なんちゃって巫女は寺に居座る~家出ついでに配信してたら、副住職が本物の妖を祓い始めました~

 私はその後、しばらく真尋に背を向け、障子に向かって正座した。
 穴があったら入りたいとは、まさにこのことだ。
「……すみませんでした」
「気にしていません」
 本当に気にしていないのか、真尋はいつもと変わらない声で答えた。
 しばらくしてようやく気持ちが落ち着いたところで、母から頼まれていたことを思い出す。
 私は真尋に向き直り、リュックを開けた。
「あ、あの! まず勉強を始める前に、お月謝についてのお話なんですけど」
「月謝、ですか」
「はい。母が近々ご連絡したいって言ってました。これ、母の連絡先なんですけど……」
 連絡先の書かれたメッセージカードを真尋に差し出す。
 真尋はそれを受け取り、少しだけ考えるように視線を落とした。
「それでしたら、お金は結構です」
「えっ!?」
「代わりに、お寺の手伝いをしていただけますか」
「……お寺の?」
「掃除や庭の手入れ、本堂の片付けなどです。住職も高齢ですので、人手があると助かります」
「そんなのでいいの?」
「はい。それで十分です」
 あまりにもあっさりと言われ、思わず真尋の顔を見つめる。
(家庭教師って、そんなに安いものじゃないよね……?)
「もちろん、お母様にもご説明します。ご納得いただければ、ですが」
 真尋は引き出しからメモ帳を取り出すと、さらさらと何かを書きつけ、私に差し出した。
 藤代真尋、と書かれたその下に、電話番号が記されている。
 私はそれを受け取り、真尋の顔を見つめた。
「こちらをお母様に」
「あ、はい」
 メモを受け取り、もう一度真尋を見る。
「じゃあ……私、頑張ります!」
「ありがとうございます」
 真尋はわずかに微笑んだ。
「では、始めましょうか」
「はい!」
 真尋は座卓を挟んで私の向かいに座った。
「まず、苦手な教科を教えてください」
「苦手な教科……」
「はい。今後、どこを重点的に勉強するか決めたいので」
「えっと……英語、かな。あと数学もあんまり得意じゃない」
「では、今日は英語から見てみましょう。教科書を出していただけますか」
「…………」
「みとさん?」
「……ない」
「ない?」
「だから、その……」
 ちらりと、部屋の隅へ目をやる。
 そこには先ほど盛大にぶちまけた恋愛本が、きれいに積み直されていた。
「間違えて、そっち持ってきちゃったから……」
「……なるほど」
 真尋も恋愛本へ目を向ける。
 お願いだから見ないで。
「では、少しお待ちください」
 そう言って、真尋は部屋を出ていった。
 しばらくして戻ってきた彼の手には、数冊の参考書が抱えられていた。
「高校時代に使っていたものが残っていました」
「えっ、真尋さんの?」
「はい。少し古いですが、今日使う分には問題ないでしょう」
 座卓に置かれた参考書を、私はまじまじと見つめた。
(……この人、これ使って東都大学に入ったんだ)
 そう思うと、なんだか参考書そのものに御利益があるような気がしてくる。
「なんか、もういける気がしてきた」
「まだ何もしていません」
「気持ちの問題です!」
「そうですか」
 真尋はあっさり受け流すと、参考書を一冊手にして座卓を回り込み、私の隣に腰を下ろした。
「では、その気持ちがあるうちに始めましょう」
「はい……」
 何となく肩透かしを食ったような気持ちで、私はその参考書を眺めた。
 
 勉強を始めてから、1時間ほどが過ぎていた。
「では、ここを訳してみてください」
「えーっと……」
 参考書を覗き込み、英文を目で追っていると、不意に首筋にちくりと痛みが走った。
「……っ」
 思わず手を当てる。
「どうしました?」
「なんか今、ここが……」
 言いながら顔を上げると、真尋の表情が変わっていた。
「見せてください」
「え?」
「……痣が、少し濃くなっています」
「えっ!?」
 思わず真尋を見る。
「なんで?」
「わかりません」
 真尋は考えを巡らせるように宙を凝視する。それから口を開いた。
「……今日は配信をやめませんか」
「え? なんで?」
「嫌な感じがします」
 真尋の表情が、珍しく固い。
(でも――)
 『最近、彼からの連絡が減ったんです。きっと浮気してると思います』
 今夜、相談する予定の女の子から届いたDMが頭をよぎる。
「待ってる子がいるの。少しでも力になってあげたい」
 その時だった。
 廊下の向こうから、ぎし、と床板の軋む音がした。
 真尋が顔を上げる。私も廊下のほうへ目をやった。
「……住職さんかな」
「いえ」
「え?」
「住職の足音ではありません」
 ぎし……
 ぎし……
 音が、こちらへ近づいてくる。
 私は思わず真尋の袖を掴んだ。
「ま、まさか……妖?」
「わかりません」
 真尋は私の手に自分の手を重ねると、そっと袖から離した。
 不意に触れた手の温度に、心臓が小さく跳ねる。
「ここにいてください」
 そう言って静かに立ち上がる。
 その手には、いつの間にか数珠が握られていた。
 私も何か武器になるものはないかと辺りを見回す。
 目に入ったのは、座卓の上の参考書だった。
 ――これしかない。
 私は参考書をひっ掴むと、襖の脇に立ち、両手で構えた。
「みとさん」
「だ、大丈夫。いざとなったらこれで――」
「それは私の本です」
「今そんなこと言ってる場合!?」
 足音が止まった。
 襖一枚隔てた、すぐ向こうだ。
 私は参考書を握りしめる。
 真尋も数珠を手に、じっと襖を見据えた。
 すっ、と襖が開く。
「――っ!」
「うわっ!?」
 私は反射的に参考書を振り上げた。
「ちょ、待っ――!」
「みとさん、待ってください!」
 振り下ろす寸前、真尋に腕を掴まれる。
 襖の向こうには、見知らぬ青年が両手を上げて固まっていた。
「…………」
「…………」
「…………」
 青年は、私が振り上げた参考書を見る。
 次に、真尋の手に握られた数珠を見る。
「……俺、何かした?」
「していません」
「じゃあなんで殺気立ってんの!?」
 真尋は静かに数珠を下ろした。
「……どうしてここにいるんだ」
「住職さんに『真尋なら奥におりますよ』って通されたんだけど!?」
「ご、ごめんなさい!」
 慌てて参考書を下ろすと、青年はまだ警戒するように私を見ながら部屋へ入ってきた。
 真尋が一つ息を吐いて、青年を示した。
「大学の友人の、橘悠斗(たちばなゆうと)です」
「どうも。橘です」
「あ、朝霧みとです……。本当にごめんなさい」
「いや、当たってないからいいけど」
 悠斗はそう言ってから、私と真尋を交互に見た。
「……で、この子は?」
「勉強を教えてる」
「お前が?」
「そうだけど」
「……いや、お前が人に勉強教えるとは思わなくて」
 悠斗はそう言いながら、持っていた紙袋から一冊の本を取り出した。
「これ。借りてたやつ返しに来た」
「ああ。わざわざ来なくてもよかったのに」
「一駅だし。近くまで来たから」
 真尋は本を受け取ると、座卓の上に置いた。
「あのさ。念のため聞いていい?」
 悠斗が恐る恐る真尋に聞いた。
「何?」
「お前、なんかヤバい奴に狙われてる?」
「狙われてない」
「じゃあなんで、数珠構えて待ち伏せしてたんだよ」
「あ、あの!」
 二人の会話に割って入ると、悠斗がこちらを向いた。
「ん?」
「よかったら、お茶でもいかがですか」
 今しがた参考書で殴りかけた罪悪感から、咄嗟に口をついて出た。
「……あ」
 言ってから気づく。
「ここ、私の家じゃなかった」
「そうですね」
「ご、ごめん、真尋さん! 勝手に!」
「いえ。お茶くらいなら構いませんよ」
 真尋は気にした様子もなく立ち上がった。
「淹れてきます」
「あ、私も行く!」
「手伝ってくれるんですか?」
「もちろん! 私が言い出したんだし」
「では、お願いします」
 二人で部屋を出ようとしたところで、
「……ちょっと待って」
 悠斗に呼び止められた。
「何?」
「いや……」
 悠斗は私と真尋を交互に見る。
「ほんとにどういう関係?」
「だから、勉強を教えてる」
「それは聞いた」

 廊下へ出て、悠斗から十分に離れたところで真尋の袖を引く。
「真尋さん」
「はい?」
 私は声を潜めた。
「あの人、妖のこと知ってるの?」
「いえ、知りません」
「えっ」
「悠斗には何も話していません」
「じゃあ、さっきの私たち、めちゃくちゃ怪しくない?」
「……そうですね」
「そうですねって……」
 数珠を構える友人と、その隣で参考書を振りかざす見知らぬ女子。私だったら、その日を境に友人との付き合い方を考える。
 話しているうちに台所へ着き、真尋は急須を手に取った。
 私も棚から湯呑みを取り出し、盆の上に並べていく。
「それより、配信まで30分切ってますが、大丈夫ですか」
「え?」
「……」
 手にしていた湯呑みが止まる。
「あ」
 そうだった。
 お茶に誘ったの、私だ。
「ど、どうしよう。悠斗さんがいたら配信できないよね。また何が起きるかわからないし……」
「配信の間だけ、別の部屋にいてもらえばいいのでは?」
「悠斗さんに?」
「はい」
「でも、私がお茶に誘ったのに、『今から配信するので、あっちにいてください』って、ひどくない?」
「そうですね。しかも、客間はあそこだけですから」
「じゃあ、私が別の部屋を使わせてもらうのは?」
「それなら、私の部屋くらいですね」
「真尋さんの部屋……」
「そちらにしますか?」
「あ、それなら――」
 言いかけて、すぐに別の問題に気づく。
「でも、妖が出たらどうするの?」
「私も一緒に行きます」
「え」
 真尋は何でもないことのように答えながら、急須に湯を注いでいる。
「……それ、悠斗さんから見たら変じゃない?」
「何がですか」
「何がって……」
 お茶を出しておいて、高校生の女の子と大学生の男が揃って別室へ移動するのだ。
「いや、変でしょ!」
 さっきだって、『どういう関係?』と聞かれたばかりだ。
 真尋は少し考えるような素振りを見せたあと、
「変かどうかはわかりませんが、客人を一人残していくのは、失礼かもしれませんね」
「……」
 それもそう。だけど――
(……もしかして、真尋さんにはあの恋愛本を全部読んでもらったほうが早いかもしれない)