学校帰り、ふと古本屋の前で足を止めた。
(恋愛相談……)
気になる気持ちのまま店内へ入り、恋愛に関する書物のコーナーを見つけると、思わず足を止めた。
(うわぁ……こんなにあるの!?)
棚に並ぶ本を片っ端から手に取り、パラパラとめくってみる。
なるほどと思うものもあれば、「本当に?」と首をかしげたくなるものもあった。
(遠距離恋愛だけじゃないよね。恋愛相談って、これからも来るかもしれないし……)
恋愛心理、会話術、LINEの送り方。
気付けば、相談相手ではなく恋愛そのものについて書かれた本まで手に取っていた。
(ん〜、どれが正解なんだろう……)
迷った末、
(……全部読めばいいか)
思考を放棄した私は、気付けば両腕いっぱいに本を抱え込んでいた。
(……重っ)
本を抱え直し、そのままレジへ向かった。
帰宅して早めの夕飯を済ませると、買ってきた本の必要そうなところだけに急いで目を通した。
読み終えた本は、家族に見つからないよう地味な手提げへしまい、部屋の隅に置いておく。
それから、寺へ持っていく荷物の準備を始めた。配信用の道具や必要なものをリュックへ詰め込み、入りきらなかった教科書だけ別にまとめる。
「それじゃ、行ってきまーす!」
家を出る頃には、日は傾き始めていた。お寺までは歩いて20分ほどだ。
少し足早に境内へ入ると、ご年配の男性が竹箒で参道を掃いていた。真尋と同じ作務衣を着ている。
(この人が住職さんかな……)
「……あ、あの」
私は思い切って声を掛けた。
「朝霧みとと言います。昨日は、お世話になりました」
相手は箒を止め、穏やかな笑みを浮かべてこちらを見た。
「おやおや。昨日のお嬢さんですな。住職の藤代恒一と申します。お家にはちゃんと帰れましたかな」
「は……はい。お陰様で」
「それはよかった。暗くなって迷子では、心細かったでしょう」
(……ん?)
"迷子"という言葉に思わず思考が止まる。
(……真尋さん、一体なんて説明したの!?)
立ち尽くす私を見て、住職はにこりと笑った。
「さ、中へどうぞ。お茶でもいかがですか」
母屋の縁側に案内されて座っていると、住職がお茶と小さな饅頭を盆に載せて現れた。
「お茶請けです。遠慮なくどうぞ」
「ありがとうございます。いただきます」
饅頭を一口頬張り、湯気の立つほうじ茶を口に含む。ほのかな甘さと香ばしい香りに、自然と肩の力が抜けていく。
目の前には丁寧に手入れされた庭園が広がっていた。風が木々を揺らし、葉擦れの音だけが静かに響く。
なんだか、それだけで贅沢な時間を過ごしているような気分になる。
――とはいえ。
昨日の真尋の言葉が脳裏によみがえった。
(『早めに来てください』って言ってたくせに……)
「真尋ももうすぐ帰ってくると思いますので、どうかゆっくりしていてくだされ」
「は、はい。ありがとうございます」
考えを見透かされたような絶妙なタイミングで声を掛けられ、思わず肩が跳ねた。
「……静かですね」
「はい。今日は蒸し暑さのせいか、あまりお客さんはいらっしゃいませんでした」
風鈴が、ちりん、と小さく鳴る。
「真尋さんって、お寺で暮らしていらっしゃるんですか?」
「ええ。幼い頃からずっとここで暮らしております」
「そうなんですね。ご家族は……?」
「いや、おりません。あの子にとって家族は私だけですよ」
住職は優しく微笑んで、私の隣へ腰を下ろした。
「幼い頃から、私が育ててきました」
その言葉に、胸がちくりと痛む。
(……聞いちゃいけないことだったかも)
「ご、ごめんなさい。立ち入ったことを聞いてしまって……」
「気になさらなくて結構ですよ」
住職は穏やかに笑った。
「あの子は昔から、人に頼るのが苦手でしてな」
「……そうなんですか」
「誰かのために動くことは得意なんですが、自分のことは後回しにしてしまう。昔から、そういう子でしてな」
どこか誇らしさと心配が入り混じったような口調だった。
「住職」
静かな声が背後から聞こえた。
振り返ると、真尋が立っていた。
白いシャツの袖を無造作に肘までまくり、肩には黒いショルダーバッグ。
作務衣姿とはまるで雰囲気が違う。
(……大学生だ)
昨日は作務衣姿しか見ていなかったせいだろうか。
当たり前なのに、そう思ってしまう。
「人を勝手に困った子にしないでください」
「おや、帰ったか」
「ただいま戻りました」
住職は悪びれもせず笑う。
「みとさんに、お前の昔話をしておった」
「……余計なことを」
「事実しか話しておらんぞ」
真尋は小さくため息をつくと、私へ視線を向けた。
「お茶が済みましたら、奥の部屋でお待ちください。仕事が終わりましたら戻ります」
昨日と同じ部屋で待っていると、本堂の片付けを終えたのだろう。作務衣姿の真尋が静かに襖を開けた。
「お待たせしました」
心なしか、凛とした表情。
それを見た瞬間、怒られるかもしれない、と身震いする。
謝るなら、今のうちだ。
「……あの、ごめんなさい」
「え?」
「昨日、『勉強教わってた』なんてデタラメ言っちゃって。……迷惑だったよね」
顔を上げられない。真尋は黙って佇んでいたが、やがて、座卓の傍に静かに座る気配がした。
「……迷惑だなんて思っていませんよ」
静かな声。顔を上げると、真尋は真っ直ぐに私を見ていた。
「困っているようだったので、引き受けた。それだけです」
「じゃ、じゃあなんで、今日早めに来てって言ったの? 私、てっきり怒られるのかと思ってた」
「それは……心配だったからです」
「心配?」
「首の痣です」
真尋は私の首元へ視線を向けた。
「あの痣がある以上、以前より妖と遭遇する可能性は高くなります。暗くなれば、人通りも少なくなりますから。明るいうちに来ていただきたかったんです」
少し間を置いて、真尋は困ったように微笑んだ。
「……まさか、あの場で言うわけにもいきませんでしたので」
その表情を見た瞬間、不意に胸の中がきゅっと疼いた。
今まで感じたことのない熱が頬に上っていくのがわかり、私は咄嗟に視線を泳がせる。
(? なに、これ……)
「それでは、さっそく始めましょうか」
真尋が座卓に教科書を広げるよう手を添える。
「教科書を見せてください」
「あっ。は、はい!」
動揺を隠すように、慌てて手提げを逆さにした。
バサッ、と音を立てて座卓の上に広がったのは――
『恋愛心理』
『遠距離恋愛の教科書』
『恋愛相談Q&A』
『彼を100%落とすLINE術』
……ピタリと、真尋の手が止まった。
(……え?)
視界に入った背表紙の文字に血の気が一気に引いていく。
(……バッグ、間違えたぁぁぁぁ!!)
真尋は一度だけ私の顔を見た。それから一冊を手に取り、表紙を見つめる。
「『彼を100%落とすLINE術』……?」
不思議そうに首を傾げ、そのままページをめくる。
「『意中の彼に振り向いてもらうための――』」
「きゃーっ! 見ないでそこまで―っ!!」
半ばパニックになりながら座卓を回り込み、真尋の手から本を奪おうと手を伸ばす。だが、勢いを止めきれず、そのまま真尋に突っ込んでしまった。
「わっ」
二人の身体がもつれるように畳へ倒れ込む。
ドサッ、という軽い音。
気が付けば、私は真尋の上に覆いかぶさる格好になっていた。
至近距離にある端正な顔。彼の胸の温もりと、微かに香る香木の匂いが鼻をくすぐる。
至近距離で目を見開く真尋。
息が止まりそうになった、まさにその瞬間――ガラリと襖が開いた。
「真尋、おかずの残り持ってきたから後で……」
住職の視線が、倒れ込んだ私たちの姿で止まる。
「……」
「…………」
住職は仏様のような穏やかな笑みを浮かべると、
「……若いというのは、よいですな。お邪魔しました」
とだけ言い残し、音もなくすっと襖を閉めた。
「……っ! ち、違います住職さん! 誤解です!!」
慌てて体を起こそうとする私の下で、真尋は諦めたように天井を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「……盛大な誤解です」
(恋愛相談……)
気になる気持ちのまま店内へ入り、恋愛に関する書物のコーナーを見つけると、思わず足を止めた。
(うわぁ……こんなにあるの!?)
棚に並ぶ本を片っ端から手に取り、パラパラとめくってみる。
なるほどと思うものもあれば、「本当に?」と首をかしげたくなるものもあった。
(遠距離恋愛だけじゃないよね。恋愛相談って、これからも来るかもしれないし……)
恋愛心理、会話術、LINEの送り方。
気付けば、相談相手ではなく恋愛そのものについて書かれた本まで手に取っていた。
(ん〜、どれが正解なんだろう……)
迷った末、
(……全部読めばいいか)
思考を放棄した私は、気付けば両腕いっぱいに本を抱え込んでいた。
(……重っ)
本を抱え直し、そのままレジへ向かった。
帰宅して早めの夕飯を済ませると、買ってきた本の必要そうなところだけに急いで目を通した。
読み終えた本は、家族に見つからないよう地味な手提げへしまい、部屋の隅に置いておく。
それから、寺へ持っていく荷物の準備を始めた。配信用の道具や必要なものをリュックへ詰め込み、入りきらなかった教科書だけ別にまとめる。
「それじゃ、行ってきまーす!」
家を出る頃には、日は傾き始めていた。お寺までは歩いて20分ほどだ。
少し足早に境内へ入ると、ご年配の男性が竹箒で参道を掃いていた。真尋と同じ作務衣を着ている。
(この人が住職さんかな……)
「……あ、あの」
私は思い切って声を掛けた。
「朝霧みとと言います。昨日は、お世話になりました」
相手は箒を止め、穏やかな笑みを浮かべてこちらを見た。
「おやおや。昨日のお嬢さんですな。住職の藤代恒一と申します。お家にはちゃんと帰れましたかな」
「は……はい。お陰様で」
「それはよかった。暗くなって迷子では、心細かったでしょう」
(……ん?)
"迷子"という言葉に思わず思考が止まる。
(……真尋さん、一体なんて説明したの!?)
立ち尽くす私を見て、住職はにこりと笑った。
「さ、中へどうぞ。お茶でもいかがですか」
母屋の縁側に案内されて座っていると、住職がお茶と小さな饅頭を盆に載せて現れた。
「お茶請けです。遠慮なくどうぞ」
「ありがとうございます。いただきます」
饅頭を一口頬張り、湯気の立つほうじ茶を口に含む。ほのかな甘さと香ばしい香りに、自然と肩の力が抜けていく。
目の前には丁寧に手入れされた庭園が広がっていた。風が木々を揺らし、葉擦れの音だけが静かに響く。
なんだか、それだけで贅沢な時間を過ごしているような気分になる。
――とはいえ。
昨日の真尋の言葉が脳裏によみがえった。
(『早めに来てください』って言ってたくせに……)
「真尋ももうすぐ帰ってくると思いますので、どうかゆっくりしていてくだされ」
「は、はい。ありがとうございます」
考えを見透かされたような絶妙なタイミングで声を掛けられ、思わず肩が跳ねた。
「……静かですね」
「はい。今日は蒸し暑さのせいか、あまりお客さんはいらっしゃいませんでした」
風鈴が、ちりん、と小さく鳴る。
「真尋さんって、お寺で暮らしていらっしゃるんですか?」
「ええ。幼い頃からずっとここで暮らしております」
「そうなんですね。ご家族は……?」
「いや、おりません。あの子にとって家族は私だけですよ」
住職は優しく微笑んで、私の隣へ腰を下ろした。
「幼い頃から、私が育ててきました」
その言葉に、胸がちくりと痛む。
(……聞いちゃいけないことだったかも)
「ご、ごめんなさい。立ち入ったことを聞いてしまって……」
「気になさらなくて結構ですよ」
住職は穏やかに笑った。
「あの子は昔から、人に頼るのが苦手でしてな」
「……そうなんですか」
「誰かのために動くことは得意なんですが、自分のことは後回しにしてしまう。昔から、そういう子でしてな」
どこか誇らしさと心配が入り混じったような口調だった。
「住職」
静かな声が背後から聞こえた。
振り返ると、真尋が立っていた。
白いシャツの袖を無造作に肘までまくり、肩には黒いショルダーバッグ。
作務衣姿とはまるで雰囲気が違う。
(……大学生だ)
昨日は作務衣姿しか見ていなかったせいだろうか。
当たり前なのに、そう思ってしまう。
「人を勝手に困った子にしないでください」
「おや、帰ったか」
「ただいま戻りました」
住職は悪びれもせず笑う。
「みとさんに、お前の昔話をしておった」
「……余計なことを」
「事実しか話しておらんぞ」
真尋は小さくため息をつくと、私へ視線を向けた。
「お茶が済みましたら、奥の部屋でお待ちください。仕事が終わりましたら戻ります」
昨日と同じ部屋で待っていると、本堂の片付けを終えたのだろう。作務衣姿の真尋が静かに襖を開けた。
「お待たせしました」
心なしか、凛とした表情。
それを見た瞬間、怒られるかもしれない、と身震いする。
謝るなら、今のうちだ。
「……あの、ごめんなさい」
「え?」
「昨日、『勉強教わってた』なんてデタラメ言っちゃって。……迷惑だったよね」
顔を上げられない。真尋は黙って佇んでいたが、やがて、座卓の傍に静かに座る気配がした。
「……迷惑だなんて思っていませんよ」
静かな声。顔を上げると、真尋は真っ直ぐに私を見ていた。
「困っているようだったので、引き受けた。それだけです」
「じゃ、じゃあなんで、今日早めに来てって言ったの? 私、てっきり怒られるのかと思ってた」
「それは……心配だったからです」
「心配?」
「首の痣です」
真尋は私の首元へ視線を向けた。
「あの痣がある以上、以前より妖と遭遇する可能性は高くなります。暗くなれば、人通りも少なくなりますから。明るいうちに来ていただきたかったんです」
少し間を置いて、真尋は困ったように微笑んだ。
「……まさか、あの場で言うわけにもいきませんでしたので」
その表情を見た瞬間、不意に胸の中がきゅっと疼いた。
今まで感じたことのない熱が頬に上っていくのがわかり、私は咄嗟に視線を泳がせる。
(? なに、これ……)
「それでは、さっそく始めましょうか」
真尋が座卓に教科書を広げるよう手を添える。
「教科書を見せてください」
「あっ。は、はい!」
動揺を隠すように、慌てて手提げを逆さにした。
バサッ、と音を立てて座卓の上に広がったのは――
『恋愛心理』
『遠距離恋愛の教科書』
『恋愛相談Q&A』
『彼を100%落とすLINE術』
……ピタリと、真尋の手が止まった。
(……え?)
視界に入った背表紙の文字に血の気が一気に引いていく。
(……バッグ、間違えたぁぁぁぁ!!)
真尋は一度だけ私の顔を見た。それから一冊を手に取り、表紙を見つめる。
「『彼を100%落とすLINE術』……?」
不思議そうに首を傾げ、そのままページをめくる。
「『意中の彼に振り向いてもらうための――』」
「きゃーっ! 見ないでそこまで―っ!!」
半ばパニックになりながら座卓を回り込み、真尋の手から本を奪おうと手を伸ばす。だが、勢いを止めきれず、そのまま真尋に突っ込んでしまった。
「わっ」
二人の身体がもつれるように畳へ倒れ込む。
ドサッ、という軽い音。
気が付けば、私は真尋の上に覆いかぶさる格好になっていた。
至近距離にある端正な顔。彼の胸の温もりと、微かに香る香木の匂いが鼻をくすぐる。
至近距離で目を見開く真尋。
息が止まりそうになった、まさにその瞬間――ガラリと襖が開いた。
「真尋、おかずの残り持ってきたから後で……」
住職の視線が、倒れ込んだ私たちの姿で止まる。
「……」
「…………」
住職は仏様のような穏やかな笑みを浮かべると、
「……若いというのは、よいですな。お邪魔しました」
とだけ言い残し、音もなくすっと襖を閉めた。
「……っ! ち、違います住職さん! 誤解です!!」
慌てて体を起こそうとする私の下で、真尋は諦めたように天井を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「……盛大な誤解です」


