その後、大学生活についての説明が始まった。
最初に前へ出たのは悠斗だった。
「まずは学生生活についてですね。授業の取り方や、一日の流れなんかを簡単に説明します」
意外にも――と言ったら失礼だけど、説明はかなり上手だった。
(悠斗さん、ちゃんと大学生してる……)
なんて感心していると、不意に悠斗と目が合った。
にや、と笑われる。
(ちょっと! 知らないふり!)
慌てて目を逸らすと、隣では充希が真剣な顔でパンフレットに何かを書き込んでいた。
危ない危ない。
悠斗の次に前へ出たのは、香月だった。
「続いて、学内の施設についてご説明します」
落ち着いた声で話し始める。
説明もわかりやすく、時折柔らかく笑う姿は、同性の私でもつい見入ってしまうくらい綺麗だった。
「ね、めっちゃ美人じゃない?」
なあ子が小声で耳打ちしてくる。
「ね。モデルみたい」
私も素直に頷いた。
やがて説明が終わり、最後に真尋が前へ出る。
「では、ここまでの内容を簡単にまとめますね」
その声を聞いただけで、さっきまでとは違って、無意識に背筋が伸びた。
(……別に、普通に聞けばいいんだから)
真尋が話し始めようとした、そのときだった。
「あ、藤代くん」
香月が声をかけた。
手元のレジュメを一枚取り、慣れた様子で真尋へ差し出す。
「これ」
「ああ、ありがとう」
真尋もごく自然に受け取った。
「…………」
何気ないやり取りだった。
なのに、なぜかその一言が耳に残った。
(……敬語じゃないんだ)
悠斗と話しているときだってそうなのに、今まで気にしたことなんてなかった。
真尋が私に向ける言葉は、いつだって丁寧だ。
だからなのか。
知らない真尋を見たような気がして、胸の奥がもやっとした。
「……みと?」
「え、あ、なに?」
「大丈夫? 今なんか、すごい顔してたけど」
「すごい顔?」
「うん。鬼みたいな」
「してないよ!」
なあ子はくすっと笑うと、前に並ぶ3人へ目を向けた。
「仲良さそうに見えるけど、実はあの真ん中の美人……香月さんだっけ?を取り合ってる……に一票」
「なんの選挙だよ」
充希が呆れたように突っ込む。
「いいじゃん、妄想くらい。橘さんが香月さんを好きなんだけど、実は香月さんと藤代さんが両想いなの」
「勝手に話作んなよ」
「…………」
真尋さんと、香月さんが。
さっきの何気ないやり取りが、頭に浮かぶ。
その瞬間、頭の中が真っ白になった。
「ふ、藤代さんは恋愛には興味ないに一票!」
気づけば、思った以上に大きな声が出ていた。
――しん。
「…………」
静まり返った講義室に、私の声だけがやけに綺麗に響いた。
(…………え?)
恐る恐る前を見る。
真尋と、目が合った。
珍しく目を丸くして、こちらを見ている。
「…………」
「…………」
その隣で、悠斗がぶっと吹き出した。
慌てて口元を押さえているけれど、肩が小刻みに震えている。
(わ、笑われた……!)
「……みと」
なあ子が小声で呼ぶ。
「なに」
「……一票って、そんな全力で入れるもんだっけ?」
「…………帰りたい」
「まだツアー途中だぞ」
充希の冷静な一言が、容赦なくとどめを刺した。
「……では」
真尋が口を開き、一度だけ言葉を切った。
「……続きを説明しますね」
わずかに視線を逸らし、レジュメに目を落とした。
講義室での説明が終わると、私たちは再び施設を回ることになった。
次に案内されたのは体育館だった。
中では運動部が練習をしていて、ボールの弾む音やシューズの擦れる音が響いている。
「広っ」
なあ子がきょろきょろと辺りを見回す。
「高校の体育館とは全然違うね」
「大学によるだろ」
「そういう現実的なこと言わないでよ。今、大学への憧れを膨らませてるところなんだから」
「知らねえよ」
そんなやり取りを聞きながら歩いていた、そのときだった。
「あっ、危ない!」
誰かの声に振り向く。
ボールが、こちらへ向かって飛んできていた。
その先にいるのは、香月だ。
「きゃっ……!」
気づいた香月が小さく声を上げ、咄嗟に身をすくめる。
その瞬間――真尋がすっと前に出た。
ぱん、と乾いた音が響く。
真尋の手に弾かれたボールが、床を転がっていった。
「怪我は?」
香月は驚いたように真尋を見上げ、それから小さく首を振った。
「……うん、大丈夫。ありがとう」
「そうか」
真尋は転がったボールを拾い、駆け寄ってきた学生へ返した。
「すみません!」
「大丈夫ですよ」
そのとき、少し離れたところから男子学生たちの声が聞こえた。
「ほら、まただよ」
「藤代って、香月のこといつも気に掛けてるよな」
「そうそう。普段が普段だから、余計あからさまなんだよな」
「…………」
思わず、真尋を見る。
真尋は何事もなかったような顔で、彼女の隣に戻っていた。
(……いつも、気に掛けてるんだ)
なぜか、その言葉だけが耳に残った。
「体育館は、授業だけじゃなくサークルや部活動でも使われています。大学に入ってから新しくスポーツを始める人も結構いますよ」
悠斗が一通り説明を終えると、参加者たちはそれぞれ興味のある場所へ散っていった。
練習中の部活動を眺める人もいれば、壁に貼られたサークル紹介に足を止める人もいる。
「次へ移動するまで、少し自由に見て回ってください」
私たちもその場を離れようとしたところで、なあ子が悠斗に声をかけた。
「橘さん、質問いいですか」
「ん?」
「大学って、サークルとかでカレカノになったりするんですか?」
「……そっち?」
悠斗が拍子抜けしたように笑った。
「まあ、もちろんそういう人もいるよ」
「へえー。いいなあ、大学生。青春って感じ」
「お前、彼氏いるだろ」
「それとこれとは別」
なあ子はそう言ってから、ふと充希を見た。
「まあ、充希は大学行っても変わんなそうだけど」
「なんだよ、それ」
「だってあんた、昔からみとにばっか絡んでるじゃん」
「は?」
「え?」
思わず充希と声が重なった。
なあ子がにやっとする。
「ほら。息ぴったり」
「どこが!」
「この間のお昼だって、みとのお弁当から『あーん』してもらってたし?」
「してないよ!」
思わず大きな声が出た。
なあ子が驚いて口をつぐむ。
「あ、あれは充希が勝手に食べただけで……!」
「おい、人聞き悪いな」
「食べたじゃん!」
「1個もらっただけだろ」
「そういうことじゃなくて!」
そこまで言って、ふと気づく。
何をこんなに必死になっているんだろう。
「私、友達でもそんなことしないもん」
言いながらそっぽを向いたとき、ちょうど少し離れたところにいた真尋と目が合った。
なぜか、じっとこちらを見ている。
「まあまあ」
悠斗が笑いながら口を挟んだ。
「昔からの付き合いなら、そういうのもあるだろ」
「だから違いますって!」
「そのくらいにしてあげたらどうですか」
不意に、真尋の声がした。
みんなの視線がそちらへ向く。
「こういうことは、周りが決めることではありませんから」
「お、藤代が助け舟」
「別に、そういうつもりでは……」
真尋はそこで一度言葉を切ると、私をちらりと見た。
「本人にしか、わからないこともありますし」
「まあ、そりゃそうだよな」
悠斗はあっさり頷くと、何かを思い出したように香月を振り返った。
「あ、そうだ。詩織」
「ん?」
「次って――」
「…………」
どくん、と胸が鳴った。
(……詩織?)
その名前には、聞き覚えがあった。
真尋宛てに届いた、淡いピンク色の封筒。
確か、あの手紙を書いた人も――。
(詩織って、この人……?)
思わず彼女を見る。
詩織は悠斗と何か話しながら、手元の資料を確かめている。
さっき真尋にレジュメを渡したときの、何気ないやり取りが頭に浮かんだ。
『これ』
『ああ、ありがとう』
「…………」
胸の奥が、またざわざわする。
さっきよりも、ずっと。
「それでは、次へ移動します」
真尋の声が体育館に響いた。
そのときだった。
「……っ」
首筋が、ちくりと痛んだ。
思わず手を当てる。
すぐに、じわじわと熱を持つような疼きが広がっていく。
(……痣)
まただ。
妖が近くにいるときの、あの痛み。
辺りを見回す。
参加者は体育館のあちこちに散らばり、学生たちも練習を続けている。
けれど、どこにもあの『影』は見当たらなかった。
(……どこにいるの?)
私は少し先にいた真尋へ近づいた。
「……真尋さん」
周りに聞こえないよう、声を潜める。
「近くに、いるかも」
真尋の視線が、一瞬だけ私の首元へ落ちた。
「……わかりました」
短く答えると、真尋は悠斗たちのもとへ戻っていく。
何かを話したあと、こちらを振り返った。
「みと?」
なあ子の声に、はっとする。
「あ、ごめん。ちょっと行ってくる」
「どこに?」
「えっと……トイレ! 先行ってて!」
返事を待たずにその場を離れる。
人混みの向こうでは、真尋もすでに歩き出していた。
私は少し距離を空けたまま、その背中を追った。
最初に前へ出たのは悠斗だった。
「まずは学生生活についてですね。授業の取り方や、一日の流れなんかを簡単に説明します」
意外にも――と言ったら失礼だけど、説明はかなり上手だった。
(悠斗さん、ちゃんと大学生してる……)
なんて感心していると、不意に悠斗と目が合った。
にや、と笑われる。
(ちょっと! 知らないふり!)
慌てて目を逸らすと、隣では充希が真剣な顔でパンフレットに何かを書き込んでいた。
危ない危ない。
悠斗の次に前へ出たのは、香月だった。
「続いて、学内の施設についてご説明します」
落ち着いた声で話し始める。
説明もわかりやすく、時折柔らかく笑う姿は、同性の私でもつい見入ってしまうくらい綺麗だった。
「ね、めっちゃ美人じゃない?」
なあ子が小声で耳打ちしてくる。
「ね。モデルみたい」
私も素直に頷いた。
やがて説明が終わり、最後に真尋が前へ出る。
「では、ここまでの内容を簡単にまとめますね」
その声を聞いただけで、さっきまでとは違って、無意識に背筋が伸びた。
(……別に、普通に聞けばいいんだから)
真尋が話し始めようとした、そのときだった。
「あ、藤代くん」
香月が声をかけた。
手元のレジュメを一枚取り、慣れた様子で真尋へ差し出す。
「これ」
「ああ、ありがとう」
真尋もごく自然に受け取った。
「…………」
何気ないやり取りだった。
なのに、なぜかその一言が耳に残った。
(……敬語じゃないんだ)
悠斗と話しているときだってそうなのに、今まで気にしたことなんてなかった。
真尋が私に向ける言葉は、いつだって丁寧だ。
だからなのか。
知らない真尋を見たような気がして、胸の奥がもやっとした。
「……みと?」
「え、あ、なに?」
「大丈夫? 今なんか、すごい顔してたけど」
「すごい顔?」
「うん。鬼みたいな」
「してないよ!」
なあ子はくすっと笑うと、前に並ぶ3人へ目を向けた。
「仲良さそうに見えるけど、実はあの真ん中の美人……香月さんだっけ?を取り合ってる……に一票」
「なんの選挙だよ」
充希が呆れたように突っ込む。
「いいじゃん、妄想くらい。橘さんが香月さんを好きなんだけど、実は香月さんと藤代さんが両想いなの」
「勝手に話作んなよ」
「…………」
真尋さんと、香月さんが。
さっきの何気ないやり取りが、頭に浮かぶ。
その瞬間、頭の中が真っ白になった。
「ふ、藤代さんは恋愛には興味ないに一票!」
気づけば、思った以上に大きな声が出ていた。
――しん。
「…………」
静まり返った講義室に、私の声だけがやけに綺麗に響いた。
(…………え?)
恐る恐る前を見る。
真尋と、目が合った。
珍しく目を丸くして、こちらを見ている。
「…………」
「…………」
その隣で、悠斗がぶっと吹き出した。
慌てて口元を押さえているけれど、肩が小刻みに震えている。
(わ、笑われた……!)
「……みと」
なあ子が小声で呼ぶ。
「なに」
「……一票って、そんな全力で入れるもんだっけ?」
「…………帰りたい」
「まだツアー途中だぞ」
充希の冷静な一言が、容赦なくとどめを刺した。
「……では」
真尋が口を開き、一度だけ言葉を切った。
「……続きを説明しますね」
わずかに視線を逸らし、レジュメに目を落とした。
講義室での説明が終わると、私たちは再び施設を回ることになった。
次に案内されたのは体育館だった。
中では運動部が練習をしていて、ボールの弾む音やシューズの擦れる音が響いている。
「広っ」
なあ子がきょろきょろと辺りを見回す。
「高校の体育館とは全然違うね」
「大学によるだろ」
「そういう現実的なこと言わないでよ。今、大学への憧れを膨らませてるところなんだから」
「知らねえよ」
そんなやり取りを聞きながら歩いていた、そのときだった。
「あっ、危ない!」
誰かの声に振り向く。
ボールが、こちらへ向かって飛んできていた。
その先にいるのは、香月だ。
「きゃっ……!」
気づいた香月が小さく声を上げ、咄嗟に身をすくめる。
その瞬間――真尋がすっと前に出た。
ぱん、と乾いた音が響く。
真尋の手に弾かれたボールが、床を転がっていった。
「怪我は?」
香月は驚いたように真尋を見上げ、それから小さく首を振った。
「……うん、大丈夫。ありがとう」
「そうか」
真尋は転がったボールを拾い、駆け寄ってきた学生へ返した。
「すみません!」
「大丈夫ですよ」
そのとき、少し離れたところから男子学生たちの声が聞こえた。
「ほら、まただよ」
「藤代って、香月のこといつも気に掛けてるよな」
「そうそう。普段が普段だから、余計あからさまなんだよな」
「…………」
思わず、真尋を見る。
真尋は何事もなかったような顔で、彼女の隣に戻っていた。
(……いつも、気に掛けてるんだ)
なぜか、その言葉だけが耳に残った。
「体育館は、授業だけじゃなくサークルや部活動でも使われています。大学に入ってから新しくスポーツを始める人も結構いますよ」
悠斗が一通り説明を終えると、参加者たちはそれぞれ興味のある場所へ散っていった。
練習中の部活動を眺める人もいれば、壁に貼られたサークル紹介に足を止める人もいる。
「次へ移動するまで、少し自由に見て回ってください」
私たちもその場を離れようとしたところで、なあ子が悠斗に声をかけた。
「橘さん、質問いいですか」
「ん?」
「大学って、サークルとかでカレカノになったりするんですか?」
「……そっち?」
悠斗が拍子抜けしたように笑った。
「まあ、もちろんそういう人もいるよ」
「へえー。いいなあ、大学生。青春って感じ」
「お前、彼氏いるだろ」
「それとこれとは別」
なあ子はそう言ってから、ふと充希を見た。
「まあ、充希は大学行っても変わんなそうだけど」
「なんだよ、それ」
「だってあんた、昔からみとにばっか絡んでるじゃん」
「は?」
「え?」
思わず充希と声が重なった。
なあ子がにやっとする。
「ほら。息ぴったり」
「どこが!」
「この間のお昼だって、みとのお弁当から『あーん』してもらってたし?」
「してないよ!」
思わず大きな声が出た。
なあ子が驚いて口をつぐむ。
「あ、あれは充希が勝手に食べただけで……!」
「おい、人聞き悪いな」
「食べたじゃん!」
「1個もらっただけだろ」
「そういうことじゃなくて!」
そこまで言って、ふと気づく。
何をこんなに必死になっているんだろう。
「私、友達でもそんなことしないもん」
言いながらそっぽを向いたとき、ちょうど少し離れたところにいた真尋と目が合った。
なぜか、じっとこちらを見ている。
「まあまあ」
悠斗が笑いながら口を挟んだ。
「昔からの付き合いなら、そういうのもあるだろ」
「だから違いますって!」
「そのくらいにしてあげたらどうですか」
不意に、真尋の声がした。
みんなの視線がそちらへ向く。
「こういうことは、周りが決めることではありませんから」
「お、藤代が助け舟」
「別に、そういうつもりでは……」
真尋はそこで一度言葉を切ると、私をちらりと見た。
「本人にしか、わからないこともありますし」
「まあ、そりゃそうだよな」
悠斗はあっさり頷くと、何かを思い出したように香月を振り返った。
「あ、そうだ。詩織」
「ん?」
「次って――」
「…………」
どくん、と胸が鳴った。
(……詩織?)
その名前には、聞き覚えがあった。
真尋宛てに届いた、淡いピンク色の封筒。
確か、あの手紙を書いた人も――。
(詩織って、この人……?)
思わず彼女を見る。
詩織は悠斗と何か話しながら、手元の資料を確かめている。
さっき真尋にレジュメを渡したときの、何気ないやり取りが頭に浮かんだ。
『これ』
『ああ、ありがとう』
「…………」
胸の奥が、またざわざわする。
さっきよりも、ずっと。
「それでは、次へ移動します」
真尋の声が体育館に響いた。
そのときだった。
「……っ」
首筋が、ちくりと痛んだ。
思わず手を当てる。
すぐに、じわじわと熱を持つような疼きが広がっていく。
(……痣)
まただ。
妖が近くにいるときの、あの痛み。
辺りを見回す。
参加者は体育館のあちこちに散らばり、学生たちも練習を続けている。
けれど、どこにもあの『影』は見当たらなかった。
(……どこにいるの?)
私は少し先にいた真尋へ近づいた。
「……真尋さん」
周りに聞こえないよう、声を潜める。
「近くに、いるかも」
真尋の視線が、一瞬だけ私の首元へ落ちた。
「……わかりました」
短く答えると、真尋は悠斗たちのもとへ戻っていく。
何かを話したあと、こちらを振り返った。
「みと?」
なあ子の声に、はっとする。
「あ、ごめん。ちょっと行ってくる」
「どこに?」
「えっと……トイレ! 先行ってて!」
返事を待たずにその場を離れる。
人混みの向こうでは、真尋もすでに歩き出していた。
私は少し距離を空けたまま、その背中を追った。


