抗的な態度をとって余計に怒っていないかな、とか考えても仕方がないことが浮かんでは消えた。
街の喧騒が煩わしく思えて、私は少し離れたところを目指して歩き続ける。
そうしてたどり着いたのは、あの日、風間くんと話をした小さな公園だった。いつの間にかこんなに遠くまで来てしまっていたみたいだ。
私はあの時と同じようにブランコに座ると、そばにバッグを下ろした。
ゆらゆら。ゆらゆら。ゆらゆら、と足で軽くブランコを揺らす。
ゆりかごのような動きに合わせるように心臓の動きは徐々にゆっくりになっていった。だけど、頭の中は依然ごちゃごちゃのままで、何が何だかわからないままだ。
「私……なんであんなことを…………」
お母さんに反抗したのは記憶にある限りこれが初めてだ。いつもはお母さんの機嫌を取ることに必死で、顔色を窺ってばかりだった。お父さんが出ていってからのお母さんは過去の幸せに依存して、私にもそうであるようにと押し付けてきた。だけど私はそれを受け入れた。お母さんの願いを受け入れないことでお母さんまでお父さんのように私のことを見捨ててしまうのではないかと想像したら、怖くてたまらなかったのだ。
いい娘でいよう。
お母さんの望む娘でいよう。
迷惑をかけず、いつも元気で、笑って。
そうすれば、私が一人になることはないから。
見捨てられることはないから。
——本当に?
静かな水面に石を投げ入れるように、私の心が揺らいだ。
『瑠夏は間違えるのが怖いんじゃない。間違えた先で一人になるのが怖いんでしょ?』
佳奈の言葉が頭に思い浮かぶ。
自分では自覚がなかったが、本当にその通りだった。
家を出ていったお父さん。
私を見なくなったお母さん。
ため息を吐いた先生。
周囲の人の期待と失望。
それらは全部、私の柔らかい心を傷つけた。
傷ついた私は、これ以上自分を傷つけさせないために自分の心に蓋をした。やめて、と叫ぶ自分を無理やり押し込んで、人が好みそうな笑みを浮かべた。
みんなのために、みんなのために。
そうすれば、みんな喜ぶ。みんな笑ってくれる。みんなそばにいてくれる。
私は幸せになれるはずだった。
それが正しかったはずなんだ。
なのに風間くんがあんなことを言うから。
『僕のためなんかじゃない。全部自分のためだろ』
私はまとまらない思考でこれ以上考えることを放棄した。ブランコの鎖を両手で握りながら空を見上げる。
空は昼と夜の狭間で揺れていた。西の果てにはまだ橙色の光が残っているのに、頭上には深い藍色がゆっくりと滲み出している。その境目を薄い雲がたゆたい、どちらにも染まりきれない曖昧な色をしていた。
一つ、また一つと時間が過ぎるほど星が瞬き始める。
美しい空を見て、せっかく止まった涙が薄く目に滲んだ。
私が一人、ここで道に迷っていても、世界はこうして何事もなかったように夜へと向かっていく。どこにも行けない私を、ここで取り残して進んでいくのだ。
なんてちっぽけな存在なのだろう。
私の価値は——私の人生は一体誰のためのものなんだったんだろう。
私はいつかの日のように空に手を伸ばす。手に入らないものに焦がれるように。この手を誰かが握り返してくれることを祈りながら。
その時、ピコンっという電子音が静かな公園に響き渡った。
私は体をびくりと震わせ、スカートのポケットに入れていたスマートフォンを取り出す。
『やっほー!』から始まるメッセージは佳奈からだった。お母さんからではないことに少しだけホッとしたのと同時に、どう思われているのか不安な気持ちがまた顔を出し始める。
『今日は色々あって大変だったね』
『ゆっくり休むことも大事だからね』
『何かあれば、なんでも相談してくれていいからね』
佳奈からのメッセージが次から次に流れてくる。最後には上品そうな猫のスタンプが添えられていた。
私はそのメッセージを読んで、無意識に文章を入力していた。
『お母さんと喧嘩して、家に帰れなくなっちゃった』と。
しかし送信ボタンを押す直前で、私はハッとして全ての文章を消した。こんなことを佳奈に相談したら、佳奈を困らせてしまう。
なんでも相談して、という言葉に縋りたくなる気持ちと、自分でなんとかしなければ、と思う気持ちが混じり合う。
すでにメッセージに既読はつけてしまった。早く返さなければ、と思うほど、言葉が浮かんでは消えていく。何度も入力しては消してを繰り返し、結局私は何も佳奈に伝えることはできず『うん、ありがとう』と優等生のような返事しかできなかった。
自分の本当の気持ちがわからないのに、漠然とした状況で、ただ『助けて』なんて言えない。
ぎゅっとスマートフォンを握りしめた時、手の中でそれがブルルッと震え始めた。驚いて手の中のスマートフォンを見つめると、佳奈からの着信が来ていた。
出る? それとも出ない?
少し悩んだ末に私は恐る恐る電話に出た。
『瑠夏、急にごめんね』
「ううん、大丈夫。それよりもどうしたの?」
声が震えるのを必死に堪える。気づかれてはいけない。悟られてはいけない。そう思ったのだ。
『あはは、あの返信じゃ何かありますって言ってるようなもんだよ』
「……!」
『ねぇ、瑠夏。また一人で抱え込んでない? 一人で泣いてない?』
優しく、包み込むような暖かさを含んだ声色に、私は小さく息を呑む。嗚咽が漏れそうになって、慌てて口を手で覆った。
なんとか返事をしようとして、何度も失敗する。その間、佳奈は私が言葉にするまで待ってくれていた。
助けて。
たった一言を言うのがこんなにも難しくて、勇気のいることなんて知らなかった。
何度も口を開いたり閉じたりしたけど、最後まで私の喉は意味のある言葉を紡がない。
『じゃあ、質問を変えるね。瑠夏、今どこにいるの?』



