寺を出ると、家へ向かう道とは反対方向に歩き出した。
駅前には飲食店やコンビニが並び、仕事や学校帰りの人たちで賑わっている。
リュックを背負い直し、人の流れに沿って歩く。
今日は配信の日だ。
けれど――。
(……どこでやろう)
寺には戻れないし、かといって、家で配信したら、また母に何か言われそうだ。
でも――告知もなしに、休むわけにはいかない。
スマホで時間を確認する。
今から配信場所を探していたら、夕飯には間に合いそうもない。
少し迷ってから、母にメッセージを送った。
『少し遅くなります。夕飯はあとで食べます』
送信。
これで、ひとまず帰る時間は気にしなくていい。
問題は――行く場所がないことだ。
リュックを背負い直して、駅前を歩く。
「……どうしよう」
小さく呟きながら歩いていると、前から見覚えのある人影が近づいてきた。
(悠斗さん……?)
隣には、同じくらいの年の男の人が2人いる。楽しそうな雰囲気からして友人だろう。
「あれ、みとちゃん?」
向こうも私に気付いて、軽く手を上げた。
「悠斗さん、こんばんは」
「こんなところで何してんの?」
「ちょっと……用事があって」
ちらりと、悠斗の隣にいる2人を見る。
「そちらは、お友達ですか?」
「うん、大学の。これから3人で遊びに行くとこ」
「へえ。いいですね」
「みとちゃんは? これから真尋んとこ?」
「……」
不意に名前を出されて、胸が詰まった。
押し入れの隙間からちらりと見えた横顔と、あの声が蘇る。
返事をしようとしたのに、うまく声が出てこない。
「……いえ」
ようやくそれだけ答えると、視界がぼやけた。
(……やば)
慌てて俯く。
「……え」
悠斗の声が止まった。
ちら、と顔を上げると、なぜか焦った顔で隣の2人を振り返っている。
2人も、なんとも言えない顔で悠斗を見ていた。
「……悠斗、お前……」
「待て。お前らたぶん、ものすごい勘違いしてる」
「まだ何も言ってないけど」
「顔に出てんだよ!」
「いや、だってお前……」
「違うから! 俺じゃないから!」
「俺じゃないって、じゃあ誰だよ」
「それは……」
悠斗が言葉に詰まる。
「……?」
一体なんの話だろう。
きょとんとしていると、悠斗がこほんと咳払いした。
「……まあ、いいや」
それ以上は聞かず、頭を掻く。
「じゃあ、これからどこに行くつもりだったのか教えて」
「あの……」
言いかけて、口ごもる。
悠斗はそんな私を見て、ふと隣の2人に目をやった。
それから一歩こちらへ近づき、声を潜める。
「……こいつらの前じゃ言いにくい?」
「……すみません」
小さく頷く。
「今日、配信する日なんです。でも、する場所がなくて……」
「配信?」
「はい」
悠斗が私のリュックを見る。
「もしかして、機材持ってきてんの?」
「一応……」
悠斗はしばらく考え込んでいたが、ふと顔を上げた。
「じゃあ、こういうのは? 俺ら今からカラオケ行くんだけど、もう1部屋取って、みとちゃんはそこで配信する」
「え……?」
私はびっくりして悠斗の顔を見た。
カラオケ。
なあ子たちと歌いに行くことはあるが、配信をしたことなどない。
「……そこ、freeWi-Fiありますか?」
「あるよ」
「流れてる宣伝とかBGM、消せますか?」
「消せるよ。まあ、隣の部屋の絶叫とかは多少入るかもしれないけど。配信できないよりはいいでしょ?」
あまりにもあっさり言う悠斗に、私はきょとんとした。
でも、言われてみれば、今の私にはそれ以上ありがたい場所もない。
「……じゃあ、お言葉に甘えて、一緒に行こうかな……」
「おし」
悠斗は振り返った。
「この子も一緒に行くって」
そう告げると、友人2人は目を丸くした。
「おおー!」
「マジか。あの状況からどうやってそんな展開になるんだよ」
「さすが恋愛エキスパート」
「だから言い方! 言っとくけど、別部屋だからな」
「えぇー……」
「なんで残念そうなんだよ!」
また3人で何やら騒ぎ始める。
(……仲いいなあ)
そんなことを思いながら、私は3人のあとについて歩き出した。
案内された部屋に入ると、まずテーブルの上にリュックを置いた。
スマホを取り出し、スタンドを組み立てる。
ライトをセットして、マイクを繋いで――。
「…………」
ふと、テーブルの端に置かれたカラオケ用のマイクが目に入った。
(……ちょっと歌いたい)
せっかくカラオケに来たのに、1曲も歌わず配信だけして帰るのは、なんだかもったいない気がする。
(いやいや、今日は配信しに来たんだから)
未練を振り切るようにマイクから目を逸らし、スマホの画面を確認する。
幸い、心配していた隣の部屋からの絶叫も聞こえてこない。
これなら、なんとか配信できそうだ。
コンコン、とドアが鳴った。
振り返ると、少しだけ開いた隙間から悠斗が顔を覗かせる。
「どう?」
「あ、大丈夫そうです。隣の声も聞こえないし」
「そっか。ならよかった」
悠斗がいつもの調子で笑う。
私はほっとしつつ、閉じたドアの向こうにちらりと目をやった。
「……大丈夫ですか? お友達……」
「うん、大丈夫。アニソンの採点勝負するとかで盛り上がってたから、抜けてきた」
悠斗は部屋に入ってくると、テーブルの上に並んだ機材を眺め、私の隣に腰を下ろした。
「みとちゃんこそ大丈夫? 何かあったら、俺また代わるよ」
「え?」
「ほら、この間みたいに。途中で抜けなきゃいけなくなったら」
「あ……」
そうだった。
今日は真尋がいない。
もし、また妖が出たら――。
(……どうしよう)
急に不安になって、思わず腰に手をやった。
指先に触れたのは、お札を入れた小さな袋。
それをぎゅっと握りしめる。
(……大丈夫)
自分に言い聞かせるように、心の中で呟く。
少なくとも、何も持っていなかったあの頃とは違う。
「じゃあ……」
私はリュックからノートを取り出した。
「これ、ちょっと目を通してもらっていいですか?」
「ああ、この間も見せてもらったやつね」
「はい。今日の相談内容と、私が答えようと思ってることをまとめてあります」
「了解。何かあったら、これ見ながらやればいいんだな」
「お願いします」
悠斗はノートを受け取ると、ぱらぱらとページをめくった。
時々「ふむふむ」と頷きながら、相談内容に目を通していく。
これで、ひとまず安心――。
「あ」
私は顔を上げ、悠斗を見た。
「まだ何かある?」
「大事なこと忘れてた」
「大事なこと?」
「決め台詞、できるように練習しておきましょう」
「……決め台詞?」
「はい」
「どんなの?」
私は背筋を伸ばし、両手を胸の前に構えた。
「泣いてるあなたも、怒ってるあなたも、みーんなまとめて笑顔にしちゃう! 今日も元気と巫女パワー、たっぷりお届け! あなたのハートに――にゃんにゃん♪」
最後に両手を猫のように丸め、頬の横に添える。
「って、こう。猫のポーズをするの」
「…………」
悠斗の手が止まった。
そっとノートをテーブルに置く。
「……ちょっと待って」
「はい?」
「この間、そんなのなかったよね?」
「前にやってた挨拶なんです。前回、視聴者さんにまたやってって言われたので」
「俺もやるの?」
「代役でしょ」
「そこまで引き継ぐの!?」
「もちろんです」
ずい、と身を乗り出す。
「ちゃんと覚えてくださいね。もしものとき、悠斗さんしかいないんだから」
「…………」
悠斗が一瞬、目を逸らした。
なぜか耳が少し赤い。
一度目を閉じると、諦めたように息をひとつつく。
「……わかったよ」
そう言って姿勢を正すと、ぎこちなく両手を胸の前に構える。
「……泣いてるあなたも、怒ってるあなたも、みーんなまとめて笑顔にしちゃう。今日も元気と巫女パワー、たっぷりお届け。月乃みことが、あなたのハートに――にゃんにゃん♪」
そう締め括りながら、控えめに両手を上げる。
「違う!」
「何が!?」
「もっとこう! にゃんにゃん♪」
「……にゃんにゃん♪」
「もっと元気に!」
「……にゃんにゃんっ♪」
「……悠斗?」
「…………」
悠斗の動きが止まった。
いつの間にかドアが開いていて、友人2人が顔を覗かせている。
「…………」
「…………」
「……だから、ちげえって!」
「なにがだよ」
友人2人をどうにか部屋から追い出したところで、時計を見る。
もう配信開始の時間だ。
「じゃ、俺ここにいるから。必要になったらこっち見て」
悠斗はそう言ってノートを私に返すと、画面に映り込まない位置へ腰を下ろした。
「ありがとうございます」
受け取ったノートを手元に開き、画面に向かって姿勢を正す。
「よし……」
小さく息を吸って、配信開始のボタンをタップする。
すぐに、画面にコメントが流れ始めた。
『きたー!』
『みこにゃん待ってた!』
『こんばんはー』
いつもの名前が並んでいくのを確認して、笑顔を作る。
「みなさん、こんばんはー! 地元に笑顔と巫女パワーをお届け! 月乃みことです!」
『待ってました!』
『今日もかわいい』
『こんばんはー!』
「みんな元気? 今日も来てくれてありがとー!」
いつものようにコメントを拾いながら、しばらく他愛のない話で盛り上がる。
「さて。それじゃあ、そろそろ今日もいきますか! みこにゃんのお悩み相談コーナー!」
ぱちぱちと拍手の絵文字が流れ、画面が一気に賑やかになる。
私はノートに目を落とし、最初の相談を確認した。
「今日の1人目は――迷子の黒猫ちゃんから。『年上の彼氏がいるんだけど、最近、隠し事が多くて不安です』」
ひと呼吸置いて、続きを読み上げる。
「『パチンコに行ってたことも、人からお金を借りてたことも、ずっと隠されてました。今も何か隠してるんじゃないかって考えちゃいます』……うーん、それは不安になるよね」
相談者との通話がつながり、画面の端に黒猫のパーカーを着た女の子のアバターがぱっと現れた。
「こんばんはー! 来てくれてありがと」
『こんばんは……よろしくお願いします』
少し緊張した声がイヤホンから聞こえる。
「メール読ませてもらったけど、彼氏さん、結構年上なんだよね?」
『はい。5つ上です』
「そっか。隠し事されるとさ、1個わかるたびに、ほかにもあるんじゃないかって不安になっちゃうよね」
『そうなんです。何もないって思いたいんですけど……また何かヤバいことしてるんじゃないかって』
「彼氏とは、話し合ってみた?」
『……言えないです』
「え?」
『そういうこと言うと、すごい怒るから』
「怒るって……?」
『暴言吐かれたり……』
そこで、言葉が途切れた。
ざあ、と微かな音がイヤホンの向こうから聞こえる。
(……水?)
外にいるんだろうか。
『……手、出されたこともあって』
「え……」
『だから……怖くて』
ずきっ。
「……っ」
突然、首筋に鋭い痛みが走った。
反射的に手を当てる。
(痣……?)
まだ、始まったばかりなのに――。
「みとちゃん?」
悠斗の声が聞こえた。
けれど、返事をする余裕はなかった。
画面の端に映る、黒猫のアバター。
その周りに、黒い影が蠢いている。
(……なに、あれ)
目を凝らす。
1つじゃない。
いくつもの影が重なり合い、アバターを取り囲むように、ゆっくりと円を描いている。
(回ってる……?)
『……みこにゃん?』
相談者の声にも答えず、じっと画面を見つめる。
『どうした?』
『みこにゃん固まった?』
コメント欄がざわつき始めた。
今まで見た妖とは、動きが違う。
襲いかかるわけでもない。
ただ、ぐるぐると。
何かを窺うように、彼女の周りを回り続けている。
そのうちの1つが、すっと内側へ入り込んだ。
「……っ!」
バッとソファから立ち上がる。
「みとちゃん?」
悠斗も驚いたようにこちらを見た。
(まさか……)
小宮の姿が脳裏をよぎる。
『妖が、人の体に同化しているんです』
真尋の声が蘇り、慌てて画面へ視線を戻す。
黒い影が、少しずつ彼女との距離を縮めていた。
(同化しようとしてる……?)
「今、どこにいるの?」
思わず身を乗り出す。
『え……?』
「今いる場所。家じゃないよね?」
『……はい。外です』
言いかけて、はっとする。
今のやり取りは、配信を見ている人にも聞こえている。
「あ、ちょっと待って」
配信側の音声をミュートにして、相談者との通話だけに切り替える。
「これで私にしか聞こえないから。今、どこにいる?」
『……佐貫川の近くです』
「佐貫川?」
『はい。でも、どの辺かは……適当に歩いてきちゃったから』
ざあ、とまた水の音が聞こえた。
――佐貫川。
この辺りを流れている川だ。
でも、それだけじゃ場所まではわからない。
「近くに何かない? 橋とか、お店とか」
『えっと……』
相談者が辺りを見回しているのか、しばらく声が途切れる。
そのとき。
カン、カン、カン――。
遠くから、踏切の音が聞こえた。
(……踏切?)
川と、踏切。
頭の中に、地元の景色が浮かぶ。
「もしかして、鵜戸橋の近く?」
『橋に名前書いてあります。えっと、う、ど、ばし……鵜戸橋です』
やっぱり。
ここからなら、そう遠くない。
「そこで待ってて」
『え?』
「絶対、そこから動かないで」
『あの、みこにゃん……?』
「今からそっちに行くから。そこで待っててね」
戸惑う相談者にそう告げて、通話を切る。
それから配信に戻り、視聴者に呼びかけた。
「みんな、ごめんね! ちょっとだけ待ってて!」
再びマイクをミュートにすると、イヤホンを外して椅子を離れた。
画面には、みことの姿が消えた配信背景だけが残っている。
「悠斗さん」
「うん」
さっきまでとは違う私の様子に気づいているのか、悠斗の表情も真剣になっていた。
「私、この人のところに行ってきます」
「……今の相談者?」
「はい。このままだと、たぶん……」
言いかけて、口を閉じる。
わかってもらえるような話じゃない。
テーブルの上に置いていたノートを掴み、悠斗に差し出した。
悠斗はノートと私の顔を交互に見た。
「ちょ、待って。みとちゃん1人で行くの?」
「大丈夫です。場所もわかったし、そんなに遠くないから」
「いや、そういう問題じゃなくて。もう夜だよ?」
「でも、急がないと……」
「……俺も行くよ」
「えっ」
「なんか普通じゃないでしょ、今の状況。みとちゃん1人で行かせられないって」
「でも、配信が……」
悠斗が画面に目をやる。
「……ああ、そっか」
一瞬、困ったように眉を寄せた。
「大丈夫です。私、すぐ戻りますから」
「いや、だから――」
「続き、お願いします!」
悠斗の言葉を遮って、ノートを押しつける。
一瞬、悠斗が黙った。
それから小さく息を吐いて、ノートを受け取る。
「……わかった。でも、無茶だけはしないでよ」
「はい!」
「何かあったらすぐ連絡して。絶対だからね」
「わかりました」
リュックを掴み、肩に背負う。
ドアへ向かいかけて――ふと足を止めた。
「あ、それと、挨拶」
「……は?」
「リクエストされたら、ちゃんとお願いしますね」
悠斗の顔が引きつった。
「……いや、ちょっと待って」
「代役ですから」
それだけ言って、ドアを開ける。
「行ってきます!」
「待って! 俺ほんとににゃんにゃんやるの!?」
背後から聞こえた声を置き去りにして、私は廊下を駆け出した。
駅前には飲食店やコンビニが並び、仕事や学校帰りの人たちで賑わっている。
リュックを背負い直し、人の流れに沿って歩く。
今日は配信の日だ。
けれど――。
(……どこでやろう)
寺には戻れないし、かといって、家で配信したら、また母に何か言われそうだ。
でも――告知もなしに、休むわけにはいかない。
スマホで時間を確認する。
今から配信場所を探していたら、夕飯には間に合いそうもない。
少し迷ってから、母にメッセージを送った。
『少し遅くなります。夕飯はあとで食べます』
送信。
これで、ひとまず帰る時間は気にしなくていい。
問題は――行く場所がないことだ。
リュックを背負い直して、駅前を歩く。
「……どうしよう」
小さく呟きながら歩いていると、前から見覚えのある人影が近づいてきた。
(悠斗さん……?)
隣には、同じくらいの年の男の人が2人いる。楽しそうな雰囲気からして友人だろう。
「あれ、みとちゃん?」
向こうも私に気付いて、軽く手を上げた。
「悠斗さん、こんばんは」
「こんなところで何してんの?」
「ちょっと……用事があって」
ちらりと、悠斗の隣にいる2人を見る。
「そちらは、お友達ですか?」
「うん、大学の。これから3人で遊びに行くとこ」
「へえ。いいですね」
「みとちゃんは? これから真尋んとこ?」
「……」
不意に名前を出されて、胸が詰まった。
押し入れの隙間からちらりと見えた横顔と、あの声が蘇る。
返事をしようとしたのに、うまく声が出てこない。
「……いえ」
ようやくそれだけ答えると、視界がぼやけた。
(……やば)
慌てて俯く。
「……え」
悠斗の声が止まった。
ちら、と顔を上げると、なぜか焦った顔で隣の2人を振り返っている。
2人も、なんとも言えない顔で悠斗を見ていた。
「……悠斗、お前……」
「待て。お前らたぶん、ものすごい勘違いしてる」
「まだ何も言ってないけど」
「顔に出てんだよ!」
「いや、だってお前……」
「違うから! 俺じゃないから!」
「俺じゃないって、じゃあ誰だよ」
「それは……」
悠斗が言葉に詰まる。
「……?」
一体なんの話だろう。
きょとんとしていると、悠斗がこほんと咳払いした。
「……まあ、いいや」
それ以上は聞かず、頭を掻く。
「じゃあ、これからどこに行くつもりだったのか教えて」
「あの……」
言いかけて、口ごもる。
悠斗はそんな私を見て、ふと隣の2人に目をやった。
それから一歩こちらへ近づき、声を潜める。
「……こいつらの前じゃ言いにくい?」
「……すみません」
小さく頷く。
「今日、配信する日なんです。でも、する場所がなくて……」
「配信?」
「はい」
悠斗が私のリュックを見る。
「もしかして、機材持ってきてんの?」
「一応……」
悠斗はしばらく考え込んでいたが、ふと顔を上げた。
「じゃあ、こういうのは? 俺ら今からカラオケ行くんだけど、もう1部屋取って、みとちゃんはそこで配信する」
「え……?」
私はびっくりして悠斗の顔を見た。
カラオケ。
なあ子たちと歌いに行くことはあるが、配信をしたことなどない。
「……そこ、freeWi-Fiありますか?」
「あるよ」
「流れてる宣伝とかBGM、消せますか?」
「消せるよ。まあ、隣の部屋の絶叫とかは多少入るかもしれないけど。配信できないよりはいいでしょ?」
あまりにもあっさり言う悠斗に、私はきょとんとした。
でも、言われてみれば、今の私にはそれ以上ありがたい場所もない。
「……じゃあ、お言葉に甘えて、一緒に行こうかな……」
「おし」
悠斗は振り返った。
「この子も一緒に行くって」
そう告げると、友人2人は目を丸くした。
「おおー!」
「マジか。あの状況からどうやってそんな展開になるんだよ」
「さすが恋愛エキスパート」
「だから言い方! 言っとくけど、別部屋だからな」
「えぇー……」
「なんで残念そうなんだよ!」
また3人で何やら騒ぎ始める。
(……仲いいなあ)
そんなことを思いながら、私は3人のあとについて歩き出した。
案内された部屋に入ると、まずテーブルの上にリュックを置いた。
スマホを取り出し、スタンドを組み立てる。
ライトをセットして、マイクを繋いで――。
「…………」
ふと、テーブルの端に置かれたカラオケ用のマイクが目に入った。
(……ちょっと歌いたい)
せっかくカラオケに来たのに、1曲も歌わず配信だけして帰るのは、なんだかもったいない気がする。
(いやいや、今日は配信しに来たんだから)
未練を振り切るようにマイクから目を逸らし、スマホの画面を確認する。
幸い、心配していた隣の部屋からの絶叫も聞こえてこない。
これなら、なんとか配信できそうだ。
コンコン、とドアが鳴った。
振り返ると、少しだけ開いた隙間から悠斗が顔を覗かせる。
「どう?」
「あ、大丈夫そうです。隣の声も聞こえないし」
「そっか。ならよかった」
悠斗がいつもの調子で笑う。
私はほっとしつつ、閉じたドアの向こうにちらりと目をやった。
「……大丈夫ですか? お友達……」
「うん、大丈夫。アニソンの採点勝負するとかで盛り上がってたから、抜けてきた」
悠斗は部屋に入ってくると、テーブルの上に並んだ機材を眺め、私の隣に腰を下ろした。
「みとちゃんこそ大丈夫? 何かあったら、俺また代わるよ」
「え?」
「ほら、この間みたいに。途中で抜けなきゃいけなくなったら」
「あ……」
そうだった。
今日は真尋がいない。
もし、また妖が出たら――。
(……どうしよう)
急に不安になって、思わず腰に手をやった。
指先に触れたのは、お札を入れた小さな袋。
それをぎゅっと握りしめる。
(……大丈夫)
自分に言い聞かせるように、心の中で呟く。
少なくとも、何も持っていなかったあの頃とは違う。
「じゃあ……」
私はリュックからノートを取り出した。
「これ、ちょっと目を通してもらっていいですか?」
「ああ、この間も見せてもらったやつね」
「はい。今日の相談内容と、私が答えようと思ってることをまとめてあります」
「了解。何かあったら、これ見ながらやればいいんだな」
「お願いします」
悠斗はノートを受け取ると、ぱらぱらとページをめくった。
時々「ふむふむ」と頷きながら、相談内容に目を通していく。
これで、ひとまず安心――。
「あ」
私は顔を上げ、悠斗を見た。
「まだ何かある?」
「大事なこと忘れてた」
「大事なこと?」
「決め台詞、できるように練習しておきましょう」
「……決め台詞?」
「はい」
「どんなの?」
私は背筋を伸ばし、両手を胸の前に構えた。
「泣いてるあなたも、怒ってるあなたも、みーんなまとめて笑顔にしちゃう! 今日も元気と巫女パワー、たっぷりお届け! あなたのハートに――にゃんにゃん♪」
最後に両手を猫のように丸め、頬の横に添える。
「って、こう。猫のポーズをするの」
「…………」
悠斗の手が止まった。
そっとノートをテーブルに置く。
「……ちょっと待って」
「はい?」
「この間、そんなのなかったよね?」
「前にやってた挨拶なんです。前回、視聴者さんにまたやってって言われたので」
「俺もやるの?」
「代役でしょ」
「そこまで引き継ぐの!?」
「もちろんです」
ずい、と身を乗り出す。
「ちゃんと覚えてくださいね。もしものとき、悠斗さんしかいないんだから」
「…………」
悠斗が一瞬、目を逸らした。
なぜか耳が少し赤い。
一度目を閉じると、諦めたように息をひとつつく。
「……わかったよ」
そう言って姿勢を正すと、ぎこちなく両手を胸の前に構える。
「……泣いてるあなたも、怒ってるあなたも、みーんなまとめて笑顔にしちゃう。今日も元気と巫女パワー、たっぷりお届け。月乃みことが、あなたのハートに――にゃんにゃん♪」
そう締め括りながら、控えめに両手を上げる。
「違う!」
「何が!?」
「もっとこう! にゃんにゃん♪」
「……にゃんにゃん♪」
「もっと元気に!」
「……にゃんにゃんっ♪」
「……悠斗?」
「…………」
悠斗の動きが止まった。
いつの間にかドアが開いていて、友人2人が顔を覗かせている。
「…………」
「…………」
「……だから、ちげえって!」
「なにがだよ」
友人2人をどうにか部屋から追い出したところで、時計を見る。
もう配信開始の時間だ。
「じゃ、俺ここにいるから。必要になったらこっち見て」
悠斗はそう言ってノートを私に返すと、画面に映り込まない位置へ腰を下ろした。
「ありがとうございます」
受け取ったノートを手元に開き、画面に向かって姿勢を正す。
「よし……」
小さく息を吸って、配信開始のボタンをタップする。
すぐに、画面にコメントが流れ始めた。
『きたー!』
『みこにゃん待ってた!』
『こんばんはー』
いつもの名前が並んでいくのを確認して、笑顔を作る。
「みなさん、こんばんはー! 地元に笑顔と巫女パワーをお届け! 月乃みことです!」
『待ってました!』
『今日もかわいい』
『こんばんはー!』
「みんな元気? 今日も来てくれてありがとー!」
いつものようにコメントを拾いながら、しばらく他愛のない話で盛り上がる。
「さて。それじゃあ、そろそろ今日もいきますか! みこにゃんのお悩み相談コーナー!」
ぱちぱちと拍手の絵文字が流れ、画面が一気に賑やかになる。
私はノートに目を落とし、最初の相談を確認した。
「今日の1人目は――迷子の黒猫ちゃんから。『年上の彼氏がいるんだけど、最近、隠し事が多くて不安です』」
ひと呼吸置いて、続きを読み上げる。
「『パチンコに行ってたことも、人からお金を借りてたことも、ずっと隠されてました。今も何か隠してるんじゃないかって考えちゃいます』……うーん、それは不安になるよね」
相談者との通話がつながり、画面の端に黒猫のパーカーを着た女の子のアバターがぱっと現れた。
「こんばんはー! 来てくれてありがと」
『こんばんは……よろしくお願いします』
少し緊張した声がイヤホンから聞こえる。
「メール読ませてもらったけど、彼氏さん、結構年上なんだよね?」
『はい。5つ上です』
「そっか。隠し事されるとさ、1個わかるたびに、ほかにもあるんじゃないかって不安になっちゃうよね」
『そうなんです。何もないって思いたいんですけど……また何かヤバいことしてるんじゃないかって』
「彼氏とは、話し合ってみた?」
『……言えないです』
「え?」
『そういうこと言うと、すごい怒るから』
「怒るって……?」
『暴言吐かれたり……』
そこで、言葉が途切れた。
ざあ、と微かな音がイヤホンの向こうから聞こえる。
(……水?)
外にいるんだろうか。
『……手、出されたこともあって』
「え……」
『だから……怖くて』
ずきっ。
「……っ」
突然、首筋に鋭い痛みが走った。
反射的に手を当てる。
(痣……?)
まだ、始まったばかりなのに――。
「みとちゃん?」
悠斗の声が聞こえた。
けれど、返事をする余裕はなかった。
画面の端に映る、黒猫のアバター。
その周りに、黒い影が蠢いている。
(……なに、あれ)
目を凝らす。
1つじゃない。
いくつもの影が重なり合い、アバターを取り囲むように、ゆっくりと円を描いている。
(回ってる……?)
『……みこにゃん?』
相談者の声にも答えず、じっと画面を見つめる。
『どうした?』
『みこにゃん固まった?』
コメント欄がざわつき始めた。
今まで見た妖とは、動きが違う。
襲いかかるわけでもない。
ただ、ぐるぐると。
何かを窺うように、彼女の周りを回り続けている。
そのうちの1つが、すっと内側へ入り込んだ。
「……っ!」
バッとソファから立ち上がる。
「みとちゃん?」
悠斗も驚いたようにこちらを見た。
(まさか……)
小宮の姿が脳裏をよぎる。
『妖が、人の体に同化しているんです』
真尋の声が蘇り、慌てて画面へ視線を戻す。
黒い影が、少しずつ彼女との距離を縮めていた。
(同化しようとしてる……?)
「今、どこにいるの?」
思わず身を乗り出す。
『え……?』
「今いる場所。家じゃないよね?」
『……はい。外です』
言いかけて、はっとする。
今のやり取りは、配信を見ている人にも聞こえている。
「あ、ちょっと待って」
配信側の音声をミュートにして、相談者との通話だけに切り替える。
「これで私にしか聞こえないから。今、どこにいる?」
『……佐貫川の近くです』
「佐貫川?」
『はい。でも、どの辺かは……適当に歩いてきちゃったから』
ざあ、とまた水の音が聞こえた。
――佐貫川。
この辺りを流れている川だ。
でも、それだけじゃ場所まではわからない。
「近くに何かない? 橋とか、お店とか」
『えっと……』
相談者が辺りを見回しているのか、しばらく声が途切れる。
そのとき。
カン、カン、カン――。
遠くから、踏切の音が聞こえた。
(……踏切?)
川と、踏切。
頭の中に、地元の景色が浮かぶ。
「もしかして、鵜戸橋の近く?」
『橋に名前書いてあります。えっと、う、ど、ばし……鵜戸橋です』
やっぱり。
ここからなら、そう遠くない。
「そこで待ってて」
『え?』
「絶対、そこから動かないで」
『あの、みこにゃん……?』
「今からそっちに行くから。そこで待っててね」
戸惑う相談者にそう告げて、通話を切る。
それから配信に戻り、視聴者に呼びかけた。
「みんな、ごめんね! ちょっとだけ待ってて!」
再びマイクをミュートにすると、イヤホンを外して椅子を離れた。
画面には、みことの姿が消えた配信背景だけが残っている。
「悠斗さん」
「うん」
さっきまでとは違う私の様子に気づいているのか、悠斗の表情も真剣になっていた。
「私、この人のところに行ってきます」
「……今の相談者?」
「はい。このままだと、たぶん……」
言いかけて、口を閉じる。
わかってもらえるような話じゃない。
テーブルの上に置いていたノートを掴み、悠斗に差し出した。
悠斗はノートと私の顔を交互に見た。
「ちょ、待って。みとちゃん1人で行くの?」
「大丈夫です。場所もわかったし、そんなに遠くないから」
「いや、そういう問題じゃなくて。もう夜だよ?」
「でも、急がないと……」
「……俺も行くよ」
「えっ」
「なんか普通じゃないでしょ、今の状況。みとちゃん1人で行かせられないって」
「でも、配信が……」
悠斗が画面に目をやる。
「……ああ、そっか」
一瞬、困ったように眉を寄せた。
「大丈夫です。私、すぐ戻りますから」
「いや、だから――」
「続き、お願いします!」
悠斗の言葉を遮って、ノートを押しつける。
一瞬、悠斗が黙った。
それから小さく息を吐いて、ノートを受け取る。
「……わかった。でも、無茶だけはしないでよ」
「はい!」
「何かあったらすぐ連絡して。絶対だからね」
「わかりました」
リュックを掴み、肩に背負う。
ドアへ向かいかけて――ふと足を止めた。
「あ、それと、挨拶」
「……は?」
「リクエストされたら、ちゃんとお願いしますね」
悠斗の顔が引きつった。
「……いや、ちょっと待って」
「代役ですから」
それだけ言って、ドアを開ける。
「行ってきます!」
「待って! 俺ほんとににゃんにゃんやるの!?」
背後から聞こえた声を置き去りにして、私は廊下を駆け出した。


