なんちゃって巫女は寺に居座る~家出ついでに配信してたら、副住職が本物の妖を祓い始めました~

 勉強を終えてリビングへ行くと、母はもうテーブルの前に座っていた。
 テーブルには、3人分のお茶が用意されている。
「藤代さん、すみません。お疲れなのに」
「いえ。大丈夫です」
 母の向かいに私が腰を下ろすと、真尋もその隣に座った。
 母は一度私を見てから、静かに口を開いた。
「……前から聞こうと思ってたんだけど」
「……うん」
「配信、まだ続けてるのね」
「続けてるよ」
「そう」
 母はそれだけ言って、湯呑みに手を伸ばした。
 怒っているようには見えない。
 でも、その声がいつもより少し硬い。
「前にも話したけど、お母さんは、配信すること自体が悪いって言ってるわけじゃないの」
「じゃあ、いいじゃん」
「最後まで聞いて」
 ぴしゃりと言われて、口を閉じる。
「来年は受験生でしょ。今だって勉強しなきゃいけないこと、たくさんあるでしょう?」
「ちゃんとやってるよ」
「やればいいってもんじゃないの。最近、眠そうにしてることも多いし。夜更かししてるからでしょう」
「……夜更かしなんて、してないし」
「じゃあ何なの?」
「それは……」
 言葉に詰まる。
 夢のことを言ったところで、きっと母にはわからない。
「とにかく、ちゃんと勉強もしてる。配信だって毎日やってるわけじゃないから」
「そういう問題じゃないの」
 母が小さく息を吐いた。
「その配信を、いつまで続けるつもりなのって聞いてるの」
「…………」
 胸の奥が、ざわりとした。
「……どういう意味?」
「そのままの意味よ。来年は受験生でしょ。少なくとも受験が終わるまでは休むとか、そういうことも考えたほうがいいんじゃない?」
「やだ」
「みと」
「やめないから」
「どうしてそこまでこだわるの? VTuberだかなんだか知らないけど、結局は架空の人でしょう?」
「……違う」
「何が違うの?」
「私がやってるんだから、私だよ」
「でも、見てる人たちはあなたのことを知らないんでしょう?」
「…………」
「名前も顔も知らない。あなたも、その人たちのことを知らない。それなのに、どうしてそこまで大事なの?」
 胸の奥が、かっと熱くなった。
「……大事だよ」
 自分のものじゃないような、低い声が出た。
「何も知らないくせに、そんなふうに言わないでよ」
「みとさん」
 静かな声に、思わず口を閉じる。
 真尋は私を一度見てから、母に向き直った。
「お母さまが心配されるのは、もっともだと思います。来年は受験もありますし、生活に影響が出るようなら、僕も見直す必要はあると思います」
「ほら、藤代さんだって――」
「ただ」
 真尋が穏やかに言葉を継いだ。
「勉強については、今のところ心配されるほどではありません。以前より集中して取り組めていますし、わからないところをそのままにすることも減りました」
「……そうなんですか?」
「はい。少なくとも、配信をしているから勉強を疎かにしている、というふうには僕には見えません」
 母が少しだけ言葉に詰まった。
「…………そうですか」
 胸の奥に張りつめていたものが、ほんの少し緩む。
「それに」
 真尋が続けた。
「配信をしているときのみとさんは、楽しそうです。僕は詳しくありませんが、大切にしていることは伝わってきます」
「……真尋さん」
 思わず隣を見る。
 母も何も言わなかった。
 これで、わかってくれたかもしれない。――そう思ったのに。
「でもね」
 母が小さく息を吐いた。
「だからって、ずっと続けていいものなのかは別の話でしょう?」
「…………」
「お母さんは、やっぱりわからないの。顔も名前も知らない人たちを相手に、架空の人になって話すことが、どうしてそこまで大事なのか。将来関わり合うわけでもないのに」
 緩みかけていた心が、また凍りつく。
 やっぱり、わかってもらえない。
「だから、架空じゃないって言ってるじゃん」
「でも、あなた自身として話してるわけじゃないでしょう?」
「私だよ」
「みと」
「私が喋って、私が考えて、私が笑わせてるんだから、私じゃん!」
 声が大きくなる。
 母の表情も険しくなった。
「そんなに大きな声出さなくても聞こえてるわよ」
「お母さんがわかってくれないからでしょ!」
「わかろうとしてるから話してるんでしょう!」
(……どうしよう)
 胸が苦しい。
 止まらない。
 本当は、こんなふうに喧嘩したかったわけじゃない。
 真尋が間に入ってくれたときは、少し落ち着いたはずなのに。
 それなのに。
「配信してるときは、私のこと待っててくれる人がいるの! 私が喋ったら笑ってくれて、また来るねって言ってくれて……!」
 カタ、と小さな音がした。
「みとさん」
 真尋の声が聞こえた。
「お母さんにはただの架空の人に見えるかもしれないけど、私にとっては違う!」
「みとさん、待ってください」
 真尋の声が強くなる。
 けれど、もう止まれなかった。
「そこにいるのも私だし、見てくれてる人だってちゃんといる! 私の大事な居場所なの!」
 母が何か言おうとするのを防ぐように、反論を続ける。
「だから、何も知らないのに否定しないでよ!」
 ガシャン――!
 言い切るのとほとんど同時に、湯呑みがテーブルから落ちた。
「…………」
 誰も、何も言わなかった。
 さっきまでぶつかり合っていた声が、嘘みたいに消える。
 床に砕けた湯呑みを、三人で見つめる。
 私も、動けなかった。
 今、何が起きた?
 どうして、急に――。
「…………」
 ゆっくり顔を上げる。
 母と目が合った。
「……っ」
 母が息を呑む。
 驚いた顔。
 その奥に、ほんの少しだけ――怯えが見えた。
 胸の奥が、ぎゅっと縮んだ。
「……みと」
 母が私の名前を呼ぶ。
 その声を最後まで聞けなかった。
 椅子を引き、立ち上がる。
「みとさん」
 真尋の声が追いかけてきた。
 それでも振り返らず、リビングを飛び出した。
「みと!」 
 階段を駆け上がる。
 一段飛ばしで上り、自分の部屋へ飛び込んだ。
 ドアを閉める。
 背中を押しつけ、そのままずるずると床に座り込んだ。
「…………」
 母の顔が、頭から離れない。
 驚いていた。
 ――怖がっていた。
 私を見て。
「……なに、それ」
 喉の奥が詰まる。
 私だって、何が起きたのかわからない。
(……もしかして、私が落とした?)
 頭に血が上って、自分でも気付かないうちに手が当たったとか。
 怒って、物に当たったように見えたとか。
 だから、お母さんはあんな顔をしたんだろうか。
「…………」
 わからない。
 自分が何をしたのかさえ、自分でわからない。
 でも、もし本当に私がやったんだとしたら――。
『私が喋って、私が考えて、私が笑わせてるんだから、私じゃん!』
 さっき自分で言った言葉が、頭の中に蘇る。
 みこにゃんは、いつだって明るい。
 笑って、みんなを元気にして。
 なのに、私は。
 お母さんに怒鳴って。
 自分でも止められなくなって。
 挙げ句の果てに、逃げてきた。
(……これも、私なの?)
 わからない。
 みこにゃんだって私だ。
 さっきは、そう言い切った。
 なのに今は、自分が全然違う人みたいに思えた。
 膝を抱えて、顔を伏せる。
 そのとき、階段を上ってくる足音がした。
 やがて、ドアの前で止まる。
 ――コンコン。
「みとさん」
 真尋だ。
「…………」
「開けてください」
「……嫌」
 短く答えて、膝を抱える。
「今は、誰とも話したくない」
「わかりました」
 予想していなかった返事に、顔を上げる。
「でも、しばらく僕はここにいます」
 それきり、何も聞こえなくなった。
 離れていく足音もしない。
 本当に、ドアの向こうにいるんだ。
 背中にあるのは、たった一枚のドア。
 姿も見えないし、声も聞こえない。
 それなのに、さっきまであんなに心細かった部屋が、少しだけ違って感じた。
 真尋がそこにいる。
 それだけで、どうしようもなく安心する。
 ぽろりと涙がこぼれた。
 さっきのことが何だったのかは、まだわからない。
 怖い。何が怖いのかも、よくわからない。
 それでも――。
 真尋なら、大丈夫。
 不思議とそう思えた。
 涙を拭って、ゆっくり立ち上がる。
 ドアノブに手をかけ、一瞬だけ迷ってから、そっと回した。
 ドアを開ける。
 真尋は、そこにいた。
 私に気付いて、ゆっくりと顔を上げる。
「みとさん」
 私を見る顔は、いつもと変わらない。
 驚いても、怯えてもいなかった。
 その顔を見たら、不意に気が緩んで、また涙が滲んだ。
 真尋が静かに部屋へ入り、後ろ手にドアを閉める。
「……お母さん、怖がってた」
 絞り出すように言うと、真尋がわずかに眉をひそめた。
「私のこと見てた」
 言葉にした途端、母の顔がまた浮かぶ。
「もしかしたら湯呑み、私が落としたのかもしれない。怒ってたから、気付かないうちに……」
「みとさん」
「だから、お母さんは怖かったのかも」
 口にすると、本当にそうだったような気がしてくる。
「……真尋さんは?」
「え?」
 少し迷ってから、顔を上げる。
「……怖くない?」
 真尋がわずかに目を見開いた。
「どうして僕が、みとさんを怖がるんですか」
「…………」
 あまりにも普通に返されて、何も言えなくなった。
「でも……さっきの」
「まだ、みとさんが何かしたと決まったわけではありません」
 声を聞いているうちに、また涙が滲んでくる。
「……ごめんね」
「どうして謝るんですか」
「せっかく来てくれたのに。こんな、見苦しいところ見せちゃって……」
「見苦しいなんて思ってませんよ」
 真尋はそう言ってくれる。
 でも、自分ではそう思えなかった。
「…………」
「みこにゃんはね、明るくて、みんなに元気をあげるキャラなの。嫌なことがあった人も、見てる間だけは笑ってくれたらいいなって」
 なのに。
「でも、私……全然違うんだよ。中身はこんなん」
「こんなん、とは?」
「お母さんに怒鳴って、わけわかんなくなって逃げて……」
 また涙がこぼれた。
「全然、みこにゃんみたいじゃない」
 真尋は少しだけ黙った。
「……僕が先に知ったのは、みとさんですから」
「え?」
「笑ったり、怒ったり、落ち込んだり。そういうみとさんを、僕は知ってます」
「…………」
「だから、今さらみとさんを見る目は変わりませんよ」
 真尋の真っ直ぐな声。
 ……もう、顔を見ていられなかった。
 たまらず俯き、気付けば一歩だけ前に出ていた。
 こつん、と額が真尋の胸元に触れる。
「…………」
 真尋が、一瞬息を呑んだ。
「……ごめん。ちょっとだけ」
 目を閉じる。
 しばらくして、頭の後ろにそっと手が触れた。
 真尋の手だった。
 その手に、ほんの少しだけ力がこもる。
 引き寄せられるように、額がもう少し深く胸元に沈んだ。
 胸の奥に残っていたものが、また涙になって溢れた。