結局その後、悠斗の配信録画は見れずに終わった。
「絶対に見せないからな!」
悠斗が頑として拒否したせいで、みんなもしぶしぶ諦めたのだ。
おかげで、真尋との関係をあれこれ聞かれることもなく済んだ。
(……助かった)
まあ、ちょっとだけ残念だったけど。
家の前まで来たところで、私は真尋に向き直った。
「……じゃあ、また」
「みとさん」
玄関へ向かおうとすると、真尋に呼び止められた。
「ん?」
「今度は、いつ来られそうですか?」
「……え?」
思わず聞き返した。
真尋のほうから、そんなことを聞かれたのは初めてだった。
明日、と口を開きかけて、すんでのところで踏みとどまる。
「えっと……まだ、決めてないけど……」
「……そうですか」
真尋は小さく頷いた。
「来られるときで構いませんから。待ってます」
思わず真尋を見つめた。
(……待ってます、って)
不意打ちの嬉しい言葉に、心臓が跳ねる。
「次のつきぷくも、まだ決めてないですし」
(……え? つきぷく?)
さっきまでのときめきが、一瞬で行き場を失った。
けれど、当の本人は何でもないことのように、いつもの涼しい顔をしている。
(……もう。ドキドキ、返してよ)
「……うん」
なんとか返事をすると、真尋は静かに微笑んだ。
「では、おやすみなさい」
「……おやすみなさい」
帰宅してリビングに顔を出すと、ソファに座ってテレビを見ていた母が、ちらりとこちらを見た。
「おかえり」
「……遅くなって、ごめん」
「うん。ご飯、ラップしてあるから」
「……ありがと」
ダイニングテーブルには、ラップのかかった夕飯が並んでいた。
椅子を引いて腰を下ろす。
いつもなら、こんな時間まで何をしていたのかと聞かれるところだ。
けれど、母は何も言わなかった。
「……勉強、ちゃんと進めてるから」
「うん。自分で決めてやってね」
テレビから、誰かの笑い声が聞こえてきた。
母はもう、こちらを見ていない。
(……なんだ)
ずっと、うるさいと思っていたのに。
(……ほんとに、何も言わなくなっちゃった)
ふと、あの日の母の顔が浮かんだ。
床に散らばった湯呑みの破片。
そして、私を見た母の目。
(……もう、戻れないのかな)
最後にお母さんと、何も気にせず笑い合ったのは、いつだったっけ。
私は黙って夕飯を食べ終えると、食器を片付けて自分の部屋へ向かった。
翌日の午後、最初の授業は美術だった。
「今日は2人1組で、人物クロッキーをやります。交代でモデルになって、相手の姿を短時間で描いてください」
先生の言葉に、教室がざわついた。
「やった! みと、一緒にやろ!」
隣から、なあ子が腕を絡めてくる。
「うん、いいよ」
「はいはい、そこ。残念ながらペアはくじ引きです」
「ええーっ!」
なあ子の抗議に、笑い声が上がった。
「公平に決めますからね。順番に引きに来てください」
みんなでぞろぞろと教卓へ向かい、順番にくじを引いた。
「みと、何番!?」
「12番」
「あーっ! 私、7番!」
「残念だったね」
「誰だろ、私の相手。イケメン希望!」
「人物クロッキーだよ?」
「だからこそでしょ!」
なあ子が真剣な顔で言うので、思わず吹き出した。
「12番」
背後から聞こえた声に、笑いが止まった。
振り返る。
小宮が、開いたくじをこちらに向けていた。
固まった私を見て、小宮は可笑しそうに目尻を下げた。
「そんな顔すんなって。言っとくけど、ズルはしてないからな?」
「……」
「よろしく、朝霧」
最悪だ。
思わず顔をしかめると、なあ子が私を覗き込んだ。
「……みと?」
そして、勢いよく手を挙げた。
「……先生! ペアの交換ってアリですか!?」
「ナシです」
「即答!?」
また笑いが起こる。
でも、私は笑えなかった。
向かい合って椅子を置き、スケッチブックを膝に載せる。
「最初の5分は、窓側に座っている人がモデルになってください。描く人は、顔だけじゃなく肩まで入れること。では、始め!」
教室に、鉛筆を走らせる音が広がった。
私は小宮の顔をチラ見しながら、輪郭を描き始めた。
「……朝霧」
「…………」
「聞こえてる?」
「……何?」
「昨日、何かあった?」
鉛筆の先が止まった。
「……別に」
「ふうん」
小宮は椅子の背にもたれた。
「なんか、昨日より元気そうだから」
「……ちゃんと前向いてて。描けないから」
「ああ、ごめんごめん」
口では謝りながら、ちっとも悪びれた様子はない。
私は鉛筆を動かした。早く5分が過ぎてほしい。
「……ねえ。その腰につけてるやつ」
小宮の視線が、私の腰元に落ちる。
お札を入れたお守り袋のことだ。
「この間、中に入ってるのがちらっと見えたんだけどさ。……お札?」
思わず、お守り袋を手で押さえた。
(……しまった)
「ははっ、やっぱり」
小宮は面白そうに笑った。
「気になってたんだよね。あのお寺の人にもらったの?」
「……だったら何?」
「いや、別に。それ、ちょっと取ってみなよ」
「……やだ」
「なんで? もしかしたら邪魔になってるかもよ?」
「……どういうこと?」
「もしさ、あんたがどうしようもなく追い詰められたとき、それがなかったら……」
小宮は声を潜めた。
「面白いことが起きるんじゃない?」
背筋に、ぞくりと冷たいものが走った。
「……何言ってるの?」
「さあ? 試してみればわかるって」
「……絶対に取らない」
小宮は、ふっと笑った。
「そっか。残念」
私は思わず唇を噛んだ。
手のひらには、じっとりと汗が滲んでいる。
ふと視線を上げると、少し離れた席の充希と目が合った。
『だいじょうぶか?』
……たぶん、そう言っている。
私は小さく頷いてみせた。
すると充希はほっとしたように笑い、再び画用紙に目を戻した。
その向かいでは、モデルになっている女子が、少し不服そうに充希を見ていた。
私もスケッチブックに目を戻す。
けれど、もう描く気にはなれなかった。
「はい、そこまで! 交代してください」
先生の声に、思わず息を吐いた。
今度は私がモデルになった。
小宮はスケッチブックに視線を落とし、黙々と鉛筆を動かしている。
(……何なの、あいつ)
窓の外へ視線を向けた。
「朝霧、こっち向いて」
「…………」
「モデルなんだからさ」
仕方なく顔を戻すと、小宮の視線が私の首筋へ移った。
「……まだ、あるんだ」
「……何が?」
「別に」
小宮は薄く笑い、また鉛筆を走らせ始めた。
(……何なの?)
紙の上を滑る鉛筆の音が、妙に耳につく。
私は膝の上で、ぎゅっと手を握った。
それからは、小宮も何も話しかけてこなかった。
時折こちらに視線を向けては、スケッチブックに何かを描き込んでいる。
私はただ、じっと座っていた。
「はい、そこまで。作品は提出してください」
急いで道具を片づけていると、小宮のスケッチブックがちらりと見えた。
「…………え?」
そこには、私が描かれていた。
けれど、何かがおかしい。
首筋の痣から、黒い影のようなものが伸びている。
(……どうして?)
「……何、これ」
「ああ。ちょっと描き足した」
小宮は絵を見下ろした。
「似てるでしょ?」
そう言って、何事もなかったようにページを切り離し、提出用の机へ向かった。
「みとー!」
なあ子が駆け寄ってきた。
「さっき、めっちゃ嫌そうな顔してたけど、大丈夫?」
「……うん」
「……ほんとに?」
「大丈夫だって」
「……そっか」
なあ子は少しだけ私の顔を覗き込んでから、ぱっと笑った。
「ね、帰りコンビニ寄らない? 新しいスイーツ出たんだって!」
「……え?」
「期間限定! これは食べとかないと!」
いつもの調子で笑うなあ子に、少しだけ肩の力が抜けた。
「……なあ子って、ほんと甘いもの好きだよね」
「みともでしょ?」
「……まあね」
私も笑った。
けれど、小宮の言葉が頭をよぎった。
(……護符がなかったら、何が起きるっていうの?)
私は無意識に、腰元へ手を伸ばした。
「絶対に見せないからな!」
悠斗が頑として拒否したせいで、みんなもしぶしぶ諦めたのだ。
おかげで、真尋との関係をあれこれ聞かれることもなく済んだ。
(……助かった)
まあ、ちょっとだけ残念だったけど。
家の前まで来たところで、私は真尋に向き直った。
「……じゃあ、また」
「みとさん」
玄関へ向かおうとすると、真尋に呼び止められた。
「ん?」
「今度は、いつ来られそうですか?」
「……え?」
思わず聞き返した。
真尋のほうから、そんなことを聞かれたのは初めてだった。
明日、と口を開きかけて、すんでのところで踏みとどまる。
「えっと……まだ、決めてないけど……」
「……そうですか」
真尋は小さく頷いた。
「来られるときで構いませんから。待ってます」
思わず真尋を見つめた。
(……待ってます、って)
不意打ちの嬉しい言葉に、心臓が跳ねる。
「次のつきぷくも、まだ決めてないですし」
(……え? つきぷく?)
さっきまでのときめきが、一瞬で行き場を失った。
けれど、当の本人は何でもないことのように、いつもの涼しい顔をしている。
(……もう。ドキドキ、返してよ)
「……うん」
なんとか返事をすると、真尋は静かに微笑んだ。
「では、おやすみなさい」
「……おやすみなさい」
帰宅してリビングに顔を出すと、ソファに座ってテレビを見ていた母が、ちらりとこちらを見た。
「おかえり」
「……遅くなって、ごめん」
「うん。ご飯、ラップしてあるから」
「……ありがと」
ダイニングテーブルには、ラップのかかった夕飯が並んでいた。
椅子を引いて腰を下ろす。
いつもなら、こんな時間まで何をしていたのかと聞かれるところだ。
けれど、母は何も言わなかった。
「……勉強、ちゃんと進めてるから」
「うん。自分で決めてやってね」
テレビから、誰かの笑い声が聞こえてきた。
母はもう、こちらを見ていない。
(……なんだ)
ずっと、うるさいと思っていたのに。
(……ほんとに、何も言わなくなっちゃった)
ふと、あの日の母の顔が浮かんだ。
床に散らばった湯呑みの破片。
そして、私を見た母の目。
(……もう、戻れないのかな)
最後にお母さんと、何も気にせず笑い合ったのは、いつだったっけ。
私は黙って夕飯を食べ終えると、食器を片付けて自分の部屋へ向かった。
翌日の午後、最初の授業は美術だった。
「今日は2人1組で、人物クロッキーをやります。交代でモデルになって、相手の姿を短時間で描いてください」
先生の言葉に、教室がざわついた。
「やった! みと、一緒にやろ!」
隣から、なあ子が腕を絡めてくる。
「うん、いいよ」
「はいはい、そこ。残念ながらペアはくじ引きです」
「ええーっ!」
なあ子の抗議に、笑い声が上がった。
「公平に決めますからね。順番に引きに来てください」
みんなでぞろぞろと教卓へ向かい、順番にくじを引いた。
「みと、何番!?」
「12番」
「あーっ! 私、7番!」
「残念だったね」
「誰だろ、私の相手。イケメン希望!」
「人物クロッキーだよ?」
「だからこそでしょ!」
なあ子が真剣な顔で言うので、思わず吹き出した。
「12番」
背後から聞こえた声に、笑いが止まった。
振り返る。
小宮が、開いたくじをこちらに向けていた。
固まった私を見て、小宮は可笑しそうに目尻を下げた。
「そんな顔すんなって。言っとくけど、ズルはしてないからな?」
「……」
「よろしく、朝霧」
最悪だ。
思わず顔をしかめると、なあ子が私を覗き込んだ。
「……みと?」
そして、勢いよく手を挙げた。
「……先生! ペアの交換ってアリですか!?」
「ナシです」
「即答!?」
また笑いが起こる。
でも、私は笑えなかった。
向かい合って椅子を置き、スケッチブックを膝に載せる。
「最初の5分は、窓側に座っている人がモデルになってください。描く人は、顔だけじゃなく肩まで入れること。では、始め!」
教室に、鉛筆を走らせる音が広がった。
私は小宮の顔をチラ見しながら、輪郭を描き始めた。
「……朝霧」
「…………」
「聞こえてる?」
「……何?」
「昨日、何かあった?」
鉛筆の先が止まった。
「……別に」
「ふうん」
小宮は椅子の背にもたれた。
「なんか、昨日より元気そうだから」
「……ちゃんと前向いてて。描けないから」
「ああ、ごめんごめん」
口では謝りながら、ちっとも悪びれた様子はない。
私は鉛筆を動かした。早く5分が過ぎてほしい。
「……ねえ。その腰につけてるやつ」
小宮の視線が、私の腰元に落ちる。
お札を入れたお守り袋のことだ。
「この間、中に入ってるのがちらっと見えたんだけどさ。……お札?」
思わず、お守り袋を手で押さえた。
(……しまった)
「ははっ、やっぱり」
小宮は面白そうに笑った。
「気になってたんだよね。あのお寺の人にもらったの?」
「……だったら何?」
「いや、別に。それ、ちょっと取ってみなよ」
「……やだ」
「なんで? もしかしたら邪魔になってるかもよ?」
「……どういうこと?」
「もしさ、あんたがどうしようもなく追い詰められたとき、それがなかったら……」
小宮は声を潜めた。
「面白いことが起きるんじゃない?」
背筋に、ぞくりと冷たいものが走った。
「……何言ってるの?」
「さあ? 試してみればわかるって」
「……絶対に取らない」
小宮は、ふっと笑った。
「そっか。残念」
私は思わず唇を噛んだ。
手のひらには、じっとりと汗が滲んでいる。
ふと視線を上げると、少し離れた席の充希と目が合った。
『だいじょうぶか?』
……たぶん、そう言っている。
私は小さく頷いてみせた。
すると充希はほっとしたように笑い、再び画用紙に目を戻した。
その向かいでは、モデルになっている女子が、少し不服そうに充希を見ていた。
私もスケッチブックに目を戻す。
けれど、もう描く気にはなれなかった。
「はい、そこまで! 交代してください」
先生の声に、思わず息を吐いた。
今度は私がモデルになった。
小宮はスケッチブックに視線を落とし、黙々と鉛筆を動かしている。
(……何なの、あいつ)
窓の外へ視線を向けた。
「朝霧、こっち向いて」
「…………」
「モデルなんだからさ」
仕方なく顔を戻すと、小宮の視線が私の首筋へ移った。
「……まだ、あるんだ」
「……何が?」
「別に」
小宮は薄く笑い、また鉛筆を走らせ始めた。
(……何なの?)
紙の上を滑る鉛筆の音が、妙に耳につく。
私は膝の上で、ぎゅっと手を握った。
それからは、小宮も何も話しかけてこなかった。
時折こちらに視線を向けては、スケッチブックに何かを描き込んでいる。
私はただ、じっと座っていた。
「はい、そこまで。作品は提出してください」
急いで道具を片づけていると、小宮のスケッチブックがちらりと見えた。
「…………え?」
そこには、私が描かれていた。
けれど、何かがおかしい。
首筋の痣から、黒い影のようなものが伸びている。
(……どうして?)
「……何、これ」
「ああ。ちょっと描き足した」
小宮は絵を見下ろした。
「似てるでしょ?」
そう言って、何事もなかったようにページを切り離し、提出用の机へ向かった。
「みとー!」
なあ子が駆け寄ってきた。
「さっき、めっちゃ嫌そうな顔してたけど、大丈夫?」
「……うん」
「……ほんとに?」
「大丈夫だって」
「……そっか」
なあ子は少しだけ私の顔を覗き込んでから、ぱっと笑った。
「ね、帰りコンビニ寄らない? 新しいスイーツ出たんだって!」
「……え?」
「期間限定! これは食べとかないと!」
いつもの調子で笑うなあ子に、少しだけ肩の力が抜けた。
「……なあ子って、ほんと甘いもの好きだよね」
「みともでしょ?」
「……まあね」
私も笑った。
けれど、小宮の言葉が頭をよぎった。
(……護符がなかったら、何が起きるっていうの?)
私は無意識に、腰元へ手を伸ばした。


