タタンターン!
朝、屋敷前の広場から響く、木を打ち鳴らす乾いた音で目が覚めた。寧々は布団から抜け出し、縁側へ立って広場の様子をうかがう。
広場には人型の立木が据え付けられていた。その立木と向かい合っているのは、引き締まった上半身をあらわにした影丸である。影丸は木刀を上段に構えると、立木へ向かって一気に踏み込んだ。
タタンターン!
木刀を軽やかに操り、首、胴、足へと淀みなく打ち込んでいく。その一太刀一太刀には無駄がなく、剣術の腕前が一流であることは、寧々にはひと目で分かった。
「ふぅ……」
影丸がひと息ついたところで、寧々はぱちぱちと拍手を送る。
気づいた影丸が振り向き、寧々と視線を合わせた。額からは露玉のような汗が伝い落ち、朝日にきらりと光る。
「お見事な腕前でございます、影丸殿」
「お目覚めですか、奥方様」
影丸は木刀を立木に立てかけ、はだけた稽古着を整える。
寧々は辺りに誰もいないことを確かめると、庭へ降り、影丸のもとへ駆け寄った。
「奥方様ではなく、寧々と呼んでください。堅苦しいのは好きではございません」
影丸は少し意外そうな顔をした。だが、すぐに表情を和らげ、目を細めてふっと笑う。
「ならば、俺のことも影丸と呼んでもらえないか」
そう小声で答えた。ともに呪いを解き明かす使命を負う仲なのだから、余計な気遣いは無用だということらしい。
「言うまでもないが、公の場ではわきまえて発言するように」
「ふふっ、それはお互い様です。影丸殿も、どうぞお気をつけください」
物怖じしない寧々に、影丸は少し面食らったような顔をした。
「ところで、影丸にお願いがございます」
「何だ。言ってみろ」
「屋敷をご案内いただけませんか」
「屋敷の案内だと? ……なるほどな。新参者として屋敷のことを知っておく必要もある」
影丸は案内役を引き受けることにしたようだった。
広大な屋敷には、家臣とその家族をはじめ、女中、料理人、庭師、駕籠かき、詰め番など、およそ五百人もの者が寝食を共にしている。
寧々は、その誰もが名を知る、一橋家の新たな奥方なのである。
一橋家の黒塀は、果てしなく続いているように見えた。厚く塗られた黒漆喰の塀は外界を隔て、街の喧騒とは無縁の静寂を屋敷の内に閉じ込めている。固く踏み固められた土の道には松の影が落ち、塀越しに伸びる枝葉が風に揺れていた。
庭園には悠然と池が広がり、鏡のような水面が空に浮かぶ雲を映し出している。時折、鯉が水面に姿を現すたび、水紋が幾重にも広がり、映り込んだ空をゆるりと揺らした。
寧々は飛び石の上を軽やかに渡り、ときおり子どものようにぴょんと跳ねながら進む。最後の飛び石まで来ると、くるりと振り返った。
「敷地内にこんな優雅な場所があるなんて、羨ましいことでございます」
山里で育った寧々にとって、丹精込めて造られた庭園は夢の景色に思えた。
「確かに、良い庭園だ。ところで、寧々の生まれ育った場所はどのようなところなのだ」
影丸は歩みを緩め、庭園を眺める寧々の横顔を興味深そうに見つめた。
「雲取山の麓で、荒地と森ばかりでございます。けれど、そのおかげで、さまざまな生き物に出会えました。兜虫などは、夏になると毎年遊ぶ友達のようなものでございました」
懐かしそうに目を細める寧々の表情は、いつになく柔らかい。
「ははっ、なかなか野性的な姫だな。俺も幼いころは兜虫に夢中だった」
「男子ですから当然ですよね。ところで、この庭園にも兜虫はいるのでしょうか」
「そう言われてみると、どうだろうな。では、来年の夏には林檎の焼酎漬けでも仕掛けてみるか」
「へえ、兜虫はそのようなものが好きなのですか。飲兵衛でございますね」
寧々はくすりと笑う。その無邪気な言葉に、影丸も肩を揺らした。
「強き武将はたいてい飲兵衛だからな。『下戸は皆 出世しなそうな 顔ばかり』という句があるくらいだ」
「では、影丸もたくさんお飲みになられてください」
悪戯っぽく勧める寧々に、影丸は苦笑しながら首を横に振る。
「俺は出世には興味がない。ただ――相応の立場がなければ、国を動かすこともできないだろう」
「影丸は、そのような壮大なことを考えておられるのですか」
半ば冗談かと思っていた。しかし、その言葉を口にした途端、影丸ははっと我に返ったように真顔になり、口をつぐんだ。
寧々は、その様子に小さな引っ掛かりを覚える。
視線を前に向けると、庭園を重い足取りで歩く一人の女性の姿が目に入った。
能面のように生気のない表情を浮かべ、まるで庭をさまよう亡霊のようである。それが誰なのか、寧々にはすぐに分かった。
寧々にとっても、対面するのは気が重い相手である。きっと相手も同じ思いなのだろう。けれど、同じ屋敷に暮らす以上、いつかは顔を合わせなければならない。
寧々は、自分の存在をどのように思われているのか、不安だった。それでも避けることはできない。
きゅっと表情を引き締めると、その女性のもとへ静かに歩み寄った。
女性は、寧々が隣に立ってからようやくその存在に気づき、ゆっくりと振り向く。その顔は痛々しいほどやつれ、目の下には深い影が落ちていた。
「美賀子様、お初にお目にかかります。このたび慶喜様に召し抱えられました、寧々と申します」
「ああ、あなたが……」
美賀子は寧々の姿を頭の先から足元までじっと見つめると、深いため息をついた。
そして、どうにか体裁だけは取り繕おうとするように、「よろしくお願いいたします」と浅い会釈をした。
「過日、姫君様がお亡くなりになられたとうかがいました。心よりお悔やみ申し上げます」
「あなたには関係のないことだわ」
寧々の心遣いは、つっけんどんに跳ね返された。けれど寧々も、その一言を黙って受け流すことはできなかった。
「あの……差し出がましいことをお尋ねいたしますが、美賀子様は呪いというものを信じていらっしゃいますでしょうか」
その言葉を聞いた途端、美賀子は力が抜けたようにその場へ座り込み、顔を伏せて、わっと泣き出した。
「どうしてあの子が呪われなくてはいけないのよ……。あの子は何も悪いことなんてしていないじゃない……」
寧々もそっと隣へ座り込み、美賀子の肩を優しくさすった。
「慶喜様は、美賀子様を心から愛しておられると仰っていました。私ではなく、あなたとの子が欲しいとも」
その言葉は予想もしていなかったのだろう。美賀子は、はっと顔を上げ、初めて寧々とまっすぐ視線を合わせた。涙に濡れた瞳は、救いを求めているようにも見える。
「ですから、そのときのことを少しでも詳しく教えていただけませんでしょうか」
美賀子はしばらく黙って考え込んでいたが、やがて静かに立ち上がった。
「……ついてきて」
そう一言だけ告げると、別棟の屋敷へ向かって歩き出した。
★
「娘の世話をしていたのは、この部屋よ」
室内は人の気配を失い、静まり返っていた。部屋の隅には、布団が一組だけ敷かれている。
「美賀子様は、その布団で姫君様に付き添って眠っていらっしゃったのですか」
「もちろんです」
「では、失礼いたします」
寧々は布団の脇へ膝をつくと、布団の端にそっと身を横たえた。
「姫君様は、このように寝かされていたのでございますか」
「そうよ。誰かが近づいてくると、恐ろしいほど泣き出すの」
その言葉を聞くと、寧々は一度肯き、影丸へ視線を向けた。
「影丸殿、入口からこちらまで歩いてきてくださいませ」
「承知しました」
影丸は言われたとおり、入口から寧々のほうへ歩いてくる。
「もう一度お願いいたします」
寧々は再び頼み、さらに二度、三度と同じように歩いてもらった。そのたびに寧々は目を閉じ、耳を澄ませるようにして足音を聞いている。
美賀子は、不思議そうな表情でその様子を見守っていた。
「何か気づいたことでも?」
「ええ……」
寧々はゆっくりと起き上がる。
「影丸殿の足音が、思っていた以上によく響くのでございます。この部屋だけ、どこか音が違う気がいたします」
そう言うと、しばらく床を見つめて考え込んだ。やがて何かを思いついたように、影丸へ向き直る。
「影丸殿。この畳を一枚、剥がしていただけませんか」
「畳を剥がす……?」
「さては、人使いが荒いと思っておいでですね」
寧々が冗談めかして笑うと、影丸も苦笑した。
「いえいえ。殿より、そなたの手助けをするよう命じられておりますゆえ、喜んでお手伝いいたします」
影丸は腰に差した小刀を抜き、畳の隙間へ差し込む。慎重に持ち上げると、畳の下から現れたのは、板を長く張り渡した床だった。その下は広い空洞になっている。
二人は思わず顔を見合わせる。この部屋は、床の造りがほかとは違っているようだ。
「なるほど……。まるで太鼓のような造りでございます」
寧々は板張りの床を見つめながら、静かに呟いた。
「表からは分かりませんが、この構造せいで足音が強く響いているのでしょう」
おそらくは屋敷の格式を示すため、この部屋だけ長い板張りで、床下に空間を設けた造りになっているのだろう。
そのため、人が歩くたびに足音が床へ伝わり、太鼓のように反響していた。
しかし、伝わるのはあくまで振動と音だけである。それだけで幼子が激しく泣き叫ぶ理由になるとは、寧々には思えなかった。
ただ、この振動が、悪霊の呼子笛になっているのかもしれない――そう考えながら、寧々は静かに立ち上がった。
「余計なことまでお尋ねしてしまい、失礼いたしました」
美賀子は小さく首を振る。
「いいえ……。でも、もし何か分かりましたら、私にも教えてください」
その声には、わずかな希望が滲んでいた。
「もちろんでございます」
寧々は深く一礼した。
呪いの正体が分からない限り、美賀子は亡き娘への後悔と、自分を責める思いに縛られ続けるのだろう。そう思うと、寧々は胸が締めつけられるような気持ちになった。
部屋を出る間際、寧々はもう一度だけ振り返る。
幼い姫君がこの部屋で泣き続けていた姿を思い浮かべながら、しずしずと奥向きを後にした。
朝、屋敷前の広場から響く、木を打ち鳴らす乾いた音で目が覚めた。寧々は布団から抜け出し、縁側へ立って広場の様子をうかがう。
広場には人型の立木が据え付けられていた。その立木と向かい合っているのは、引き締まった上半身をあらわにした影丸である。影丸は木刀を上段に構えると、立木へ向かって一気に踏み込んだ。
タタンターン!
木刀を軽やかに操り、首、胴、足へと淀みなく打ち込んでいく。その一太刀一太刀には無駄がなく、剣術の腕前が一流であることは、寧々にはひと目で分かった。
「ふぅ……」
影丸がひと息ついたところで、寧々はぱちぱちと拍手を送る。
気づいた影丸が振り向き、寧々と視線を合わせた。額からは露玉のような汗が伝い落ち、朝日にきらりと光る。
「お見事な腕前でございます、影丸殿」
「お目覚めですか、奥方様」
影丸は木刀を立木に立てかけ、はだけた稽古着を整える。
寧々は辺りに誰もいないことを確かめると、庭へ降り、影丸のもとへ駆け寄った。
「奥方様ではなく、寧々と呼んでください。堅苦しいのは好きではございません」
影丸は少し意外そうな顔をした。だが、すぐに表情を和らげ、目を細めてふっと笑う。
「ならば、俺のことも影丸と呼んでもらえないか」
そう小声で答えた。ともに呪いを解き明かす使命を負う仲なのだから、余計な気遣いは無用だということらしい。
「言うまでもないが、公の場ではわきまえて発言するように」
「ふふっ、それはお互い様です。影丸殿も、どうぞお気をつけください」
物怖じしない寧々に、影丸は少し面食らったような顔をした。
「ところで、影丸にお願いがございます」
「何だ。言ってみろ」
「屋敷をご案内いただけませんか」
「屋敷の案内だと? ……なるほどな。新参者として屋敷のことを知っておく必要もある」
影丸は案内役を引き受けることにしたようだった。
広大な屋敷には、家臣とその家族をはじめ、女中、料理人、庭師、駕籠かき、詰め番など、およそ五百人もの者が寝食を共にしている。
寧々は、その誰もが名を知る、一橋家の新たな奥方なのである。
一橋家の黒塀は、果てしなく続いているように見えた。厚く塗られた黒漆喰の塀は外界を隔て、街の喧騒とは無縁の静寂を屋敷の内に閉じ込めている。固く踏み固められた土の道には松の影が落ち、塀越しに伸びる枝葉が風に揺れていた。
庭園には悠然と池が広がり、鏡のような水面が空に浮かぶ雲を映し出している。時折、鯉が水面に姿を現すたび、水紋が幾重にも広がり、映り込んだ空をゆるりと揺らした。
寧々は飛び石の上を軽やかに渡り、ときおり子どものようにぴょんと跳ねながら進む。最後の飛び石まで来ると、くるりと振り返った。
「敷地内にこんな優雅な場所があるなんて、羨ましいことでございます」
山里で育った寧々にとって、丹精込めて造られた庭園は夢の景色に思えた。
「確かに、良い庭園だ。ところで、寧々の生まれ育った場所はどのようなところなのだ」
影丸は歩みを緩め、庭園を眺める寧々の横顔を興味深そうに見つめた。
「雲取山の麓で、荒地と森ばかりでございます。けれど、そのおかげで、さまざまな生き物に出会えました。兜虫などは、夏になると毎年遊ぶ友達のようなものでございました」
懐かしそうに目を細める寧々の表情は、いつになく柔らかい。
「ははっ、なかなか野性的な姫だな。俺も幼いころは兜虫に夢中だった」
「男子ですから当然ですよね。ところで、この庭園にも兜虫はいるのでしょうか」
「そう言われてみると、どうだろうな。では、来年の夏には林檎の焼酎漬けでも仕掛けてみるか」
「へえ、兜虫はそのようなものが好きなのですか。飲兵衛でございますね」
寧々はくすりと笑う。その無邪気な言葉に、影丸も肩を揺らした。
「強き武将はたいてい飲兵衛だからな。『下戸は皆 出世しなそうな 顔ばかり』という句があるくらいだ」
「では、影丸もたくさんお飲みになられてください」
悪戯っぽく勧める寧々に、影丸は苦笑しながら首を横に振る。
「俺は出世には興味がない。ただ――相応の立場がなければ、国を動かすこともできないだろう」
「影丸は、そのような壮大なことを考えておられるのですか」
半ば冗談かと思っていた。しかし、その言葉を口にした途端、影丸ははっと我に返ったように真顔になり、口をつぐんだ。
寧々は、その様子に小さな引っ掛かりを覚える。
視線を前に向けると、庭園を重い足取りで歩く一人の女性の姿が目に入った。
能面のように生気のない表情を浮かべ、まるで庭をさまよう亡霊のようである。それが誰なのか、寧々にはすぐに分かった。
寧々にとっても、対面するのは気が重い相手である。きっと相手も同じ思いなのだろう。けれど、同じ屋敷に暮らす以上、いつかは顔を合わせなければならない。
寧々は、自分の存在をどのように思われているのか、不安だった。それでも避けることはできない。
きゅっと表情を引き締めると、その女性のもとへ静かに歩み寄った。
女性は、寧々が隣に立ってからようやくその存在に気づき、ゆっくりと振り向く。その顔は痛々しいほどやつれ、目の下には深い影が落ちていた。
「美賀子様、お初にお目にかかります。このたび慶喜様に召し抱えられました、寧々と申します」
「ああ、あなたが……」
美賀子は寧々の姿を頭の先から足元までじっと見つめると、深いため息をついた。
そして、どうにか体裁だけは取り繕おうとするように、「よろしくお願いいたします」と浅い会釈をした。
「過日、姫君様がお亡くなりになられたとうかがいました。心よりお悔やみ申し上げます」
「あなたには関係のないことだわ」
寧々の心遣いは、つっけんどんに跳ね返された。けれど寧々も、その一言を黙って受け流すことはできなかった。
「あの……差し出がましいことをお尋ねいたしますが、美賀子様は呪いというものを信じていらっしゃいますでしょうか」
その言葉を聞いた途端、美賀子は力が抜けたようにその場へ座り込み、顔を伏せて、わっと泣き出した。
「どうしてあの子が呪われなくてはいけないのよ……。あの子は何も悪いことなんてしていないじゃない……」
寧々もそっと隣へ座り込み、美賀子の肩を優しくさすった。
「慶喜様は、美賀子様を心から愛しておられると仰っていました。私ではなく、あなたとの子が欲しいとも」
その言葉は予想もしていなかったのだろう。美賀子は、はっと顔を上げ、初めて寧々とまっすぐ視線を合わせた。涙に濡れた瞳は、救いを求めているようにも見える。
「ですから、そのときのことを少しでも詳しく教えていただけませんでしょうか」
美賀子はしばらく黙って考え込んでいたが、やがて静かに立ち上がった。
「……ついてきて」
そう一言だけ告げると、別棟の屋敷へ向かって歩き出した。
★
「娘の世話をしていたのは、この部屋よ」
室内は人の気配を失い、静まり返っていた。部屋の隅には、布団が一組だけ敷かれている。
「美賀子様は、その布団で姫君様に付き添って眠っていらっしゃったのですか」
「もちろんです」
「では、失礼いたします」
寧々は布団の脇へ膝をつくと、布団の端にそっと身を横たえた。
「姫君様は、このように寝かされていたのでございますか」
「そうよ。誰かが近づいてくると、恐ろしいほど泣き出すの」
その言葉を聞くと、寧々は一度肯き、影丸へ視線を向けた。
「影丸殿、入口からこちらまで歩いてきてくださいませ」
「承知しました」
影丸は言われたとおり、入口から寧々のほうへ歩いてくる。
「もう一度お願いいたします」
寧々は再び頼み、さらに二度、三度と同じように歩いてもらった。そのたびに寧々は目を閉じ、耳を澄ませるようにして足音を聞いている。
美賀子は、不思議そうな表情でその様子を見守っていた。
「何か気づいたことでも?」
「ええ……」
寧々はゆっくりと起き上がる。
「影丸殿の足音が、思っていた以上によく響くのでございます。この部屋だけ、どこか音が違う気がいたします」
そう言うと、しばらく床を見つめて考え込んだ。やがて何かを思いついたように、影丸へ向き直る。
「影丸殿。この畳を一枚、剥がしていただけませんか」
「畳を剥がす……?」
「さては、人使いが荒いと思っておいでですね」
寧々が冗談めかして笑うと、影丸も苦笑した。
「いえいえ。殿より、そなたの手助けをするよう命じられておりますゆえ、喜んでお手伝いいたします」
影丸は腰に差した小刀を抜き、畳の隙間へ差し込む。慎重に持ち上げると、畳の下から現れたのは、板を長く張り渡した床だった。その下は広い空洞になっている。
二人は思わず顔を見合わせる。この部屋は、床の造りがほかとは違っているようだ。
「なるほど……。まるで太鼓のような造りでございます」
寧々は板張りの床を見つめながら、静かに呟いた。
「表からは分かりませんが、この構造せいで足音が強く響いているのでしょう」
おそらくは屋敷の格式を示すため、この部屋だけ長い板張りで、床下に空間を設けた造りになっているのだろう。
そのため、人が歩くたびに足音が床へ伝わり、太鼓のように反響していた。
しかし、伝わるのはあくまで振動と音だけである。それだけで幼子が激しく泣き叫ぶ理由になるとは、寧々には思えなかった。
ただ、この振動が、悪霊の呼子笛になっているのかもしれない――そう考えながら、寧々は静かに立ち上がった。
「余計なことまでお尋ねしてしまい、失礼いたしました」
美賀子は小さく首を振る。
「いいえ……。でも、もし何か分かりましたら、私にも教えてください」
その声には、わずかな希望が滲んでいた。
「もちろんでございます」
寧々は深く一礼した。
呪いの正体が分からない限り、美賀子は亡き娘への後悔と、自分を責める思いに縛られ続けるのだろう。そう思うと、寧々は胸が締めつけられるような気持ちになった。
部屋を出る間際、寧々はもう一度だけ振り返る。
幼い姫君がこの部屋で泣き続けていた姿を思い浮かべながら、しずしずと奥向きを後にした。



