学校から帰宅して、鞄からのろのろとスマホを取り出す。
寺へ電話をかけると、出たのは住職だった。
『みとさん? どうしました?』
「……あの、今日、行く予定だったんですけど、ちょっと体調が悪くて……行けなくなったって、真尋さんに伝えてください」
『そうですか。無理せず、ゆっくり休んでくださいね』
「……ありがとうございます」
優しい声に、胸がちくりと痛んだ。
でも、真尋が電話に出なかったことに、少しだけほっとする。
スマホを置こうとして、ふとローテーブルに目が止まった。
真尋が並べた3体のつきぷくが、あの日のままこっちを向いている。
『応援です』
あのときの真尋の声が蘇った。
そばにしゃがみ込み、真ん中のつきぷくの頭をそっと撫でる。
「……真尋さんのところにいる子、ちゃんと見守ってくれてるかな」
もちろん、返事はない。
それ以上話せば弱音になってしまいそうで、もう一度だけ頭を撫でた。
週が明けた月曜日。
教室に入った瞬間、足が止まった。
(え……小宮くん!?)
あの騒ぎ以来、ずっと空いていた席に、小宮がいる。
「え、小宮じゃん。もう大丈夫なの?」
「この間何があったんだよ。マジで警察来たの?」
「駅前で暴れたって聞いたんだけど」
何人かの男子に囲まれて、小宮は困ったように笑っていた。
「いや、なんか色々ストレス溜まっててさ。やっちゃったなって感じ。今はもう落ち着いてるよ」
「やっちゃったって、お前……」
「自分でもよくわかんないんだよ。気付いたら騒ぎになってて。ほんと、迷惑かけた人には申し訳ないと思ってる」
軽く頭を掻く姿は、あのときの電話の相手とは思えない。
『あんたの中にもいるのにな。おんなじようなのが』
あの声が耳の奥に蘇る。
そのとき、小宮がふっと顔を上げた。
目が合う。
「……っ」
逃げるように視線を逸らし、自分の席へ向かった。
「みと、おはよ」
「あ、なあ子。おはよ」
鞄を置きながら、中から小さなお菓子の袋を取り出す。
「これ食べる?」
「食べる! ありがと」
ひとつ渡したところで、ふと視線を感じた。
小宮がこっちを見ている。
目が合うと、軽く手招きされた。
「……え、小宮? 呼んでる?」
「ちょっと行ってくる」
首を傾げるなあ子を残して、小宮のほうへ向かう。
「……なに?」
「俺にもちょうだい」
「え?」
「それ。好きなんだよね」
小宮が私の持っている袋を指さす。
「……そうなんだ」
袋を差し出すと、小宮は何でもないようにひとつ取った。
「ありがと」
「……うん」
あの電話のことには、ひと言も触れない。
ちらりと振り返ると、なあ子と充希がこっちを見ていた。
なあ子は不思議そうな顔をしている。
その隣で、充希だけが少し眉を寄せていた。
4時間目の授業が終わると、先生が教卓の上の資料をまとめながら私を呼んだ。
「朝霧、悪い。これ資料室に戻しておいてくれるか」
「はい」
渡されたファイルを抱えて、教室を出る。
資料室に入り、奥の棚を探していると、背後で扉が開いた。
振り返った瞬間、身体が強張る。
小宮だった。
「いた」
何でもない顔で中へ入ってくる。
「……なに?」
「別に。朝霧がこっち来るの見えたから」
「…………」
それだけ?
そう聞き返す気にもなれず、棚へ向き直る。けれど、背後に小宮がいると思うだけで落ち着かない。
「……そんな怖がらないでよ。学校ではなにもしないから」
思わず振り返る。
「……学校では?」
「あはは。そこ気になる?」
小宮は楽しそうに笑うと、近くの棚に寄りかかった。
「あれから、あいつに会った?」
ファイルを持つ手に力が入る。
「……なんで」
小宮がふっと笑った。
「その反応。会ってないんだ? 避けてるんだろ?」
「…………」
「まあ、あいつ強そうだし、ちょっとやそっとじゃ死なないと思うけど」
かっとして、小宮を睨む。
「……死ぬとかじゃない。傷つけたくないの」
一瞬、小宮の笑みが消えた。
けれど、すぐにまた口元を緩める。
「ふぅん。でも、いつまで避けるつもり? 急に来なくなったら、向こうだって変に思うだろ」
「…………」
「いつまでも気付かれないと思ってる?」
何も答えられなかった。
少し迷って、口を開く。
「……小宮くんは、怖くないの?」
「なにが?」
「このまま……どうなっちゃうのか」
小宮は一瞬きょとんとして、それから可笑しそうに笑った。
「怖い? 別に。むしろ今は、なんでもできそうな気がしてるよ。嫌なやつがいたって、こいつがいればどうとでもできるし」
ぞくりと背筋が冷える。
「……私は、そんなのいらない。もし本当に私の中にも妖がいるなら、消したい。小宮くん、何か方法知らないの?」
「知らない。興味もない」
あっさりと返される。
「なんで消したいの? 便利じゃん」
「便利って……」
「いいじゃん、そのままで。俺と朝霧、同じなんだから」
「……同じじゃない」
「同じだよ」
小宮がゆっくりとこちらへ近づいてくる。
反射的に一歩下がった。
「……なに」
「そんなに嫌がることないと思うけどな」
さらに一歩近づかれ、背中が棚に触れる。
「どうせ他のやつにはわかんないんだし、俺たちならお互いのことわかるだろ?」
「……なに言ってるの」
「二人だけの秘密ってことで」
横から逃げようと身体をずらした瞬間、小宮の手が顔の横につかれた。
「……っ」
思わず息を詰める。
近い。
頬から顎にかけてのすっきりとした輪郭。その中で、目だけが異様にぎらぎらと光っている。
「それとも、あいつには言いたい?」
「…………」
「もし知ったら、あんたのことどうするんだろうな。今までみたいに守ってくれるのか。それとも――」
「おい」
低い声が飛んできた。
小宮が顔を上げる。
資料室の入り口に、充希が立っていた。
「……充希」
充希は眉を寄せたまま、私と小宮を見ている。その視線が、私の顔の横につかれた小宮の手に止まる。
「なにやってんだよ」
小宮はちらりと私を見てから、ゆっくりと手を離した。
ようやく逃げ道が開いて、詰めていた息をそっと吐く。
「別に。話してただけ」
「……そうは見えねえけど」
充希の声は低い。
小宮がゆっくりと充希を見る。
一瞬、妙な沈黙が落ちた。
「充希、これは――」
「みと。ちょっと用事あるから、来て」
「え?」
「いいから」
充希が廊下へ目配せする。
「……うん」
ファイルを抱え直す。それに気付いた充希が、ちらりと手元を見た。
「それ、戻すやつ?」
「え? あ、うん」
「どこ」
「あそこ……」
棚を指さすと、充希は私の手からファイルを取って、さっさと元の場所へ戻した。
「行くぞ」
「……うん」
小宮の横をすり抜ける。
すれ違う瞬間、視線を感じたけれど、振り返らなかった。
充希は何も言わず、少し前を歩いていく。
なんとなく声をかけづらくて、私も黙ってその背中を追った。
しばらくして、充希が前を向いたまま口を開いた。
「……お前、あいつと仲良かったっけ?」
「え?」
「小宮」
「……別に。仲良くないよ」
「……そっか」
それきり、また黙ってしまう。
「なに?」
「いや……」
充希は少し迷うように間を置いた。
「俺、藤代さんがあいつのところ行くなって言ってたの、ずっと引っかかってんだけど」
「…………」
「なんかあんの?」
「……別に、なにもないよ」
充希が足を止めた。
じっと顔を見られて、思わず視線を逸らす。
「……なに」
「いや。嘘下手だなと思って」
「……うるさい」
「別に言いたくないならいいけど」
そう言って、また歩き出す。
その背中を追いかけながら、ふと小宮が電話をしてきたときのことを思い出した。
「ねぇ、小宮くんが私と話したいって言ってたとき、なんて言ってたの?」
「ああ……」
充希は少し考えるように視線を上げた。
「この前、朝霧に迷惑かけたから謝りたいって。自分から連絡したいから、連絡先教えてほしいって言ってた」
「……それだけ?」
「うん。だから俺も、お前に確認したんだけど」
「そっか……」
「なんか変なこと言われた?」
「……ううん」
「…………」
充希は何も言わなかった。
けれど、ちらりと向けられた視線に、また嘘だと見抜かれた気がした。
少し歩いたところで、ふと思い出す。
「そういえば、用事ってなに?」
「ああ」
充希は制服のポケットを探ると、何かを取り出した。
「ほら」
「え?」
突然放られ、慌てて両手で受け取る。
個包装のチョコレートだった。
手のひらのチョコと充希の顔を交互に見る。
「……これが用事?」
「そうだけど」
「…………」
「なに。いらないなら返せ」
「いる」
反射的にチョコを握る。
どう考えても、わざわざ資料室まで呼びに来るような用事じゃない。
でも、それを言ったら返せと言われそうで、そのままポケットにしまった。
「……ありがと」
「ん」
充希はこっちを見ないまま、短く返した。
ポケットの中のチョコに、そっと指先で触れる。
ようやく、肩から少しだけ力が抜けた。
寺へ電話をかけると、出たのは住職だった。
『みとさん? どうしました?』
「……あの、今日、行く予定だったんですけど、ちょっと体調が悪くて……行けなくなったって、真尋さんに伝えてください」
『そうですか。無理せず、ゆっくり休んでくださいね』
「……ありがとうございます」
優しい声に、胸がちくりと痛んだ。
でも、真尋が電話に出なかったことに、少しだけほっとする。
スマホを置こうとして、ふとローテーブルに目が止まった。
真尋が並べた3体のつきぷくが、あの日のままこっちを向いている。
『応援です』
あのときの真尋の声が蘇った。
そばにしゃがみ込み、真ん中のつきぷくの頭をそっと撫でる。
「……真尋さんのところにいる子、ちゃんと見守ってくれてるかな」
もちろん、返事はない。
それ以上話せば弱音になってしまいそうで、もう一度だけ頭を撫でた。
週が明けた月曜日。
教室に入った瞬間、足が止まった。
(え……小宮くん!?)
あの騒ぎ以来、ずっと空いていた席に、小宮がいる。
「え、小宮じゃん。もう大丈夫なの?」
「この間何があったんだよ。マジで警察来たの?」
「駅前で暴れたって聞いたんだけど」
何人かの男子に囲まれて、小宮は困ったように笑っていた。
「いや、なんか色々ストレス溜まっててさ。やっちゃったなって感じ。今はもう落ち着いてるよ」
「やっちゃったって、お前……」
「自分でもよくわかんないんだよ。気付いたら騒ぎになってて。ほんと、迷惑かけた人には申し訳ないと思ってる」
軽く頭を掻く姿は、あのときの電話の相手とは思えない。
『あんたの中にもいるのにな。おんなじようなのが』
あの声が耳の奥に蘇る。
そのとき、小宮がふっと顔を上げた。
目が合う。
「……っ」
逃げるように視線を逸らし、自分の席へ向かった。
「みと、おはよ」
「あ、なあ子。おはよ」
鞄を置きながら、中から小さなお菓子の袋を取り出す。
「これ食べる?」
「食べる! ありがと」
ひとつ渡したところで、ふと視線を感じた。
小宮がこっちを見ている。
目が合うと、軽く手招きされた。
「……え、小宮? 呼んでる?」
「ちょっと行ってくる」
首を傾げるなあ子を残して、小宮のほうへ向かう。
「……なに?」
「俺にもちょうだい」
「え?」
「それ。好きなんだよね」
小宮が私の持っている袋を指さす。
「……そうなんだ」
袋を差し出すと、小宮は何でもないようにひとつ取った。
「ありがと」
「……うん」
あの電話のことには、ひと言も触れない。
ちらりと振り返ると、なあ子と充希がこっちを見ていた。
なあ子は不思議そうな顔をしている。
その隣で、充希だけが少し眉を寄せていた。
4時間目の授業が終わると、先生が教卓の上の資料をまとめながら私を呼んだ。
「朝霧、悪い。これ資料室に戻しておいてくれるか」
「はい」
渡されたファイルを抱えて、教室を出る。
資料室に入り、奥の棚を探していると、背後で扉が開いた。
振り返った瞬間、身体が強張る。
小宮だった。
「いた」
何でもない顔で中へ入ってくる。
「……なに?」
「別に。朝霧がこっち来るの見えたから」
「…………」
それだけ?
そう聞き返す気にもなれず、棚へ向き直る。けれど、背後に小宮がいると思うだけで落ち着かない。
「……そんな怖がらないでよ。学校ではなにもしないから」
思わず振り返る。
「……学校では?」
「あはは。そこ気になる?」
小宮は楽しそうに笑うと、近くの棚に寄りかかった。
「あれから、あいつに会った?」
ファイルを持つ手に力が入る。
「……なんで」
小宮がふっと笑った。
「その反応。会ってないんだ? 避けてるんだろ?」
「…………」
「まあ、あいつ強そうだし、ちょっとやそっとじゃ死なないと思うけど」
かっとして、小宮を睨む。
「……死ぬとかじゃない。傷つけたくないの」
一瞬、小宮の笑みが消えた。
けれど、すぐにまた口元を緩める。
「ふぅん。でも、いつまで避けるつもり? 急に来なくなったら、向こうだって変に思うだろ」
「…………」
「いつまでも気付かれないと思ってる?」
何も答えられなかった。
少し迷って、口を開く。
「……小宮くんは、怖くないの?」
「なにが?」
「このまま……どうなっちゃうのか」
小宮は一瞬きょとんとして、それから可笑しそうに笑った。
「怖い? 別に。むしろ今は、なんでもできそうな気がしてるよ。嫌なやつがいたって、こいつがいればどうとでもできるし」
ぞくりと背筋が冷える。
「……私は、そんなのいらない。もし本当に私の中にも妖がいるなら、消したい。小宮くん、何か方法知らないの?」
「知らない。興味もない」
あっさりと返される。
「なんで消したいの? 便利じゃん」
「便利って……」
「いいじゃん、そのままで。俺と朝霧、同じなんだから」
「……同じじゃない」
「同じだよ」
小宮がゆっくりとこちらへ近づいてくる。
反射的に一歩下がった。
「……なに」
「そんなに嫌がることないと思うけどな」
さらに一歩近づかれ、背中が棚に触れる。
「どうせ他のやつにはわかんないんだし、俺たちならお互いのことわかるだろ?」
「……なに言ってるの」
「二人だけの秘密ってことで」
横から逃げようと身体をずらした瞬間、小宮の手が顔の横につかれた。
「……っ」
思わず息を詰める。
近い。
頬から顎にかけてのすっきりとした輪郭。その中で、目だけが異様にぎらぎらと光っている。
「それとも、あいつには言いたい?」
「…………」
「もし知ったら、あんたのことどうするんだろうな。今までみたいに守ってくれるのか。それとも――」
「おい」
低い声が飛んできた。
小宮が顔を上げる。
資料室の入り口に、充希が立っていた。
「……充希」
充希は眉を寄せたまま、私と小宮を見ている。その視線が、私の顔の横につかれた小宮の手に止まる。
「なにやってんだよ」
小宮はちらりと私を見てから、ゆっくりと手を離した。
ようやく逃げ道が開いて、詰めていた息をそっと吐く。
「別に。話してただけ」
「……そうは見えねえけど」
充希の声は低い。
小宮がゆっくりと充希を見る。
一瞬、妙な沈黙が落ちた。
「充希、これは――」
「みと。ちょっと用事あるから、来て」
「え?」
「いいから」
充希が廊下へ目配せする。
「……うん」
ファイルを抱え直す。それに気付いた充希が、ちらりと手元を見た。
「それ、戻すやつ?」
「え? あ、うん」
「どこ」
「あそこ……」
棚を指さすと、充希は私の手からファイルを取って、さっさと元の場所へ戻した。
「行くぞ」
「……うん」
小宮の横をすり抜ける。
すれ違う瞬間、視線を感じたけれど、振り返らなかった。
充希は何も言わず、少し前を歩いていく。
なんとなく声をかけづらくて、私も黙ってその背中を追った。
しばらくして、充希が前を向いたまま口を開いた。
「……お前、あいつと仲良かったっけ?」
「え?」
「小宮」
「……別に。仲良くないよ」
「……そっか」
それきり、また黙ってしまう。
「なに?」
「いや……」
充希は少し迷うように間を置いた。
「俺、藤代さんがあいつのところ行くなって言ってたの、ずっと引っかかってんだけど」
「…………」
「なんかあんの?」
「……別に、なにもないよ」
充希が足を止めた。
じっと顔を見られて、思わず視線を逸らす。
「……なに」
「いや。嘘下手だなと思って」
「……うるさい」
「別に言いたくないならいいけど」
そう言って、また歩き出す。
その背中を追いかけながら、ふと小宮が電話をしてきたときのことを思い出した。
「ねぇ、小宮くんが私と話したいって言ってたとき、なんて言ってたの?」
「ああ……」
充希は少し考えるように視線を上げた。
「この前、朝霧に迷惑かけたから謝りたいって。自分から連絡したいから、連絡先教えてほしいって言ってた」
「……それだけ?」
「うん。だから俺も、お前に確認したんだけど」
「そっか……」
「なんか変なこと言われた?」
「……ううん」
「…………」
充希は何も言わなかった。
けれど、ちらりと向けられた視線に、また嘘だと見抜かれた気がした。
少し歩いたところで、ふと思い出す。
「そういえば、用事ってなに?」
「ああ」
充希は制服のポケットを探ると、何かを取り出した。
「ほら」
「え?」
突然放られ、慌てて両手で受け取る。
個包装のチョコレートだった。
手のひらのチョコと充希の顔を交互に見る。
「……これが用事?」
「そうだけど」
「…………」
「なに。いらないなら返せ」
「いる」
反射的にチョコを握る。
どう考えても、わざわざ資料室まで呼びに来るような用事じゃない。
でも、それを言ったら返せと言われそうで、そのままポケットにしまった。
「……ありがと」
「ん」
充希はこっちを見ないまま、短く返した。
ポケットの中のチョコに、そっと指先で触れる。
ようやく、肩から少しだけ力が抜けた。


