なんちゃって巫女は寺に居座る~家出ついでに配信してたら、副住職が本物の妖を祓い始めました~

 空はもうすっかり暮れていた。
 駅前の賑やかな商店街を、真尋と歩く。私に合わせてくれているのか、歩調はゆっくりだ。
 ちらりと隣を見ると、真尋が視線に気付いてこちらを見た。
 店の灯りに照らされた瞳。普段着の姿も、まだ見慣れない。
「すみません。お友だちとの時間を切り上げさせてしまって」
「ううん、それは大丈夫……話したいことは話せたし」
「そうですか、良かった」
 友達の話として聞いてもらったのに、結局全部バレた。
 しかも散々愚痴った挙句、本人登場。
 この人のことです、と答え合わせまでしたようなものだ。
 短期決戦にもほどがある。
(穴があったら入りたい……)
「そろそろ話してもいいですか?」
「……うん」
 来た。
 さっきまで忘れかけていた緊張が、一気に戻ってくる。
「先ほど、みとさんが言っていたことなんですが」
「…………」
 やっぱりそれか。
 真尋は少し言葉を選ぶように間を置いた。
「僕に彼女がいる、という話は……どこから出てきたんでしょうか」
「え?」
 思わず足を止める。
 真尋も数歩先で立ち止まり、こちらを振り返った。
「どこからって……」
「僕には、彼女はいません」
「…………え?」
 一瞬、言われた意味がわからなかった。
「いないの?」
「はい」
「でも、詩織さんは?」
「香月さん?」
 真尋が不思議そうに瞬きをする。
「友人ですが」
「友人って……」
 あの光景が頭に蘇る。
「だって、真尋さんの部屋で……服、はだけてたじゃん」
「……え」
 一拍遅れて、真尋が口を開く。
「……見てたんですね」
「見えちゃったの!」
「ああ……」
 真尋はそこでようやく納得したようだった。
「あれには事情があります」
「事情?」
「すみません。それは僕の口からは話せません」
「…………」
 何それ。
「でも、みとさんが考えているようなことではありません」
「私が考えてるようなことって?」
「それは……」
 真尋が言葉に詰まる。
 目が合った。
「…………」
「…………」
 どちらからともなく逸らすこともなく、数秒そのまま見つめ合う。
 先に耐えられなくなったのは、私だった。
 急に恥ずかしくなって、かあっと頬が熱くなる。
「……まあ、いいけど」
 慌てて前を向く。
 その直前、真尋も一拍遅れて視線を落としたのが見えた。
 全然よくない。
 でも、奥歯に物が挟まったような真尋の言い方からして、私が無理に聞いていい話じゃないのかもしれない。
「とにかく、香月さんとはそういう関係ではありません」
「……そっか」
 胸の奥が、ふっと軽くなる。
 ――って、何ほっとしてるの、私。
 再び歩き出す。
 隣を歩く真尋を、ちらりと見る。
「彼女、いないんだよね?」
「はい」
「ほんとに?」
「本当です」
「……そっか」
「さっきも言いましたけど」
「確認しただけ!」
 早足になる私の隣に、真尋が何事もなかったようについてくる。
 その歩調は、やっぱり私に合わせたままだった。
 しばらく歩き、暗い路地に入ると、急に人の姿が少なくなった。
「……ねえ、真尋さん」
「はい?」
「なんで走ってきたの?」
「え?」
 真尋の足が、ほんの一瞬だけ止まりかけた。
「だって、すごい汗かいてたし。そんなに急いで追いかけてこなくても、よかったのに」
「…………」
 真尋は何も答えなかった。
 ただ、私の顔をじっと見つめている。
 何かを言おうとして、でも言葉にならなくて困っているような――そんな顔だった。
「それは――」
 そのとき。
 視界の端で、黒いものが揺れた。
「……え」
 道の端に、人が立っている。
 街灯の明かりが届かない、塀のそば。
 白髪交じりの男が、俯いたままじっと動かない。
 すれ違うだけなら、気にも留めなかったと思う。
 けれど――。
 その人の足元から、黒いものが伸びていた。
 影。
 地面に落ちるはずのそれが、ゆらゆらと煙のように立ち上っている。
 見ちゃだめ。
 そう思ったときには、もう遅かった。
 黒い影の中で、何かが動いた。
 ぞくり、と首筋が熱くなる。
「……っ」
 影が、こちらを向いた。
「みとさん?」
 真尋の声と同時に、男がゆっくりと顔を上げる。
 ――目が合った。
「……まずいかも」
 真尋が振り返る。
 男を見るなり、表情が変わった。
「走って!」
 鋭い声が飛ぶ。
 次の瞬間、真尋に手を引かれ、私たちは暗い路地を駆け出した。
 ちらりと後ろを振り返ると、男が酔っぱらいのような不自然な足取りで追いかけてくるのが見えた。
「ウゥ……ウゥ……」
 男のものか影のものか、低いうめき声のようなものも聞こえる。
(真尋さん……なんで祓わないの?)
 いつもなら影に向かっていって、簡単に祓っちゃうのに。
「こっちです」
 突然、真尋が細い路地へ曲がった。
「えっ」
 慌ててついていく。
 けれど、その先には高い塀が立ちはだかっていた。
「行き止まり……!」
 背後から、ずる、ずる、と靴を引きずるような音が近づいてくる。
 真尋が辺りを見回した。
「みとさん、ここへ」
「ここ?」
 建物と塀の間に、細い隙間があった。真尋に手を引かれ、その奥へと入り込む。
 その直後、真尋も滑り込んできた。
 やがて行き止まりに突き当たる。
 振り返ると、真尋が私の前に立った。
 道路側に背を向け、私を庇うように。
「…………」
 近い。
 というか、狭い。
 背中には冷たい壁。
 目の前には真尋。
 2人で向かい合うと、ほとんど隙間がない。
 けれど真尋は気にする様子もなく、外へ視線を向けた。
「……真尋さん」
 私は声を落として尋ねた。
「なんで逃げるの? いつもみたいに祓えば――」
 真尋は私に目を戻し、張り詰めた表情を少し崩した。
「……今日は何も持っていないんです」
「え?」
「錫杖も、数珠も。寺に置いてきました」
 私は目を見開いた。
 真尋が何も持たずに出歩くなんて、珍しい。
 今までなら、何かしら持っていたはずなのに。
「……忘れたの?」
「まあ……」
 真尋がわずかに言葉を濁す。
「じゃあ……丸腰?」
「そういうことになりますね」
 そのとき、ずる、ずる、と靴を引きずるような音が近づいてきた。
 真尋が外の様子を窺いながら、私を隠すように一歩近づく。
「…………っ」
 近い。
 顔を上げれば、すぐそこに真尋の顔がある。
 思わず息を止める。
「……真尋さん。私、お札あるから大丈夫。そっち側に――」
「しっ」
 真尋が小さく遮った。
「……このままで、大丈夫です」
「…………」
 顔が熱い。
 こんな状況なのに、何を意識してるの、私。
 そのとき。
「ウゥ……」
 すぐ近くで低いうめき声がして、真尋の表情が引き締まった。
 反射的に身体を縮めた瞬間、真尋の腕が私の肩に回った。
「…………!」
 そのまま庇うように引き寄せられる。
 頬が、白いシャツの肩口に触れた。
 腕越しに伝わってくる体温。すぐそばに、真尋の気配がある。
 いつも近くで話すときとは、全然違う。
 息をするたび、ほのかに真尋の匂いがした。
(ちょ、待って。これ……ほぼ抱きしめられてない!?)
 意識した途端、余計に顔が熱くなる。
 さっきまで妖が怖くて仕方なかったはずなのに。
 今は、肩に回された腕ばかりが気になってしまう。
 心臓がうるさい。
 妖のせいなのか。
 この距離のせいなのか。
 もう、自分でもわからなかった。
 しばらくして、足音が少し遠ざかる。
 張りつめていた息を、そっと吐いた。
「みとさん、大丈――」
 すぐそばで真尋の声が止まった。
 私は真尋を見上げたまま、動けずにいた。
 頬は熱いし、たぶん耳まで真っ赤だ。目を逸らしたいのに、近すぎてどうしていいのかわからない。
 そんな私を見て、真尋が一瞬、目を見開く。
「…………」
 数秒遅れて、その視線がわずかに揺れた。
 ――たぶん今、気付いた。
 私がこんな顔をしてる理由に。
 そして――この距離に。
「…………」
 今度は、真尋が固まった。
「……すみません」
「……な、何が?」
「…………」
 返事がない。
 ただ、肩に回っていた腕が、気まずそうにそっと離れていく。
 それでも、狭い隙間では距離を取ることもできない。
 相変わらず、顔を上げればすぐそこに真尋がいる。
 私は小さく息を吐いた。
 まだ顔は熱い。
「……ねえ」
「はい?」
「さっきの続き」
「さっき?」
「なんで走ってきたのか」
「…………」
 真尋が黙る。
「今度、お寺に行った時でもよかったじゃん。私、しょっちゅう行ってるんだし」
「……そうですね」
「じゃあ、なんで?」
 逃げ場のない距離で、また目が合う。
「……今日のうちに、話しておきたかったんです」
「だから、なんで?」
 もう一歩、踏み込む。
 真尋はしばらく黙っていた。
 やがて、諦めたように小さく息をつく。
「誤解されたままにしておきたくなかったので」
「…………」
 ふと、さっきの言葉が頭をよぎった。
『錫杖も、数珠も。寺に置いてきました』
(……だから、何も持ってなかったの?)
 胸が、大きく跳ねた。
「……それだけ?」
「それだけ、とは?」
「あ……ううん、なんでもない」
 今度こそ顔を逸らす。
 けれど、真尋の視線がまだこちらにある気がして、余計に顔が熱くなった。
「それと」
 真尋が続ける。
「腕を掴んだこと……すみませんでした」
「え?」
 思わず真尋を見る。
「嫌だったんですよね」
「……違う」
「え?」
「嫌だったんじゃなくて……」
 そこまで言って、口をつぐむ。
 本人の顔を見ながら、それ以上言えるわけがない。
 真尋がわずかに首を傾げる。
「……嫌ではなかったんですか?」
「…………」
 そんなこと、今聞く?
 思わず顔を上げる。
 また目が合った。
「……それ、答えなきゃだめ?」
「いえ。無理にとは」
「じゃあ、答えない」
「わかりました」
 あっさり引き下がられて、それはそれでなんだか悔しい。
 けれど、真尋は少し間を置いて続けた。
「……もう一つだけ」
「なに?」
「みとさんが、あんなふうに怒った理由が、まだわからないので」
「……わからなくていい」
「そうですか?」
「……今は」
「でも、また同じことで怒らせてしまうかもしれません」
「それは……」
 言葉に詰まる。
 彼女がいると思ったから嫌だった。
 ほかの人を好きな真尋に、あんなふうに触れられるのが嫌だった。
 じゃあ――彼女がいないなら?
「……もう、怒らないと思う」
「本当ですか?」
「たぶん」
「たぶん」
「そこ繰り返さないで」
「気になったので」
「もう、大丈夫だから!」
 近すぎるところで真顔で返されて、また胸が跳ねる。
 ずるい。
 こんな距離で、そんなこと聞かないでほしい。
 なんだか悔しくなって、私は口を開いた。
「……さっきの話。触れられるのが嫌だったら、この間だってしなかったよ」
「この間?」
「ほら……オープンキャンパスのとき」
「ああ……」
 思い出したのか、真尋がわずかに顔を逸らす。
(逃げた!)
 ずるい。
 こっちはこんなに恥ずかしいのに。
 私はすぐそばにあった真尋の手を取った。
「ほら!」
 驚く真尋の手をぎゅっと握って、2人の間に掲げてみせる。
 顔が熱い。繋いだ手も、ほんの少し震えていた。
 さっきまで妖がすぐそこにいたせいだ。
 ――たぶん。
「み、見て! 全然嫌そうじゃないでしょ?」
「…………」
 真尋が、繋いだ手からゆっくりと私を見る。
 しばらくして、ふっと目を伏せた。その口元から、小さく息が漏れる。
「……今、笑った?」
「すみません」
「正直に言わないでよ」
 真尋がまた小さく笑った。
(……もう)
 なんだか気恥ずかしくなって、いったん顔を逸らす。   
 それでも気になって、もう一度そっと真尋を見た。
 ついさっきまで妖に追われていたとは思えないほど、柔らかな笑顔だった。