ふと、真尋がこちらに視線を向けた。
その目に促されるように、私ははっと画面に向き直る。
「……ごめんね、今、G(ゴキブリ)っぽい黒い影が見えて、びっくりしちゃった!」
なんとか笑顔を作ってごまかした。
『みこにゃん大丈夫?』
『最近増えてきたよなー』
次々と流れ去るコメントに返しながらちらりと悠斗を見ると、彼は後ろ手に静かに襖を閉め、無言のままこちらを見つめていた。
(……ここまで見られちゃったら、もうごまかしても同じだよね)
覚悟を決め、目の前の画面へ意識を戻す。
「それで……ナバちゃんは、どうしたいの?」
「……浮気ならすぐやめて欲しい。……けど、疑って問い詰めるような重い女になりたくない」
「うん」
「最近、ずっとそのことばっかり考えちゃうんです。……授業中も、寝る前も。連絡が来ないと、今誰といるんだろうって……」
「ナバちゃん……」
「自分でも、こんなの嫌なんですけど……止められなくて」
言葉を探す沈黙が、少しずつ長くなっていく。静かな空気をなるべく壊さないように、私は言葉を重ねる。
「不安な気持ちを無くしたいって思うのは、ごく当たり前のことだよ。重い女なんかじゃない。ナバちゃんは、もっと自分の気持ちを大切にしていいんだよ」
その時だった。
――ずる……ずるっ……。
外から、またあの音が聞こえてきた。
真尋が静かに立ち上がり、庭に面した障子へと足音もなく近づく。ほんの少しだけ開け、外を覗き込んだ。
「……」
その横顔が、わずかに険しくなる。
「真尋さん……?」
マイクに拾われないよう、小声で呼びかける。
「……少し、外の様子を見てきます」
真尋は障子を閉めると、床に置かれていた錫杖を静かに手にとった。
「えっ、外って――」
「ここにいてください」
それだけを言い残し、真尋は部屋を出ていった。
閉じた襖を見つめる。
(……絶対、何かヤバいのがいるじゃん)
ちらりと悠斗を見ると、彼もまた怪訝そうな顔で真尋が出ていったほうを見ていた。
「みんなだったら、どうする?」
気を取り直して画面へ問いかける。
『私なら速攻で尋問』
『とりあえずスマホ見せてって言う』
『でも遠距離なら、余計に聞くの怖くない?』
様々な意見が流れていく。
それに相槌を打ちながらも、さっきからどうにも気が散ってしまう。
(真尋さん、大丈夫かな……)
ちらりと障子へ視線を向けたその時。
――ガタン!
外で大きな音がした。
「――っ」
心臓が跳ねる。気づけば、身体が動いていた。
「……ごめん! さっきのG、まだいるかも! ちょっとだけ待ってて!」
視聴者に向かって叫ぶように言い捨てると、ヘッドセットを外し、足音を忍ばせて障子へ近づく。
息を殺して、指先でほんの少しだけ障子を開けた。
庭の奥へ目を凝らす。
暗がりの中に、錫杖を構えた真尋の姿が見えた。
そのさらに向こう――。
「――っ」
闇の中で、人の胴ほどもありそうな漆黒の大蛇がうごめいていた。
(なに、あれ……)
その頭が、ゆっくりと持ち上がる。
そして——目が合った。
黄色い2つの目が、まっすぐに私を捉える。
(しまった……見つかった……!)
その瞬間、真尋がこちらを振り返った。
何かを叫んでいる。けれど、ガラス戸越しでは聞き取れない。
(閉めろってこと……!?)
弾かれたように障子を閉めた。その直後――
ガンッ! ドスン!
外から響いた大きな音と同時に、部屋がわずかに震えた。
「――っ!」
(今の……真尋さんは?)
「真尋さん!」
思わず、閉じた障子に向かって叫んだ。
『え、なに!?』
『今の音なに?』
『みこにゃん大丈夫?』
画面にコメントが一気に流れ始める。
「あ……」
しまった。マイク、入りっぱなしだ。
どうしよう。画面と障子を交互に見ていると——
「お待たせー! G撃退成功したよー! みこにゃん、がんばった!」
「…………」
耳を疑い、思わず振り返る。
いつの間にか、悠斗がマイクの前に座っていた。
『よかったー!』
『みこにゃんおつwww』
『Gに勝った巫女強い』
『リアクション凄まじくて草』
(…………うまっ!? )
姿はアバター、声はボイスチェンジャーで誤魔化せる。
とはいえ、声だけ聞いたら私のテンションとほとんど変わらない。
(いや、精度高すぎでしょ!?)
「そうだよねー。Gって急に出てくるから、本当に心臓に悪いよね!」
しかも、普通に続けてる。
『わかる』
『夏の恐怖』
『Gだけはマジで無理』
「でもでも! 今はGよりナバちゃんのお悩み! 話の途中でごめんね。えっと、彼から会いたいって言ってくれるけど、会いに行くのはいつもナバちゃんのほうなんだよね?」
「……はい」
(内容までちゃんと聞いてたの!?)
思わず悠斗を見ると、こちらに気づいた悠斗が、画面から視線を逸らさないまま小さく手を振った。
その時、ガラス戸が小刻みに震えた。
足元から、嫌な振動が伝わってくる。
「っ……」
悠斗も一瞬だけ外へ目を向けた。けれど、すぐに画面へ向き直る。
「そっかぁ。ナバちゃん、彼に会いに行くの、大変じゃない?」
何事もなかったかのように、配信を続けている。
(……もしかして、私の代わりに?)
悠斗は何も言わない。
ただ、私が抜けても大丈夫だと言うように、明るい声で話を続けている。
「ねえ、ナバちゃん。彼に『今度はそっちから会いに来てほしい』って言ったことある?」
「……ない、です」
悠斗とナバちゃんの会話が続いていく。けれど、もうほとんど耳に入ってこなかった。
(真尋さん……!)
胸の奥が、ぎゅっと縮む。
『ここにいてください』
真尋さんは、そう言った。
私が外に出たところで、きっと邪魔になる。
わかってる。
でも――。
(……こんなの、じっと待ってられるわけないよ!)
私は配信スペースの脇に置いてあったリュックへ駆け寄り、勢いよくファスナーを開けた。
焦る指先で中を探り、護符を取り出す。
真尋さんからもらった、あのお札。
(効けば幸運、だっけ)
今、その曖昧さはいらないんだけど!
護符をポケットに突っ込み、畳を蹴って障子へ駆け寄る。
障子に手をかけたところで、一瞬だけ身体が竦んだ。
脳裏に浮かぶのは、さっき見た黄色い目。
(怖い……)
指先が、かすかに震える。
だけど――。
――ガンッ!
「……っ!」
すぐ近くで響いた衝撃音に、背中を押された。
(もう、考えてる暇なんてない!)
「真尋さん!」
障子を勢いよく開け、縁側へ飛び出す。そのままガラス戸を開け、庭へ降りた。
その目に促されるように、私ははっと画面に向き直る。
「……ごめんね、今、G(ゴキブリ)っぽい黒い影が見えて、びっくりしちゃった!」
なんとか笑顔を作ってごまかした。
『みこにゃん大丈夫?』
『最近増えてきたよなー』
次々と流れ去るコメントに返しながらちらりと悠斗を見ると、彼は後ろ手に静かに襖を閉め、無言のままこちらを見つめていた。
(……ここまで見られちゃったら、もうごまかしても同じだよね)
覚悟を決め、目の前の画面へ意識を戻す。
「それで……ナバちゃんは、どうしたいの?」
「……浮気ならすぐやめて欲しい。……けど、疑って問い詰めるような重い女になりたくない」
「うん」
「最近、ずっとそのことばっかり考えちゃうんです。……授業中も、寝る前も。連絡が来ないと、今誰といるんだろうって……」
「ナバちゃん……」
「自分でも、こんなの嫌なんですけど……止められなくて」
言葉を探す沈黙が、少しずつ長くなっていく。静かな空気をなるべく壊さないように、私は言葉を重ねる。
「不安な気持ちを無くしたいって思うのは、ごく当たり前のことだよ。重い女なんかじゃない。ナバちゃんは、もっと自分の気持ちを大切にしていいんだよ」
その時だった。
――ずる……ずるっ……。
外から、またあの音が聞こえてきた。
真尋が静かに立ち上がり、庭に面した障子へと足音もなく近づく。ほんの少しだけ開け、外を覗き込んだ。
「……」
その横顔が、わずかに険しくなる。
「真尋さん……?」
マイクに拾われないよう、小声で呼びかける。
「……少し、外の様子を見てきます」
真尋は障子を閉めると、床に置かれていた錫杖を静かに手にとった。
「えっ、外って――」
「ここにいてください」
それだけを言い残し、真尋は部屋を出ていった。
閉じた襖を見つめる。
(……絶対、何かヤバいのがいるじゃん)
ちらりと悠斗を見ると、彼もまた怪訝そうな顔で真尋が出ていったほうを見ていた。
「みんなだったら、どうする?」
気を取り直して画面へ問いかける。
『私なら速攻で尋問』
『とりあえずスマホ見せてって言う』
『でも遠距離なら、余計に聞くの怖くない?』
様々な意見が流れていく。
それに相槌を打ちながらも、さっきからどうにも気が散ってしまう。
(真尋さん、大丈夫かな……)
ちらりと障子へ視線を向けたその時。
――ガタン!
外で大きな音がした。
「――っ」
心臓が跳ねる。気づけば、身体が動いていた。
「……ごめん! さっきのG、まだいるかも! ちょっとだけ待ってて!」
視聴者に向かって叫ぶように言い捨てると、ヘッドセットを外し、足音を忍ばせて障子へ近づく。
息を殺して、指先でほんの少しだけ障子を開けた。
庭の奥へ目を凝らす。
暗がりの中に、錫杖を構えた真尋の姿が見えた。
そのさらに向こう――。
「――っ」
闇の中で、人の胴ほどもありそうな漆黒の大蛇がうごめいていた。
(なに、あれ……)
その頭が、ゆっくりと持ち上がる。
そして——目が合った。
黄色い2つの目が、まっすぐに私を捉える。
(しまった……見つかった……!)
その瞬間、真尋がこちらを振り返った。
何かを叫んでいる。けれど、ガラス戸越しでは聞き取れない。
(閉めろってこと……!?)
弾かれたように障子を閉めた。その直後――
ガンッ! ドスン!
外から響いた大きな音と同時に、部屋がわずかに震えた。
「――っ!」
(今の……真尋さんは?)
「真尋さん!」
思わず、閉じた障子に向かって叫んだ。
『え、なに!?』
『今の音なに?』
『みこにゃん大丈夫?』
画面にコメントが一気に流れ始める。
「あ……」
しまった。マイク、入りっぱなしだ。
どうしよう。画面と障子を交互に見ていると——
「お待たせー! G撃退成功したよー! みこにゃん、がんばった!」
「…………」
耳を疑い、思わず振り返る。
いつの間にか、悠斗がマイクの前に座っていた。
『よかったー!』
『みこにゃんおつwww』
『Gに勝った巫女強い』
『リアクション凄まじくて草』
(…………うまっ!? )
姿はアバター、声はボイスチェンジャーで誤魔化せる。
とはいえ、声だけ聞いたら私のテンションとほとんど変わらない。
(いや、精度高すぎでしょ!?)
「そうだよねー。Gって急に出てくるから、本当に心臓に悪いよね!」
しかも、普通に続けてる。
『わかる』
『夏の恐怖』
『Gだけはマジで無理』
「でもでも! 今はGよりナバちゃんのお悩み! 話の途中でごめんね。えっと、彼から会いたいって言ってくれるけど、会いに行くのはいつもナバちゃんのほうなんだよね?」
「……はい」
(内容までちゃんと聞いてたの!?)
思わず悠斗を見ると、こちらに気づいた悠斗が、画面から視線を逸らさないまま小さく手を振った。
その時、ガラス戸が小刻みに震えた。
足元から、嫌な振動が伝わってくる。
「っ……」
悠斗も一瞬だけ外へ目を向けた。けれど、すぐに画面へ向き直る。
「そっかぁ。ナバちゃん、彼に会いに行くの、大変じゃない?」
何事もなかったかのように、配信を続けている。
(……もしかして、私の代わりに?)
悠斗は何も言わない。
ただ、私が抜けても大丈夫だと言うように、明るい声で話を続けている。
「ねえ、ナバちゃん。彼に『今度はそっちから会いに来てほしい』って言ったことある?」
「……ない、です」
悠斗とナバちゃんの会話が続いていく。けれど、もうほとんど耳に入ってこなかった。
(真尋さん……!)
胸の奥が、ぎゅっと縮む。
『ここにいてください』
真尋さんは、そう言った。
私が外に出たところで、きっと邪魔になる。
わかってる。
でも――。
(……こんなの、じっと待ってられるわけないよ!)
私は配信スペースの脇に置いてあったリュックへ駆け寄り、勢いよくファスナーを開けた。
焦る指先で中を探り、護符を取り出す。
真尋さんからもらった、あのお札。
(効けば幸運、だっけ)
今、その曖昧さはいらないんだけど!
護符をポケットに突っ込み、畳を蹴って障子へ駆け寄る。
障子に手をかけたところで、一瞬だけ身体が竦んだ。
脳裏に浮かぶのは、さっき見た黄色い目。
(怖い……)
指先が、かすかに震える。
だけど――。
――ガンッ!
「……っ!」
すぐ近くで響いた衝撃音に、背中を押された。
(もう、考えてる暇なんてない!)
「真尋さん!」
障子を勢いよく開け、縁側へ飛び出す。そのままガラス戸を開け、庭へ降りた。


