なんちゃって巫女は寺に居座る~家出ついでに配信してたら、副住職が本物の妖を祓い始めました~

 出来上がったうどんをお盆に載せ、和室へ戻る。
「お待たせ」
 真尋の前に器を置くと、湯気の向こうでふっと表情が緩んだ。
「美味しそうですね」
 どき、と胸が波打つ。
(いやいやいや。どき、じゃないから!)
 表情筋が歪みそうなのを、私はかろうじて引き締める。
「……卵入れただけだよ」
「十分ですよ。ありがとうございます」
 真尋は左手で箸を取った。
「あ、食べられる?」
「ええ。これくらいなら」
 そう言って、少しぎこちない手つきでうどんをすくう。
 私は向かいに座ったまま、なんとなくその様子を見守った。
 うどんをひと口飲み込んだところで、真尋が顔を上げた。
「さっきの彼は、お知り合いですか?」
「うん。クラスメイトの小宮くん。真尋さんには言ってなかったけど、少し前から黒い影みたいなのが重なって見えることがあって……」
「影が?」
 真尋が眉を寄せるのを見て、私は少し慌てた。
「でも、いつも見えるわけじゃなかったの。今日だって、私が見たときはなかったし……」
「何か悩みがあるとか、そういった話を聞くことはありませんでしたか?」
「さぁ……私、そこまで親しいわけじゃないから。ただ、小宮くんと仲のいい友達が、最近人付き合いが悪くなったって言ってた」
「……そうですか」
 真尋はそれ以上何も言わず、またうどんを口に運ぶ。
「ねえ。さっき、小宮くんが言ってたの……どういう意味?」
 箸の動きが止まった。
「祓えないって……」
 わずかな沈黙のあと、真尋が静かに口を開く。
「以前ここで祓った妖は、まだ人に『憑いている』だけでした。ですが、小宮さんの場合は違います」
「違う?」
「妖が、人の体に同化しているんです」
「同化……?」
「妖だけを切り離すことができません。無理に祓おうとすれば、人のほうにも影響が出る可能性があります」
 思わず、さっきの小宮の顔が頭に浮かんだ。
 あのときの、いつもとはまるで違う笑い方。
「じゃあ……どうすればいいの?」
「……僕にも、何とも」
 真尋は箸を置くと、しばらく何かを考えるように目を伏せた。
 やがて、こちらを見る。
「……同じクラスなんですよね」
「うん……あ、でも、うちの学校、土曜日は授業ないから。小宮くんと会うのは週明けになると思う」
 慌ててそう付け足すと、真尋は小さく頷いた。
 なあ子や充希、それからクラスのみんなの顔が浮かぶ。
 もし学校で、今日みたいなことが起きたら――。
「……一度、住職に相談してみます」
「住職さんに?」
「ええ。僕よりも長く妖と関わってきた人です。同化した妖についても、何か知っているかもしれません」
 その心強い言葉を聞いて、不意に肩の力が抜ける。
 そうだ。頼もしい存在が近くにいるのだった。
「……ただ、今日の様子で気になることがあります」
「何?」
「彼がここへ来た理由に、心当たりはありますか?」
「理由……」
 さっきの小宮の言葉を思い出す。
「そういえば、『本当は見えてるんだろ』って言われた」
「見えている?」
「うん。たぶん、妖のことだと思う。なるべく見ないように気をつけてたつもりだけど……」
 真尋は少し黙り込んだ。
「なるほど。では、偶然ここへ来たとは考えにくいですね」
「……うん」
「しばらくは、気をつけてください」
「気をつけてって言われても……どうすればいいの?」
「そうですね」
 真尋は少し考えてから、口を開いた。
「新しいお札を渡しておきます。前のものは……確か、燃えたんですよね?」
「うん。あのとき黒く焦げちゃって――」
 言いながら、鞄を引き寄せる。
 焦げた札は、捨てるのもなんとなく気が引けて、カードケースに入れておいた。
「ほら」
 ケースを取り出し、中を開いた。でも――
「……え?」
 手が止まった。
 黒く焦げていたはずの跡が、どこにもない。
 そこには、何事もなかったかのように、きれいな札が収まっていた。
 真尋は私の手から札を受け取った。
 表を確かめ、裏返す。
「……どういうこと?」
「…………」
 その表情が、わずかに険しくなる。
「……僕にも、わかりません」
「真尋さんにも?」
「ええ。燃えた札が元に戻るなんて、聞いたことがありません」
 真尋はしばらく札を見つめていたが、やがて私へ返した。
「念のため、それも持っていてください。ただ、一度燃えたものです。以前と同じ効力があるかはわかりません」
 真尋が立ち上がろうとするのを、私は慌てて手で制した。
「待って。私が取る。どこ?」
「……そこの棚です。札と、それから小さな袋があるはずです」
「袋?」
「ええ」
 言われた棚を開けると、札のそばに細長い小さな袋が置かれていた。
 落ち着いた紫色の布地に花の模様があしらわれ、口には組紐がついている。手に取って裏返すと、小さなクリップまでついていた。
「これ?」
「ええ。札を入れるためのものです」
「こんなのあったんだ」
「いえ。以前のことがあったので、用意しておきました」
「……私に?」
「鞄の中では、必要なときにすぐ取り出せないでしょう」
 さらりと言って、真尋はうどんへ視線を戻す。
 新しい札と、元に戻った札を袋に収める。
 裏についたクリップで、試しに制服の腰へ留めてみた。
 思ったより邪魔にならない。
(……なんか、ちょっと巫女っぽい)
 そう思うと、ほんの少しだけ気分が上がった。
 元の場所に座り直し、真尋がうどんを食べる様子をなんとなく眺める。
 いつの間にか、器の底には数本のうどんが残るだけになっていた。
 真尋が箸でつまもうとする。けれど、つるりと逃げる。
 もう一度つまもうとして――また逃げた。
「…………」
 真尋の眉間に、ほんの少しだけ皺が寄った。
(苦戦してる……)
 三度目も逃げたところで、見ていられなくなった。
「もう。貸して」
「え?」
 真尋の手から箸を取る。
 残ったうどんをすくい上げ、そのまま真尋の口元へ差し出した。
「はい。あーんして」
「……え」
「ほら。早く」
 真尋は一瞬、戸惑ったように私を見る。
 けれど、おとなしく口を開けた。
 そのまま、うどんを食べる。
「…………」
「…………」
 箸を持ったまま、私は固まった。
(…………あれ?)
 今。
 私、何した?
 じわじわと顔が熱くなっていく。
(待って待って待って)
 食べさせた。
 真尋さんに。
 私が。
 あーんって。
「…………っ!」
 勢いよく箸を引っ込める。
「ご、ごめん! 今のなし!」
「……もう食べましたけど」
「そういう意味じゃなくて!」
 顔が熱い。
 たぶん、耳まで真っ赤だ。
 真尋は何も言わない。
 恐る恐る顔を上げると――
 真尋も、わずかに視線を逸らしていた。
 その耳が、ほんの少し赤い。
「……か、片づけてくる!」
 空になった器をひったくるように持ち上げ、勢いよく立ち上がる。
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
「い、いいえ!」
 振り返りもせず、逃げるように和室を出た。
 台所へ駆け込み、器を流しに置く。
 それから、火照った頬を両手で押さえた。
(何やってるの、私……!)
 小宮くんのことも、妖のことも、お札のことも。
 考えなきゃいけないことは、山ほどあるはずなのに。
 今はどうしても、真尋の赤くなった耳が頭から離れなかった。
 使った器と鍋を洗い終え、まだ少し落ち着かない気持ちのまま和室へ戻る。
 真尋はすでに立ち上がっていた。
「ありがとうございました。片づけまでしてもらって」
「……ううん」
 さっきのことを思い出してしまい、まともに顔を見られない。
 真尋も一度こちらを見たものの、すぐに視線を逸らした。
「じゃ、じゃあ私、そろそろ帰るね」
 鞄を手に取り、逃げるように真尋へ背を向ける。
 そのとき、ふいに肩に手が置かれた。
「みとさん」
「……っ!」
 びくりと肩が跳ねる。
 振り返ると、思ったより近くに真尋の顔があった。
(な、なに……?)
 さっきのことが頭をよぎる。
 途端に、落ち着きかけていた心臓がまた騒ぎ始めた。
 真尋はじっと私を見る。
「忘れていませんか」
「え……?」
 忘れてる?
 何を?
「な、なに……?」
「勉強です」
「…………あ」
 一瞬で、心臓が通常運転に戻った。
「今日、まだ何もやっていませんよ」
「えぇー!? この流れでもやるの!?」
「この流れ?」
「さ、さっき襲われたし! 真尋さん、怪我したし、それに……」
「それに?」
「…………」
「?」
「あーもう! なんでもない!」
 真尋は不思議そうに私を見つめた。
 けれど、なぜかその口元がふっと緩む。
「……何笑ってるの」
「いえ。別に」
「……ふーん」
 なんだか納得いかない。
 けれど、真尋はそれ以上何も言わなかった。
「……ほんとにやるんだ」
「約束ですから」
 真尋はもうすっかり勉強モードで、参考書を開いている。
 私は小さくため息をつくと、鞄を置いてしぶしぶ元の場所に座り直した。
 ふと、真尋が何かを思い出したように顔を上げる。
「そういえば、配信は大丈夫なんですか?」
「あ、今日はないよ。配信するのは水曜と木曜だけだから」
「そうなんですね」
「……だからって、勉強する気にはならないけど」
「時間はあるんですよね? 明日もお休みですし」
「…………あるけど」
「では、始めましょう」
「鬼……」
(明日……)
 そこで、ふと思い出した。
(そういえば明日、東都のオープンキャンパスだ)
 言おうとして――やめた。
 真尋はもう、参考書に目を落としている。
(……まぁ、あとで言えばいいか)
 私は観念して、真尋の開いたページに目を落とした。