私の声に、真尋は振り返らなかった。
「大丈夫です」
「でも、血……!」
「下がっていてください」
静かな声だった。
けれど、いつもの穏やかさとは違う。私を近づけさせない、強い響きがあった。
小宮が小刀を引く。
「っ……」
真尋がわずかに顔を歪めた。
さっきよりも血が溢れ、腕を赤く濡らしていく。
「へえ……」
小宮が感心したように目を細める。
「そこまでして守るんだ。面白いね」
真尋は答えなかった。
負傷した腕から力が抜けたのか、錫杖がわずかに傾く。
「真尋さん……!」
けれど、地面に落ちるより早く、反対の手がそれを掴んだ。
持ち替えた錫杖を、真尋が地面へ突く。
――シャンッ!
次の瞬間、私たちを囲むように淡い光が走った。
地面を這うように広がった光は円を描き、そのまま薄い膜のように立ち上がる。
「……結界?」
小宮が一歩踏み出し、その光に触れようと手を伸ばす。
その瞬間。
「っ……!」
何かに弾かれたように、その身体が後ろへ押し戻された。
小宮は自分の手を見下ろし、それから真尋を見る。
「……なるほど」
その口元が、ゆっくりと吊り上がる。
「祓えなくても、こういうことはできるんだ?」
「ここから出ていってください」
「…………」
しばらく、二人の視線がぶつかり合う。
やがて小宮が、ふっと肩の力を抜いた。
「……まあ、いいや」
「え……?」
「今日はこれくらいにしとく」
あっさりと言って、小宮が踵を返す。
「待って!」
思わず声を上げた。
小宮の足が止まる。
「小宮くんを……どうするつもりなの?」
小宮がゆっくりと振り返った。私を捉えた瞳が、楽しそうに細められる。ぞくりと背筋が冷えた。
「そのうちわかるよ」
「何が……?」
「さあ?」
くつくつと笑い、小宮は再び背を向けた。
「またね」
そのまま夕暮れの境内を歩いていく。そして、門の向こうへ消えた。
「小宮く……」
追いかけようと一歩踏み出した、そのとき。
――カラン。
乾いた音がした。
「……え?」
振り返ると、真尋の手から錫杖が落ちていた。
どくん、と心臓が嫌な音を立てる。
「真尋さん……?」
真尋は負傷した腕を押さえていた。けれど、指の隙間から血が滲んでいる。
その身体が、ぐらりと傾いた。
「真尋さん!」
慌てて駆け寄り、身体を支える。
「……結界で少し力を使いすぎただけです」
「……それを『だけ』って言わないでよ」
震える手でポケットからハンカチを取り出す。
「これ、押さえて」
そう言いながら真尋の腕にハンカチを当てる。
けれど、手を離すのが怖くて、そのまま上から強く押さえた。
「……みとさん。自分で押さえられますから」
「いいから。とりあえず中に戻ろう」
真尋を促して、母屋へ戻る。
足取りは、いつもより明らかに重かった。
そのまま和室まで連れて行く。
「待ってて。住職さん呼んでくる」
「住職なら、もう帰られました」
「え?」
「先ほど奥さんから急ぎの電話があったそうで。みとさんによろしく、と」
「そっか……」
よりによって、こんなときに。
いや、住職さんが悪いわけじゃないけど。
「じゃあ、救急箱ある?」
「そこの棚に」
「わかった。真尋さんは座ってて」
「僕も――」
「座ってて」
「…………はい」
珍しく素直に従った真尋を横目に、棚から救急箱を取り出す。
そのまま真尋の前に座り、押し当てていたハンカチへ目を落とした。
「……外すね」
「はい」
恐る恐るハンカチを離す。
赤く染まった布を見た途端、息が詰まった。
傷口を目にすると、指先が震える。
(しっかりしなきゃ)
真尋さんは怪我をしてる。今は、私がちゃんとしないと。
自分に言い聞かせるように息を吐いて、もう一度傷口を見る。
けれど、よく確かめてみると、思っていたほど深くはなさそうだった。
「……よかった」
ほっとした途端、張りつめていたものが一気に緩んだ。
気づけば、目の奥がじわりと熱くなっている。
「……みとさん?」
真尋が少し驚いたように私を見る。
「な、なに」
「いえ……」
真尋は一瞬言葉を止め、それから困ったように小さく笑った。
「本当に、大丈夫ですよ」
「……だから、大丈夫な人は、あんなに血を流さないの」
「そうですね」
「ほんとにもう……」
もし真尋が間に入ってくれなかったら、あの小刀は――。
ぞっとして、慌てて考えるのをやめた。
「……痛かったら言ってね」
「わかりました」
傷を手当てしていく。
真尋は何も言わず、されるがままになっていた。
いつも錫杖を振るって、妖から私を守ってくれる腕。
その腕に傷を負ったのは、私を庇ったからだ。
「……ごめんね」
ぽつりと声が漏れた。
「なぜ謝るんです?」
「だって、私を庇ったから……」
「みとさん」
いつもより少し低い声に顔を上げると、まっすぐな視線とぶつかった。
「あなたが謝ることではありません。僕が自分でそうしたんです」
きっぱりと言われて、何も返せなくなった。
真尋はそれ以上何も言わず、視線を自分の腕へ戻した。
「…………」
なんだか、ずるい。
そんなふうに言われたら、それ以上謝れない。
「……はい。終わり」
最後に包帯を整えて、そっと手を離す。
「ありがとうございます」
「今日は右手、使わないでね」
「善処します」
「善処じゃなくて」
「……わかりました」
よし。
救急箱を片づけようとして、ふと気づいた。
「そういえば……真尋さん、夕飯は?」
「まだですが」
「これから作るの?」
「そのつもりでした」
思わず、包帯を巻いた腕を見る。
それから真尋の顔を見る。
「その腕で?」
「片手でも簡単なものなら――」
「だめ。今日は私が作る」
言い切ると、真尋が目を瞬いた。
「みとさんが?」
「なにその顔。失礼だな、簡単なものならできるよ!」
「…………」
「今、絶対不安になったでしょ!」
「何も言っていませんよ」
否定もしないんだ。
そんなやり取りができることに、少しだけほっとする。
私は救急箱を抱えて立ち上がった。
「あ、そうだ。何か作れそうなものある?」
「冷蔵庫に、うどんがあったと思います」
「うどんね。了解」
頷きかけて、ふと真尋を見る。
聞きたいことは、山ほどあった。
小宮くんのこと。
あの黒い影のこと。
どうして真尋さんは、小宮くんの妖を祓えなかったのか――。
「……このあと、さっきのこと聞いてもいい?」
真尋が顔を上げる。
少しの間を置いてから、静かに頷いた。
「ええ。僕も、みとさんに聞きたいことがあります」
「……わかった」
それだけ答えて、私は台所へ向かった。
「大丈夫です」
「でも、血……!」
「下がっていてください」
静かな声だった。
けれど、いつもの穏やかさとは違う。私を近づけさせない、強い響きがあった。
小宮が小刀を引く。
「っ……」
真尋がわずかに顔を歪めた。
さっきよりも血が溢れ、腕を赤く濡らしていく。
「へえ……」
小宮が感心したように目を細める。
「そこまでして守るんだ。面白いね」
真尋は答えなかった。
負傷した腕から力が抜けたのか、錫杖がわずかに傾く。
「真尋さん……!」
けれど、地面に落ちるより早く、反対の手がそれを掴んだ。
持ち替えた錫杖を、真尋が地面へ突く。
――シャンッ!
次の瞬間、私たちを囲むように淡い光が走った。
地面を這うように広がった光は円を描き、そのまま薄い膜のように立ち上がる。
「……結界?」
小宮が一歩踏み出し、その光に触れようと手を伸ばす。
その瞬間。
「っ……!」
何かに弾かれたように、その身体が後ろへ押し戻された。
小宮は自分の手を見下ろし、それから真尋を見る。
「……なるほど」
その口元が、ゆっくりと吊り上がる。
「祓えなくても、こういうことはできるんだ?」
「ここから出ていってください」
「…………」
しばらく、二人の視線がぶつかり合う。
やがて小宮が、ふっと肩の力を抜いた。
「……まあ、いいや」
「え……?」
「今日はこれくらいにしとく」
あっさりと言って、小宮が踵を返す。
「待って!」
思わず声を上げた。
小宮の足が止まる。
「小宮くんを……どうするつもりなの?」
小宮がゆっくりと振り返った。私を捉えた瞳が、楽しそうに細められる。ぞくりと背筋が冷えた。
「そのうちわかるよ」
「何が……?」
「さあ?」
くつくつと笑い、小宮は再び背を向けた。
「またね」
そのまま夕暮れの境内を歩いていく。そして、門の向こうへ消えた。
「小宮く……」
追いかけようと一歩踏み出した、そのとき。
――カラン。
乾いた音がした。
「……え?」
振り返ると、真尋の手から錫杖が落ちていた。
どくん、と心臓が嫌な音を立てる。
「真尋さん……?」
真尋は負傷した腕を押さえていた。けれど、指の隙間から血が滲んでいる。
その身体が、ぐらりと傾いた。
「真尋さん!」
慌てて駆け寄り、身体を支える。
「……結界で少し力を使いすぎただけです」
「……それを『だけ』って言わないでよ」
震える手でポケットからハンカチを取り出す。
「これ、押さえて」
そう言いながら真尋の腕にハンカチを当てる。
けれど、手を離すのが怖くて、そのまま上から強く押さえた。
「……みとさん。自分で押さえられますから」
「いいから。とりあえず中に戻ろう」
真尋を促して、母屋へ戻る。
足取りは、いつもより明らかに重かった。
そのまま和室まで連れて行く。
「待ってて。住職さん呼んでくる」
「住職なら、もう帰られました」
「え?」
「先ほど奥さんから急ぎの電話があったそうで。みとさんによろしく、と」
「そっか……」
よりによって、こんなときに。
いや、住職さんが悪いわけじゃないけど。
「じゃあ、救急箱ある?」
「そこの棚に」
「わかった。真尋さんは座ってて」
「僕も――」
「座ってて」
「…………はい」
珍しく素直に従った真尋を横目に、棚から救急箱を取り出す。
そのまま真尋の前に座り、押し当てていたハンカチへ目を落とした。
「……外すね」
「はい」
恐る恐るハンカチを離す。
赤く染まった布を見た途端、息が詰まった。
傷口を目にすると、指先が震える。
(しっかりしなきゃ)
真尋さんは怪我をしてる。今は、私がちゃんとしないと。
自分に言い聞かせるように息を吐いて、もう一度傷口を見る。
けれど、よく確かめてみると、思っていたほど深くはなさそうだった。
「……よかった」
ほっとした途端、張りつめていたものが一気に緩んだ。
気づけば、目の奥がじわりと熱くなっている。
「……みとさん?」
真尋が少し驚いたように私を見る。
「な、なに」
「いえ……」
真尋は一瞬言葉を止め、それから困ったように小さく笑った。
「本当に、大丈夫ですよ」
「……だから、大丈夫な人は、あんなに血を流さないの」
「そうですね」
「ほんとにもう……」
もし真尋が間に入ってくれなかったら、あの小刀は――。
ぞっとして、慌てて考えるのをやめた。
「……痛かったら言ってね」
「わかりました」
傷を手当てしていく。
真尋は何も言わず、されるがままになっていた。
いつも錫杖を振るって、妖から私を守ってくれる腕。
その腕に傷を負ったのは、私を庇ったからだ。
「……ごめんね」
ぽつりと声が漏れた。
「なぜ謝るんです?」
「だって、私を庇ったから……」
「みとさん」
いつもより少し低い声に顔を上げると、まっすぐな視線とぶつかった。
「あなたが謝ることではありません。僕が自分でそうしたんです」
きっぱりと言われて、何も返せなくなった。
真尋はそれ以上何も言わず、視線を自分の腕へ戻した。
「…………」
なんだか、ずるい。
そんなふうに言われたら、それ以上謝れない。
「……はい。終わり」
最後に包帯を整えて、そっと手を離す。
「ありがとうございます」
「今日は右手、使わないでね」
「善処します」
「善処じゃなくて」
「……わかりました」
よし。
救急箱を片づけようとして、ふと気づいた。
「そういえば……真尋さん、夕飯は?」
「まだですが」
「これから作るの?」
「そのつもりでした」
思わず、包帯を巻いた腕を見る。
それから真尋の顔を見る。
「その腕で?」
「片手でも簡単なものなら――」
「だめ。今日は私が作る」
言い切ると、真尋が目を瞬いた。
「みとさんが?」
「なにその顔。失礼だな、簡単なものならできるよ!」
「…………」
「今、絶対不安になったでしょ!」
「何も言っていませんよ」
否定もしないんだ。
そんなやり取りができることに、少しだけほっとする。
私は救急箱を抱えて立ち上がった。
「あ、そうだ。何か作れそうなものある?」
「冷蔵庫に、うどんがあったと思います」
「うどんね。了解」
頷きかけて、ふと真尋を見る。
聞きたいことは、山ほどあった。
小宮くんのこと。
あの黒い影のこと。
どうして真尋さんは、小宮くんの妖を祓えなかったのか――。
「……このあと、さっきのこと聞いてもいい?」
真尋が顔を上げる。
少しの間を置いてから、静かに頷いた。
「ええ。僕も、みとさんに聞きたいことがあります」
「……わかった」
それだけ答えて、私は台所へ向かった。


