(……なに?)
(今、小宮くん、なんて言った?)
『あんたの中にもいるのにな。おんなじようなのが』
――あんたの中にも……
オンナジ ヨウナノガ
ふいに真尋の言葉が蘇った。
『妖が、人の体に同化しているんです』
妖だけを切り離すことはできない。
無理に祓えば、人のほうにも――。
「……うそ!」
気付いたら大きな声が出ていた。
けれど、小宮は怯まず続ける。
『そう思うのは勝手だけど。暗闇の夢を何度も見たり、急に物が壊れたりだとか。……心当たりない?』
暗闇の夢。
物が落ちたり壊れたり。
(あのときの、湯呑み――)
どちらにも、思い当たる節がある。
(妖が、私に……『同化』してるってこと……?)
「…………っ」
聞きたい。でも、聞いてしまったら――もう、戻れない気がした。
黙り込んだ私を面白がるように、スマホの向こうから笑い声が漏れる。
『最初は不思議だったんだよ。なんであんたには、俺の中にいるものがわかるのか。でも、あの寺でわかった』
「…………」
『あんたの中にも、いるんだって』
「……なんで……」
『わかるんだよ。俺の中にいるヤツが、あんたの中のヤツに反応する。だから引きずり出してやろうと思ったんだけどな。邪魔が入った』
あの境内での出来事。
小宮くんが私に襲いかかってきた、あの瞬間――私を庇うように割り込んできた真尋の姿が浮かぶ。
『なぁ。あの男が知ったら、どうすると思う?』
「……え?」
『あんたの中のヤツだよ』
「…………」
『……まぁ、逃げるような男じゃないよな』
そのとき、境内から鋭い錫杖の音が響いた。
思わずそちらを見る。
真尋が錫杖を大きく振り抜き、黒い影を弾き飛ばす。
宙で大きく揺らいだ影は、そのまま霧のように散っていった。
『――祓うのかな、やっぱり』
どくん、と心音が大きく跳ねた。
もし、私の中にも同じものがいると知ったら――。
『それより、あんたはどうする?』
「……どうするって」
『このまま知らないふりして、あの男のそばにいるの?』
「…………」
『いつかその手で、切り刻むかもしれないのに』
真尋さんを?
そんなこと、するわけない――そう叫びそうになるのを、理性が食い止める。
『……楽しみだなぁ』
小宮が、喉の奥でくつくつと笑う。
『あんたが、あの男の寝首をかくところ』
ぞくりと背筋が冷えた。
無意識にスマホを握る手に力が入る。
そのとき、視線を感じて顔を上げると、いつの間にか、真尋がこちらを見つめていた。
目が合う。
彼の頬には、先ほどの闘いでつけられた一筋の傷。その傷から、赤い血が伝い落ちている。
「…………」
心臓が、ぎゅっと縮んだ。
たまらず、目を逸らす。
耳元で、小宮が小さく笑った。
『まぁ、せいぜい悩みなよ』
「……小宮くん」
『じゃあね』
「待っ……」
言い終わるより先に、通話が切れた。
境内から足音が近づいてくる。
「みとさん」
「……っ」
顔を上げると、真尋が縁側まで戻ってきていた。
「大丈夫ですか?」
「……うん」
真尋が縁側に手をつく。
そのとき、ふと彼の足元が目に入った。
裸足だった。
土で汚れた足の裏には、砂利を踏んだ赤い跡がいくつも残っている。
「…………」
このまま、飛び出していったんだ。
真尋は近くにあった雑巾で足の裏を軽く拭くと、何事もなかったように縁側へ上がった。
頬の傷に、また目がいく。
血が一筋、顎のほうへ伝っていた。
『いつかその手で――』
小宮の声が蘇り、慌てて目を逸らす。
そのとき、背後から電子音が鳴った。
「……え?」
振り返ると、フリーズしていた配信画面が元に戻っていた。
止まっていたコメント欄が、一気に流れ始める。
『戻った!』
『みこにゃんおかえり!』
『また止まってたぞw』
『このチャンネル怪奇現象多くない?』
『巫女なのにw』
『大丈夫?』
「……あ」
そうだ。
まだ、配信の途中だった。
「みとさん、今日はもう――」
「大丈夫。もう少しだから」
真尋の言葉を遮って、カメラの前に座り直す。
画面に映った自分の顔を見て、口角を上げる。
「みんな、ごめーん! また止まっちゃったみたい!」
『またw』
『おかえりー』
『無事ならよし』
「あはは……ほんと、巫女の配信なのにね。怪奇現象に好かれすぎでしょ、私」
冗談めかして笑う。
『自分で言ったw』
『みこにゃん元気そうでよかった』
『びびったわ』
「ご心配おかけしました! でも、この通り元気だから大丈夫! じゃあ、気を取り直していこっか!」
いつもより少しだけ明るい声を出した。
笑って。
いつも通りに。
そう自分に言い聞かせながら、配信を続ける。
コメントを拾って、笑って、話して。
途中、何度か言葉に詰まりそうになったけれど、そのたびに笑って誤魔化した。
何を話したのか、ほとんど覚えていない。
それでも、なんとかいつもの終了時間まで辿り着いた。
「それじゃあ今日はここまで! みんな、またねー!」
『おつみこー!』
『またね!』
『今日はゆっくり休めー』
「うん! みんなもね。おやすみー!」
笑顔のまま手を振って、配信終了のボタンを押す。
画面からコメントが消えた。
「…………」
同時に、作っていた笑顔も消えた。
しばらくそのまま画面を見つめていると、ふと視線を感じた。
顔を上げると、真尋が少し離れたところからこちらを見ていた。
「…………」
目が合って、私はもう一度笑った。
「なんとか無事終えたよ! ありがとう、真尋さん」
「……はい」
「傷の手当て、しなきゃね」
腰を浮かせたところで、真尋がわずかに眉を寄せた。
「みとさん」
「ん?」
「……さっきの電話、小宮くんですか?」
「…………」
一瞬、言葉に詰まる。
「……ううん。充希。小宮くん、今日はやっぱり都合悪くなったって」
「……そうですか」
「うん」
笑ったまま答える。
真尋はそれ以上、何も聞かなかった。
救急箱を持ってくると、真尋の前に座った。幸い、頬の傷は浅い。
消毒を済ませ、傷口にガーゼを当てる。
「…………」
テープを貼ろうとした指先が、かすかに震えた。
うまく貼れず、一度剥がしてやり直す。
「……」
ふと顔を上げると、真尋が私を見ていた。
「……なに?」
真尋の視線が、私の手元に落ちる。
「……なんでもありません」
「そ、そう?」
何でもないふりをして、今度こそテープを貼る。
「これで大丈夫かな」
「ありがとうございます」
「うん」
救急箱を閉じると、真尋は静かに立ち上がった。
「お茶、淹れてきますね」
「え?」
「冷房、少し強いので、弱めます。温かいものでも飲みましょう」
「……うん」
和室を出ていくその背中を、ぼんやりと目で追った。
「…………」
震える手に、目を落とす。
この手で、真尋さんを――。
顔を上げると、真尋の背中はもう廊下の向こうへ消えかけていた。
しばらく私は、その背中から目を離せなかった。
温かいお茶を飲んで、少し気持ちが落ち着いた頃、真尋が時計に目をやった。
「そろそろ行きましょうか」
「……うん」
荷物をまとめ、真尋と一緒に寺を出た。
夜道を、2人並んで歩く。
「さっきの妖、結構苦戦してたね。強かった?」
「そうですね。動きからして、戦い慣れている感じはしました」
「妖にも、戦い慣れてるとかあるんだ」
「はい。そうなると、少し手間取ります」
「ふぅん……」
少しの間、2人の足音だけが続く。
「じゃあ、もしかして、勝てたのはあの子たちの応援も効いたのかもね」
「……あの子たち?」
「つきぷくだよ。ずっと部屋で応援してたの」
「……応援していたんですか?」
「してたよ。たぶん」
「たぶんなんですね」
「あの子たち、声出せないから」
真尋がわずかに目元を緩める。
「あ、そうそう、この間は私が隠したけど、来客があるときはつきぷく、真尋さんが隠してね」
「……住職の来客は急なこともあるので、毎回は無理ですよ」
「そっか。じゃあ、お客さんに見つかったときのために、住職さんにも話合わせてもらわないとね。『真尋さんのコレクションです』とか」
「……名前以外、何も知らないのに」
「…………」
思わず、真尋の顔を見る。
「……なんですか?」
「ううん」
なんだか少しおかしくなって笑った。
「大丈夫だよ。聞かれたら『つきぷくです』って答えれば」
「それしか答えられません」
「あはは。十分じゃん」
ふと隣を見ると、真尋の頬に貼られた白いガーゼが目に入った。
「…………」
さっきまでの笑い声が、急に遠くなる。
視線を前に戻した。
街灯に照らされた道を見つめながら、ぎゅっと手を握りしめる。
「……みとさん?」
「ん?」
いつの間にか、真尋がこちらを見ていた。
「どうかしましたか?」
「ううん。なんでもない」
私は、もう一度笑ってみせた。
「次のつきぷく、どれ持ってこようかなって考えてただけ」
「……まだ増えるんですか?」
「増やすよ。応援団なんだから」
「そうですか」
「今度は真尋さんに選ばせてあげようか?」
「結構です」
「即答!?」
また笑う。
笑えてる。
いつも通りに。
それからも、どうでもいい話をしながら歩いた。
家が見えてくるころには、少しだけいつもの自分に戻れたような気がしていた。
「じゃあ、また明日」
「はい。また明日」
「送ってくれてありがとう」
「いえ。今日はゆっくり休んでくださいね」
「うん。真尋さんもね」
私は家の前で、真尋に手を振った。
真尋はいつものように小さく頭を下げ――かけて、ふと動きを止めた。
それから、私と同じように片手を上げる。
「……」
思わず目を瞬いた。
真尋の口元が、ほんの少し緩んだ。
そしてそのまま、来た道を戻っていった。
背中が見えなくなるまで見送ってから、私は玄関のドアを開けた。
「ただいま」
「お帰りなさい」
リビングから返ってきた母の声を背に、そのまま自分の部屋へ向かった。
ドアを閉め、鞄を置く。
「…………」
ベッドに腰を下ろしたとき、ふと自分の手が目に入った。
真尋の頬にガーゼを貼った手。
テープを貼ろうとして、震えていた手。
「…………っ」
不意に、視界が滲んだ。
手の甲で目元を拭う。
けれど、すぐにまた涙が溢れてきた。
「……やだ……」
ぽつりと声が漏れる。
その途端、堪えていたものが一気に溢れた。
「……やだよ……」
両手で顔を覆う。
私の中に、妖がいる。
本当に?
ふと、首筋の痣に手をやった。
(……あのとき?)
初めて妖に触れられて、この痣ができた、あのとき――。
「…………」
これから自分がどうなるのか怖い。
でも、それよりも怖いのは――。
真尋の頬に貼られた白いガーゼが、頭に浮かんだ。
「……っ」
もし、いつか本当に私が、真尋さんを傷つけたら。
「そんなの……やだ……」
膝を抱え、顔を埋める。
あの傷は、私がつけたものじゃない。そんなことはわかってる。
それでも、小宮の言葉が頭から離れなかった。
「……嫌だよ……」
もう一度呟いた声は、涙で震えていた。
(今、小宮くん、なんて言った?)
『あんたの中にもいるのにな。おんなじようなのが』
――あんたの中にも……
オンナジ ヨウナノガ
ふいに真尋の言葉が蘇った。
『妖が、人の体に同化しているんです』
妖だけを切り離すことはできない。
無理に祓えば、人のほうにも――。
「……うそ!」
気付いたら大きな声が出ていた。
けれど、小宮は怯まず続ける。
『そう思うのは勝手だけど。暗闇の夢を何度も見たり、急に物が壊れたりだとか。……心当たりない?』
暗闇の夢。
物が落ちたり壊れたり。
(あのときの、湯呑み――)
どちらにも、思い当たる節がある。
(妖が、私に……『同化』してるってこと……?)
「…………っ」
聞きたい。でも、聞いてしまったら――もう、戻れない気がした。
黙り込んだ私を面白がるように、スマホの向こうから笑い声が漏れる。
『最初は不思議だったんだよ。なんであんたには、俺の中にいるものがわかるのか。でも、あの寺でわかった』
「…………」
『あんたの中にも、いるんだって』
「……なんで……」
『わかるんだよ。俺の中にいるヤツが、あんたの中のヤツに反応する。だから引きずり出してやろうと思ったんだけどな。邪魔が入った』
あの境内での出来事。
小宮くんが私に襲いかかってきた、あの瞬間――私を庇うように割り込んできた真尋の姿が浮かぶ。
『なぁ。あの男が知ったら、どうすると思う?』
「……え?」
『あんたの中のヤツだよ』
「…………」
『……まぁ、逃げるような男じゃないよな』
そのとき、境内から鋭い錫杖の音が響いた。
思わずそちらを見る。
真尋が錫杖を大きく振り抜き、黒い影を弾き飛ばす。
宙で大きく揺らいだ影は、そのまま霧のように散っていった。
『――祓うのかな、やっぱり』
どくん、と心音が大きく跳ねた。
もし、私の中にも同じものがいると知ったら――。
『それより、あんたはどうする?』
「……どうするって」
『このまま知らないふりして、あの男のそばにいるの?』
「…………」
『いつかその手で、切り刻むかもしれないのに』
真尋さんを?
そんなこと、するわけない――そう叫びそうになるのを、理性が食い止める。
『……楽しみだなぁ』
小宮が、喉の奥でくつくつと笑う。
『あんたが、あの男の寝首をかくところ』
ぞくりと背筋が冷えた。
無意識にスマホを握る手に力が入る。
そのとき、視線を感じて顔を上げると、いつの間にか、真尋がこちらを見つめていた。
目が合う。
彼の頬には、先ほどの闘いでつけられた一筋の傷。その傷から、赤い血が伝い落ちている。
「…………」
心臓が、ぎゅっと縮んだ。
たまらず、目を逸らす。
耳元で、小宮が小さく笑った。
『まぁ、せいぜい悩みなよ』
「……小宮くん」
『じゃあね』
「待っ……」
言い終わるより先に、通話が切れた。
境内から足音が近づいてくる。
「みとさん」
「……っ」
顔を上げると、真尋が縁側まで戻ってきていた。
「大丈夫ですか?」
「……うん」
真尋が縁側に手をつく。
そのとき、ふと彼の足元が目に入った。
裸足だった。
土で汚れた足の裏には、砂利を踏んだ赤い跡がいくつも残っている。
「…………」
このまま、飛び出していったんだ。
真尋は近くにあった雑巾で足の裏を軽く拭くと、何事もなかったように縁側へ上がった。
頬の傷に、また目がいく。
血が一筋、顎のほうへ伝っていた。
『いつかその手で――』
小宮の声が蘇り、慌てて目を逸らす。
そのとき、背後から電子音が鳴った。
「……え?」
振り返ると、フリーズしていた配信画面が元に戻っていた。
止まっていたコメント欄が、一気に流れ始める。
『戻った!』
『みこにゃんおかえり!』
『また止まってたぞw』
『このチャンネル怪奇現象多くない?』
『巫女なのにw』
『大丈夫?』
「……あ」
そうだ。
まだ、配信の途中だった。
「みとさん、今日はもう――」
「大丈夫。もう少しだから」
真尋の言葉を遮って、カメラの前に座り直す。
画面に映った自分の顔を見て、口角を上げる。
「みんな、ごめーん! また止まっちゃったみたい!」
『またw』
『おかえりー』
『無事ならよし』
「あはは……ほんと、巫女の配信なのにね。怪奇現象に好かれすぎでしょ、私」
冗談めかして笑う。
『自分で言ったw』
『みこにゃん元気そうでよかった』
『びびったわ』
「ご心配おかけしました! でも、この通り元気だから大丈夫! じゃあ、気を取り直していこっか!」
いつもより少しだけ明るい声を出した。
笑って。
いつも通りに。
そう自分に言い聞かせながら、配信を続ける。
コメントを拾って、笑って、話して。
途中、何度か言葉に詰まりそうになったけれど、そのたびに笑って誤魔化した。
何を話したのか、ほとんど覚えていない。
それでも、なんとかいつもの終了時間まで辿り着いた。
「それじゃあ今日はここまで! みんな、またねー!」
『おつみこー!』
『またね!』
『今日はゆっくり休めー』
「うん! みんなもね。おやすみー!」
笑顔のまま手を振って、配信終了のボタンを押す。
画面からコメントが消えた。
「…………」
同時に、作っていた笑顔も消えた。
しばらくそのまま画面を見つめていると、ふと視線を感じた。
顔を上げると、真尋が少し離れたところからこちらを見ていた。
「…………」
目が合って、私はもう一度笑った。
「なんとか無事終えたよ! ありがとう、真尋さん」
「……はい」
「傷の手当て、しなきゃね」
腰を浮かせたところで、真尋がわずかに眉を寄せた。
「みとさん」
「ん?」
「……さっきの電話、小宮くんですか?」
「…………」
一瞬、言葉に詰まる。
「……ううん。充希。小宮くん、今日はやっぱり都合悪くなったって」
「……そうですか」
「うん」
笑ったまま答える。
真尋はそれ以上、何も聞かなかった。
救急箱を持ってくると、真尋の前に座った。幸い、頬の傷は浅い。
消毒を済ませ、傷口にガーゼを当てる。
「…………」
テープを貼ろうとした指先が、かすかに震えた。
うまく貼れず、一度剥がしてやり直す。
「……」
ふと顔を上げると、真尋が私を見ていた。
「……なに?」
真尋の視線が、私の手元に落ちる。
「……なんでもありません」
「そ、そう?」
何でもないふりをして、今度こそテープを貼る。
「これで大丈夫かな」
「ありがとうございます」
「うん」
救急箱を閉じると、真尋は静かに立ち上がった。
「お茶、淹れてきますね」
「え?」
「冷房、少し強いので、弱めます。温かいものでも飲みましょう」
「……うん」
和室を出ていくその背中を、ぼんやりと目で追った。
「…………」
震える手に、目を落とす。
この手で、真尋さんを――。
顔を上げると、真尋の背中はもう廊下の向こうへ消えかけていた。
しばらく私は、その背中から目を離せなかった。
温かいお茶を飲んで、少し気持ちが落ち着いた頃、真尋が時計に目をやった。
「そろそろ行きましょうか」
「……うん」
荷物をまとめ、真尋と一緒に寺を出た。
夜道を、2人並んで歩く。
「さっきの妖、結構苦戦してたね。強かった?」
「そうですね。動きからして、戦い慣れている感じはしました」
「妖にも、戦い慣れてるとかあるんだ」
「はい。そうなると、少し手間取ります」
「ふぅん……」
少しの間、2人の足音だけが続く。
「じゃあ、もしかして、勝てたのはあの子たちの応援も効いたのかもね」
「……あの子たち?」
「つきぷくだよ。ずっと部屋で応援してたの」
「……応援していたんですか?」
「してたよ。たぶん」
「たぶんなんですね」
「あの子たち、声出せないから」
真尋がわずかに目元を緩める。
「あ、そうそう、この間は私が隠したけど、来客があるときはつきぷく、真尋さんが隠してね」
「……住職の来客は急なこともあるので、毎回は無理ですよ」
「そっか。じゃあ、お客さんに見つかったときのために、住職さんにも話合わせてもらわないとね。『真尋さんのコレクションです』とか」
「……名前以外、何も知らないのに」
「…………」
思わず、真尋の顔を見る。
「……なんですか?」
「ううん」
なんだか少しおかしくなって笑った。
「大丈夫だよ。聞かれたら『つきぷくです』って答えれば」
「それしか答えられません」
「あはは。十分じゃん」
ふと隣を見ると、真尋の頬に貼られた白いガーゼが目に入った。
「…………」
さっきまでの笑い声が、急に遠くなる。
視線を前に戻した。
街灯に照らされた道を見つめながら、ぎゅっと手を握りしめる。
「……みとさん?」
「ん?」
いつの間にか、真尋がこちらを見ていた。
「どうかしましたか?」
「ううん。なんでもない」
私は、もう一度笑ってみせた。
「次のつきぷく、どれ持ってこようかなって考えてただけ」
「……まだ増えるんですか?」
「増やすよ。応援団なんだから」
「そうですか」
「今度は真尋さんに選ばせてあげようか?」
「結構です」
「即答!?」
また笑う。
笑えてる。
いつも通りに。
それからも、どうでもいい話をしながら歩いた。
家が見えてくるころには、少しだけいつもの自分に戻れたような気がしていた。
「じゃあ、また明日」
「はい。また明日」
「送ってくれてありがとう」
「いえ。今日はゆっくり休んでくださいね」
「うん。真尋さんもね」
私は家の前で、真尋に手を振った。
真尋はいつものように小さく頭を下げ――かけて、ふと動きを止めた。
それから、私と同じように片手を上げる。
「……」
思わず目を瞬いた。
真尋の口元が、ほんの少し緩んだ。
そしてそのまま、来た道を戻っていった。
背中が見えなくなるまで見送ってから、私は玄関のドアを開けた。
「ただいま」
「お帰りなさい」
リビングから返ってきた母の声を背に、そのまま自分の部屋へ向かった。
ドアを閉め、鞄を置く。
「…………」
ベッドに腰を下ろしたとき、ふと自分の手が目に入った。
真尋の頬にガーゼを貼った手。
テープを貼ろうとして、震えていた手。
「…………っ」
不意に、視界が滲んだ。
手の甲で目元を拭う。
けれど、すぐにまた涙が溢れてきた。
「……やだ……」
ぽつりと声が漏れる。
その途端、堪えていたものが一気に溢れた。
「……やだよ……」
両手で顔を覆う。
私の中に、妖がいる。
本当に?
ふと、首筋の痣に手をやった。
(……あのとき?)
初めて妖に触れられて、この痣ができた、あのとき――。
「…………」
これから自分がどうなるのか怖い。
でも、それよりも怖いのは――。
真尋の頬に貼られた白いガーゼが、頭に浮かんだ。
「……っ」
もし、いつか本当に私が、真尋さんを傷つけたら。
「そんなの……やだ……」
膝を抱え、顔を埋める。
あの傷は、私がつけたものじゃない。そんなことはわかってる。
それでも、小宮の言葉が頭から離れなかった。
「……嫌だよ……」
もう一度呟いた声は、涙で震えていた。


