何事もなかったかのように元の場所に座る真尋の横に、私は勢いよく腰を下ろした。
「ちょっと待って。混乱してる。……色々聞きたいんだけど、何が起きたのかまだよくわからなくて」
「落ち着いてからでいいですよ」
静かな表情で応える真尋の横顔をしばらく見つめ、「……落ち着いてもダメな気がする」と呟く。
「どっちなんですか」
真尋は苦笑しながら、少しだけこちらに身体を向けた。
「先ほども申し上げましたが、あれは妖です。人の心の隙につけ込み、弱った者に取り憑く怪異です」
「怪異……」
「あの相談者の方が、妖に憑かれてたのでしょうね。あなたを見つけて、今度はあなたに乗り移ろうとした」
「……憑かれたらどうなるの?」
「心を蝕まれ、やがて体も蝕まれます」
何でもないことのように、しれっと言い放つ。
チッ。チッ。チッ。チッ……
時計の秒針が、やけに大きく耳に響く。
あの気味の悪い妖とやらに、新しい『餌』だと思われたのだ――そう思った瞬間、背筋から全身へと一気に鳥肌が立った。
「今までの配信で、似たようなことはありませんでしたか?」
「あるわけないでしょ。あったら二度と配信なんてやらないし、とっくに私も餌食になってるはずでしょ」
真尋はわずかに安堵したように息をついた。
「……それなら、今回が初めてだったのでしょうね」
慣れた物言いに、私は思わず尋ねた。
「ねえ……あなた、一体何者なの?」
真尋はその質問にすぐには答えなかった。すっと顔を上げ、わずかに居住まいを正す。
「この寺は、代々妖を祓う役目を受け継いできました。私も、その役目を継いでいます」
思わず口をぽかんと開けてしまった。
本気で言ってる……?
いや、でも今さら「冗談です」と言われても困る。 ここまで妖とか錫杖とか見せられて、「ドッキリでした」は無理がある。
私がどう返すべきか悩んでいると、「それより」と、彼が私の思考を遮るように言った。
「家を出た理由を、まだ伺っていませんでしたね」
「……あれだけのことがあったのに、話そこに戻る?」
「もちろんです。まだ、お話は終わっていません」
一体、この人の頭の中はどうなっているのか。それとも、妖を祓うなんてことは、この人にとって日常茶飯時なのだろうか。
私は諦めて、ひとつ大きなため息を吐いた。
「……見たでしょ。さっきの配信。あれが原因」
「ご家族は、配信に反対されているんですか」
「反対っていうか……『他人のことにかまってる暇があるなら、もっと自分のことをやれ』って。まぁ、気持ちはわかるんだけどね。私、来年受験生だし。……でも、誰かの力になりたい。誰かを救える存在になりたい。そんな気持ちまで、全部否定された気がして……」
一度言葉を切り、小さく苦笑する。
「そのまま口喧嘩になって、勢いで家を飛び出してきちゃった」
真尋の静かな眼差しが、じっと私に向けられる。
「……そのお気持ちは、ご家族に伝えましたか」
「言ってない。どうせ、言ってもわかってもらえないと思うし」
真尋は少しだけ目を伏せ、
「それじゃ、さっきの相談者さんと同じじゃないですか」
と、困ったように優しく微笑んだ。
「相手がわかってくれないと決めつけてしまえば、話し合う機会まで失ってしまいます。一度だけでも、ご自分の気持ちを伝えてみてはどうですか」
私は思わず黙り込む。
「それに、心に隙を抱えたままでは、また妖を引き寄せてしまうかもしれません」
「う……」
反論できずに黙り込む私を見て、真尋はすっと立ち上がった。
「さて、じゃあそろそろ行きましょうか」
「……どこへ?」
「家まで送ります」
そう言うと真尋は、そのまま玄関へ向かった。
「えっ、ちょっと待って!まだ――」
「まだ?」
心の準備が、と言いかけて口をつぐむ。さっきの配信を見られた後で、情けない自分を見せるのは嫌だった。
「……まだお煎餅食べてない」
「なるほど」
私がお煎餅を食べている間、真尋は和箪笥の引き出しを開け、何やら取り出した。
そっとテーブルに置かれたのは、一枚の紙だった。
手のひらほどの和紙に、墨で複雑な梵字と護符の文様が書かれ、朱色の印が押されている。
「これは?」
「護符です。持っていてください」
「護符って、お守りみたいなもの?」
「そうです」
嫌な予感がした。
「……ねぇ、もしかしてさっきみたいなの、また出てくる?」
真尋は少し考え、
「可能性は低いと思います」
と静かに答えた。
「相談者さんのお気持ちも落ち着きました。あなたも、ご家族と話そうとなさっています。ですから、同じようなことは、もう起こらないでしょう」
私はほっと息を吐く。
「ただ」
真尋は和紙を私の前へ押し出した。
「絶対とは言えません。念のため、お持ちください」
「わかった。万が一何かあったら、これが守ってくれるのね。効くの?」
「効けば幸運です」
私は思わず真尋の顔を見つめた。「今、幸運って言った?」
「妖相手に絶対はありません」
真面目な顔で答える。
……だんだんこの人のことがわかってきた。
悪気はない。たぶん、本当に思ったことをそのまま口にしているだけなんだ。
私はそれ以上何も聞かず、「ありがとう」と護符を受け取った。
「それと、こんな時間に迷惑かけてごめんなさい。……色々ありがとう」
お寺を出る頃には、22時半をまわっていた。
一瞬、門限を30分も過ぎてる、と思ってしまった自分を恥じる。家出してきたのだ。
真尋は本堂や庫裏の戸締まりを確認し、山門に鍵を掛けた。
「お寺、無人で大丈夫なの?」
「夜間は誰も来ません。施錠もしていますから」
「泥棒とか入らない?」
「盗むような物はありません」
そう言って歩き出してから、「あ、でも」と続ける。
「仏様だけは盗まないでほしいですね」
ちらりと真尋の横顔を見る。
笑ってはいない。冗談ではないようだった。
(前言撤回。この人、かっこいいけど……彼女、いなさそう)
そんなことを考えながら歩いていると、街灯に照らされた小さな公園が見えてきた。
ブランコには、一人の女性が座っている。漕ぐわけでもなく、ただ静かに身体を預けているだけだった。
後ろ姿だけで、年齢や表情はわからない。けれど、細身のリクルートスーツを着ていることから、社会人の女性だということはわかった。
(……何か、嫌なことでもあったのかな)
「あまり、見ないでください」
隣にいる真尋が小声で言った。子どもを窘めるような物言いに、私はちょっとむっとする。
「いいでしょ、ちらっと見るくらい。大丈夫かなって気になっただけ――」
刹那、真尋の手が私の前にかざされた。
何?と思って見上げると、彼の目線は公園に向いていた。
なんだ。結局この人も気になるんじゃん。
そう呆れながら、また公園に視線を向ける。
瞬間、ぞくり、と背中に悪寒が走った。女性の足元に、黒い靄が揺らいでいるのが見えた。
「あれって……」
思わず声が漏れる。
隣の真尋が、はっとこちらを振り向いた。
その表情から、いつもの落ち着きが一瞬だけ消える。
「……行きましょう」
「え?」
「走ってください」
有無を言わせない声だった。
手首を掴まれ、そのまま公園から離れるように駆け出す。
背後から、ざわり、と空気が波立つ気配がした。
思わず振り返ろうとすると、
「見ないでください」
短く制される。
真尋は一度も後ろを振り返らなかった。
ただ私の手を引いたまま、人気のある通りへ向かって走り続ける。
(ちょっと待って! 話が違うんだけど!?)
「ちょっと待って。混乱してる。……色々聞きたいんだけど、何が起きたのかまだよくわからなくて」
「落ち着いてからでいいですよ」
静かな表情で応える真尋の横顔をしばらく見つめ、「……落ち着いてもダメな気がする」と呟く。
「どっちなんですか」
真尋は苦笑しながら、少しだけこちらに身体を向けた。
「先ほども申し上げましたが、あれは妖です。人の心の隙につけ込み、弱った者に取り憑く怪異です」
「怪異……」
「あの相談者の方が、妖に憑かれてたのでしょうね。あなたを見つけて、今度はあなたに乗り移ろうとした」
「……憑かれたらどうなるの?」
「心を蝕まれ、やがて体も蝕まれます」
何でもないことのように、しれっと言い放つ。
チッ。チッ。チッ。チッ……
時計の秒針が、やけに大きく耳に響く。
あの気味の悪い妖とやらに、新しい『餌』だと思われたのだ――そう思った瞬間、背筋から全身へと一気に鳥肌が立った。
「今までの配信で、似たようなことはありませんでしたか?」
「あるわけないでしょ。あったら二度と配信なんてやらないし、とっくに私も餌食になってるはずでしょ」
真尋はわずかに安堵したように息をついた。
「……それなら、今回が初めてだったのでしょうね」
慣れた物言いに、私は思わず尋ねた。
「ねえ……あなた、一体何者なの?」
真尋はその質問にすぐには答えなかった。すっと顔を上げ、わずかに居住まいを正す。
「この寺は、代々妖を祓う役目を受け継いできました。私も、その役目を継いでいます」
思わず口をぽかんと開けてしまった。
本気で言ってる……?
いや、でも今さら「冗談です」と言われても困る。 ここまで妖とか錫杖とか見せられて、「ドッキリでした」は無理がある。
私がどう返すべきか悩んでいると、「それより」と、彼が私の思考を遮るように言った。
「家を出た理由を、まだ伺っていませんでしたね」
「……あれだけのことがあったのに、話そこに戻る?」
「もちろんです。まだ、お話は終わっていません」
一体、この人の頭の中はどうなっているのか。それとも、妖を祓うなんてことは、この人にとって日常茶飯時なのだろうか。
私は諦めて、ひとつ大きなため息を吐いた。
「……見たでしょ。さっきの配信。あれが原因」
「ご家族は、配信に反対されているんですか」
「反対っていうか……『他人のことにかまってる暇があるなら、もっと自分のことをやれ』って。まぁ、気持ちはわかるんだけどね。私、来年受験生だし。……でも、誰かの力になりたい。誰かを救える存在になりたい。そんな気持ちまで、全部否定された気がして……」
一度言葉を切り、小さく苦笑する。
「そのまま口喧嘩になって、勢いで家を飛び出してきちゃった」
真尋の静かな眼差しが、じっと私に向けられる。
「……そのお気持ちは、ご家族に伝えましたか」
「言ってない。どうせ、言ってもわかってもらえないと思うし」
真尋は少しだけ目を伏せ、
「それじゃ、さっきの相談者さんと同じじゃないですか」
と、困ったように優しく微笑んだ。
「相手がわかってくれないと決めつけてしまえば、話し合う機会まで失ってしまいます。一度だけでも、ご自分の気持ちを伝えてみてはどうですか」
私は思わず黙り込む。
「それに、心に隙を抱えたままでは、また妖を引き寄せてしまうかもしれません」
「う……」
反論できずに黙り込む私を見て、真尋はすっと立ち上がった。
「さて、じゃあそろそろ行きましょうか」
「……どこへ?」
「家まで送ります」
そう言うと真尋は、そのまま玄関へ向かった。
「えっ、ちょっと待って!まだ――」
「まだ?」
心の準備が、と言いかけて口をつぐむ。さっきの配信を見られた後で、情けない自分を見せるのは嫌だった。
「……まだお煎餅食べてない」
「なるほど」
私がお煎餅を食べている間、真尋は和箪笥の引き出しを開け、何やら取り出した。
そっとテーブルに置かれたのは、一枚の紙だった。
手のひらほどの和紙に、墨で複雑な梵字と護符の文様が書かれ、朱色の印が押されている。
「これは?」
「護符です。持っていてください」
「護符って、お守りみたいなもの?」
「そうです」
嫌な予感がした。
「……ねぇ、もしかしてさっきみたいなの、また出てくる?」
真尋は少し考え、
「可能性は低いと思います」
と静かに答えた。
「相談者さんのお気持ちも落ち着きました。あなたも、ご家族と話そうとなさっています。ですから、同じようなことは、もう起こらないでしょう」
私はほっと息を吐く。
「ただ」
真尋は和紙を私の前へ押し出した。
「絶対とは言えません。念のため、お持ちください」
「わかった。万が一何かあったら、これが守ってくれるのね。効くの?」
「効けば幸運です」
私は思わず真尋の顔を見つめた。「今、幸運って言った?」
「妖相手に絶対はありません」
真面目な顔で答える。
……だんだんこの人のことがわかってきた。
悪気はない。たぶん、本当に思ったことをそのまま口にしているだけなんだ。
私はそれ以上何も聞かず、「ありがとう」と護符を受け取った。
「それと、こんな時間に迷惑かけてごめんなさい。……色々ありがとう」
お寺を出る頃には、22時半をまわっていた。
一瞬、門限を30分も過ぎてる、と思ってしまった自分を恥じる。家出してきたのだ。
真尋は本堂や庫裏の戸締まりを確認し、山門に鍵を掛けた。
「お寺、無人で大丈夫なの?」
「夜間は誰も来ません。施錠もしていますから」
「泥棒とか入らない?」
「盗むような物はありません」
そう言って歩き出してから、「あ、でも」と続ける。
「仏様だけは盗まないでほしいですね」
ちらりと真尋の横顔を見る。
笑ってはいない。冗談ではないようだった。
(前言撤回。この人、かっこいいけど……彼女、いなさそう)
そんなことを考えながら歩いていると、街灯に照らされた小さな公園が見えてきた。
ブランコには、一人の女性が座っている。漕ぐわけでもなく、ただ静かに身体を預けているだけだった。
後ろ姿だけで、年齢や表情はわからない。けれど、細身のリクルートスーツを着ていることから、社会人の女性だということはわかった。
(……何か、嫌なことでもあったのかな)
「あまり、見ないでください」
隣にいる真尋が小声で言った。子どもを窘めるような物言いに、私はちょっとむっとする。
「いいでしょ、ちらっと見るくらい。大丈夫かなって気になっただけ――」
刹那、真尋の手が私の前にかざされた。
何?と思って見上げると、彼の目線は公園に向いていた。
なんだ。結局この人も気になるんじゃん。
そう呆れながら、また公園に視線を向ける。
瞬間、ぞくり、と背中に悪寒が走った。女性の足元に、黒い靄が揺らいでいるのが見えた。
「あれって……」
思わず声が漏れる。
隣の真尋が、はっとこちらを振り向いた。
その表情から、いつもの落ち着きが一瞬だけ消える。
「……行きましょう」
「え?」
「走ってください」
有無を言わせない声だった。
手首を掴まれ、そのまま公園から離れるように駆け出す。
背後から、ざわり、と空気が波立つ気配がした。
思わず振り返ろうとすると、
「見ないでください」
短く制される。
真尋は一度も後ろを振り返らなかった。
ただ私の手を引いたまま、人気のある通りへ向かって走り続ける。
(ちょっと待って! 話が違うんだけど!?)


