華蓮の姫は江戸に蠢く謎を喰う

寧々は、ついにたどり着いた推察を胸に秘め、慶喜のもとへと向かっていた。

きっと侍女たちには、今夜も夜伽なのだと噂されているのだろう。けれど、その方が都合がよかった。密談をしていることは、誰にも知られてはならない。それも今夜は、よほど特別な意味を持つのだ。

慶喜の寝所には、慶喜のほかに長十郎と影丸も集まっていた。寧々は影丸の隣に並んで座り、慶喜と長十郎に向かい合う。

寧々は『本草書』と小さな日本人形を大事そうに抱えている。一方、影丸は水の入った茶碗と、いくつかの小袋を手にしていた。それらを皆の前に並べて見せる。

「これから、私たちが解き明かした呪いの正体を示して見せます」
「誠でござるか!?」

慶喜と長十郎は目を見開き、わずかに腰を浮かせた。寧々は緊張で喉が渇き切っていたが、ひとつひとつ、慎重に声を振り絞る。

「呪いの正体は――毒でございます」
「毒? まさか、わが子は毒殺されたというのか?」

上屋敷に持ち込むものは、すべて改められている。だからこそ、慶喜にとっては意外だったようである。

「だが、毒だとすれば一体どこにあったというのだ!」
「神棚にございました。それも、だいぶ昔からあったようでございます」
「……どういうことだ?」

寧々は小袋のひとつを手に取り、その中身を取り出す。和紙に包まれていたのは、小さく、黄色くくすんだ破片であった。

「これは、神棚の紅玉の一部にございます」
「いや、紅玉とは色がまるで違うではないか」

慶喜と長十郎は揃って疑問の声を上げる。

「じつは、紅玉を日光に晒したのでございます。本当に紅玉であれば、変色するはずはございません。変色してしまうのは――鶏冠石でございます」
「鶏冠石、でござるか?」

寧々は『本草書』の栞を挟んだ箇所を開いてみせる。そこには、こう記されていた。

=====
鶏冠石は、石黄の一種なり。色、赤くして鮮明なり。其の形、鶏冠に似たるを以て、これを鶏冠石と名づく。

初めは紅赤色にして光沢あり。此の石、日光に久しく曝せば、次第に色褪せ、黄赤色となる。形色ともに紅玉に似たれども、紅玉は日光に曝しても、かくのごとく変色せず。ゆえに、色の変化を見れば、これを見分くる一助となるべし。

鶏冠石は、細かく砕きて薬と為す。されど、毒性甚だ強し。故に薬用に供するときは、分量を慎むべし。また、これを調合する者は、みだりに粉末を吸うべからず。
=====

その記述の隣に描かれた結晶の絵は、神棚の紅玉によく似ていた。それを見た慶喜と長十郎は、ただ驚愕するばかりである。

「この毒はおそらく、先代、あるいはそれよりも昔から準備されていたものなのでしょう。この一橋家を滅ぼすための呪いとして」

神物が呪いの正体だとは、誰も想像しないはずだ。ゆえに、いくら調べても、上屋敷に毒が持ち込まれた形跡など見つかるはずがない。

「だが、その毒が使われたという証拠があるのか?」
「はい。姫君の症状は、この毒に完全に合致しております」
「あの美賀子が近寄るだけで子が泣き叫び、触っただけで暴れるという異常な様相を、毒の症状だというのか?」
「相違ありません」

冒頭に記された石黄については、母から聞いたことがあった。それは暗殺の目的で使われる毒なのだと。

隠密の一家であることを受け入れながらも、その症状を聞いたとき、寧々は怖くて眠れなくなった。

『もしも一思いに死ななければ、相手は身体の感覚が狂って苦しむの。頭から足の先まで、ひどく痛むのよ』

母の言葉が記憶の奥底から引き出される。

「石黄の毒は、量が多ければ心臓麻痺を起こして死に至らしめる毒です。しかし、量によっては身体の痛みを訴えながら、じわじわと弱っていくのです」

聞いた慶喜はあからさまに狼狽していた。

「しかし、なぜ誰かが近づくと泣き叫ぶようになったのだ?」

寧々はさらに続ける。

「姫君がいた部屋は、足の振動が響く造りをしております。石黄の毒は、振動が身体に響くだけでも痛みを感じ、身体に触れられるだけで激痛に悶え苦しむことになります。誰かが近づく床の振動が、姫君にとっては悪霊そのものだったのでしょう」
「おお……何たることだ……」

慶喜は、己が痛みを受けているかのように、苦悶の表情を浮かべた。

「しかし、なぜそんななぶり殺しのような真似をしたというのだ!」
「毒を盛って即死すれば、最後に姫君に近づいた者が怪しまれるのは当然です。ですから、即死しないよう毒の量を調節したのでしょう。その結果、姫君は毒の痛みに苦しまなければならなかったのです」
「なんと! 下手人は保身のために、ひどく残酷なことをしたというのか!?」
「おそらくは、そうでございます」

しかし、慶喜の疑問は尽きない。

「だが、生まれて間もない子に、どうやって毒を盛ったのだ? 乳母の乳以外は口にしたことがないだろう。それに、無理に飲ませても、毒を吐き出せば効果は得られないはずだ」
「おそらくは――口からではない経路で、身体の中に入れたのでしょう」

寧々が目で影丸に合図を送る。

影丸は肯き、別の小袋を開いた。そこには、寧々が台所で見かけた円筒形の器具が入っていた。

影丸は細い円筒を太い円筒に差し込み、前後に動かしてみせる。すると、器具から空気の出入りする音がした。

さらに別の小袋から細長い和紙を取り出して開く。そこには三本の針が包まれていた。一本は鍼灸に用いていた鍼だが、残りの二本はそれよりも太く、根元はさらに太くなっている。

「この針を調べてみてください」

影丸が針を長十郎に差し出すと、長十郎はそれを手に取り、眉間に皺を寄せて向きを変えながら凝視する。突然、はっとした表情になる。

「この針、中心を貫く細い穴があり、筒のようになっております。よほど精巧に作られておりますな」

寧々も太い針を一本取り上げ、もう片方の手で円筒形の器具をつまみ上げた。

「それだけではありません。この針の尻が、器具のへそにぴったり嵌まるのです」

寧々は器具で茶碗の水を吸い取ると、その先にあるへそのような部分に、針の根元を嵌めてみせる。

引き金を引くと、針の先から液体が勢いよく飛び出した。慶喜は、おおっと声をもらした。

「西洋では、針を使い、薬を体内へ注ぎ入れる治療があると聞き及んでおります」

この屋敷には鍼灸師が何人もいるのだから、太い針が混ざっていたとしても、他の者が使うものだと思い、見過ごしてしまうのも無理はない。

まさか暗殺のための器具と毒が、この屋敷の中にそれぞれ別々に仕込まれていたとは、誰も想像だにしなかっただろう。

「薬が飲めない子に対しては、この器具を用い、毒を溶かした液体を体内へ直接注入して殺害したに違いありません」

だが、慶喜は眉根を寄せたまま、なおも納得のいかぬ様子である。

「しかし、死後の調べでは、体のどこにも傷はなかった。このような針を刺したのであれば、多少なりとも痕跡が残るはずだ」

当然ながら予想していた問いだった。寧々はひと息ついてから、さらに続ける。

「ところが一箇所だけ、針を刺しても気づかれない場所があるのです。それは、生まれたばかりの子だからこそ残されていた場所だということです」
「まさか、へその緒(・・・・)かっ!?」
「そういうことでございます。まだ閉じ切っていないへその緒に針を刺し、体内に毒を注ぎ込んだのだろうと考えています。このように――」

寧々は並べてあった日本人形を手元に引き寄せ、その着物を脱がせた。

そして、臍の部分に勢いよく針を刺してみせた。針は、確かに人形の身体へと吸い込まれていく。

それを見た慶喜の表情には、驚きだけでなく、恐怖や怒り、そして悲哀など、さまざまな感情が綯い交ぜになっていた。

けれど、突然それらの感情を振り払うように、勢いよく首を横に振った。そして、なおも問いかける。

「だが、そんなに都合よく毒の量を調節できるものなのか!?」

慶喜は厳しい表情で問い詰める。

何度も毒殺を試していなければ、鉱石から抽出した毒を、最適な量で投与することなど難しい。

「下手人は、そのことを分かっていたはずです。だからこそ、事前に入念な準備をしていたのでしょう」
「入念な準備とは、どういうことだ?」
「影丸、真相の説明をお願いできますか」
「承知した」

ここから先は、影丸が語る。

「じつは、この屋敷では、しばらく前に多くの犬が死んでいました。そこで夢桜に屋敷内の者へ聞き回ってもらい、飼い主を特定してもらったのですが――」

そう言うと、影丸は臍に針の刺さった日本人形をかざしてみせる。

「いずれの犬も皆、子犬でした。その大きさというのは――この日本人形ほどになります」

その人形は、生まれたばかりの赤子と同じくらいの大きさである。

「時期はやはり、子が亡くなる少し前のことでした。だが、姫君の死後、犬の不審死はぴたりと止んでいたのです」
「まさか……」
「毒を盛って殺すこと自体は容易です。しかし、すぐには死なない量を見極めるために、他人の飼い犬で実験を繰り返していたのでしょう」

慶喜の額からは、脂汗が滴っている。寧々は淡々と続ける。

「裏を返せば、ここまで周到な準備がされているとすれば、下手人は殿の住む上屋敷に出入りできる者――しかも、相当前からこの屋敷内で暮らしている者ということになります」
「長年にわたり、毒殺の機会を虎視眈々と窺っていたということなのか」

呪いの謎が解けなければ、子が生まれるたびに毒殺され続けることになったであろう。

しばし無言の時間が流れた後、寧々がぽつりと口を開く。

「僧侶も医者も、真相の分からぬ事象を呪いと理由づけし、皆がその錯覚に呑まれたのではないでしょうか。負の連鎖が皆の心を縛りつけ、一橋家の未来を奪っていったのでしょう」
「むぅ、確かにな……」

真相が明らかとなれば、呪いというものは幻想だと納得できる。もし呪いがあるのならば、それは一橋家を滅ぼそうとする、誰かの執念そのものである。

「だが、真相を解明できたとして、どうやって下手人を見つけ出すのだ?」

動機は、一橋家の血を絶やすこと。方法は、呪いに見せかけた毒殺。だが、下手人は一体誰なのか――それだけは、まったく手掛かりがない。

しかし、そこはぬかりなく、影丸とともに作戦を練っていた。

「そのような責務を果たす者は、おそらく死んでも尻尾を出すことはないでしょう。ならば――こちらから仕掛けるほかありません」
「なんと、よき考えがあるというのか!?」
「こちらから下手人をおびき寄せます。姫君を殺した下手人であれば、必ず乗ってきますから」

それから寧々は、すうっと息を吸い込んだ。自信の漲る漆黒の瞳は、黒水晶よりも深く輝いている。

「亡き姫君の力を借りるのです。姫君の霊ならば、下手人を知っているはずですから」

そのひと言に、慶喜も長十郎も唖然として、言葉を失っていた。