杓子定規なお姫様ー最恐のわがまま呪術師の元に嫁いだのは曲がれない解呪師でしたー

 その日、鈴懸は琴音を連れたって家を出た。
 
「今日は私も共にとのことですが、ということは今日実行されるのですか?」
 
 解呪師である琴音をわざわざ連れて出るなど二人で散歩をする仲というわけでもないと思っている琴音からしたら呪殺の実行日である、そう判断するのは何もおかしいことではなかった。
 
「まぁ、そういうことになるだろう」
 
 そして鈴懸もその気で琴音を家から連れ出していた、心の深い部分では全く違うことを目論みながら。
 
「それでは、私達の関係もこれまでということになりますね」
「小言を言われなくなると思うと清々する、これでお互い息が詰まるような生活ともおさらばだな、喜ぶといい」
「……そうですね」
 
 この依頼が無事にこなされれば晴れて二人の関係は夫婦から他人へと戻る、それは鈴懸からすれば琴音を喜ばすには十分に有り余る程の言葉だと思っていた。
 だがその台詞を聞いた琴音の声はどこか、少しだけ暗く、少なくとも重責から解放される安堵の声ではない声色だった。
 
「何か思うところでもあるのか? やはり俺のような男と離れられて清々するか、自分でも自分の性格はしかと理解している」
「……」
「言葉に出来ぬほど嬉しいか」
 
 黙り込む琴音に鈴懸が矢継ぎ早に言葉をかけるのは鈴懸の焦りが反映した形だった。
 いつだって周りの人間は鈴懸を相手にすれば肯定の言葉しか使わなかった、だからこそ、返答の読めない相手との会話に神経が余計にすり減らされる。
 
「いえ、そういうわけではないのです、ただ……私は口が上手いほうではありませんからうまく言葉にして伝えられるかが不安なのです」
「……数日後には赤の他人、好きに罵れば良いだろう、俺との契約ももう無効だ」
 
 悩むように眉根を寄せながら眼鏡に触れる言葉を見て鈴懸はさらにぶっきらぼうに言い放つ。
 やはり、自分は嫌われている。
 そう鈴懸が早合点するには十分な程に琴音の眉の間のシワは深かった。
 
「……じゃあたまには自分の気持ちでもつらつらと語ってみます」
 
 琴音はそれだけ言うと大きく天を仰ぐ。
 
「まず、貴方の最初の印象はよくありませんでした」
 
 そしてそのまま淡々といつもと変わらぬ口調で語りだしたが琴音が人と、鈴懸と話をする時、こうして視線がかち合わないの初めてのことだった。
 
「ですが、それは一時のことでした、すぐに評価は一転し、多分ですが良い人という印象になりましたね」
「……は?」
 
 そして、そのまま琴音の口から放たれた言葉はいつもはきっと強く結ばれている鈴懸の口から見た目にそぐわないすっとんきょうな声を披露するには十分すぎるくらいで
 
「ですから良いひ——」
「いや、聞こえていないわけではない、そんなお世辞が聞きたいわけではないのだ別に、自分の性格が良くないことくらいは自覚している」
 
 相変わらず空気の読めない琴音の追撃を鈴懸は慌てて押し止めた。
 甘やかされて育った、自制というものを知らない。
 そんな環境で育ちながらも鈴懸はちゃんと自身を客観視することは出来ている。
 そして客観的に見た自分はいつだって、嫌な人間だった。
 だからこそ琴音のまっすぐな言葉を言葉のままに飲み込むことが出来なかった。
 
「まぁ、確かに常識というものをかなり欠除しておりましたが貴方はただ、素直な人です」
「素直……?」
「肘も、草履も、貴方は指摘されてすぐに行動で示してくれた、結婚してからもそうです、促せば嫌々ながらも付き合ってくれる、いかんせん私は頭が固いですから早々いませんでした、そんな人は」
 
 鈴懸が自身を客観視出来るように琴音も自身を客観視出来る側の人間だ。
 そして客観視した自身はあまりにも杓子定規、頭が固く融通が聞かない自分から愛想を尽かして一体どれだけの人が離れていったか、琴音はしっかりと記憶している。
 
「……君は、そんな理由で俺を良い人と言うのか」
 
 琴音の飾らない言葉に鈴懸は困ったように頬をかく。
 
「でも最初は貴方と結婚する気はなかったんです、永く続かないにしろ家の取り決めで結婚することになって、出会ったその場で思い切り振ればこの話も反故にされる、それくらいの感覚でした」
 
 まるで無垢な子供のような鈴懸に、琴音は今度はしっかりと視線を向けると秘密ごとでもバラすように囁いて見せる。
 
「では、何故今こうしてここにいるんだ?」
 
 今の話を聞けば今、ここに琴音がいてくれることは幻か何かのように奇妙なことだった。
 そもそも琴音は言葉のようにあの顔合わせの時に傍若無人な振る舞いは一切してはいない。
 
「……呆れないで聞いてくれるなら話します」
 
 珍しく、いや鈴懸が聞く限りでは初めて琴音の声が少しだけ揺れた。
 
「何も今さら、呆れなぞせんさ」
 
 鈴懸は生きてきてこの21年、一度もこんな琴音のような女に出会ったことはない。
 今さら何を言われても驚くことなどないと断言できる程にはそれだけ琴音の一挙一動にこの3ヶ月と少しで既に慣れ始めていた。
 
「……私実は、面食いなのです、それもかなりの」
「めん……くい……」
 
 そしてそんな鈴懸の心持ちすらも簡単に飛び越していくのがまた、琴音という女だった。
 鈴懸の口からギギギっと面食らったロボットのような声が漏れる。
 
「最初こそそれはそれは自己中心的であると噂ばかりの貴方で、まぁ私は人の噂を信じる方ではありませんが、初めて出会ったあの場で真っ先にあの言動と行動でしたから少しの不服こそありましたが、すぐにその懸念は晴れました、私が行動に移すより前にその素直な性格、それと同じくらいに貴方のその金のお髪と丹のような美しい瞳は私の心を揺らしました」
「……」
 
 いつになく饒舌に語る琴音に鈴懸は軽く言葉を失う。
 
「……分かっております、私のような型にはめた朴念仁が面食いなどとてつもないお笑い草であると」
「っ……はは!」
 
 その間にもつらつらと述べられる自虐的な言葉についに鈴懸は耐えきれなくなって大きく息を吐き出して笑った。
 
「鈴懸、様?」
 
 それは、今度は琴音が面を食らう番だった。
 琴音は鈴懸がここまで豪快に、いや、それどころか笑うところを今、初めて目にしたからだ。
 何か、余程気に障ることを言ったのかと流石に琴音も焦りを覚えて鈴懸の名前を呼ぶ。
 
「いや、やはり君はいつなんどきも俺の予想のはるか斜め上をいく、初めてだよ、この忌々しい見目を美しいと表現してせしめたのは」
 
 鈴懸は朗らかに言いながら家を出る時から手にしていた水筒の蓋を緩める。
 日本人というのは大体が黒髪黒目と相場が決まっている。
 
 そこには色素の問題などさまざまな関係が複雑に絡むが呪術師はその例に収まらない。
 鈴懸程の力を持つ呪術師ならば生まれながらに異様な見目であることもそう少なくはなく、その見目のせいで差別されることもまた、少なくはないのだ。
 その中でも特異な色を宿した鈴懸は一目見れば呪術師の家系であると自分から宣伝しているようなもので、距離を取られることも多かった。
 
 だが琴音のそのたった一言が、鈴懸の中の全ての概念をない交ぜにして一緒くたにしてしまう。
 琴音が綺麗だとそう言うのであればもう、この見た目も悪くない、そう思えてしまう程には。
  
「よし、決めた、おいそこの呪術師、こちらを見よ」
 
 鈴懸は一言呟くとそれなりに距離を保っていたターゲットの男の目前まで駆け寄ると自身の身分を隠す為に黒粉で染めていた髪の毛にドバドバと水筒の水を頭から振り掛けてその漆黒を洗い流してしまう。
 
「っ……私が呪術師と知っているということは、それにその派手な見目、貴様音無のっ……!」
 
 金の頭髪に紅い瞳、それを晒せばすぐに男は鈴懸の正体に気付いて臨戦態勢を取る。
 
「そろそろお前の下らぬお遊びに付き合うのも興が冷めた、ほれ冥土の土産だ、好きに呪って見せたらよい」
 
 だが鈴懸はそれとは裏腹に男の目の前で両手をおどけるように広げると人差し指で男を煽る。
 
「……このっ!!」
 
 絵西家の男が使う呪術はインクを使用する。
 男が懐から取り出したひとつの万年筆からはずるずるとインクが染みだしていき鈴懸の白い腕をミミズのように黒く這う。
 
「……ふむ、同じ名家の出身がこの程度とは呪術師の衰退も嘆かわしいことよ、どうやらここまでお膳立てする必要など毛頭なかったようだな、早々に散るといい」
 
 だがインクはすぐに肌の汚染を止め腕で動きを止めた。
 つまるところ男の呪いは鈴懸が生きているだけで無造作に放出しているだけの呪いの力に押し負けたのだ。
 鈴懸はそれを嘆くように一目するとすぐに男への興味を無くし自身の呪術を発動させるために口を開く。
 そしてその体躯で男の胸ぐらを掴み上げると耳元に口を寄せた。
 
「【時計の針が三周回った、喉の潰れた鴉が喚く、視線は地を這い舌は絡まる、世界はお前を認めはしない】」
 
 呪文を唱える鈴懸の口からは呪いというには神々しすぎる金色の光を帯びた糸がこぼれ落ち、それは男の耳に流し込まれていく。
 今、琴音や音無家のお付きの者達の前で行われていることは間違いなく呪殺である、ある筈なのに、そこに流れる空気はただ、神秘的の一言に尽きた。
 
「っ……ぐ、うぁ……がはっ……」
「全くこともない相手だったな」
 
 少しの呻き声と共にがくりと力なく項垂れた男から鈴懸はパッと簡単に手を離す。
 音無の家の呪術師は音を使った呪いを使う。
 鈴懸の場合は声、いやどちらかと言えば音の響きと言った方が正しいだろうか。
 
「……こともない相手から何故わざと呪いを受けるような真似を?」
 
 お付きの者やその場に居合わせた皆が鈴懸の手腕に感嘆する中琴音だけが違う反応を示した。
 いつもより少しだけ低い声で咎めるように呟きながら鈴懸の腕にそっと自身の手を置く。
 そこは男が放ったインクが貯まっている部分だった。
 
「俺にも色々と思うところがある、俺がこの程度の相手の呪いを受けた、それを君が解呪した、そうすれば俺の実力も知れたものになり君の力を示すこととなる」
「それに、どういう意味があるというのですか?」
 
 鈴懸の主張は聞くだけで理解できるものではなかった。
 簡単に言えばそれは、自身の評価を落とし琴音の評価を上げる、それだけのことだ。
 何も鈴懸には特などない。
 
「君との結婚生活の延期を音無のご隠居どもに認めさせる良い土産話になる」
「……結婚生活の、延期」
 
 鈴懸の口から出た予想出来ない言葉を琴音は理解しようと復唱する。
 
「……もちろん君が良ければの話でしかないし、別に何か深い意味があるわけでもない、無駄な期待はするだけ無駄だ、別にただ……君との生活はそう悪いものではなかった、それだけの話だ」
 
 鈴懸は言いきるとすぐに琴音から視線を反らす、生憎永く甘やかされて育った鈴懸は恥ずかしげもなく自身の内心を伝える術を持っていない。
 言葉を濁しに濁し、やっとのことで出来た告白がこれだったわけだが
 
「……そうですか、ではまず失礼して」
 
 ぺちっ
 
 そんな空気を無視するように一言断りを入れた琴音はそのまま小さな音を立てて鈴懸の頬を叩く。
 
 叩くといってと実際のところはただ触れたくらいのそれ、だが今まで鈴懸は生まれてこのかた両親にすら折檻されたことはなく、その小さな音はお付きの人間達の肝を凍らせたことは間違いなかった。
 
「そのような理由だけでわざと呪いを受けるようなことはお止めください、もう少し自分の身を大切にするべきです」
「…………すまない」
 
 だが、叩かれた鈴懸よりもつらそうに鈴懸の腕のインクに触れながらこんこんと語る琴音を見て、その後鈴懸が自身の頬に手を宛ながら困ったように呟いた一言はさらに場の者を驚愕させる一言だった。
 
「……これは驚きました、貴方、謝れたんですね」
 
 そしてそれは琴音も同様だったようで珍しくその白目がちな瞳を黒くさせてきょとんとした様子でそれだけ呟く。
 
「君は、俺を一体なんだと思ってるんだ……」
「亭主関白気取りの少し常識の足りない子供、ですかね」
「……」 
「……半分は冗談です、まぁ後の半分の本心は、仕方なくて目が離せない私の旦那様ですかね」
 
 一度わざとなのか漫才のようなやり取りを挟んだ琴音はあの時のように少しだけ笑むと鈴懸の腕のインクに口をつける。
 
「っ……」
 
 夫婦という体裁をとってからも二人は一度も口づけなどしたことはない。
 そんな中急に腕に口づけられた鈴懸は小さく息を飲むと顔をそれこそ丹のように赤くさせる。
 だが琴音はそれを意にも介せずそのままこくりと小さく音を立ててインク溜まりの呪いを飲み込むと口を離した。
 
「解呪方法は個人によりますが、私の場合はこれが一番手っ取り早いので」
 
 そしてまた白く傷のない肌に戻った鈴懸の腕を最後に一度、優しく慈しむように撫でてからいつものように鈴懸の一歩後ろに下がる。
 
「だからといっていきなりすることではっ……」
 
 鈴懸は琴音の突然の行動にどきまぎとしながらもあの日言った自分の言葉を思い出す。
 
『外を歩くときは自身の一歩後ろを』
 
 あれを言った自分に今は賛辞を送りたいと鈴懸は考えた。
 そうでなければ今頃この酷い顔を琴音に見られていたと思うと胸の律動がさらに高まる。
 
「相手は夫なのですから問題ないと判断しました、それとも、やはりこんな私は嫌でしょうか……?」
「……逆だな、これからさらに君のことを知れるのが楽しみになった」
 
 こんな時でさえ杓子定規、効率重視で動く琴音に言葉の通り鈴懸の心はただ沸き立つだけ。
 初めて会ったあの日当たり前のことを指摘された時はあれだけ不快だった筈なのに、そんな感情を今は全くと言って良い程に頭の中に浮かばない。
 あるのはまた自分の思いもしないことをし、言葉にしてくれるのだろうという期待だけ。
 
「……おかしな人ですね」
「まぁ君程ではないだろう、取りあえず依頼の報告も兼ねて一度実家に戻らねばなるまい、ご隠居どもの説得に苦労せねば良いがな」
 
 殺しの片付けは音無家のお付きの者の役目であり相手を呪い殺した時点で鈴懸の仕事は終わりだ。
 
 鈴懸がこれだけのことをしてお膳立てをしても相手が解呪師となれば音無家のご隠居はそう簡単には頷かないだろう。
 
 それを鈴懸は理解しながらも琴音であれば自身よりも上手く丸め込み手込めにしてしまうのだろうというどこか確信めいたものがあった。
 
 そして歩きだしながら、琴音が自身の横にいないせいで顔を見れないことがさっきとは逆に今度は少しだけ寂しく感じて、隣を歩けばいい、いつか言えれば良いその言葉を音にすることなく口の中で反芻した。