なんちゃって巫女は寺に居座る~家出ついでに配信してたら、副住職が本物の妖を祓い始めました~

 入り口はやはり狭かった。身を屈めて中へ入る。
 住職の言っていた通り、中は意外と広い。座るくらいなら十分なスペースがある。
「……暗っ」
 スマホのライトをつけると、ぼんやりと石壁が浮かび上がった。
 ライトを動かしながら辺りを見回す。そのとき、壁の一角で手を止めた。
「……ん?」
 近づいて、目を凝らす。
 石の表面に、何か色がついている。
 赤……違う、桃色?
 その下には、かすかに緑色も残っていた。
(これ……)
 汚れじゃない。
 何かが描かれている。
 けれど、長い年月のせいか、ほとんど色が消えかけていて、何の絵なのかまではわからなかった。
「……なんだろう、これ……」
 私は、色を覆う砂塵を拭うように、そっと壁に触れた。

 洞から出ると、住職はまだ縁側に腰を下ろしたままこちらを見ていた。
「中に何かありましたかな?」
「はい……あ、いえ、何かというか……」
 思わず俯く。
 壁を念入りに調べたけれど、あれが絵なのか何なのか、結局よくわからなかった。
 私はしばらく言葉に迷ったあと、口を開いた。
「……あの。聞いてもいいですか?」
「なんでしょう」
「このお寺って……昔から、妖を祓ってきた家系なんですよね」
「ええ。そうですな」
「住職さんも、そうだったんですか?」
 住職は少し懐かしむように目を細めた。
「昔は、そういった仕事を請け負うこともありましたよ」
「じゃあ、住職さんも妖を祓えるんですか?」
「いやいや。もう私に、そんな力は残っておりません」
 住職は苦笑しながら、自分の手を見下ろした。
「今はもう引退して、すべて真尋に任せています」
「……そうなんですね」
「以前は、真尋の両親もこの仕事をしておりましてな」
「真尋さんのご両親も……?」
「ええ。二人とも、立派な祓い手でしたよ」
 そう言って、住職はふっと笑った。
「そうだ。少し待っていてください」
「え?」
 住職はゆっくりと腰を上げると、寺の奥へ入っていった。
 しばらくして戻ってきたその手には、一冊の古びたアルバムがあった。
「真尋が小さかった頃のものです」
 私の隣に腰を下ろし、住職がアルバムを開く。
「わ……」
 そこには、今よりずっと若い男女と、その間に挟まれて笑う小さな男の子が写っていた。
「これ、真尋さんですか?」
「ええ。五つくらいだったでしょうかな」
「へえ……」
 思わず写真に顔を近づける。
 今よりずっと幼くて、頬もふっくらしている。けれど、目元には確かに面影があった。
「……かわいい」
「ほっほ。本人には言わないほうがよろしいかもしれませんな」
「えっ、なんでですか」
 住職が楽しそうに笑いながら、ページをめくっていく。
 家族で出かけたときの写真。
 境内で遊んでいる真尋。
 両親に手を引かれて歩く、まだ小さな後ろ姿。
 その中の一枚に、ふと目が留まった。
「……きれい」
 一面に広がる、桃色の花。
 その真ん中で、若い二人が肩を寄せ合って笑っていた。
「これも、ご両親ですか?」
「ええ。まだ真尋が生まれる前ですな」
「へえ……」
 何気なく眺めていて――ふと、胸の奥に何かが引っかかった。
 桃色の花。
 その下に広がる緑。
(……あれ?)
 さっき見た石壁が頭に浮かぶ。
 あそこにも、確か――。
(もしかして……)
「どうしました?」
「あ……いえ。なんでもないです」
 まだ、わからない。
 あの壁に残っていたのは、輪郭すらわからないほど色褪せた跡だけだ。
 私はもう一度だけ写真を見てから、アルバムへ視線を戻した。
「二人が亡くなってからは、私が再び前に出るようになりました。もっとも、それも真尋が一人で務めを果たせるようになるまでの間でしたが」
「一人で……」
 だから真尋は、大学に通いながら妖を祓っているのだ。
 寺の仕事もして、住職のことも気にかけて。
 改めて考えると、ずいぶんいろんなものを一人で背負っている。
「真尋も、一人前になるまではそれはもう必死でしたよ」
「祓えるようになるために……努力が必要なんですか?」
「もちろんです」
 住職はゆっくりと頷いた。
「素質があるからといって、何もせずに妖を祓えるようになるわけではありません。妖についての知識を身につけ、術を学び、時には己の身を守るための鍛錬も必要になります」
「……そうなんですね」
「真尋は、それこそ血の滲むような努力をしてきました」
 住職の声が、わずかに沈んだ。
「……皮肉なものですな」
「え?」
 住職がぽつりと呟く。
「あれほど妖を祓うために努力してきた真尋自身が、取り憑かれているようなものなのですから」
「……え?」
 思わず顔を上げる。
 住職はそこで、ふと口をつぐんだ。
「……少々、口が過ぎましたな」
「え?」
「ここから先は、私の口から話すことではありません」
「でも……」
「いずれ、真尋自身が話したいと思うときが来れば。そのときは、聞いてやってください」
「…………」
 それ以上、聞くことはできなかった。
 ふと、さっき見つけた色の消えかけた絵が頭に浮かぶ。
 小さい頃の真尋が、何をしているのかも誰にも話さず、一人であの暗い洞にいた。
 ――真尋さんは、いったい何に取り憑かれているんだろう。


 その後、小宮の背中に黒い影が見えることは何度かあった。
 けれど、いつもではない。
 見える日もあれば、何も見えない日もある。気になってはいたけれど、真尋に言われた通り、私はなるべく気づかないふりをしていた。
 それ以外は、拍子抜けするほど平穏な日が続いた。
 学校が終われば寺へ行き、住職の手伝いをして、帰ってきた真尋に勉強を教わる。
 妖が現れることもなく、そんな日が何日か過ぎた。
 その日も学校を終えると、私は寺へ向かった。
 住職の手伝いを済ませたあと、ふと思い立って、庭の奥にある石の洞へ入った。
 あの日から、壁に残っていた桃色と緑色がどうしても気になっていた。
 アルバムで見た、一面の桃色の花。あれと何か関係があるんじゃないか――そんな気がして、もう一度確かめてみたくなったのだ。
 スマホのライトを壁に向ける。
 桃色の跡を目で追っていくと、その下にはやはり緑色が広がっている。
「……やっぱり、似てる」
 けれど、それ以上はわからない。
 そもそも本当にあの写真と関係があるのかさえ、確信は持てなかった。
 そんなことをしているうちに、思ったより時間が経っていたらしい。
 外へ出ると、辺りはすっかり夕暮れの色に染まっていた。
「もうこんな時間……」
 膝についた土を払いながら立ち上がる。
 そのとき、背後で砂利を踏む音がした。
 振り返ると、そこにいたのは――
「……小宮くん?」
 そこに立っていたのは、小宮だった。
 制服姿のまま、数メートルほど離れたところからこちらを見ていた。
「どうしたの? なんでここに……」
 言いながら、妙な違和感を覚えた。
 小宮は普段、無口で愛想もない。笑っているところなんて、ほとんど見たことがない。
 なのに今、その口元には薄い笑みが浮かんでいた。
 いつもの小宮からは想像もつかない、どこか歪んだ笑み。
「……はは」
 小さな笑い声が漏れる。
 聞いたことのない声に、ぞくりと背筋が冷えた。
「お前……見えてんだろ」
「え?」
「本当は――」
 その言葉を遮るように、誰かの姿が私の前に割り込んだ。
「……どのようなご用件でしょうか」
 静かだが、低い声。
 ――真尋だった。
「真尋さん……」
 白い半袖のシャツに、黒のパンツ。大学から帰ってきたばかりなのだろう、いつもの袈裟姿ではない。
 わずかに息を弾ませ、その右手には錫杖を握っている。
 真尋はそれを構えることもなく、ただ正面から真っ直ぐに小宮を見据えていた。
「ここは寺の境内です。何かご用でしたら、僕がお伺いします」
 いつもと変わらない穏やかな表情。けれど、その声には、どこか有無を言わせない響きがあった。
 小宮の笑みが消えた。
​ 次の瞬間、その足元から底知れぬ夜の闇を凝縮したような黒いものが噴き出した。
​「……っ!」
​ まるで生き物のようにうねりながら、黒い影が真尋へ襲いかかる。
​ 真尋は迷いなく錫杖を振った。
​ ――シャンッ!
​ 清らかな鈴の音が境内に響き渡る。
​ 錫杖が触れた途端、黒い影は弾けるように散り、煙となって宙へ消えていった。
​「…………」
​ 小宮が、すっと目を細める。
​ 驚いた――ようには見えなかった。
​ むしろ、その口元がゆっくりと吊り上がっていく。
​「へぇ……すごいね、あんた」
​ 喉の奥から這い出すような、楽しげな声。
​ ぞくりと悪寒が走る。
​ 声は間違いなく小宮のものなのに、まるで別の何かが、小宮の口を操って喋っているかのようだった。
​ 真尋は答えない。
​ 錫杖を手にしたまま、私を庇うように一歩前へ出る。
​「ここから出ていってください」
​「嫌だって言ったら?」
​「…………」
​「俺を祓う?」
​ 小宮がくつくつと不気味に笑う。
​「できるの?」
​ 真尋の眉間が、わずかに動いた。
​ その小さな動揺を逃さず、小宮はますます楽しそうに笑った。
​「ああ。できないんだ」
​「……何を言っているんです」
​「だって、こいつの肉体ごと消すわけにはいかないもんね?」
​「……!」
​『こいつ』――小宮は、自分自身のことをそう呼んだ。
​ やっぱり。小宮の中に、何かがいる。
​「みとさん」
​ 真尋が小宮から目を逸らさないまま言った。
​「僕の後ろにいてください」
​「……うん」
​ 一歩、真尋の背中へと寄り添う。
​ その時だった。
​「ああ……」
 小宮が、真尋の肩越しに私を見た。
 その目が、愉快そうに細められる。
「……なるほどね」
「……何がですか」
「いや? 面白いなと思って」
 小宮はくつくつと笑った。
 真尋が訝しむように、わずかに眉を寄せる。
 その表情を見て、小宮の笑みが深くなった。
「ははっ……教えてやろうか?」
 小宮は挑発するように首を傾げた。
「――その前に」
 その言葉と同時に、小宮の足元から再び黒い影が伸びた。
​「下がって!」
​ 真尋が鋭く踏み込み、錫杖を振るう。
​ シャンッ、と高い音が響き、影が霧散する。
​ けれど――。
「……え」
 黒い影が視界を覆った、ほんの一瞬。
 小宮が真尋の脇をすり抜けた。
「みとさん!」
 真尋の声が飛ぶ。
 気づいたときには、小宮がもう目の前まで迫っていた。
​(近い――!)
​ そう思ったときには、小宮の手が制服の内ポケットへ伸びていた。
​ 夕暮れの光を、銀色のものが反射した。
​「――っ」
​ 小刀だ。
​ そう理解した瞬間、小宮が一歩踏み込んだ。
 黒く濁った目がまっすぐに私を捉えている。
​(逃げなきゃ――!)
 頭ではそう叫んでいるのに、足が地面に縫いつけられたように動かない。
 次の瞬間、強い力で突き飛ばされた。
「――っ!」
 勢いのまま地面に倒れ込む。
 何が起きたのかわからず、慌てて顔を上げる。
「……え?」
 私がいたはずの場所に、真尋が立っていた。
 小宮との間に割って入るように、私に背を向けている。
 そして——。
 真尋の腕に、小宮の握る小刀が食い込んでいた。
 その腕を伝って、赤い雫がぽたりと地面に落ちる。
 頭の中が真っ白になった。
 次の瞬間、喉から悲鳴のように名前が飛び出した。

「真尋さんっ!!」